すれ違いジェラシー



「あれ?」

臨也がそんな声を上げた理由は、偶然にもある少年にばったりと出くわしたからだ。黒い短髪の少年は平均身長よりも少し低めに見える。優しそうな面立ちは少し幼さを感じさせ、驚きに見開かれた瞳は僅かに動揺していた。

「キミは確か……紀田くんの友達の………えーっと、霧ヶ峰」
「竜ヶ峰です」

臨也の言葉を遮って少年―――竜ヶ峰帝人は困ったような笑みを浮かべた。

「あぁ!そうだったね、竜ヶ峰くんだった」
「僕はエアコンじゃないですよ」
「ごめんごめん。俺、人の名前覚えるの苦手でさ」
「情報屋なのに、ですか?」
「仕事以外で要らないものは記憶しないんだよ。それこそ、不必要な情報はね」

暗に自分の名前が不必要な情報だと仄めかされ、帝人は一瞬だけ表情を強張らせる。舌打ちをしたい気持ちを抑え込みながら帝人は笑みを貼り付け、口を開いた。

「そういえば、臨也さん……今日はまだ、静雄さんにお会いになっていないんですか?」

帝人は真っ青な空を仰ぎながら、呟くように尋ねる。まるでなんでもない会話をするように、それこそ「いい天気ですね」と言うような口ぶりで。『静雄』という名詞を聴いた途端、臨也はさっと顔色を変えた。そして、苦虫を噛み潰したような、という表現がまさにぴったりな表情で帝人を睨め付けた。意趣返しは成功したようだった。

「―――そうだね、会ってないけどそれが何か?」

例えるならば、その声は刺すように鋭利で氷のように冷たかった。臨也の纏っていた空気が一瞬にして変わる。さっきまでの穏やかな空気は何処へやら、あからさまに剣呑なオーラが臨也を包んだ。帝人も流石にその雰囲気に気圧され、ちょっとやり過ぎたかなと閉口した―――その瞬間だった。不意に臨也の手が伸び、帝人の身体は彼の胸の中に引き寄せられていた。臨也の体温を意識する間もなく、それと同時に凄まじい轟音が周囲に響き渡る。

「え……な、なにっ……!?」
「何って……ここ何処だと思ってんの?池袋だよ」
「じ、じゃあ―――…」
「……あーあ、マジで最ッ悪」

動揺した帝人が慌てて顔を上げれば、臨也は帝人の背後を見遣りながら目を細める。苦々しいその呟きにつられるように帝人が振り返れば、砂煙の中に自動販売機らしい影が見える。明らかに不自然な角度になっているそれは、見事にアスファルトへ突き刺さっていた。そして、その背後から姿を現した男を視認して、帝人の体温が急激に下がる。数分前までの自分の行動を後悔した。折原臨也などに関わらず、真っ直ぐに帰宅するべきだったのだ。数日前の親友の言葉を反芻しながら、帝人は「正臣、ごめん」と口の中で呟く。

「僕、死ぬかもしれない」
「ちょっと……縁起でもないこと言わないでくれる?」
「だって、臨也さんと一緒なだけで致死率上がるでしょ!?」
「それ紀田くんに言われたの?失礼な「いーざーやーくーん……?」

臨也の言葉を遮り、ゆっくりとこちらへ歩を進めていた男が低い声を発する。びくりと帝人が身体を震わせると、サングラスの奥から鋭い眼光に射抜かれて硬直する。そんな帝人の背中を宥めるように擦ると、臨也は呆れたように口を開いた。

「帝人くんは仮にも俺たちの後輩なんだからさぁ、ビビらせないでよね」
「ち、ちょっと臨也さん…!」

お願いだから僕のことには触れないでくださいという懇願を込めて帝人がコートを引っ張ると、臨也はあっさりと帝人の身体を解放した。帝人が慌てて1メートルほど距離を取ると、その露骨な行動に臨也は苦笑を漏らした。

「帝人くん、怪我はない?」
「え、はい。大丈夫ですけど……」
「あれ。当たらなかった?」
「あれ……って何のこ―――、ッ!?」

言葉の意味が分からずに首を傾げると、臨也は黙って帝人の背後を指差した。促されるままに臨也の指の先を目で追った帝人は、思わず硬直することになる。帝人が先ほど立っていた場所から2メートル足らずの場所に、道路標識が深々と刺さっていたからだ。アスファルトは抉れ、刺さった標識は衝撃でポール部がぐんにゃりと曲がっている。明らかに人智を超えたパワーを受けた結果だった。臨也が身体を引き寄せてくれていなかったのなら、今頃自分はどうなっていたのか―――考えただけで身震いする。想像に難くないからこそ、その光景を考えたくもなかった。

「怪我が無いなら―――」

一度そこで言葉を切った臨也が素早く身を引くと、今しがた立っていた場所にガードレールがけたたましい音を立てて突き刺さった。反射的に目を瞑った帝人の背中を冷たい汗が流れ落ちるが、臨也はガードレールを一瞥してから何事もなかったかのように微笑む。この殺気溢れるシチュエーションで、場違いなほどに晴れやかな笑顔だった。

「……怪我が無いなら、危ないから下がっておいで」
「は、はい、そうします…!」

壊れた人形よろしく、帝人は何度も首を上下に振った。通学カバンの紐を皺になるほど握り締め、じりじりと後退る。臨也はというと、嫌味ほどにこやかな笑みを浮かべてガードレールを抱いた男を振り返った。煙草を咥えたまま臨也を睨む金髪のバーテン男は間違いなく怒りの鬼神、平和島静雄だ。しかし、常軌を逸した力を持つ相手だというのに臨也は僅かにも怯む姿勢を見せない。いつもと変わらない、青空から直接声をかけられたような錯覚を覚えるような澄んだ声で静雄へ話しかけた。

「ねぇシズちゃん。人が会話してる途中で物投げないでくれるかな?」
「手前が此処に来なきゃいい話だろーがよぉ?あぁ?」
「大体さぁ、なーんで池袋に来る度に毎回シズちゃんに会うんだろうね。毎度毎度、目敏く俺を見つけるのやめてよ。本気で迷惑だし、俺の匂いを嗅ぎつけるその嗅覚どうなってんの?シズちゃんってもしかしてあれ?ストーカー「臨也くんよぉ」
「………なに。あとくん付けきもい」

言葉を遮られたことが不満だったらしい臨也は唇を尖らせる。いつの間にか手にしたサバイバルナイフを手中で弄びながら、不快そうに表情を歪めて静雄を睨んだ。

「ちょいと、お喋りが過ぎるんじゃねぇか……?」

静雄のその声を聴いた瞬間、臨也はぴたりと動きを止めた。1トーン低くなった静雄の声とビリビリするほどの殺気に気圧され、帝人はすぐ近くにあったレストランの看板の陰に身を潜めた。既に臨也からは3メートル、静雄からは5メートル程度離れていたが、周囲の人だかりはもっと遠くへと離れている。これから始まる殺し合いに巻き込まれない内に逃げるべきかと帝人が思案していると、臨也が口を開いた。

「……シズちゃん」

静雄の名前を呟いて、臨也は一気に距離を詰める。臨也が右腕を振りかぶり、ナイフの刃が太陽光を反射して輝く。対する静雄は微動だにしない。どうしたのかと帝人が目を瞠っていると―――静雄は懐に飛び込んできた臨也の腕を掴み、その痩躯を肩に担いだ。ひょいという形容がぴったりの軽々とした動作だった。周囲の人だかりが帝人を含めてざわつき、当の臨也は動揺のあまり大暴れする。

「ッ、な……何、して…!?何してんだよ、早く降ろせ!馬鹿!」

臨也は混乱を極めているようで、らしくなく動揺した大声で叫ぶ。何とかして逃れようともがいているが、臨也の身体をがっちり捕えている静雄の手は1ミリも動かない。完全に無視を決め込んだ静雄は臨也を担いだまま、すたすたと歩き出した。静雄の進行方向にいた人だかりは怯えと困惑の声を上げながら逃げ惑っている。

「ちょっ……シズちゃん!?人の話聞こうか!?ねぇ!!」
「…………」
「マジで意味わかんないんだけど!この状況なに!?何してくれてんの!?」
「…………」
「無視すんな!返事しろ馬鹿!」
「うっせぇ、黙ってろ」
「は!?黙っていられるわけないだろ!どうしよう会話が成立しない!いつものことだけど!」
「耳元でぎゃあぎゃあ喚くんじゃねぇ」
「じゃあ降ろせよ!今すぐここで降ろせ!」
「嫌だ」
「はぁ!?」

喚き続ける臨也を静雄は頑として相手にしない。次第に声が聞こえにくくなっていったが、その後も言い争いながら去っていく2人を帝人は曖昧な笑みで見送った。その心境は、複雑そのものだ。静雄が最初に標識を投げたときに狙っていたのは臨也ではなく、間違いなく帝人だった。臨也に庇われ、抱き締められていた時にも睨み付けられたので間違いないだろう。問題は、あの喧嘩人形が無自覚らしいということだった。

「あれ、どう考えてもヤキモチだよね…?」

臨也が静雄に対して唯一無二の感情を持っているのは確かだった。色恋に疎いと正臣に揶揄されがちな帝人でさえ、それは手に取るように分かる。しかしあの暴力が服を着て歩いているような男は自分の感情に気付きそうにない。臨也がどうしてわざわざ池袋を経由するルートで現れるのか、勤務先を把握していて姿をチラつかせるのか―――。端から見ていれば、あまりにも分かりやすくて恥ずかしさすら覚えるほどだ。

「これは、お互い気付くのに時間が掛かりそう……かな」

帝人の呆れを含んだ呟きは、あっという間に池袋の喧騒へと掻き消えた。


end.




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