ふたりごはん 03

※本編より数年後


- 4th week/Friday -

3次元の、女子ならまだしもあいつは男だぞ?
勝利は必死にその言葉を脳内で反芻していた。週末が明けて月曜日の夜、村田は来ることがなかった。当たり障りのない言葉でLINEを送ってもみたが、既読すらつかない。完全に避けられているのは明白だった。それから四日間、勝利一人で過ごす夜が続いた。久しぶりの一人の夕食で何を食べるか悩んだ挙句、自炊をする気にはなれず結局以前までと同じようなコンビニ弁当を購入した。電子レンジで加熱して温まった弁当を口にしてもどこか味気なく、テレビを見ていても気分は晴れないままだ。もやもやとした気持ちの悪さが胸の中でずっと渦巻いている。今日―――金曜日は会社で飲み会があるらしい。上司は来ない同僚だけの親睦会だから気楽に参加しろと言われたが、とても酒を飲む気分にはなれず丁重に断った。それとも、一人惨めにこんな気分を味わうぐらいなら思いきり飲んで忘れた方がよかっただろうか。

「……酒……」

村田が来るようになってから、なんとなく未成年に配慮して酒を飲むことがなくなっていた。ビールが入れっぱなしになっていたはずだと冷蔵庫の扉を開く。気に入っている銘柄のビールを3本見つけ、勝利は力なく微笑んだ。この俺が、やけ酒するなんてどうかしている。プルタブを捻るとプシュッと小気味よい音が鳴った。酒には強い方ではない。酒癖も悪い。大学のコンパでは泥酔して多くの失敗をしたことが記憶に新しい。だが今日は周囲に誰がいるわけでもなく、一人だ。迷惑をかけることも恥をかくこともないだろう。勝利は以前買っていたさきいかを戸棚から引っ張り出した。開封すると燻された烏賊のなんとも言えない美味そうな匂いが鼻孔を擽った。夕飯に焼き肉弁当を食べたが、些か量が少なかったのかもしれない。勝利は適当にチャンネルを回し、普段あまり見ることのないお笑い番組で止めた。頭を空っぽにしたくて画面を眺めるが、知らない芸人が多かったりネタのツボが分からなかったりで笑えない。苛立ちながらさきいかを咀嚼し、ビールを喉へ流し込む。早いペースで飲んだせいか、30分も経たないうちに頭がぼーっとしてきた。意識はあるがどこかふわふわと現実味は薄い感覚だった。何かの音が聴こえた気がするが、動く気になれずさきいかを咀嚼する。身体が熱く火照ってきた。いつの間にかお笑い番組は終わり、次のバラエティが始まっていた。見覚えのある美人アナウンサーが大御所俳優と一緒に有名な料亭の料理を紹介している。美味そうだなと思いつつも、きっと外食すらする気になれないだろうと頭の片隅でぼんやりと考えた。3本目のビールを飲み終わり、これで終わりなのかと思うと我慢できなくなった。立ち上がろうとしたが、ずっと同じ体勢で座っていたせいで足が痺れている。フローリングへ豪快に転び、倒したビール缶から僅かに残っていたビールが零れた。しゅわしゅわとした液体が流れていくのを見て大きく息を吐く。俺は何をしているのだろう。だんだんと瞼が重くなり、勝利はそのまま冷たい床に大きく倒れ込んだ。遠くからまた何かの音が聴こえたが、動こうとは思わなかった。


×


「……さん、……りさん―――…」

霞がかった意識の遠い場所で自分を呼び声がする。身体が地面に触れている場所は全て冷たくてひんやりとする。それにすごく硬い気も。身体が凝り固まっている感覚に上手く身体が動かない。指先がぴくりと動き、それから手が地面を撫でる。滑らかで冷たい、これはフローリングだろうか。まさか布団も敷かずに床で寝るなんて、こんなことは久しぶりだ。今は何時だ、どうしてこうなった?ごちゃごちゃする思考を振り払おうと頭を揺らした途端、頭痛に襲われる。ずきりとした痛みに覚えがあって、全身を襲う重怠い感覚の正体に気がく。間違いなく、これは二日酔いだ。

「嘘だろ……」

重い瞼を抉じ開けると室内は暗いままだった。僅かにカーテンの隙間から陽が差し込んでいるので、まだ早朝だろうか?しかし玄関や廊下の方は灯りがついている。消し忘れていただろうかと首を捻り、ゆっくりと体を起こす。視線を少しだけ上にずらし、勝利は口をぽっかりと開ける羽目になった。

「な、んで」
「第一声がそれですか?……おはようございます」
「お、おは……いや、だ、だってお前…」

涼しい表情を浮かべたまま、村田は勝利に向かって手を差し出した。引かれるままに立ち上がるが、勝利の身体は大きくふらつく。それを見て村田は呆れた顔をし、テーブルの上に置いてあったビニール袋からスポーツドリンクを取り出した。

「これ、飲んでください。アルコールを抜かないとどうしようもないですよ」

言われるがままに差し出されたスポーツドリンクを飲む。随分と喉が渇いていたようで、一気に半分ほど飲んでしまった。まだぼんやりとする脳で部屋を見回すと、村田が買ってきたらしいコンビニの袋にはレトルトのおかゆやコンビニうどんも入っていた。

「お前、なんでここにいるんだ」

唐突な言葉に眉根を寄せながらも村田は一つ溜息を吐き、ソファーに腰を下ろした。勝利も床に置いた座布団に座る。

「勝利さんがLINEくれてたじゃないですか。それに返信したんですよ、僕。19時半頃だったかな。もう電車の中か帰宅途中で気付かなかったのかもしれないですけど」
「あぁ……昨日はスマホを家に忘れてたから一日見てないな」
「そうだったんですか。まぁ、それで返事がないから……何かあったのかと思って。その後、22時頃に電話もかけたんです。それにも出なかったから、流石におかしいなと思って。それで」
「22時04分。着信……4回。これか?」

村田は黙って俯いた。微妙にばつが悪そうに見えるのは気のせいではないだろう。先週あんな別れ方をしたばかりなのだから。しかも、紛れもなくこの部屋で。

「僕が原因ですか?」

あてもなく視線を彷徨わせていた勝利は慌てて顔を上げる。村田は自嘲するように口角だけを器用に上げて微笑んでいた。反射的に違うと首を振るが、村田はそうですか?と首を傾げるだけだった。

「酒癖よくないって前に渋谷から聞いたことありましたけど、こんなに荒れてるなんてびっくりしましたよ」
「それは、その……すまん」
「なんで謝るんですか?僕が来てた時に我慢させてたなら僕の方だって悪いでしょうし」
「別に我慢してたわけじゃない」

勝利が否定すると村田は疑わしそうに目を向ける。とことん自分のせいだと思っているのだろう。違うと否定しても信じてもらえそうになくて勝利はそっと息を吐いた。村田はビニール袋を勝利に押し付けると、ソファーから立ち上がった。

「お、おい」
「それ食べてください。消化にいいやつなので」
「待てって、村田」
「なんですか。もう用事は終わったので帰ります」
「……用事って、俺が無事の確認ができたから帰るのか」
「そうです」
「それだけのために来たのか、お前は」
「……そうです」

村田は勝利に背を向けたままだ。廊下への一歩を踏み出そうとした右足が引っ込められたのを見て、勝利は村田の肩を掴んだ。細い肩がびくりと跳ねる。

「な、んですか」
「俺が今日こうなった原因を教えてやろうか」

ずきずきと痛む頭を抑えたまま勝利は低い声で呟いた。こんなことを言えば逆効果だろうか。困惑した瞳でこちらを見上げてくる村田を見下ろしてぼんやり思う。だが、それでも構わないと思っている自分がいた。このすっきりしない気持ちを抱えたままでいるのはもうたくさんだった。

「お前が来ないからだ。一人での食事に慣れていたはずなのにお前がいないと静かで味気ない。満足していたはずのコンビニ弁当の味がしつこく感じる。LINEの返信が来ないだけで、お前の声を聞けないだけで落ち着かなかった」

どうしてくれるんだ、と呟いた勝利はその場にずるりと座り込んだ。自分が何を言っているのかもうよく分からなかった。立ったままだった村田は振り返り、勝利につられるように屈み込む。勝利が目だけで見上げると、村田の頬が僅かに紅潮している。珍しい表情をしていると、回らない頭で勝利は思った。

「やっぱり、僕のせいじゃないですか」

悲観するような響きとは裏腹に村田はどこか嬉しそうだった。僕も馬鹿ですけど、勝利さんも馬鹿ですね。そんなことを言って勝利の額を指先で突いた。

「僕が来ないとこうなっちゃうんですか?」
「……そうだ」
「じゃあやっぱり、来なきゃ駄目ですね」
「LINEも無視するな」
「はいはい。分かりましたよ」

駄々を捏ねるような勝利の言葉に村田は擽ったそうに笑う。勝利の腕を引いてソファーに寝かせると、腕にクッションを無理矢理抱かせた。勝利がぼーっとしている間に何か書き物をすると、村田は静かに部屋を出ていった。リビングの扉を閉め、廊下の電気を消して玄関で靴を履く。慌てて上がり込んだせいで靴がとっ散らかっていた。自分の余裕のなさを再確認して村田は苦笑いを浮かべる。玄関の電気を消し、合鍵で玄関を施錠した。空を見上げるともうすっかり陽が昇ってしまっている。来たのは真夜中だったはずなのに、こんな時間になるとは思わなかった。疲労感が凄まじいが、心のどこかでは安心していた。週が明ければ全てが元通りなのだから。


×


- 5th week/Monday -

「おかえりなさい!今日は鯛の塩焼きですよ」

週が明けて月曜日。勝利が帰宅すると村田は以前と変わらない様子で勝利を迎えた。よく見るとエプロンが新しくなっている。

「ただいま……ピンクって、お前」
「かわいいでしょう?美子さんにエプロン何色にしようか相談したら健ちゃんはピンクが似合うわよーって」

なんでお前は相変わらずうちのお袋とLINEしてるんだ、と突っ込みたいのを勝利はぐっと堪える。シンプルな薄ピンクのエプロンだが、裾部分にフリルがついている。絶対に男が着るものではないだろう。洗面所で手を洗いながら勝利は眉を顰める。

「あーはいはい、かわいい」
「心が籠ってないなぁ。勝利さん好きそうだと思ったのに」
「お前じゃなくて可愛い女子が着てりゃな」
「ひっどーい」

くねくねと身体をくねらせる村田を押し退け、勝利はリビングへ入る。コートを脱いで鞄を置くと、机の脇に置かれた段ボールに気が付いた。

「あ、それ受け取っておきましたよ。通販ですか?ギャルゲー?」
「ただのパソコン機器だ」

正しくはパソコン機器と一緒にギャルゲーも入っているが。村田が帰ってからゆっくり開封しようと箱はそのままにしておく。村田はつまらなさそうに唇を尖らせながらキッチンに戻り、味噌汁を温め直しはじめる。

「あ、そういえば昨日渋谷に会いましたよ」
「え!?ゆーちゃん、こっちに来てたのか!?」
「反応はや…」

椀に注いだ味噌汁を持って村田が歩いてくる。テーブルを拭き終わった勝利は椀を受け取って並べる。冷蔵庫から麦茶のペットボトルも取り出した。

「草野球まだ続けてるじゃないですか。その試合で近くに来たついでだったみたいです。ちょっとお茶しただけですけど」
「俺は何も聞いてないぞ……」

おにーちゃんのことが嫌いなのか!?と叫ぶせいで勝利が注いだ麦茶は半分ほど零れていた。村田は苦笑いしながらグリルの中から鯛を取り出す。

「勝利に言うとめんどくさいからーって言ってましたよ」

村田の言葉を聞いて勝利は危うくペットボトルごと倒すところだった。がっくりと肩を落とす勝利を横目に村田は鯛の塩焼きとほうれん草の胡麻和えをお盆に乗せて持ってくる。てきぱきと配膳をすると、茶碗にご飯をよそった。項垂れたままの勝利の前に茶碗を置くと、上目遣いに見上げられる。

「ほら、食べましょうよ」
「お前嬉しそうだな」
「え?そりゃ嬉しいですよ。渋谷に会えたの久しぶりでしたし」

弾んだ村田の声に勝利は唇を噛む。どうして実兄である自分が会えなかったのにこいつが会えているんだと苦々しい思いになる。有利とのLINEは2ヶ月前で止まっているのに。

「元気そうでしたよ。大学も楽しくて充実してる感じでした。草野球も続けてるから本当にお手本みたいな健康っぷりですね、渋谷は」

会えなかったとはいえ、有利が楽しいと聞けば嬉しいのが兄というものだ。僅かに気を取り直し、村田と一緒に両手を合わせる。いただきますと唱和してほうれん草の胡麻和えに箸を伸ばす。しっかりと茹でられたほうれん草が柔らかく、胡麻の香ばしい風味が口腔内にふわっと広がる。

「しかし心配なのは勉強の方だな」
「あ、それも大丈夫そうですよ。友だちに勉強できる奴がいるらしくて、試験前とかは教えてもらってるそうです。……僕としては口惜しいですけど」

最後の方に添えられた言葉の悔しげな響きに勝利は苦笑する。そういえば高校時代は村田が有利の勉強を見ていたようだった。

「お前、まだあいつの勉強見るつもりだったのか」
「渋谷が助けてむらえもーんって泣きついてきたら、いつでも」

さらりと事もなげに告げられた言葉に思わず絶句する。村田の有利に対する献身っぷりには驚かされてばかりな気がする。同時にもやっとした気持ちが湧き上がってきてしまう。

「……そうか」

味噌汁を啜り、鯛の塩焼きに箸を伸ばす。柔らかな身は少し力を入れただけでほろりと解け、摘んで白米の上に乗せるだけで美味そうだった。ほうれん草の胡麻和えを咀嚼していた村田は不思議そうに勝利をじっと見つめた。

「何か言いたそうですけど」
「いや、別に」
「そうですか?……あー、今度は僕が渋谷家に遊びに行こうかなぁ」
「やめろ」
「いいじゃないですか、美子さんにも会いたいですし」
「やめろ!お願いだからこれ以上俺たちの母親と親しくなってくれるな」
「えー」

勝利の必死な訴えにも、村田はにやにやと意地の悪い笑みを浮かべるばかりだ。この調子では勝利も有利も知らない間に渋谷家に行きかねない。白米とともに鯛を掻き込みながら勝利はじっとりと目を細めた。

「でも、やっぱり高校の時より会えないのは寂しいですね。前までは毎日会うのも簡単だったのに」

涼しい顔で味噌汁を啜っていた村田は、不意に声のトーンを落として呟いた。漆黒の瞳が僅かに翳っているのを見て、勝利の胸に渦巻くもやもやが大きくなっていく。

「……お前、は」
「え?」
「お前は、俺のことが好きなんじゃないのか」

勝利の口から零された言葉に村田は大きく目を見開く。しばらく黙り込んでいたが、やがて柔和な笑みを浮かべると頷いた。そうですよ、と告げる声の響きはひどく柔らかい。それを聞いて勝利は居心地悪く視線を逸らすが、村田は特に気にした様子はないようだった。

「でも、やっぱり渋谷は"特別"なので」

至極当たり前のことのように、村田は微笑んだ。


×


- 5th week/Thursday -

特別という言葉の響きをこんなにも恨めしく思ったことがあっただろうか。いや、ない。夕焼けに染まった空を見上げながら勝利は溜息を吐いた。遠くに見える信号が青から赤に切り替わる。歩みを止めて足元に視線を落とし、また溜息を一つ。村田の有利贔屓は今に始まったことじゃない。有利の元に行けなくなった時の村田の取り乱しっぷりを、勝利は目の前で見ていた。その後も有利に身の危険が及ぶたびに村田は自分のみすら顧みない言動や行動を繰り返していた。今に始まったことじゃない。自らに言い聞かせるように勝利は呟く。信号が変わり、周囲の人々が歩き出す。勝利はゆっくりと雑踏の中へ踏み出した。


×


勝利が帰宅すると、村田はキッチンで手が離せないようだった。洗面所で手を洗ってキッチンを覗き込むと、鍋の火加減を見ていた村田がぱっと振り返る。

「おかえりなさい」
「ただいま。……煮物か?」
「牛肉のしぐれ煮です。牛丼にしようかなって」

醤油と出汁の濃い匂いに腹がぐうっと音を立てる。勝利はコートを脱ぎ、鞄を置いてソファーに腰を下ろす。冷蔵庫を開けていた村田が何かを取り出してテーブルの上に置いた。勝利が首を傾げて透明なパックを覗き込むと、艶々と輝く黄金色が映った。

「大学芋か?」
「おつとめ品で安くなってたんですよ。売り場のおばさんに美味しいからって勧められちゃって」
「へぇ。美味そうだな」
「お腹空いてたら先に食べちゃっていいですよ」

そうは言われたが、キッチンに戻って調理している村田を見ていると自分だけ先に食べる気にはなれない。勝利はテーブルを拭き、麦茶のボトルを取り出してグラスへ注ぐ。それでも時間が余っていたので、そっとキッチンを覗く。ちょうど村田が食器棚からどんぶりを取り出したところだった。

「手伝う」
「わ、ありがとうございます。じゃあご飯よそってきてもらえますか?」

どんぶりを手渡され、炊飯器で白米をよそう。その間に村田は汁ものを椀に注いでいた。どうやらしいたけや豆腐の入った吸い物らしい。戻った勝利がどんぶりを渡すと、村田は手際よくしぐれ煮を乗せていく。勝利はその間に吸い物をテーブルに運んだ。キッチンに戻ると、村田は電子レンジの上に置いていたビニール袋を手にした。中にはカラフルな何かが入っている。

「それ、なんだ?」
「浅漬けですよ。スーパーに浅漬けの素があったので、やってみようかなと思って。あ、それもおばさんにおすすめされたんですけど」
「随分と気に入られてるな」
「若いのに毎日偉いわねーって褒められるんですよ」

くすぐったそうに微笑みながら、村田はビニール袋を開けた。中には大きめに切られたきゅうりやにんじん、大根が入っていて、袋を傾けると小皿に転がり落ちてくる。

「あんまり味しみてないかもしれないんですけど」
「そしたら明日はいい具合になってるだろ。気にしないさ」

汁椀と小皿をお盆に乗せながら勝利がそう言うと、村田はぱちぱちと目を瞬かせた。勝利がなんだ?と首を傾げると、村田は僅かに口角を引き攣らせて笑った。微妙に頬が赤いように見える。

「いや、そういうとこずるいよなーと思って…」
「は?」
「なんでもないです!さ、ちゃっちゃと運んじゃってください」

トンと背中を押され、勝利は首を傾げたままリビングのテーブルへと運ぶ。勝利が配膳を終えても、村田はぎこちない笑みを浮かべていた。

「なんだよ」
「いや、ほんと、気にしないでいいので」
「……分からん奴だな」

一緒に両手を合わせていただきますの唱和。もはやタイミングを合わせるまでもなくなってきた。勝利が浅漬けに箸を伸ばすと、村田があれっと声を上げた。視線は大学芋のパックへ注がれている。

「大学芋、食べてなかったんですか?」
「あぁ…俺だけ先に食べるのもどうかと思ってな」

村田はパックが開いていなかったことを不思議に思ったらしい。勝利は浅漬けを口に運びながら頷き、大根を咀嚼した。確かに味は薄めだが、野菜そのものの甘さが感じられて美味い。勝利が感想を伝えようと口を開きかけると、村田はまだ何も食べていない様子だった。どうした、と勝利が声を掛けると村田ははっとしたように顔を上げる。

「お前、ほんとに様子おかしいぞ。…熱でもあるのか?」

勝利の問いにも村田は曖昧に笑うだけだ。浅漬けの感想を伝えると僅かに表情は和らいだが、意識は別の場所にあるようだった。あまり追及するのもよくないだろうと勝利は視線を逸らし、吸い物の椀を手に取る。こちらも味付けは控えめだが、出汁の香りがふわっと鼻から抜けていく。ほろりと口腔内で解ける絹ごし豆腐は柔らかく、しいたけは肉厚で触感が楽しい。出汁や味噌汁が好きなのは日本人の性だろうか。牛丼の方はというと、甘めの汁が白米に染みて美味い。付け合わせに添えられた紅生姜は市販品だが、さっぱりとした味がよく合っている。

「あの、勝利さん」

食事に集中していると、ふいに呼ばれて勝利は視線を上げる。村田は浅漬けを咀嚼しながら微妙な表情を浮かべている。もしかして味が薄くて本人的には満足できなかったのだろうか。

「なんだ?」
「明日金曜日なので、また一緒に映画観れたら思って」
「映画?別に構わないが」
「その、勝利さんが嫌じゃなければですけど」

歯切れの悪い言葉に、勝利は村田が以前のことを気にしているのだと思い至った。今日ずっと様子がおかしいのはそのせいだろうか。勝利はわざとらしく大きな溜息を吐くと、僅かに肩を震わせた村田をじっとりと睨めつけた。行儀悪く、手にしていた箸を村田に突き付ける。

「構わない、って言ってるだろ。俺は気にしてない」
「……本当ですか?」
「あのな、お前また俺に何かするつもりなのか?そうじゃないだろ?じゃあ一緒に飯食って映画観るのを断る理由なんかねーよ」

村田は虚を突かれたように大きく目を見開いた。それから、勝利が黙って牛丼を掻き込み始めたのを見てゆるやかに破顔する。

「そうですね」

嬉しそうな村田の表情に勝利もどこか安堵した。牛丼を食べ終わった勝利は麦茶で口直しをした後、手付かずになっていた大学芋のパックに手を伸ばした。セロハンテープを剥がすと、勢いよくパックの蓋が開く。黄金色の光沢を身に纏った芋は箸先で突いてみるとやけに硬い。思い切って箸を突き刺すと、中央部分は柔らかくすんなりと箸が刺さった。そのまま持ち上げるとずしりと重い。まるでべっこう飴のようなそれを口に運ぶ。外側の飴部分は硬く、ガリッと噛み砕くと飴の甘ったるさとさつま芋の優しい甘さが広がっていく。家庭的な大学芋よりもジャンク感は強いが、これはこれで美味しいと思った。

「どうですか?僕もそれ食べたことないんですけど」
「美味いぞ。結構クセになる味だな」

村田も食べ終わったらしく、箸を伸ばして大学芋をひとつ摘む。綺麗にコーティングされた飴をじっと眺める瞳はきらきらと輝いている。無邪気な様子はまるで幼い子どものようだ。

「ほんとだ。美味しいですね」
「お前がおばさんの押しに弱くてよかったな」
「あはは、確かに」

カリカリと飴の部分を噛み砕き、村田はその甘さに目を細めた。困ったような嬉しいような、色んな感情が入り混じった表情でそっと呟く。勝利には聞こえないほどの小さな声で。

「……まったく、勝利さんには敵わないなぁ」


continue...




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