unforgettable memories 02

※ユーリ誕


「ユーリ!ヴォルフラム!」

まだ舌っ足らずな高い声が大広間に響き渡る。小さな身体はおれ目がけて走り寄ると、大きく手を広げていたおれの首に思いっきり抱き着いた。衝撃に倒れそうになるのをぐっと堪え、おれは足に力を込めて立ち上がる。抱き締めた身体は子ども特有の高い熱を帯びている。オリーブ色の肌は滑らかで、ふわふわとした髪の毛からはハーブのような知らないシャンプーの香りがする。小さな手が上着をぎゅっと掴むのを感じて、おれは思わず抱き締める力を強めた。

「ユーリ、くるしいよぉ」

笑いながらグレタが言い、おれはようやく腕の力を少し緩める。至近距離で見つめ合うと、数ヶ月離れていただけなのにグレタは少し大人びた様子だった。ぱっちりと開いた瞳に長い睫毛、少し伸びた朱茶色の柔らかな巻き毛に屈託のない笑顔。着ているワンピースは少し落ち着いたネイビーブルーだった。スカートの裾部分にふんだんに施されたフリルが動くたびに揺れる。どれを取っても完璧に可愛くて仕方がなかった。

「おかえり、グレタ」
「うん、ただいま!ユーリも、おかえりなさい!」
「ただいま。同じ日に帰ってくるなんて、おれたちやっぱり親子だなぁ」
「えへへー」

グレタを抱き上げたまま振り返ると、ギュンターが羨ましいとばかりにハンカチを噛み締めているのが見えて、おれは慌てて視線を逸らす。少し離れた場所にいるヴォルフラムに気付いたグレタは、彼に向けてめいっぱい手を伸ばした。おれはグレタを抱き上げたまま歩くと、ヴォルフラムに彼女の身体を預ける。がっしり抱き締めていたおれとは異なり、ヴォルフラムは自然な所作でグレタをお姫様抱っこした。ヴォルフラムの完璧な王子様スマイルを受けて、グレタは蕩けるような笑顔になる。至近距離でそれを見ていたおれも思わずその眩しさに両目を覆いそうになった。絶世の美少年と世界一可愛い娘の笑顔を同時に食らって、よく平気でいられるものだとつくづく思う。

「ヴォルフラム、ただいま!」
「おかえり、グレタ。手紙をありがとう。字が上手くなったな」
「ほんとっ?いっぱいれんしゅうしたの!もっと、たくさん書きたかったんだけど…」
「あの手紙もたくさん時間をかけて書いたんだろう?十分だ」
「ヴォルフ……」
「罠女シリーズの新刊は買ってあるから、あとでユーリも一緒に三人で読もうな」
「うん!ありがとーヴォルフラム!」

小さなお姫さまの頬にキスを落とすと、ヴォルフラムはゆっくりとグレタを床に降ろした。それから左手でグレタと手を繋ぐと、開いていた右手をおれに差し出す。当たり前だと言いたげな表情に苦笑して、おれもヴォルフラムの手を取る。後ろでギュンターが倒れ、メイドさんたちが悲鳴を上げた。ちょうど執務を終わらせてきたらしいグウェンダルが何かを叫んでいるのも聞こえ、さらに遠くからは不吉な高笑いが聞こえてくる。おはは、おははという独特な笑い方は間違いなくマッド・マジカリスト、フォンカーベルニコフ卿アニシナ嬢のものだろう。おれとヴォルフラムは顔を見合わせてグレタの手を引き、部屋へ続く長い廊下を走り出す。混乱気味の衛兵たちも慌てておれたちに従った。

「グウェンとギュンター、だいじょうぶかなぁ」

走りながらグレタが心配そうに後ろを振り返る。ヴォルフラムは小声で申し訳ありません兄上と低い声で念仏のように呟いていたが、走るスピードを緩めるつもりはないらしい。魔族似てないようで案外似てる三兄弟の絆は案外、薄情だ。おれは引き攣った笑みのまま大丈夫だよとグレタに何の保証もない言葉を投げかけ、自室の扉を押し開けた。グレタの旅行鞄を持ってきた衛兵が心配そうな顔をしていたが、それにも気にしないでいいよと適当なことを言っておれは扉を閉める。荒くなった呼吸を落ち着かせながら、ヴォルフラムはハンカチで汗の滲んだグレタの額を拭ってやっていた。おれはグレタの手を取ってその場に屈み込む。

「ごめんなグレタ、帰ってきたばっかなのに」
「ううん!ちょっと楽しかったよー」
「そっか。あとでグウェンたちにもただいまの挨拶しような。いま行っちゃうとおれとヴォルフも実験台とか汁まみれにされかねないから…」
「汁まみれになるのはユーリだけだろう」
「お前だってギュンターの守護で似たようなことされたんだろ」
「うっ……そ、その話はやめろ」

気分悪そうに俯いたヴォルフラムをグレタは心配そうに見上げる。だいじょうぶ?ヴォルフぐあいわるい?と尋ねる様子は我が娘ながら実に健気だ。おれはそれだけのことに軽く涙ぐみながら、立ち上がってテーブルの上のカメラを手に取る。

「なぁヴォルフ、グレタ帰ってきたし写真撮るか」
「そうだな。グレタ、覚えているか?シャシンを撮れるチキュウの機械だ」
「シャシン……それって、そくせきしょーぞーがっていうのが出てくるやつ?」
「そ。たまたま持ったままこっちに来ちゃったんだ。ほら、これさっき試し撮りしたやつなんだけど」
「わあー、すっごーい!ヴォルフラムが紙の中にいる!」

ヴォルフラムの写真を差し出すと、グレタは小さな手で大事そうに受け取って覗き込んだ。色んな角度から見ては、本当に紙の中にいるみたいだと大はしゃぎだ。それからおれの持つカメラをじっと見ると、それがかめら?と首を傾げた。

「そう、ポラロイドカメラっていうんだけどね。普通のカメラは中のフィルムに撮った写真が残っていくから、それをお店に持っていって現像……この写真にしてもらうんだ。でもこれは撮った写真がその場で出てくるんだ。ここに穴があるの、分かるかな」
「ここから、シャシンが出てくるのっ?」
「そう。だから、おれたち三人で写真を撮ろうぜ!」

目をきらきらさせるグレタに言うと、彼女は頷きかけてはっと顔を上げた。何かを思いついたのだろう、少しもじもじとしながらおれの服の袖を引っ張る。

「あのねユーリ、グレタたちだけじゃなくて、みんなのシャシンが欲しいな」
「みんなの?」
「グレタ、今りゅうがくしてるでしょ?だから、シャシンを持っていきたいの」
「グレタ……」
「りゅうがくはね、さみしくないんだよ!ベアトリスもぴっかりくんも、みーんな優しいの!……でもね、ねるまえにいつも眞魔国のことを思い出すんだ。みんな元気にしてるかなって思って、ちょっとだけむねがきゅーってなるの」

凛々しい眉毛を少し下げ、グレタは郷愁に駆られた顔をした。確か、イズラ姫の写真は欲しいとねだった時も同じ顔をしていた。留学中のことを寂しくないとは言っているが、幼いグレタにとって友人がいるとはいえ異国での生活には心細さがあるはずだ。おれたちが促した留学は彼女のためになると信じての選択だったが、こんな表情を目の前にするとあの選択は間違っていたのだろうかと急に不安になる。おれたちの会話を見ていたヴォルフラムは、翠の瞳をすっと眇めた。

「それでね、そういう時にシャシンがあったらいいなって…。みんなの笑ったかおを見れたら、グレタ元気になれる気がするの!……だめかなぁ?」

大きな瞳を少しだけ潤ませてグレタはおれを見上げた。俺は彼女の身体を軽く抱き寄せて首を横に振った。だめなわけがあるわけないじゃないか。

「いいよ、グレタ。みんなで写真を撮ろう」
「ほんとっ?」
「もちろん。グレタが向こうでも元気に勉強できるように、な」

ぱっと顔を上げたグレタは、ありがとうユーリ!とおれの腰に抱き着いた。遠い昔にインスタントラーメンのようだと思っていた髪をおれが撫でていると、ヴォルフラムが屈み込んでグレタの髪に指を伸ばす。グレタの髪を一緒に撫でながら、ヴォルフラムの視線はおれへと向けられた。

「まったく、お前たちは似た者同士だな」
「え?」
「ユーリ、お前の選択は間違っていない。グレタのためでもあるし、この国のためでもある。もちろん廃国となったゾラシアのためでも」
「ヴォルフラム……」
「お前はグレタの父親なんだ。もちろん、ユーリの婚約者であるぼくも。親であるぼくたちが、一度決めた選択を迷うものじゃない。自身を持って背中を押してやるべきだ」

一度決めた選択を迷うな。それはおれ自身の魔王という立場の選択に対しても言われているようだった。

「ぼくはグレタの背中を自信を持って押しているつもりだ。もちろんユーリ、お前のことも」
「おれの?」
「ユーリもこの国の王になることを選択したろう。そして、あちらとこちらの両方を自分の居場所にすると言った。お前は本当にわがままだ。愛は全てのものに平等に向けるべき、なんてことも言っていたな。心の底から浮気者で、その上どうしようもないへなちょこだ」
「……返す言葉もないよ」

湖底によく似たエメラルドグリーンの瞳は、揺らぐことなくおれに向けられている。おれの心を見透かすように。

「でも、ぼくはそんなお前の背中を押すと決めた。もちろんただ送り出すだけじゃない。ユーリに万が一のことが起きれば、その時はぼくが真っ先に捕まえてやる。自信を無くしていたなら、その時は引っぱたいて目を覚まさせてやる」

わがままプーだったはずの彼にわがままだと言われても、もう反論する気にはなれなかった。おれが即位してからの短い時間の中で彼は急速に成長した。揺らぐことない強い信念と忠誠心。そして、友情と親愛。おれは今、それを目の前にしている。躊躇なく突き付けられる言葉の数々も、今はもう痛くない。その無遠慮さが心地よくさえあった。どうしようもない嬉しさに、頬が緩むのを抑えられそうにない。

「……引っぱたくなら頬以外にしてくれよ」
「ばか。もう求婚返しは成立しているからな!」


×


それから、おれとヴォルフラムはグレタが行きたがる場所について行って一緒に写真を撮った。アニシナさんの実験室からは野太い悲鳴が轟いていたので、グウェンダルとギュンターは必然的に後回しだ。最初に厩舎を覗いてみると、馬の世話をしているダカスコスがいた。顔馴染みの兵士も数人いたので話していると、こげ茶の髪を振り乱してギーゼラが飛び込んできた。青白い肌が怒りのあまり健康な血色になっている。

「ダカスコス、貴様ぁあああ!!」
「ひ、ひぇ、軍曹殿、ご勘弁をっ……!」
「―――あら陛下、何していらっしゃるんですか?」

鬼軍曹モードだったギーゼラは、おれたちの姿を見るとがらりと声色を変える。鬼から天使に変貌した彼女はにっこりと微笑んだ。グレタは満面の笑み、おれとヴォルフラムは引き攣った笑みを浮かべて手を振る。写真の説明をすると、二人はすんなりと快諾してくれた。アオを撫でさせてもらっているグレタ、付き添うダカスコスとギーゼラのスリーショットを写真に収める。他の兵士たちも写りたがっていたのでアオやヴォルフラムの愛馬と一緒に集合写真のような形で撮影する。写真が物珍しかったらしく、兵士たちは出てきた写真を歓声を上げて覗き込んできた。それから中庭を歩いていると、ちょうど視察から戻ったばかりのコンラッドに鉢合わせた。嬉しそうなグレタにせがまれてコンラッドとのツーショットを撮ってやるが、おれとヴォルフラムは僅かに嫉妬心を抱いていた。それを察したのか苦笑したコンラッドはカメラの使用経験はありますよ、とおれからカメラを受け取る。

「操作、分かる?」
「大丈夫です。ここがシャッターですよね」
「よかった。おれたちの写真撮りたくても、衛兵さんじゃ操作分かんないだろうなって困ってたんだよなぁ」
「お前たち、不必要にくっつくなーっ!」
「カメラの操作教えてるだけだって」
「陛下のおっしゃる通りだ。落ち着けよ、ヴォルフラム」
「……陛下じゃないだろ、名付け親のくせに」
「そうでした、ユーリ」
「あっ、コンラート!ユーリに触るなっ」

不機嫌になりかけたヴォルフラムをグレタが宥め、おれたちは中庭の芝生に座り込む。グレタは摘んできた花で花冠を器用に編み、それをおれの頭に乗っけた。ユーリはおうさまだからねっ!と言われてはもうメロメロだ。だらしなく緩みきった顔のままシャッターを切られてしまう。コンラッドは気を利かせて、念願の家族写真を何枚か撮ってくれた。書類仕事があるからとコンラッドはすぐに行ってしまったが、ちょうど入れ違いでヨザックが通りかかった。

「おや、みなさんお揃いで何されてるんです?」
「ヨザックー!」
「グレタ姫も、おかえりなさいませ」

ヨザックは駆け寄ってきたグレタの前に膝をつくと、恭しく頭を垂れた。ちょうど上司への報告を終えてきたのだろうか。しかし、グウェンダルは今アニシナさんに捕獲されて実験室にいるはずだ。まさかヨザックもあの実験室に?そういえばずいぶん前に、魔力がないからアニシナさんに相手にされないと寂しそうに言っていたような記憶がある。ヨザックもまたグウェンダルを助けることなく帰ってきたのだと思うと、あの長男のことが一気に不憫になってきた。前々から苦労人だとは思っていたが、どうか少しでも報われてほしい。苦労の大半はおれのせいだろうという点には、目を瞑りたいけれど。

「ヨザック!なぁ、時間あるならこっち来てくれよ」
「はいはい、なんでしょ」

ヨザックはグレタに引っ張られてこちらへ歩み寄ってくると、おれとヴォルフラムの前に腰を下ろした。最初は写真の説明を興味深そうに聞いていたヨザックだが、次第に表情を曇らせる。熟れた果実によく似た橙の髪を太い指でがしがしと掻き、彼は眉根を下げて苦笑した。

「なるほどね……」
「な、一緒に写真撮ろうぜ!」
「しかし、オレなんかが写っちゃっていいんですか?」
「え、なんで?」

気のいい返事が返ってくると思っていたおれは、予想だにしない言葉に目を見開いた。グレタもなんでー?と声を上げ、ヴォルフラムは僅かに眉を顰めた。

「だって、オレなんかしがない一兵卒ですよ。陛下や姫様とご一緒させていただくなんて……せっかくの一家団欒、貴重なお時間でしょう」
「そんなことないよっ」
「そうだぞ、グレタの言う通りだ。ヨザック、あんただって同じチームの仲間だろ?おれの臣下なんだから、遠慮しないで写っていいんだよ」
「そういうこと!ね、ヨザックもいっしょにシャシンとろうよー」
「グリエ、ぼくたちの娘がいいと言っているんだ。断るなんて許されないぞ」
「……いやぁ、姫様にお願いされちゃ断れないですねェ」

おれたちに押し切られ、結局ヨザックは笑いながら承諾してくれた。グレタを軽々と抱き上げ、肩に乗せてヨザックは豪快に笑う。木陰で楽しそうに微笑むツーショットを撮影し、おれたちはヨザックと別れた。しばらく会えないだろうと別れ際にヨザックが言うと、グレタは少し寂しそうな笑みを浮かべた。彼女が泣いてしまうかとおれは一瞬身構えたが、グレタは気丈に手を振ってヨザックを見送った。グレタは留学、ヨザックは任務で国を離れている時間が長い。お互いに会うと異国の話をしているらしく、思いのほか仲がいいのをおれたちは知っていた。ヴォルフラムの細い指が、風で乱れたグレタの髪をそっと撫でつける。遠ざかる大きな背中をグレタはしばらくの間、じっと見送っていた。


×


「陛下!」
「あ、エーフェ。どうしたの?」

ヨザックと別れた後、おれたちは中庭でメイドさんと遊ぶグレタを撮って城内へ戻った。厨房の前を通りかかるとエーフェに呼び止められる。厨房からは甘く香ばしい匂いが漂っていて、グレタはくんくんと小さな鼻を動かす。子犬のような仕草におれの頬は自然と緩んだ。

「お茶の時間ですが、いかがなさいますか?」
「あ、もうそんな時間?」
「グレタ、ちょっとおなかすいちゃった」
「そうだな!グレタもちょっと遊び疲れただろうし、お願いするよ」
「かしこまりました、バルコニーにお茶の準備をさせていただきます。……今日は、グレタ姫のお好きな焼き菓子もございますよ」
「ほんとっ?ありがと、エーフェ!」

嬉しそうなグレタにエーフェは頬を桃色に染めて微笑みかけた。おれたちがバルコニーに移動すると、既にメイドさんたちがテーブルクロスを敷いたり紅茶の準備をしている。おれたちが中庭にいるのを知っていたから、先に準備をしておいてくれたのだろう。カメラが気になるというグレタに落とさないよう注意してカメラを手渡すと、おれとヴォルフラムは椅子へ腰かけた。グレタはメイドさんにカメラと写真の説明をしている。辿々しい口調ながらも、一生懸命教えようとするグレタにメイドさんたちは辛抱強く付き合って頷いてあげていた。バルコニーから見える先ほどまで遊んでいた中庭では、庭師さんが低木の手入れや剪定を行っている。こちらに気付くと慌てて頭を下げるが、おれが気にしないでいいよと手を振ると額に汗を滲ませて嬉しそうに作業へ戻っていく。小鳥たちはその庭師の頭上にある大きな木の上で巣作りをしているようだった。

「お待たせしました。焼き菓子をお持ちしましたよ」

ティーワゴンを押してエーフェが現れると、グレタはおれにカメラを返して椅子に座った。誰よりも早く濡れ布巾で手を拭いて、もう待ちきれないといった様子だ。

「エーフェ、先にグレタにあげてくれ」
「ふふ、かしこまりました。グレタ姫、こちらでよろしいですか?」
「うん!グレタ、それだいすき」

エーフェは木苺のジャムの乗ったクッキーを皿に盛ると、グレタの目の前へ差し出す。おれはチーズ味のクッキー、ヴォルフラムはクリームたっぷりのショートケーキをセレクトした。グレタがいることも考慮してか、紅茶はフレーバーティーではなく癖のない普通の茶葉だ。グレタの紅茶にだけ角砂糖を1個落としてやると、彼女は溶けていくそれをじっと眺めていた。それからふーふーと念入りに息を吹きかけてから、紅茶をひとくち口に含む。しかしまだ少々熱かったらしく、グレタはぎゅっと目を瞑ってしまう。

「グレタ、大丈夫か?舌、火傷してないか?」
「ううん、だいじょうぶだよ!」

グレタは紅茶のカップを置くと、嬉しそうにクッキーを食べはじめる。行儀が悪いかもしれないと思いながらも、おれの指先は自然とカメラに伸びていた。口の端にクッキーの欠片をつけているグレタと、2個目のケーキに手を伸ばしていたヴォルフラムに向けてそっとシャッターを切る。

「なっ……ユーリ!勝手に撮るなっ」
「えー?だってヴォルフもグレタも美味しそうに食べてるからさ、つい」

ヴォルフラムは実は甘いものが大好きだ。幸せそうにケーキを食べる姿を見せられてが、撮るなという方が無理がある。真っ赤になるヴォルフラムにグレタは無邪気な笑みを向け、おれもつられて微笑んだ。しばらくの間おれたちはティータイムを楽しみ、エーフェたちに礼を言って大広間へと戻った。どうやらアニシナさんの実験は終わったらしく、衛兵に支えられてへろへろになったギュンターと廊下ですれ違う。ギュンターはおれに手を伸ばして何事かを呻いていたが、必死に衛兵が抑えているのでおれにはどうすることもできない。彼らを見送ると、おれたちは執務室の扉を叩いた。重低音の返事が返ってきて扉を開くと、ひどく疲労困憊したグウェンダルがおれたちを出迎えた。

「グウェン、じっけんだいじょうぶだったー?」
「あぁ……グレタ、帰っていたのだな。私は大丈夫だ」

駆け寄ってきたグレタを膝に抱き上げ、グウェンダルが柔和な笑みを浮かべた。深かった眉間の皺が消えると、途端に優しい雰囲気になるのだから不思議だ。それからおれに気付くと、仕事はどうしたと言いたげに呆れ顔になる。グレタが帰ってきた日ぐらいは大目に見てほしい。おれは曖昧な笑みを浮かべながら肩を竦めた。

「三人揃って、どうしたんだ」
「あ、えーっと、グウェン。疲れてるところ悪いんだけどちょっと付き合ってほしいんだよね」

写真の説明をすると、グウェンダルはよく分からないと言いたげに眉を顰めた。例によって私が写る必要は…と言い出したが、グレタがお願いすると効果てきめんだった。

「グウェン、おねがいっ」
「……グレタ……」
「だめ、かなぁ…?」
「……仕方ないな」

グレタは行儀よくグウェンダルの膝に座り直すと、おすまし顔で微笑んだ。グウェンダルもグレタの髪を撫でて柔和な笑みを浮かべる。おれは二人にカメラを向けてシャッターを切り、パシャリという音が執務室に響いた。グウェンダルは机の隅にあったあみぐるみをグレタに手渡すと、彼女の小さな身体をそっと床へ降ろす。

「わあーっ、グレタにくれるの?ありがとう、グウェン!」
「あぁ、新作のあみぐるみだ」
「……茶色い……あれ、鹿かな?」
「いや、あれはラバカップじゃないか?」
「―――それは牛だ…」

おれとヴォルフラムは見事に予想を外した。牛のあみぐるみを手に上機嫌なグレタを連れ、おれたちは執務室を後にする。しかしその時、ちょうど廊下を通りかかった女性におれはたちまち捕まってしまう。

「あら、ユーリ陛下?」

豊かな金の巻き毛を翻して振り返った女性は、豊満な体を押し付ける形でおれに抱き着いた。青少年には刺激が強すぎる柔らかい感触に、おれは声にならない悲鳴を上げる。すかさずヴォルフラムがきゃんきゃんと喚きたてるが、彼の実母は息子にお構いなしでおれの手を取って微笑んだ。

「おかえりなさい!お帰りになっていたのね。あたくしも一昨日戻ったばかりなの」
「ひょ、ひょうなんれすね……」
「ツェリさまー!」
「うふふ、グレタも戻ってたのね。おかえりなさい。あら、それはグウェンからの贈り物かしら?可愛いあみぐるみね。でも、いったい何の動物かしら。……まぁいいわ。陛下、その手に持っているものはなぁに?まるでアニシナの魔動装置みたい」
「ふぇ、ふぇりしゃま…」
「あらぁん?陛下、どうしちゃったの?お顔が真っ赤よ」
「母上っ、ユーリを離してください!」

ツェツィーリエ上王陛下は少女のように首を傾げると、おれを抱き締めていた腕の力を緩めた。すぐさまヴォルフラムがおれの腕を引っ張り、勢い余って彼の胸に抱き締められてしまう。柔らかいマシュマロのような感触が硬い胸板の感触に変わり、悲しいやら虚しいやらで軽く泣きそうだ。グレタは哀れなおれを見上げて楽しそうにきゃらきゃらと笑っている。子どもって、残酷だ。

「ユーリはぼくの婚約者ですよ!母上といえど、軽々しくユーリに触るのは看過できませんっ」
「やぁねヴォルフ、減るもんじゃないんだからちょっとぐらいいいじゃない。久しぶりの逢瀬を楽しんでいただけなのに」
「駄目なものは駄目です!」
「ねぇユーリ陛下、それはなぁに?不思議な形をしているわね」
「母上ーっ!」

喚くヴォルフラムをさっくりぽんと無視して、ツェリ様の桜色の爪先がおれの持つカメラを指し示す。おれがカメラと写真の説明をすると、彼女は興味深そうに感嘆の声を上げた。

「へぇ、すっごいのねそのカメラって!」
「それで、よかったらツェリ様にも一緒に撮ってもらいたいんですが」
「ほんとっ?ぜひご一緒させてほしいわ!あぁ、どこで撮るのがいいかしら」

ツェリ様は大喜びでグレタの手を引いて大広間へ向かう。しばらく周辺を歩き回った結果、ツェリ様は自室にある大きなソファーで撮りたいということだった。おれたちは思いもよらず、ツェリ様の自室へと通されることになった。

「うわ、すっげー……」
「わーっ!いろんなものがきらきらしてる!」

おれの部屋より数倍も豪奢な絨毯や家具が置かれた部屋は、まさに王の私室と呼ぶに相応しい。戸棚には化粧品や香水の綺麗な形の小瓶が並んでいる。おしゃれに憧れのある年頃のグレタは目を輝かせ、ツェリ様は一つ一つを手に取って説明してあげていた。一番甘い香りの香水を選んでもらい、それを少しだけ手首につけてもらったグレタは満足そうにずっとその香りを嗅いでいる。おれとヴォルフラムはその間ずっと謎の調度品の数々を眺めていた。明らかに眞魔国外の文化の香りがする像や壺は、現在の恋人であるファンファンからの贈り物だろう。ヴォルフラムは妙な形の像の感触が気に入ったのか、雑談の合間にしきりに撫でていた。やがてツェリ様はグレタを連れて部屋の中央にあるソファーに座る。座面が柔らかすぎたのか小さなグレタの身体は深く沈み込んでしまい、結局ツェリ様に抱き上げてもらう形になる。髪に小さな花の髪飾りをつけてもらったグレタは、ツェリ様に甘えるように抱き着いた。嬉しそうなグレタを慈しむように見つめるツェリ様は、珍しく母親らしい表情をしていた。おれはシャッターを切り、出てきた写真をヴォルフラムへ手渡した。

「やっぱりお袋さんだな」
「……あぁ、間違いなくぼくたちの母上だ」

満更でもなさそうにヴォルフラムは微笑む。写真を撮り終わっても、グレタは嬉しそうにツェリ様に話しかけていた。おれとヴォルフラムが養父だとはいえ、グレタはイズラ姫が健在な頃にとても懐いていたお母さんっ子だ。アニシナさんやヒスクライフさんの奥さんという身近な女性は居ても、多分甘えるにはどちらもハードルが高い。その点、ツェリ様は三人息子の子育てを経験していて人生経験も長い。見た目こそグラマラスなセクシークィーンだが、内に秘めた愛情の深さはきっと眞魔国一だろう。おれたちはグレタとツェリ様がひとしきり話し終わるのを待ってから部屋を出た。グレタがつけてもらっていた髪飾りは、もう使わないからとツェリ様がくれた。高価なものじゃないかとおれは辞退しようとしたが、宝石が使われているようなものではなくツェリ様が幼い頃に使っていた古いものだという。思い入れはあるけれどグレタに使ってほしいと言われ、おれは黙って頷いた。グレタは嬉しそうに髪飾りを何度も触り、ニコニコと微笑んでいる。甘い香水の香りもずっとグレタを包んでいて、きっと今日一日グレタは上機嫌だろう。


continue...




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