ふたりごはん 04

※本編より数年後


- 5th week/Friday -

金曜日、村田は4枚のDVDを持ってきた。どうやらいつも週末に映画をレンタルするようで、何を見るか迷ったらしく全部借りてみたらしい。中国のカンフー映画、人気のファンタジー映画、コメディ色の強そうなSF映画、春に公開されたばかりのアニメ映画とジャンルは見事にバラバラだ。ジャンル問わずに見るとは言っていたが、こうもまとまりがないと苦笑してしまう。

「選びにくいな…」
「え、好みのやつ無いですか?」
「いや、そういうわけじゃないが。お前が選んでいいぞ」

勝利がそう言うと、村田は顎に指を添えて考え始めてしまった。そんなに悩むことか?と思いながら勝利はキッチンへと戻る。数分前から火にかけていた薬缶がけたたましい音で鳴りはじめたからだ。火を止め、コーヒーサーバーにフィルターとインスタントの粉をセットする。熱い湯を注いでいくと抽出された黒い液体がゆっくりと溜まっていく。同時に香ばしい香りがふわりとキッチンに充満した。村田といえば、まだどの映画にするか選びかねているようだ。プラスチックのDVDケース同士がぶつかる音が時折聴こえてくる。湯を注ぎ終わり、勝利は食器棚からカップを2つ取り出す。珈琲だけでは物足りない気がして冷蔵庫を覗くと、前に母が置いて行った頂き物のチョコレートが出てきた。箱を裏返してみると賞味期限には半月近く余裕があり、勝利でも見覚えのある社名が表記されている。渋谷兄弟にはおよそ縁のないバレンタインの時期に、デパートの催事コーナーでよく見かけるやつだ。

「村田、お前チョコ好きか?」
「あ、はい。甘いもの好きですよー」

返事を聞いてチョコレートの包装紙を破る。この場に母が居たら、せっかく綺麗なんだから丁寧に剥がして再利用しなさいと叱られそうだ。しかし、あいにく勝利は包装紙を再利用したりブックカバーにするような趣味を持ち合わせていない。有利だってそうするさと思いながら雑に剥がし、箱の蓋を開ける。中身は焼き菓子とトリュフが4種類、3個ずつで合計12個入っていた。焼き菓子はフィナンシェとクッキー、トリュフはぱっと見ただけでは種類が分からないが、小さなカードが入っているので説明が載っているだろう。抽出が終わった珈琲をカップに注ぎ、盆に箱とカップを乗せてテーブルへ運ぶ。珈琲の匂いに村田が嬉しそうに振り返った。

「わーいい匂い」
「インスタントだけどな」
「でも、インスタントもきちんと淹れると美味しいですよ」

村田はDVDのケースをソファーに置くとカップを受け取ってテーブルに置いた。それから箱の中身を覗き込む。小さなカードの説明を読むと、勝利の顔を見上げた。

「これゴディバですよ。いいんですか?」
「別にいいさ。ずっと冷蔵庫に入れっぱなしで忘れてたからな」
「じゃあ遠慮なく!わー、美味しそう」
「好きなの選んでいいぞ」
「あ、勝利さんはどれが好きですか?」
「俺?……強いて言うならクッキーかな」
「じゃあ僕はトリュフ貰いますね」
「……で、映画は結局どれにしたんだ?」

ソファーに座った勝利は、すっかりお菓子に目を奪われている村田の頭を小突く。村田はあっと声を上げて一枚のディスクを取り出した。カラフルでおしゃれなデザインは人気のアニメ映画だった。春に公開されたばかりで、オタク層だけではなく一般人からの人気も高かった。勝利は既に友人と観に行っていたが、村田は観ていないのだろうか。

「これか?」
「アニメだし、勝利さん好きかなーと思って」
「いや、そういう理由かよ。お前が好きなの選べばいいだろ」
「え、でもこれ好きじゃないですか?」
「まぁ普通に好きだけど……俺はもう一回観てる。お前が観てないならまた観てもいいけど、ものすごく面白いって感じではないぞ」
「え、そうなんですか?」

じゃあ他のにしようかなとまた悩み始める村田を眺めながら、勝利は自分の珈琲を啜った。好きなものを選んでいいと言ったのに勝利の好きなものを選ぶ村田に、どうしようもなくむずがゆい気持ちになる。自然と緩みそうになる口角を堪えながら、勝利は真っ黒な村田のつむじをじっと見下ろした。

「じゃあやっぱりこれで」

数十秒唸りながら悩んでいた村田がぱっと顔を上げる。村田が手にしていたのはSF映画のディスクだ。勝利も観たことがない映画だったので、異論なしと鷹揚に頷いてみせる。村田はディスクをレコーダーに入れ、リモコンを持って勝利の隣に座る。配給会社や制作会社のクレジットが流れる間、珈琲を飲んで満足そうな笑みを浮かべる。

「珈琲、美味しいですよ」
「そうか。ま、料理できないからこれぐらいはな」
「勝利さんもしてみればいいのに。僕が優しく教えてあげますよ」
「……遠慮しておく」

にこりと笑みを浮かべる村田が何か良からぬことを考えているようで、勝利はやんわりと固辞する。村田はあからさまに落胆した顔で、箱からトリュフを摘み上げた。ひとくちで食べてしまうと、珈琲でゆっくり溶かしながら食べる。

「あ、これ美味しいですよ。苺のジュレが入ってます」
「へぇ。こっちは?」
「こっちはプラリネですかね」
「プラリネ…」
「焙煎したナッツに加熱した砂糖を加えてカラメリゼしたやつですね。大体ペーストで、ヘーゼルナッツとかアーモンドだと思います」
「詳しいな!お前、もしかして菓子も自分で作るのか?」

首を傾げた勝利に得意げな顔で村田は説明した。あまりに流暢な説明に勝利が驚くと、村田は静かにテーブルの上にあるカードを指差す。

「あれに書いてありましたよ」
「……さも自分が知ってた風に語るのが上手いな」
「いやー褒めても何も出ないですよー」

褒めてねーよとデコピンを食らわせると村田は大袈裟に痛みに呻いた。そうしてふざけている間に画面には宇宙空間が映り、主人公らしい人物が宇宙服で漂い始めた。


×


映画は3時間近くあって、見終わった頃には時刻は24時近くを回っていた。勝利は大きな欠伸をする。村田もエンドロールを見る気力はないのか、眠そうに何度も目を擦っていた。NASAに所属する主人公が不慮の事故で一人だけ宇宙に残され、決死の帰還を計画し実行するという大規模スペクタクル映画だった。最終的に無事帰還することができ、主人公は結婚間近だった恋人とも再開することができた。最後の場面では幸せそうな2人が結婚式で甘いキスをして終了した。なんとも王道な展開だろう。前半のスリリングな展開の連続が面白かった勝利としては、最後にカップルのいちゃつきを何度も見せられて気落ちしてしまった。星5で評価するなら3〜3.5程度だな、と思いながらすっかり冷めた珈琲を飲み干す。隣の村田はというと、眠そうな顔でぼーっとしていた。

「おい、寝るなよ」

軽く肩を揺すると、村田は曖昧な笑みを浮かべて笑う。手にしていたカップをテーブルに置くと、空のDVDケースを揺らした。

「面白かったですね」
「まぁ、そこそこって感じだな」
「でもハッピーエンドだったじゃないですか。幸せそうでしたよ」
「そりゃそうだが……」

ハッピーエンドだからいいってもんでもないだろう。勝利はそう思ったが、口を噤んだままで村田を見遣った。エンドロールが終わり、再生メニューに戻った画面を眺めたままでいる。勝利はレコーダーからDVDを取り出し、村田に手渡した。受け取った村田はケースにディスクを直し、勝利はテレビとレコーダーの電源を落とす。2人の部屋に沈黙が落ちた。

「いいなぁって思っちゃうんですよね」

ぽつり、村田が零すように呟いた。勝利が顔を上げると、村田は複雑そうな表情のままはにかんだ。あまり上手とは言い難い笑顔に、勝利は何と返したらいいのか言葉に迷う。

「陳腐なハッピーエンドでも、あんなに愛されて幸せならいいなぁって」
「……そんなもんか?」

勝利がやっとそう返すと、村田は曖昧な笑みのまま呟いた。軽く伏せられた瞳は何を考えているのか分かりにくい。

「僕、自分ってすごく幸せだと思ってたんです。ずっと傍にいたいと思っていた渋谷と親友になれて、向こうの世界にも一緒に行けて、彼の力になれて。今が一番幸せだってそう言ったこともある。実際、すごく幸せなんだ。……でも、」
「村田…?」

言い淀み、村田はソファーの上に置いた拳をぎゅっと握り込んだ。力を込めすぎて真っ白になった拳を、勝利はじっと見つめる。真っ黒な村田の睫毛が僅かに震えていた。

「欲が出てくると、駄目ですね」

何かをいいかけて、やめた。そんな口ぶりだった。村田はへらりと笑うと、盆に2人分のカップを載せて立ち上がる。キッチンから水音が聞こえてきて、カップを洗っているのだと笑った。勝利は絨毯の上に散らばっている4枚のDVDを揃えてテーブルに置くと、軽く息を吐き出した。村田が言いかけた言葉の先が、気になって仕方ない。やがて水音が止まり、リビングへ戻ってきた村田は勝利からDVDを受け取るとショルダーバッグへ詰め込んだ。先ほどの会話などなかったかのような顔で身支度をする村田を見て、勝利の中で苛立ちに似た衝動がじわりと湧き上がってくる。

「じゃあ帰ります。今日はありがとうございました。遅くなってすみません。チョコと珈琲も美味しかったです」

勝利に向かってぺこりと頭を下げ、村田はダッフルコートを羽織る。細い指先がショルダーバッグを掴んだ。その瞬間、勝利は村田の肩を掴んでいた。

「おい、村田」

振り返った眼鏡越しの村田の瞳が驚きに瞬く。村田の右手から力が抜け、重い音を立ててショルダーバッグが床へ落下した。勝利がじっと見つめると、村田は戸惑ったように視線を泳がせた。左手でダッフルコートの合わせを掴んだまま俯く。

「何か俺に言いたいことがあったんじゃないのか」
「……別に、ないですよ」
「さっき何かを言いかけただろう」
「そんなことないですって」

顔を上げようとしないまま村田は笑う。視線を合わせない村田に焦れた勝利が指先に力を込めると、村田は肩の痛みに小さく呻いた。

「嘘だな。お前、ずっとおれの目を見てない」

眉を顰める村田に構うことなく勝利が腕を引っ張ると、村田の身体はいとも簡単に揺らいだ。バランスを崩した村田を半ば押し倒す勢いでソファーへ放る。衝撃で村田の眼鏡はずれ、絨毯へと落下した。硝子越しではなくなった漆黒の瞳が大きく見開かれ、ようやく勝利の姿を映す。村田の細い喉がひゅうっと音を立てた。

「な、に―――…」
「お前の欲しいものはなんだ。言ってみろよ」

目を見開いたまま、村田は硬直した。勝利の指先が村田の頬に触れ、言葉を促すように撫でる。冷たいほどの眼差しで村田を見下ろしながら、勝利は唇を開く。

「俺を翻弄するようなことばかり言うくせに、お前は自分の真意を隠してばかりだな。なんでもないって誤魔化せばどうにかなると思ってるだろう」

それに騙されてやるほど俺は優しくない。吐き捨てるように呟き、勝利は村田の細い腕を掴んだ。急に動きを制限され、村田は大きく身動ぐが勝利は構うことなく覆い被さった。至近距離で強い視線に射抜かれ、村田の唇が僅かに震える。

「……なんで」
「なんで分かるんだ、って言いたいのか?この1ヶ月、お前を見てれば嫌でも分かるさ。それに前からお前はそうだった。有利に対してもそうだったからな」

勝利の言葉に村田は絶句する。それではまるで、勝利が自分のことをずっと見ていたようじゃないか。じわじわと熱くなる頬の感覚を無視することもできず、村田は床へ視線を落とした。到底逃げられる状況ではない。そう自覚しているにも関わらず、逃げ出したくて仕方がなかった。

「僕が、言ったら迷惑じゃないんですか」
「迷惑ならまた来いなんて言わないと思うが」

やっと呟いた村田の声は震えていた。村田の言葉を耳にして、勝利は口角だけを器用に吊り上げる。何を言っているんだと、呆れ混じりに笑う。大きく目を見開いた村田の顔の横に勝利は手をついた。囲うように捕らえられ、もはや逃げ場はどこにもない。

「もう観念しろよ。有利に負けず劣らず、お前も意地っ張りだな」

息がかかりそうな距離で揶揄され、村田は頬の熱がかっと上がるのを感じた。まさかそんなことを言われるとは思わなかった。震える指先を伸ばし、村田は勝利のシャツを掴む。突然のことに虚を突かれた勝利の首ををぐっと引き寄せると、唇を押し付ける。柔らかくて熱い感触が触れ、正常ではない脳がぐるぐると回っていた。数秒の後に腕の力を抜くと、呆気に取られた顔で勝利がこちらを見下ろしている。まるで鳩が豆鉄砲を食らったような顔に、ようやく村田の身体から緊張が抜ける。ふっと脱力すると、自然に笑みが込み上げてきた。

「勝利さん、すごい顔してますよ。僕からイニシアチブを奪えたと思いました?」

くすくすと笑いながら尋ねると、勝利はだんだんと眉を顰める。それから大きく息を吐き出すと、村田に体重を預けるようにしな垂れかかってきた。自分より体格のいい相手に乗っかられた村田が必死に押し返すと、勝利はソファーからずるりと床の絨毯に座り込んだ。それからソファーの上の村田を恨めしそうに見上げる。

「お前、本当に……意地っ張りというか頑固だな」
「勝利さんがこんな時に有利の名前を出すからでしょう」
「それが原因かよ!?お前だって有利に会ったって嬉しそうに話してただろうが!挙句の果てに有利は特別だなんて言うし」
「あれ?勝利さんやっぱり気にしてたんですか?」
「……お前、あれわざとかよ」
「嫌だなぁ、嘘は言ってませんよ。事実ですから」

癖っ毛を指先で弄びながら村田は涼しい顔で言う。そして、不満げな勝利を見下ろしながら微笑んだ。先ほどまでの赤面っぷりが嘘のように、清々しくも晴れやかな表情で。

「勝利さんが、好きです」

黒曜石に似た村田の瞳が熱く勝利を見つめる。虹彩には焦れるような色が浮かんでいて、勝利は観念したとばかりに頭を掻いた。軽く息を吐き、勝利は村田をじっと見つめ返す。同じ闇色の瞳が僅かに揺れた、その隙を見逃さずに薄い唇を開く。

「俺も好きだ」

勝利はソファーに手をつき、村田の後頭部に手を伸ばした。まるい頭の感触を確かめるように撫でると、そっと頭を引き寄せる。村田もそれに応え、ゆっくりと屈み込んだ。今度は確かめ合うように何度も口づけを交わす。呼吸の合間に視線が合わさるたびに、勝利も村田もぎこちない笑みを浮かべた。多分きっと、お互いに今までの紆余曲折を思い出していた。馬鹿馬鹿しいすれ違いを繰り返して、遠回しばかりをして、今まで何をしていたんだろう。無理な姿勢が苦しくなって村田が顔を上げると、勝利の腕も離れていった。痛む首筋を擦ると、勝利は苦笑しながらごめんと囁く。眉根の下がった勝利の顔がなんだかおかしくて、村田はまた笑った。


end.




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