Let's have a chat.

※カロリア後


「わからないんだ」

有利はそう呟いて僕を見た。ベンチに腰を下ろした僕が、何が?と問うと有利は視線を自らのスニーカーに落とす。まだ新しそうなスニーカーは有利の好きな色だ。胸の魔石とおなじ、ライオンズブルー。

「おれが、本当に魔王に相応しいのか」

溜息交じりの声だった。僕は買ったばかりのジュースのプルタブを捻る。プシュッという小気味よい音が上がった。項垂れたままの有利は誰が見ても分かるほどに元気がない。数日前、僕たちは海の家兼ペンションのM一族での短期バイトを終わらせた。それがバイトだけならまだしも、異世界旅行も含まれていたのだ。僕たちは人間の土地であるカロリアという未開の地に臣下も従者もないような状態で放り出され(ヨザックだけはいたけど)、カロリアの女領主であるフリン・ギルビッドに捕らえられた。紆余曲折を経て箱の奪還、そしてフリンとカロリアを救うために僕たちは奮闘した。同時に、失ったものを取り戻すためにも。箱を回収し、カロリアの自由を取り戻すことは叶ったが、土地は甚大な被害を受けて戻らなかったものも多い。その中でも有利がもっとも取り戻したかった人物は、有利の願いに沿うことはなく戻らなかった。

「ウェラー卿を取り戻せなかったからかい?」

なるべく優しい声を出そうと努めたつもりだった。けれど有利はぴくりと肩を跳ねさせると、一層うつむいてしまった。これは重症だ。ウェラー卿のあれは、ただの離反ではないだろう。僕が魂だったころ、あのちいさな小瓶越しに出逢った彼はそう簡単に有利の元を離れるような人物には見えなかった。個人的な感情で有利から離れることなど、到底できないはずだ。彼が有利に対してどのような接し方をしているかは僕の知り得たところではない。しかし、少なくとも彼の中でフォンウィンコット卿スザナ・ジュリアに対する未練は消えているように映った。有利のことを有利として見ているからこそ、魔王を自らの手で護りたいと思うはずだ。それならば彼が離反した理由はただ一つ、有利のためになることが彼の行動の根幹にあるからだ。しかしそんなことなど分からない、もしかすると薄々感じてはいるけれど信じきれない有利は、彼の離反の理由が自分にあると思っている。唇を噛み締めている有利の拳にそっと触れると、有利ははっと顔を上げた。まだ口をつけていないジュースの缶を差し出す。有利はそれを黙って受け取った。

「まだ飲んでないよ」
「あぁ……」
「渋谷、顔色が良くないね。朝食は食べた?」
「ちょっとだけ。…食欲、あんま出なくて」

有利はそう言うとジュースをひとくち口に含んだ。買ったばかりで随分と冷えていたのだろうか。有利はぎゅっと目を瞑って、すこしだけ笑みを浮かべた。

「つめたい」
「かき氷食べた時みたいな反応するね。あの時はきみ、頭がキーンとするって言い訳して泣いてたっけ」
「い、言い訳じゃねーよ。あれはほんとにそうなったんだって」
「はいはい。ほんと渋谷って意地っ張りだなぁ」
「……本当だよ」

いつもの軽口の応酬も、有利の表情に翳りが生まれるとそこで終わりだ。また俯きそうになった有利から缶を受け取ると、僕は喉を鳴らしてジュースを飲む。確かによく冷えていて、頭というよりも歯に染みる。有利は目を瞬かせて僕を見つめた。

「ウェラー卿の件はきみのせいじゃないよ、渋谷。僕は何度もそう言ったろう?彼と直接話もできたなら、きみは分かってるはずだ。彼には彼の考えがあって、その為に動いているんだよ」

有利は曖昧な返事を漏らし、僕から視線を逸らす。視線の先にあるのは公園の噴水だ。縋るような瞳をしている有利の左腕を掴み、僕は無理矢理に視線を合わせる。漆黒の瞳がゆらりと揺らいだ。泣き出しそうな顔をする有利がどうしようもなく小さく見えてしまって、僕は長く息を吐き出す。

「いま何を考えている?向こうに戻りたい、それだけじゃないよな」
「だって、コ―――コン、ラッドが、まだ」
「仮にきみ一人で戻れたとして、まだ不安定な力のせいで今度も知らない土地に飛ばされたらどうするつもりだ?」
「…………」
「そんな場所でもきみは、自分一人でウェラー卿を探すのかい?魔力が使えない土地でも、きみのことだから躊躇わずに魔力を行使するだろう。きっと自分のためじゃなく、ウェラー卿や他人を助けるためにね。でも、魔力を使い果たして動けなくなればそれまでだ。彼を探すどころじゃない」
「それは、そうだ、けど」

有利はさらに唇を噛み締めた。有利だって馬鹿じゃない。きちんと頭の片隅では理解しているはずだ。けれど、理解しているからこそ上手くいかない現実に納得できていない。僕は飲みかけの缶を横に置くと、有利の左手を握り締めた。9月上旬の外気は暑く、有利の手も僕の手も汗ばんでいた。

「有利、僕はこうも言ったはずだよ。王の価値を判断するのは王じゃない。きみが魔王に相応しいか相応しくないかなんて、それはきみが判断すべきことじゃないんだ。今きみがすべきことは、来るべき時に向けて身体と心を正常な状態に近づけることだ。王が冷静な判断力を失えば、それに付き従う臣下と民はどうなる?ウェラー卿を取り戻したいのなら、きみが一人で突っ走ってはいけない」
「村田……」
「彼が役目を果たしたあとに戻ってこられるように、向かい入れるための準備をしていればいい。きみが良き王になれるよう支えるのが僕の務めだ。相応しいだとか、相応しくないとか、そんなことは些末な問題だよ」

強くなってきた日差しに晒されてじわりと額に汗が滲む。汗のせいでずれた眼鏡を押し上げ、僕は有利を見つめた。握ったままの手がどちらも熱い。淡く光を放つ有利の胸の魔石も同じように熱を持っているように映る。有利は何度か歯噛みをして、ゆっくりと薄い唇を開いた。そうだな、と呟いた声はすっかり掠れていた。僕が缶を差し出すと、ゆるく首を振って立ち上がる。繋いでいた手がするりと解かれた。

「ごめんな。何度も同じこと言わせちゃって」
「きみを叱ってるつもりはないよ。…理解ってほしいんだ」
「……うん。大丈夫だよ、村田。わかってる」

"わかってる" 何度もそう反芻して有利は僕を振り返った。泣きそうな瞳をしたまま、有利は僕に手を差し出す。バットだこと剣だこでごつごつした、少し日に焼けた男の手だ。男同士で手を繋ぐのは嫌だなんて大騒ぎしていたくせに、手を差し出すことには躊躇がない。まったく有利らしいな、と苦笑しながら僕はその手を取る。有利は力を込めて僕の手を掴むと、ぐいっと引き上げた。同じ高さの視線になった僕は、有利の漆黒の瞳をじっと覗き込む。黒曜石にも似た輝きの、僕と同じ闇のいろだ。

「僕にとっての魔王は有利、きみだけだ」
「なんだよ、急に改まって」
「急じゃないよ。多分、ずっと思ってたことだ」
「……そっか」

僕の答えを聞いた有利は、花が開くように破顔した。繋いでいた手を離して、頭の後ろで手を組んだ有利は歩き出す。僕は中身の残った缶を手にしたまま一歩を踏み出す。太陽に照らし出される、有利の背中を追いかけて。


end.



title by サボタージュ




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