promise to stay with me.



「失礼します」

ノック音の後、控えめな声とともに扉が開かれた。ティーワゴンを押して部屋へ入ってきた厨房係のエーフェは、おれとヴォルフラムに恭しく頭を下げる。

「紅茶と焼き菓子をお持ちしました」
「エーフェ、ありがとう」

エーフェは頬を桃色に染めて嬉しそうに微笑んだ。それからてきぱきとティーポットからカップに紅茶を注ぎ、大皿と一緒にテーブルに並べる。彼女は厨房係の中でも古株らしいが、年齢が分からないぐらい若く見えるし可愛らしい。テーブルに置いた大皿を覗き込むと、おれの好きなケーキの他に見たことがない種類のクッキーが並んでいた。

「あれ、このクッキー新作?花びらが乗ってる」
「これは陛下もよくご存じの花ですよ。食用に育ててみたんです」
「おれが知ってる?何の花だろ」
「ふふ。お気に召すといいのですけれど」

首を傾げたおれにエーフェはふんわりと微笑みかける。それから奥にいるヴォルフラムにも頭を下げると、静かに部屋を出ていった。おれはクッキーを一枚摘み上げると、上に乗った花びらをじっと観察する。薄くて小さい花びらは生地と一緒に焼かれていて元の色や形はよく分からなかった。しかし、どこかで見たことがあるような気がしてじっと眺めてみる。するといつの間にかこちらへ来ていたヴォルフラムが口を開いた。

「それはぼくの花だろう」
「え?ヴォルフラムの花、って…」
「お前も知っているはずだぞ。母上が品種改良していた花だ」

翠の瞳を細めてヴォルフラムはおれが摘んでいるクッキーを眺めた。そういえば、ツェリ様が三兄弟をイメージして品種改良した花があったと聞いたことがある。内緒のグウェンダル、大地立つコンラート、そして麗しのヴォルフラム―――。彼女自身をイメージした、ツェリの桃色吐息という口にするのも憚れるような名前の花もあったような気がするけれど。

「麗しのヴォルフラム?」
「……そうだ。その名前、久しぶりに聞いたな」

苦笑するヴォルフラムは珍しく少し照れている様子だった。おれは摘んでいたクッキーをヴォルフラムの方へ差し出す。桜色の唇が薄く開かれ、驚いたようにおれを見つめた。

「ほら」
「え……ユーリ、でも」
「ヴォルフラムの花なんだろ?なら最初に食べるのはお前じゃないの」

ヴォルフラムは戸惑った様子だったが、おれの言葉に頷くと小さく口を開けた。形がよく潤った唇、綺麗に並んだ真っ白な歯、やけに生々しく目に映る口腔内の色目にしておれは反射的に息を飲む。喉がごくりと鳴りそうになるのを堪えながらクッキーを差し出すと、ヴォルフラムは器用に前歯で挟んだ。小さめのクッキーはそのまま口腔内へ消えていき、彼はゆっくりと味わうように目を閉じる。

「……どう?美味しい?」

ドクドクと奇妙な高鳴り方をする胸を抑えるように手を当て、おれは平静を装って尋ねた。口を閉じて咀嚼していたヴォルフラムは目を開けると、静かに頷く。それからカップに手を伸ばすが、僅かに届かなかったらしい。おれがカップを手渡せば、一瞬触れた細い指先が熱くて内心驚いた。ヴォルフラムは紅茶を二口ほど飲むと、はにかむように微笑む。

「ユーリも食べてみるといい」
「え?いや、ちょっと待て、ヴォルフ」
「何を遠慮している?ほら、口を開けろユーリ」

慣れないことをするんじゃなかった、と後悔するも時すでに遅し。ヴォルフラムは嬉しそうな笑みを浮かべながらクッキーを摘み上げ、おれにじりじりと詰め寄ってきた。これ以上動けばテーブルから離れて床にクッキーの屑が散らかってしまいかねない。頬を朱く染めてどこか興奮気味のヴォルフラムに観念し、おれはこれでもかと豪快に口を開ける。ヴォルフラムが差し出したクッキーが入ってきて口を閉じると、一瞬だけ唇の端に何かが触れる感触があった。ちょうどヴォルフラムが指を引っ込めたところで、それが彼の指だったことに気がつく。それを誤魔化すように咀嚼すると、まず鼻に抜けるのはスパイシーな香りだった。ジンジャーや何かのスパイスとは異なるその香りはどこか不思議だ。それから小麦粉やナッツ類の香ばしい風味が広がっていく。紅茶を口に含むと、芳醇な味に満たされてクッキーの味はすっかり消えてしまった。

「どうだ?」
「うん、なんか……不思議な味だな。ピリッとする、スパイシーな感じ」
「あぁ。しかし香辛料の類とは違うようだ。これが花自体の味なんだろう」
「でも、花ってもっと甘いと思ってたなー」

見た目に騙されたような気持ちでおれが呟くと、ヴォルフラムは眉根に皺を寄せる。どこか不服そうな表情だ。

「なんだ、ユーリは嫌いなのか?」
「嫌いってわけじゃないよ、美味しいし。でも見た目からもっと甘い感じなのかなって思ったから、ちょっとイメージと違ったっていうか」
「……そうか」

ヴォルフラムは少し声のトーンを落として椅子に腰かけた。不服そうな色は薄れていたが、少しがっかりしたような様子に見える。

「なんか、ごめん」
「別にユーリが謝ることじゃない。気にするな」

どうやら彼自身は気に入ったようで、その後も紅茶と一緒に何枚か食べていた。おれはお気に入りのパウンドケーキがあることに気付いて、それを何切れか食べる。疲労と僅かな空腹が満たされ、紅茶を飲んでいるヴォルフラムをぼーっと眺めてた。相変わらず綺麗な顔だなぁと考えていると、不意に先ほど食べたクッキーの不思議な感覚を思い出しておれは声を上げる。

「あ!」
「……なんだユーリ、急に大きな声を出すな」
「さっき食べたクッキーさ、何かに似てるなって思ってたんだ。甘そうに見えるのに、甘くなくてスパイシーな感じ!」
「…?そんな食べ物があったか?」
「あー……いや、食べ物じゃないんだけど」

食べ物じゃない?そう反芻したヴォルフラムは、突拍子もないおれの言葉に困惑したように眉根を寄せた。少々戸惑いながらも気になる様子で、ヴォルフラムはおれをじっと見つめる。おれは口にすることを僅かに躊躇ったが、期待するような眼差しに折れて口を開く。

「……その、ヴォルフラムみたいだって、思って」
「え?」

口にしてから一気に羞恥心が込み上げてくる。頬が熱を持ち、まともにヴォルフラムの顔を見ることができなかった。あーとかうーとか不明瞭な声を漏らしていると、がたんという音とともにヴォルフラムは椅子から立ち上がる。おれがえっと顔を上げるよりも早く、ヴォルフラムはおれの顎に指を這わせた。細い指先は熱を孕んでいて、見上げた先の彼の頬も同じように赤い。

「ユーリ」
「ひゃ、ひゃい」
「具体的に説明しろ」
「ぐ…具体的に……?」
「そうだ。どこが、どういう風に、ぼくに似ている?」
「ヴォルフ、なんか怒ってる…?」
「違う、怒ってない!ただ……単に気になるだけだ」

ヴォルフラムの勢いに圧され、おれは咳払いをして口を開いた。正直、上手く説明できる気はまったくしない。

「えーと……まず見た目が甘そうに見えたって言っただろ?それはヴォルフラムの容姿だよ。すげーキラッキラしてて如何にも王子様!って感じだし、めちゃくちゃ可愛くて天使みたいだし」
「可愛いのはユーリの方だろう」
「いや、その魔族独特の歪んだ審美眼は置いといて。それで、そういう見た目からお淑やかなイメージを持ってたら実際は真逆だった、みたいな……?」
「真逆とはなんだ真逆とはッ!」

途端に怒り出したヴォルフラムがプリプリと詰め寄ってくるので、おれは慌てて言葉を取り繕う。しまった、言葉を慎重に選ぶべきだった。

「あぁいや、決して悪い意味じゃなくてさ!……その、お前って実際に付き合っていくとすげーしっかり者じゃん。貴族だから所作とかしっかりしてて様になってるし、魔術も使えるし剣術だってもちろん上手いし」
「……ふん。もっと褒めていいぞ」
「なんかお前、味占めてない?……あー、だからさ、そういうところが見た目から予想できないほどにかっこいいっていうか。男前な部分も最近すごい見えてきて、そこがスパイスみたいにピリッとしてて……おれが情けないこと言ったり、気ィ抜いてたら頬をひっぱたかれる、みたいな…」

嬉しそうに胸を張るヴォルフラムの可愛らしさに絆されて話しているうちに、だんだんと気恥ずかしさが込み上げてくる。言葉尻が小さくなってしまうと、彼はそんなおれを訝しむように首を傾げた。それから少し考え込むように顎に指を添えて、ぽつりと呟くように零す。

「頬を叩いてきたのはユーリの方だろう」
「……まぁ、それはそうなんデスけど」
「何を赤くなっているんだ?」
「な、なんでもねーよっ」

思わず乱暴な口調になってしまったが、ヴォルフラムはそれを咎めることもなく不思議そうな表情を浮かべている。どこか神妙な顔で、何を考えているのか分からない。

「……どうしたんだよ?」
「ぼくがユーリの頬を叩くと求婚返しになるが、それを望んでいると解釈していいのか?」
「なにその超解釈!!駄目だからな!」

おれの説明は支離滅裂だったが、ヴォルフラムは溜飲が下がったのか満足そうな笑みを浮かべた。その笑みに目を奪われていると顎を掴んだまま詰め寄られ、眼前に迫った彼の綺麗な顔におれは言葉を失った。慌ててヴォルフラムの胸を押し返すが、細く見えてもヴォルフラムの方がうんと力は強い。

「ちょっ、と、ヴォルフ…ッ、ん」

おれの抵抗などものともせずにヴォルフラムが近づいてくる。ぐっと肩を掴んでくる力の強さに気を取られている間に、頬に感じた柔らかい感触。ちゅ、という可愛らしい音とともに触れたのは間違いなく天使の唇だ。思わずおれは腕から力を抜いてしまい、ヴォルフラムの腕の中に捕まってしまう。

「お、お前、今なにし…「何って、口づけだ」

ヴォルフラムは当然のようにさらりと答え、腕の中のおれを見下ろす。形の良い唇を吊り上げて微笑むと、自信に満ち溢れていて本当に綺麗だ。目を奪われて反論の余地を失っていると、ヴォルフラムはおれの髪を梳きながら翠の瞳を細める。

「唇にするのも駄目、求婚返しも駄目だと言うからだ。頬に口づけをするのが駄目だとは言っていないだろう」
「その理論で行くと禁止してないことなんでもしていいみたいになるだろっ!」
「お前が強情すぎるのが悪いんだ」
「強情って…」

否が応でもおれが求婚をした時のことを思い出し、頭を抱えたくなる。実際、あれはこちらの作法を知らなかったおれのにとっては事故のようなものだ。プライドの高そうなヴォルフラムのことだから、決闘が終われば破棄になるだろうと思っていた。それなのにヴォルフラムはおれを王と認めたばかりか、綺麗だの可愛いだのと口説いてくるようになり―――ごく普通の高校生だったはずのおれは、ウィーン少年合唱団風のまさに天使と拝みたくなる美少年に迫られてそれはもう困惑した。実際、今になってもこうして迫られるたびにひどく取り乱してしまう。

「そんな簡単に言うなよ」
「簡単には言っていない。ぼくはただ、素直になれと」
「……だって、そもそもおれたち男同士だろ」

おれがよく口にする男同士だろと言うのは正直、ただの言い訳だ。日本では同性婚は認められていないし、それを盾にしていれば多少は逃げられるだろうと思ったから。こちらでは同性婚は珍しくないというが、それも昔に比べればという話で当たり前というわけではないようだ。実際、そう言えばヴォルフラムの反論の勢いが削げることが多かった。幾度目かも分からないおれの言葉を聞いたヴォルフラムは、呆れたように目を伏せておれの身体を離した。

「お前は本当にそればかりだな」
「だって実際そうだろ。おれは抵抗あるんだよ」
「ユーリは、ぼくが女なら良かったと?」
「……そう、だよ」

ひどいことを言っている、と思う。性別なんて魔法のあるこの世界でも容易に変えられるものじゃない。自分が男に恋をしたとして、お前が女だったらなんてことを言われたらきっと傷つくだろう。それでもおれは決まりきった応酬だからと何度も念じては彼に同じ言葉を吐き出している。ヴォルフラムの顔を見ることができず、おれは俯いた。綺麗に磨き上げられた大理石の床に映る自分の顔は、ひどく情けなく映った。

「―――ユーリ」

不意に名を呼ばれ、おれはおずおずと顔を上げる。ヴォルフラムはいつもと変わらない表情でおれを見下ろしていた。なに、と返事をする間もなく強い力で腕を引っ張られる。また抱き締められるのかと身構えるが、そうでは無かったらしい。椅子から立ち上がったおれの手を握り、ヴォルフラムは中庭へ向かう扉を開けた。陽が傾きかけている夕刻の庭は全てが茜色に染められている。今日はよく晴れていたので雲一つなく綺麗に夕焼けが見えた。紫やピンクの入り混じった空は不思議な色合いをしている。

「ヴォルフ、なに…」
「こっちだ」

ヴォルフラムは俺の手を引いたまま、いくつかの花壇を通り過ぎた。やがて、真っ白な花の前で立ち止まっておれの腕を離す。花の横に建てられた小さな札には、麗しのヴォルフラムと記してあった。しゃがみ込んでしばらく花を見つめていたヴォルフラムは、その中でもひときわ綺麗な一輪を摘み取る。ヴォルフラムは立ち上がり、おれの胸ポケットにその花を差し込んだ。それから薄い微笑を湛えておれを見つめ―――愛しげな眼差しを向けられて、俺の心臓はドクンと大きく高鳴った。

「ぼくは、お前のことが好きだ」

何も隠すことのないストレートな言葉に息が詰まった。湖底を思わせる翡翠の瞳は、揺らぐことなくおれの瞳をじっと見つめている。少しの迷いもない言葉を向けられて、おれの心は大きくぐらついた。俺が何度逃げようと、ひどい言葉を投げかけようと、ヴォルフラムはおれのことを好きだと言ってくれる。茜色に染まったヴォルフラムの金の髪は、燃えるように輝いていた。それが彼の操る巧みな炎術のようにも、彼自身の心のようにも映って、おれはその眩しさを直視できず俯く。自分の情けなさに自然と視界が潤んだ。不甲斐なさから顔を上げることができなかった。

「……、…」

ヴォルフラムはおれをじっと見つめていたようだったが、やがて強張っていた肩に触れてきた。反射的に肩を揺らしてしまうと、彼はふっと微笑んでおれの背中へと手を回してくる。ゆっくりと抱き締められ、俯いていたおれの頭は自然とヴォルフラムの胸へと押し付けられた。落ち着いた彼の鼓動が伝わってきて、それを聞いていると次第に気持ちが凪いでいく。

「今日のユーリは、俯いてばかりだな」

呆れ混ざりの声は笑っていたが、それは嘲笑や冷笑とは異なっていた。おれを宥めるように、彼の細い指が何度も背中を撫でていく。

「ぼくだって、無理強いをしている自覚はある。お前が戸惑うのも理解できるし、無理もないだろう。でもぼくはお前のことを好いているし、もっと触れたいといつだって思っている」

零された言葉に棘はなく、声色は淡々として落ち着いていた。独り言のような穏やかさのある告白に、おれは零れかけていた涙を拭う。

「……ヴォルフラム」
「お前が此方へ居ない時は、特にそう思う」

そう笑って、ヴォルフラムはおれの肩を引き離した。見つめた先の表情はひどく穏やかで、今度は顔を寄せられても逃げようとは思わない。反射的に目を閉じてしまうと、彼は吐息だけで笑ったようだった。頬にほんの一瞬触れるだけのキスを落とされ、じわりと顔が熱くなる。平常心ではとてもいられなかった。しばらくすると名前を呼ばれ、おれはゆっくりと目を開ける。

「戻ろう、ユーリ」
「え……」
「もうすぐグレタが帰ってくるだろう」

穏やかに微笑んだヴォルフラムは、おれに向かって左手を差し出した。おれが手を伸ばし、握り返すと優しい力加減で手を引かれる。柔らかい春風がそっと肌を撫でていく。夕闇が差し迫る中、おれたちは部屋へ続く中庭の石畳を黙って歩いた。おれが歩くたびに胸ポケットに入れられた白い花が揺れる。部屋に戻った頃にはもう陽は沈みかけていて、灯りのついていない部屋は薄暗くなっていた。

「もう日暮れの時間か。明かりを―――、…」

ヴォルフラムがおれの手を離す。するりと解け、離れていく彼の手を掴んだのは多分、反射的だったと思う。ランプを取ろうと離れかけたヴォルフラムは、振り返って目を見開いた。薄暗い部屋でも驚いている様子がよく分かる。

「ユーリ?」
「ヴォルフ、おれ……」

自然と身体が動いて、おれは半ば抱き込むようにヴォルフラムの左腕を掴んでいた。珍しく戸惑った様子のヴォルフラムは、踏み出した一歩を引っ込めておれに向き直る。

「……どうした?」
「嘘なんだ、あんなこと」

おれの言葉の意味がピンと来なかったらしく、ヴォルフラムは首を傾げた。彼の腕を掴む力を少し緩め、おれは言葉を模索しながら続ける。どんな言葉ならヴォルフラムを傷付けず、上手く伝えられるだろう。

「おれ、よく言うだろ。ヴォルフラムが女ならよかったって。あれ、嘘なんだ。本気で……あんなこと、思ったことないんだよ」

言い訳にしか聞こえない、と自分でも思った。散々同じ言葉を投げつけておいて、こんなものはただの釈明でしかない。おれの言葉を聞いたヴォルフラムは、困ったように眉根を寄せた。それからおれの胸ポケットに差し込んだ花に指先で触れる。

「……今更、何を言っている」
「ご、ごめん」
「謝罪を求めているわけじゃない」
「でも、おれ、お前に何度もひどいこと…」
「ひどいことだと、思っていたのか?」

ヴォルフラムの静かな声は、問い質すというよりは窘めるような色をしていた。おれは一瞬言葉に詰まり、それから黙って頷いた。―――ひどいことを、言った。そういう自覚があったから今こうして話している。

「だって、そうだろ。あんなこと言われたら傷つく」
「……そうか」

ヴォルフラムの指先が花をポケットから抜き取った。鼻先を花弁に寄せ、甘い香りを嗅いで彼は微笑む。ユーリは馬鹿だな、と囁いた声は柔らかな笑みを含んでいた。

「"あんな戯言"でぼくが傷つくと?」
「……え」
「ふん。あの程度の言葉、本気にしたことなど一度もない」

呆気に取られるおれを見つめて、ヴォルフラムは指先で額を弾いた。鋭い痛みに額を抑えて呻いたおれを嘲笑う。高慢さを隠しもしない表情はいつもと少しも変わらなかった。

「ぼくがユーリに対して怒ることがあるとすれば、お前が無茶をしすぎるということだけだ。お前は、ぼくが目を離すと自らを省みることなく行動するだろう」
「う……それは、そうだけど……」

ぐうの音も出ない。ばつが悪くて視線を逸らすと、襟首を乱暴に掴まれた。首が締まって息苦しくなり、俺は情けのない呻き声を漏らす。

「あとはお前が浮気をした時もだな!」
「う、浮気なんてしてねーよっ」
「……それは本気で言っているのか?お前は誰彼構わず愛想を振り撒きすぎる」
「愛想悪かったら王様のイメージ問題にも繋がるだろ…!」
「それとこれとは別だ。お前は見目がいいのだから、もっと自覚を持つべきなんだ」
「それはお前たちの審美眼に問題が……ぐえっ」
「気持ちが浮ついているんだから間違ってはいないだろう!」

なぜ説教をされているのだろうと思いはじめるが、言い出せるような雰囲気ではない。俺が咳き込みはじめると、ヴォルフラムはようやく手を離してくれた。ふんと腕組みをしながらも、どこか心配するような眼差しを向けてくるから怒れるわけがない。

「ごめんって。これからはちゃんと気を付けるから…」
「お前はいつも口ばかりだ」
「う……」
「―――明かりをつけてくる。少し待っていろ」

おれが言い返せなくなって口ごもると、ヴォルフラムは少し離れたテーブルの燭台に炎を灯した。音もなく揺れる暖かな光を見つめていると、不思議と心が落ち着いていく。

「ユーリは、ぼくの傍にいればいい」

静かな声で紡がれた言葉に視線を向けると、ヴォルフラムは静かに燭台の炎を見つめていた。それからおれの方を見ると、穏やかな笑みを浮かべる。

「ずっと、そう思っている。お前のことはもちろん好きだ。ただ、そういう感情よりも……お前のことを見ていたい。この距離で……ユーリの隣に立って」

真摯で嘘偽りのない言葉は、剛速球のストレートみたいにまっすぐおれの胸に突き刺さる。一気に全身が熱くなって、心臓がドクドクと速い鼓動を繰り返す。ぎゅうっと胸が締め付けられて、込み上げてくる感情があった。その正体を、きっとおれは知っている。

「おれも、同じだよ」

深く考えるより先に口が動いていた。ヴォルフラムが驚いたように目を瞬かせる。エメラルドによく似た瞳が、燭台の炎に照らされて深い色に輝いていた。

「嘘じゃないぜ。お前と同じ目線で、同じものを見て、同じ気持ちを共有して、一緒に成長したいんだ。だから、もうあんなことは言わないよ。約束する。……なんてったって、おれはへなちょこ魔王だからさ」

自分で言っておいて、なんてみっともない宣言なんだと気が抜けそうになる。それでもヴォルフラムは呆れたように笑いながら、手にしたままの花をゆらゆらと弄ぶ。

「胸を張って言うことじゃない」
「ほんと、そうだよな」
「……だけどユーリがそう思ってくれているなら、今はそれでいい」

ヴォルフラムはそう言って微笑んだ。それから何かを思いついたように声を上げ、ヴォルフラムはおれの髪に花を差し込む。ひどく満足そうな表情で目を細められて、おれは小さく悲鳴を上げた。

「うわっ!お前、なにやってるんだよ」
「あぁ、とても似合っている。グレタにも見せてやろう」
「やだよ!おれよりもグレタにつけてあげた方が喜ぶだろ。ていうかお前の方が絶対似合うのに!」

嫌がるおれの訴えをすっかりぽんと無視して、ヴォルフラムは可愛いだの似合っているだの褒めそやしてくる。勘弁してくれと彼の胸を押し返した瞬間、ノックもなしに部屋の扉が大きく開かれた。

「ユーリ!!」

弾丸のように飛び込んできたグレタは、手加減もなくおれのふくらはぎにダイレクトアタックをしてきた。思わずふらつきながらも、おれはすみれ色のワンピースを着た少女の身体を抱き上げる。

「グレタ!もう帰ってきたんだな」
「うん、ただいまユーリ!ヴォルフラム!」
「あぁ。おかえり、グレタ」

ふわりと微笑んだヴォルフラムはグレタの髪を撫でた。おれがグレタをぎゅっと抱き締めると、彼女の小さな手がおれの髪を軽く引っ張る。

「あれぇ?ユーリ、髪になにつけてるの?」
「おやおや……これは随分と愛らしい髪飾りですね」

頭上から降ってきた低い声におれとヴォルフラムは弾かれたように顔を上げる。見上げた先では名付け親が爽やかさを絵に描いたような笑みを浮かべていた。

「コンラート!お前、いつの間に…!」
「うーん。ちょっと前から居たんだけどな」

コンラッドは苦笑しながらグレタの髪を撫でた。ちょっと前っていつから!?と聞きたくなるのをぐっと堪える。おそらく帰国したばかりのグレタをここまで連れてきてくれたのだろう。それよりもおれはグレタに花飾りを見られたことが恥ずかしくて仕方がない。

「おいヴォルフ、早くこの花取ってくれよ」
「えっ、だめだよユーリ!すっごくかわいいよ!?取っちゃだめ!」

おれの言葉をきいたグレタは身を乗り出して叫んだ。可愛い娘の主張におれの肩から力が抜けていく。ヴォルフラムはというと、ほら見ろと言いたげに腕組みをしている。コンラッドはといえば、ニコニコと人の良い笑みを浮かべるばかりだ。

「ほらみろ。グレタもこう言っているぞ」
「だーっ、マジかよ」
「お似合いですよ、陛下。とてもお可愛らしいです」
「コンラッドまで……」
「お前は引っ込んでいろ、コンラート」
「はいはい。そう怒らないでくれよ、ヴォルフラム」
「頭を撫でるな!」

次兄にキャンキャンと噛みつくヴォルフラムを見ておれは苦笑する。こういうところは子どもっぽいのだから、ギャップが激しすぎて心臓によくない。一方グレタは何かを考え込んでいたようだったが、やがておれの胸元を引っ張った。

「ねぇねぇユーリ」
「ん?どうしたんだ、グレタ」
「……ヴォルフとなにかあった?」

子どもの洞察力は恐ろしい。惚けてみようとしたが、じっと見つめてくる大きな瞳にすぐ降参してしまった。

「うーん、まぁ何かあったと言えばあったかな…」
「濁さずにはっきり教えてやればいいだろう」
「お、教えられるわけねーだろっ」
「えーっずるい!」
「そうだ、不公平だぞユーリ。グレタもぼくたちの家族だろう」
「それとこれとは別…」
「ふん、なるほど。夫婦の秘密ということか」
「変な言い方すな!」
「俺もぜひ聞きたいな、ユーリ」
「……コンラッドも駄目」
「おやおや」

便乗してくるコンラッドに舌を出し、おれはグレタを抱いたまま部屋を飛び出した。ヴォルフラムが後ろからおれを呼んでいたが、気付かないふりをする。耳朶が熱を孕んでいるのを感じて、情けなさが込み上げてきた。それをしっかりと目撃していたグレタは、嬉しそうに笑いながらおれの頬を挟み込む。小さな手のひらの柔らかな感触が火照った肌に心地いい。

「ユーリ、照れてるー」
「おれの可愛いお姫様はなんでもお見通しだなぁ」

グレタは真っ白な歯を見せてにっこりと微笑む。こういう時の得意げな表情はヴォルフラムにそっくりだ。

「おとうさまとおとうさまがなかよしで、グレタとってもうれしいよ!」
「……あぁ」

おれが苦しいのも構わずに抱き着いてくる遠慮のなさもヴォルフラムに似たのだろう。―――強引なところもかわいい。無意識のうちに浮かんだその言葉は、一体どちらに向けて思っているのだろう。

「だからユーリ、ずっとヴォルフラムといっしょにいてね」

ぜったいだよ!と小さな指先が伸ばされる。絡めるには小さすぎるその指先に触れながら、おれは思わず笑みを零した。背後から聞こえる忙しない足音とおれの名前を呼ぶ愛しい声を耳にしながら。

「……約束するよ」


end.




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