月が哭いた夜に



「今夜は月が綺麗だねぇ」
「それを台無しにしてんのは手前だろ…?臨也くんよぉ……」
「やだなぁ、キミの苛立ちを責任転嫁しないでくれる?」
「うるっせぇ!!」
「あーあ、相変わらず話が通じない……」

臨也はそう呟くと、飛び乗ったガードレールの上でふらふらと身体を揺らしながら危なげなくバランスを取った。その仕草に静雄は忌むべき高校時代の記憶を引き摺り出された。あの頃から臨也は他人より少しでも高い所に登っては、得意気に不敵な笑みを浮かべるのが好きだった。

「会話が出来ないって、流石は化け物だよねぇ」

嘲笑を浮かべつつ、臨也は静雄を罵る。普通の人間からすればいつもと変わらない笑みに見えるかもしれない。しかし、今日の臨也は何処か様子が可笑しかった。どう可笑しいのかと問われれば答えられないほど、ほんの僅かな違和感だったが。

「―――……」
「どうしたの?今日はやけに静かじゃないか。何か悪いものでも食べたの?獣だから拾い食いとかしたんじゃない?」
「……臨也」
「あーあ、まったく残念だよ。キミがそんなにヤワだったなん…「臨也!」

次から次へと減らず口を叩く臨也の言葉を遮れば、じろりとあからさまに不機嫌な視線が突き刺さる。眉を思い切り顰め、不愉快だと言わんばかりの表情を浮かべていた。

「……なに、遮らないでよ」

夏だというのに鬱陶しいほど長いファーコートが生温い風にはためく。見上げた先の臨也は鋭い眼光を緩めることなく、射すような視線で静雄を見下ろす。しかし静雄が覚えた違和感の正体は、その臨也の瞳にあった。常ならば揺らぐことのない、真っ赤な虹彩が仄かに暗い色を帯びている。そして静雄の視線を受けた瞬間、臨也のその瞳がぐらりと大きく揺れた。表情からまったく読み取れなかったのが嘘のように、心情を映すが如く。その違和感に静雄が気付いた瞬間、臨也の端正な顔は歪められ、苦々しげに口許が吊り上がった。確かに余裕を失っていると、そう感じ取れる表情を浮かべた折原臨也がそこにはいた。

「……ッ、」
「手前、何を「うるさいっ!」

叩き付けるように叫んでガードレールから飛び降りようとした臨也は、着地の寸前でバランスを崩した。空中で細い体躯がぐらりと傾く。その光景が静雄の目にはやけにスローモーションのように映った。咄嗟に静雄は臨也が落ちてくる場所へと腕を伸ばす。普段であればそんなことは絶対にしないだろう。しかし、思わず手を差し出してしまうほど―――今の臨也は、受け止めなければ壊れてしまいそうに見えた。臨也はそれほど虚弱な人間ではないと理解していたはずなのに。

「臨也ッ!」

静雄は伸ばした両腕で臨也をしっかりと受け止める。いくら奮闘しても捕らえられずにするりと逃げてしまう黒猫のような臨也の身体が、静雄の腕の中にあった。初めて触れる臨也の体重は軽く、腕も腰も細く、肌は陶磁のように滑らかで白い。こんなにも華奢な身体で殺し合っていたのだと思うと、静雄の胸にはじわりと罪悪感のようなものが込み上げてきた。

「やめろ!は、早く離せよッ…!」
「いいから」
「は……」
「いいから、黙ってろ」
「なに、言って……離せ!離せよ!ここ公道だろ!?」

臨也が大声で喚くので、静雄は仕方なく身体を離すと腕を掴んだまま路地裏に引き摺り込んだ。薄暗い路地裏は、この時間であれば何をしていても公道から見えることはない。俺の腕を引き剥がそうと躍起になっていた臨也の身体を壁に押し付け、屈み込んで下から顔を見上げるように緋色の瞳を見据える。路地裏のでもよく見える緋色の瞳に浮かんだ翳りと揺らぎは微かに焦燥を含ませていた。

「……おい臨也、何を焦ってる?何をそんなに苛立ってる?」
「――――ッ、苛立ってなんか」
「目を逸らすな」
「うるさい!」
「顔を上げろ。俺を見ろ」
「黙れ!こっちを見るな、腕を離せよ」
「……臨也」
「っ、うるさい!しつこいんだよ馬鹿ッ!」
「馬鹿は、お前だ!」

静雄は声を張り上げ、胸ぐらを掴んで強く壁に押し付ける。呼吸が詰まったらしい臨也が噎せたのを見て慌てて力を緩めるが、ここで逃がす気にはなれなかった。壁についた掌からコンクリートの冷たさが伝わり、それをやけに生々しく感じる。俺の恫喝とも取れる声に一瞬だけ肩を揺らした臨也の表情には僅かな怯えが窺えた。

「……なぁ、臨也。どうしてお前は毎回言う?『今夜は月が綺麗だ』って」
「―――さぁ?…どうしてだろうね」
「毎回だ。手前は俺に会うと、星も見えない曇り空の日でも言うだろ。なんでだ?」
「……キミには、一生解りやしないだろうね」
「それは、」
「だって、解っていればこんなことにはなってないよ」

静雄の詰問に臨也は視線を逸らしながら答える。臨也の握り締めた拳が力を込めすぎて真っ白になっていることに気が付いて、静雄は嘆息を漏らした。

「……なぁ、臨也」
「意味なら教えないよ」
「そうじゃねぇ」
「…………じゃあ、何だよ」

うんざりしたと言いたげな表情で臨也が視線を上げる。ばちりと視線が重なるが、臨也の虹彩が揺らいですぐに逸らされる。目を伏せた臨也の長い睫毛は微かに震えている。それを目にして静雄はごくりと唾を飲み込んだ。違う、こんな表情を浮かべる臨也を見たいわけじゃない。

「―――その意味、俺が解ってるって言ったら手前はどうするんだ?」

自分でも驚くほど静かな声が出た。凪いだ海にも似た静雄の声を聞いて、臨也は焦れるほどゆっくりと視線を上げる。じっと静かに見つめる静雄の視線を受け、今度は臨也も視線を逸らさなかった。呆然と見開かれた臨也の瞳には、静雄の穏やかな表情が映されている。

「……え?」
「お前の言葉に対する答えも、俺が用意してたら?手前はどうするんだよ」

立ち尽くす臨也の握り締めた拳に静雄はそっと触れる。びくりと震えた拳を包み込めば、臨也は背後のコンクリートに軽く頭をぶつけた。目に見えて動揺している。そう感じて、静雄はとても冷静ではいられなかった。自然と熱い吐息が漏れ、気付けば臨也の腰を強く引き寄せていた。慌てて声を上げる臨也を無視して細い身体を囲うように抱き締めた。

「やっ…なに、何して……シズちゃ」
「違うな、臨也。手前がどうしたいかじゃない」
「なに―――」
「お前は俺に、どうしてほしい?」

静雄の言葉に固く握られたままだった臨也の拳がふっと開かれた。静雄が指を這わせば、応えるように臨也の指先が絡められる。僅かに身体を離して顔を覗き込めば、目元を真っ赤に腫らした臨也が視線を上げた。引き寄せられるように顔を寄せ合い、自然に口づけを交わす。柔らかな唇に何度も触れるうちに静雄の頬に冷たい感触が触れる。静雄はゆっくりと目を開ければ、臨也の瞳のふちに浮かんだ涙が静かに流れ落ちていた。

「……好きって、言ってほしい」

掠れ気味の小さな声で臨也が囁く。それを聞いて、静雄は穏やかに微笑んだ。


(零れた嗚咽、甘やかな口づけとともに)



end.




ホーム / 目次 / ページトップ



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -