let the cat out of the bag.

※臨也後天性猫化


それは豪雨と呼ぶに相応しい、土砂降りの日だった。退勤後、事務所から出た途端に降り出した雨の中で静雄は猛ダッシュをしていた。こんなにも急いで帰宅する理由はただ一つ、干したままの洗濯物が濡れてしまうから。

「ちくしょう…ッ!朝は雨降るなんて言ってなかっただろうが!!」

朝のニュースでご婦人方に人気のある爽やかなお天気お兄さんにやり場のない苛立ちを向け、悪態を吐きながら静雄は全力疾走していた。金の髪を振り乱し、必死の形相をしているせいだろう。混み合う夕方の時間帯だというのに、学生も主婦もモーゼが海を割ったように綺麗に避けていく。駅前を走り抜け、角を曲がれば既に静雄の住むアパートは目前だ。走るスピードを落とし、荒い呼吸を繰り返しながら静雄は錆びついた階段を昇る。ようやく居住階に辿り着き、ゆっくり顔を上げた瞬間だった。

「ッ、あいつ…!!」

雨のせいか独特の匂いまでは分からなかったが、見覚えのありすぎる黒いファーコートが目に入る。瞬間的に頭に血が上り、大声で名を呼びそうになるがここはアパートの廊下だ。こんな場所で大声を出せば迷惑が掛かってしまう。寸前でぐっと声を飲み込み、唇を硬く引き結ぶと静雄はずんずんと歩みを進めた。そして自室が近づくにつれ、違和感に気が付く。

「あ……?」

黒いファーコートは確かに臨也だろう。コート越しにでも分かる細い体躯、艶のある黒髪、細すぎる首筋。しかし臨也は扉の前で小さく蹲っていた。ぴくりとも動かず、あまつさえフードをすっぽりと被っている。微塵も動く気配のない臨也の姿に呆気に取られ、しかし我に返った静雄はぶんぶんと頭を振った。相手はあの折原臨也だ。どうせ新手の罠でハメる算段なのだろう。それしかない、そうに決まっている。そう思い直すと、押し殺していた怒りの感情が一気に湧き上がってきた。

「オイ手前、人ん家の前で何座り込んでんだぁ…?3秒以内に俺の視界から消えろ。そうすりゃ今日だけは見逃してやる。さっさと帰れ!じゃなきゃ殺すぞ…ッ!!」

静雄はその場に屈み込み、ドスの効いた低い声で捲し立てる。しかし相変わらず臨也は微動だにしなかった。黒い髪が雨の匂いを含んだ生温い風に弄ばれて揺れるのみだ。

「ッ…!おい、聞いてんのかクソノミ蟲野郎!大体なんで手前はそんなにずぶ濡れなんだよ!手前のせいで床が濡れるだろうが!!」

反応が無いことで更に苛立つ。いつも無駄によく回る舌で無駄な知識をひけらしながら高い場所から人を見下して喋る男が、宿敵である自分に何故こんなにも弱りきった姿を見せるのか。喋らないどころか動きもせず、静雄はの言葉も無反応な臨也に苛立ちが募っていく。とうとう我慢できなくなった静雄は、臨也のフードを鷲掴みにして持ち上げた。すると臨也の身体がびくんと大きく跳ね、悲鳴にも似た声が発せられた。

「ッ、嫌だ……離せっ!!」

臨也は大声で叫ぶと、一瞬静雄が手の力を緩めた隙に抜け出した。フードというよりも頭をがっちりと押さえ付け、全身全霊で拒絶するように身体を丸める。静雄は呆気に取られるが、臨也の大声で住民が出てくることを危惧してもう一度臨也のフードをむんずと掴んだ。臨也は何度かばたばたと抵抗していたが、やがて諦めると無様に宙に浮いた状態になった。しかし頭頂部はがっしりと隠すように掴んだままだ。

「大声出すんじゃねぇ!近所メーワクだろうがッ…!」
「うるさい!シズちゃんが何もしなきゃいいだろ!」
「はぁ!?ここは俺の家だぞ!?手前が扉の前にいなけりゃ…」
「うっさい!離せ、この化け物!」

『化け物』という単語を聞いた途端、静雄の頭で何かがぶちりと切れた。離せと必死に叫ぶ臨也の口を塞ぎ、扉を開けると強引に部屋に引き摺り込む。本来なら一度だろうと家になぞ入れたくなかったが、今回ばかりは仕方がない。静雄が後ろ手に扉を閉め、ガチャンと施錠すれば臨也の表情が変わる。逃げられない状況に揺れる瞳を見下ろし、殴ってやろうと拳を振り上げた瞬間だった。視界の端、臨也のコートの裾から落ちた水滴が廊下のフローリングを濡らす。今週末は幽が来る予定だ。休みだった機能にワックスをかけたばかりだった。このままでは、せっかく綺麗になったフローリングが雨と泥でぐちゃぐちゃになってしまう。

「ッ、クソ……臨也、靴を脱げ……」
「……え?」
「いいからさっさとしろ!!」

静雄が胸倉を掴んだまま怒鳴りつけると、臨也は不満そうではあったが靴を脱ぎ始めた。このままフローリングを歩かせると濡れてしまうと判断し、静雄は臨也の腰をがしりと掴んで肩に担ぎ上げる。突然のことに素っ頓狂な悲鳴を上げる臨也を無視して廊下を進むと、静雄は脱衣所の扉を開けて放り投げた。

「ぎゃッ!!」
「雨と泥で汚ねぇんだよっ!さっさとそのコート脱げ!ゴミに捨ててやる」

大声で怒鳴りつけるが、臨也は頑なに頭頂部を抑えつけて静雄の言葉を無視する。沈黙が5秒ほど続き、静雄はついにブチキレた。

「手前、ふざけんのも大概に「嫌ッ!!」

静雄が力任せにフードを引き上げ、臨也が叫び、布が裂けるビリッという嫌な音がしたのは同時だった。フードが大きく裂け、臨也の泣きそうに歪んだ顔と―――ひた隠しにされていた『それ』が露わになる。

「な―――…っ」

『それ』を目にした静雄は思わず言葉を失い、その場に立ち尽くした。臨也は泣きそうだった表情がぐしゃりと歪め、紅玉のような瞳をじんわりと潤ませる。まずいと静雄が慌てた時にはもう遅かった。臨也は大きく見開いた瞳からぼろぼろと涙を零す。脱衣所の床に臨也の涙が幾つもの水滴を作っていく。

「なっ……泣くなよ!」

流石に泣かれるとは思ってもいなかった静雄は慌てて屈み込み、臨也の肩を掴んで揺らす。臨也は顔を伏せて涙を堪えようとしているようだったが、苦しげな嗚咽が何度も繰り返されるだけだった。必死に涙を拭おうとコートの袖で拭うせいで目元が赤くなっていて、静雄は慌てて臨也の腕を掴む。

「おいやめろ、それ以上やると痕が残っちまうぞ」

繊維の荒いコートの生地は肌を傷つけるだけだ。静雄がコートの肩辺りを軽く引っ張ると、脱げという意図が伝わったのか臨也が大人しくコートから腕を抜いた。雨や泥を吸ってずしりと重いコートを受け取ると、風呂場に放り込む。泥を落とさないことにはクリーニングにも出せないだろう。タオルハンガーから取ったハンドタオルをぬるま湯で濡らすと、その場に座り込んだまま動こうとしない臨也の頬に触れた。日に焼けていないせいでやたら白く滑らかな肌を目にして一瞬躊躇するが、思い切って拭いてやる。力加減をしたからか、臨也は痛そうな素振りを見せることはなかった。静雄が涙を拭い終えると、臨也は僅かに落ち着いた様子だった。しかし静雄からタオルを奪い取ると目に押し当て、そのまま黙り込んでしまう。

「あー……臨也?その、強引に引っ張って悪かった」
「……っ、う…」
「もう泣くなって……。でもよぉ、『それ』何なんだよ…?」

臨也の頭頂部でぴこぴこと忙しなく動く、『それ』。好奇心がどうにも抑えられず、指先でそっと触れると臨也は肩を大きく跳ねさせた。ずらしたタオルの奥から刺すように睨みつけられて苦笑する。『それ』は静雄が触ったせいでぺたりとイカのように伏せられてしまっている。

「感覚っていうか、痛覚もあるんだよな…?」
「―――……あるよ」

閉ざしていた口をようやく開き、臨也はタオルを床に落とした。目の周囲の皮膚が赤くなり、瞳も僅かに充血しているのが痛々しい。相変わらず髪や首元が濡れているので大きめのバスタオルを渡すと、『それ』を隠すように頭から被ってしまった。しかしタオル越しでも黒い『それが』神経質そうに動くのが見えている。

「これって、アレか?よく遊馬崎とか狩沢が萌え?とか言ってる…」
「……シズちゃん」
「あ?」
「それ以上言ったら殺すよ」

ただならぬ殺気を感じて静雄は押し黙る。今の臨也の泣き腫らした目に迫力など皆無だったが、不機嫌さが『それ』の動きからも目に見えて分かった。この状況で笑おうものなら、今後どんな陰湿な罠を仕掛けられるか分かったものではない。

「とにかく、何でこんなもんがお前に生えてんだよ」
「―――知らない」
「知らないってことはないだろうが…。何か薬でも飲まされたとか、注射されたとか、心当たりはねぇのかよ」
「知らないったら知らないってば!」
「……あぁそうか、心当たりだらけってことかよ」

溜息混じりに静雄はぼやき、改めて『それ』をじっと観察した。『それ』はいわゆる猫耳という奴なのだろう。静雄も猫は見慣れていたし、嫌なことがあるとイカのように伏せられる動きなどまさに猫そのものだった。臨也の髪と同じように漆黒色をした艶やかな猫耳は、臨也が身動くたびにぴくぴくと動く。触れたい衝動を堪えきれずに静雄がそっと手を伸ばすと、直ぐにその気配を察知して手を叩き落されてしまった。それが猫パンチそのもので自然と笑みが零れる。

「なに、触ろうとしてんの…、ッ!!」
「いや、だって……気になるだろ、やっぱり」

笑みを堪えきれない静雄に臨也は青ざめて後退る。それを見逃さなかった静雄は、Vネックインナーの襟首をむんずと掴んだ。華奢な身体を強引に引き寄せると、ぎゃあっと情けない悲鳴が上がる。

「色気のねぇ声」
「うるさいっ!離せ!離せってば!」
「にゃあにゃあうるさいのは手前だろうが。いいから大人しく触らせろよ」
「やっ……、やだやだやだ!離せって馬鹿!とうとう頭沸いたのかよ!このっ…!」
「黙れ」

暴れる臨也を抑え込み、静雄は臨也の頭頂部に手を伸ばす。タオルを床に落として猫耳が露わになると、臨也は一際大きく暴れた。静雄は潰してしまわないように加減しながら、伏せられた耳をそろりと撫でる。見た目通り、非常に滑らかで肌にも心地よく、その触り心地はベロアによく似ていた。

「すっげ……」
「っう、や、め……触んなってば…!」

静雄は何度も耳を撫でることを繰り返した。耳の内側には触れないように、あくまで外側の部分だけだ。幽のお陰で猫を触る際の知識は弁えていた。臨也は嫌がって何度も声を上げるが、明らかに今までに比べて力がない。静雄が顔を覗き込むと、頬は朱く紅潮し、眉は下がって瞳はとろんと溶けたように潤んでいる。身体にも力が入らないのか、臨也は必死に静雄のシャツを掴んで上目遣いに睨んできた。その姿に迫力などは皆無だ。しかし、その弱りきった臨也の姿に静雄は心臓が大きく高鳴るのを感じた。

「ッ…!」
「……シズ、ちゃん…?どうし…」

静雄は思わず息を飲み、手の動きを止めてしまう。臨也はその異変に素早く気付き、訝しむようにじっと見上げてきた。その視線に耐えかね、静雄は慌てて視線を逸らす。

「んでも、ねぇよ」
「…?ねぇ、いいから離してよ。もう散々撫で回したんだから、いいでしょ」

臨也は納得いかない様子だったが、頬を膨らませて静雄の胸を両手で押し返した。警戒心を剥き出しにして静雄を睨めつけながら、床に落ちたタオルをしっかりと被り直す。

「隠すなよ」
「やだ!」
「いいだろ、減るもんじゃねぇんだから」
「そういう問題じゃない!…大体、シズちゃんは犬派だろ。なんで猫耳なんて撫で回すんだよ」
「いや、猫も好きだし。つか、どうして手前が俺は犬派だって知ってんだ」
「…………」
「……おい、無視すんな」
「いっ…痛い痛い痛いッ!!」
「大袈裟なんだよ」
「どこが!?耳もげるかと思ったんだけど!!」

痛みに目尻に涙を浮かべ、臨也は低く唸りながら静雄を睨んだ。その様子は猫が毛が逆立てている様子に似ていて、静雄は思わず噴き出した。腹を押さえて笑っていると、臨也はぞっとした表情で静雄を凝視した。

「……なに笑ってんの…?キモいんだけど」
「そんな可愛い耳を生やしてる手前言われてもなぁ?」
「か…、かわっ…!?」

静雄が何気なく言った言葉に臨也は大袈裟なまでに反応する。一瞬で茹でだこのように真っ赤になる様子がどうにも可笑しかった。静雄が更に笑うと、からかわれていると思ったのだろう。臨也は悔しげに眉をぎゅっと顰め、端正な顔を歪めた。どうやら臨也は、静雄に馬鹿にされることが心底悔しくてならないらしい。それがやけに愉快に思えた静雄は、バスタオルごと猫耳を撫でた。臨也の肩がびくりと大きく跳ねる。触るな!と一喝されるが静雄にやめる気はさらさら無かった。もう片方の手で臨也の腰をするりと撫でると、臨也は内腿をびくつかせて目を見開いた。

「やっ…、何処触って―――」
「手前に嫌だと言われて、俺がやめると思ったら大間違いだぞ」

静雄がにやりと笑みを浮かべると、臨也は顔色を変えて後退った。しかしそれを見越していた静雄は臨也の細い腰を掴み、スラックス越しに小さな尻を撫でた。すると、予想通りそこは窮屈そうに膨らんでいる。暖かい感触のそれを探り当て、静雄が得意げに笑うと臨也は気まずそうに視線を逸らした。おそらく、尻尾を見つけられたくないという思いがあったのだろう。

「やっぱ、耳があるんだから尻尾もあるよなぁ」
「……ッ、最悪……」
「なぁこれ、尻尾痛くねぇのかよ」

苦々しい表情を浮かべる臨也を無視し、静雄は窮屈そうな尻尾をスラックスの上から撫でる。臨也はたちまち悲鳴を上げてじたばたと暴れるが、静雄は相変わらず無表情のままだ。

「痛くない!触んなってば!これセクハラだよ!?」
「セクハラぁ?なに言ってんだ、手前は男だろ」
「男も女も関係ないの!親しき中にも―――いや、断じて親しくないけどッ!他人の身体を勝手に触っていいわけないでしょ!」

首を傾げる静雄の腕の中から抜け出そうともがきながら臨也は吠える。一方で静雄は、理解できないと言いたげな表情で何度も尻を撫でた。

「へぇ…」
「俺以外にこんなことしたらすぐ訴えられるよ!?」
「手前、俺が他の奴に無理矢理触ったりすると思ってんのかよ」
「し、知らないよ!でもこれが当たり前だと思ってるなら、「思ってねぇよ」

静かな声で、しかし強く否定されて臨也は動きを止めた。見上げた先の鳶色の瞳はとても穏やかに見える。思わず臨也は言葉を失ってしまう。静雄は深く息を吐き出し、タオル越しに臨也の髪を掻き回した。器用に猫耳の部分は避けられていて、濡れた髪を拭こうとしているのだろう。

「な、なにし…」
「手前なぁ、何があったかは知らねぇがこんな姿になってまで俺の前に現れるか?普通」

静雄は髪を拭く手を動かしたまま、静かにそう呟いた。反論の余地がない臨也が黙っていると、静雄は再び息を吐き出した。水気がタオルに吸収されたところで静雄は手を止め、タオルを取り去って洗濯かごに放り込んでしまった。猫耳を隠すものがなくなって臨也が声を上げると、有無を言わせず手櫛で髪を整えられた。静雄の太い指先が地肌や首筋に触れるたび、体温がどんどん上がっていく感覚に襲われる。

「手前がなに考えてるかは知らねぇ。……分からねぇけどな、俺は…」

静雄はそこまで口にして不意に黙り込んだ。手の動きまで止まったことに臨也が視線を上げると、複雑そうな表情の静雄と瞳がかち合う。

「……なに?」

平静を装ったつもりだったが、臨也の声は緊張で掠れてしまっていた。静雄は数拍の間じっと臨也を見下ろしていたが、ぽんと臨也の頭を撫でると立ち上がった。えっ、と反射的に零れた自分の声に臨也は慌てて口を塞ぐ。あれだけ近くに静雄がいただけで追い縋るような声が出てしまうなんて思わなかった。静雄は意外そうに目を丸くしていたが、ばつの悪そうな臨也の表情を見て苦笑した。それから逡巡したのちに臨也に向かって手を差し出した。臨也はしばらく動かずにいたが、やがて焦れるほどゆっくりと静雄の手を掴む。ぐいと強い力で引き上げられ、そのままリビングへと連れて行かれる。狭いながらも綺麗に整頓された物の少ないリビングを臨也が見回していると、クローゼットを漁っていた静雄が何かを投げ寄越してきた。慌てて受け止めて広げると、黒いスラックスとグレーのカットソーだった。

「それ。幽が置いてる分だけど、俺のよりサイズ合うだろ」
「え、」
「服濡れてるからそれに着替えろ。風邪ひくぞ」

それだけ言い残すと、静雄は手を離して再び洗面所へ戻っていった。扉の閉まる音からして浴室に入ったらしい。取り残された臨也はしばらくぽかんと立ち尽くしていたが、急に寒気を感じて肌に貼り付いたトップスを引っ張った。愛用している黒のVネックは薄い素材のため体が冷えるのも早かった。静雄のベッド近くにあった棚からスーパーのビニール袋を拝借すると、Vネックとスラックスを脱いで突っ込んだ。渡された幽の服を着るのには躊躇したが、仕方ないと割り切って袖を通した。サイズはほぼ変わらなかったため、おそらく静雄の服を借りていたら袖も裾も有り余って悔しい思いをしただろう。肌は少し濡れてはいたが、先ほどよりは随分とましになった。静雄のベッドの縁に腰掛け、腕の辺りを擦っていると数分で浴室から音がして静雄が戻ってきた。風呂に入っていたにしてはシャワーだとしても早いなと臨也は首を傾げるが、静雄の服がバーテン服のままなことに気がついた。

「風呂入ってたんじゃないの?」
「あ?ちげーよ、お前のコートを洗ってたんだ」

あのままじゃクリーニングにも出せねぇだろ、と言われて臨也はぱちぱちと目を瞬かせる。静雄は臨也の服装を確認すると、ずんずんとベッドに近づいてきて見下ろす。思わず臨也が後退ると、静雄の手がぬっと伸びてきてベッドに押し倒された。臨也が声を上げるよりも早く、静雄は臨也の腰に手を回す。あっという間にスラックスを緩めてずらされ、臨也が暴れるのも構わず窮屈そうに格納されていた尻尾を引っ張り出した。

「なっ、…何して……尻尾さわんな!痛い!」

狭い場所から無理に引っ張られた痛さに呼応して臨也の尻尾はバシバシと激しく動く。静雄の手や頬を何度も叩くが、当の静雄は怒るどころか興味深そうに眺めているばかりだ。

「やめろ!急になんなんだよッ!」

臨也が必死に声を張り上げると、静雄はようやく手を止めたが尻尾はむんずと掴んだままだ。力加減されているお陰で痛くはなかったが、ずっと掴まれている感覚があるのでなんとも言えない。猫耳と尻尾が生えてからというもの、全身の感覚が鋭敏になっているようで音や匂いも普段より強く感じる。それは触覚に関しても同じで、些細な刺激にも身体が過敏に反応したり、痛みを強く感じるようになっていた。

「臨也?」

暴れていた臨也が静かになったことに気がつき、静雄は尻尾を持つ手を緩める。尻尾はその手からするりと抜け出すと、臨也の腰の辺りにぴたりと巻き付けられた。それを見た静雄は子猫が同じように尻尾を巻いていたことを思い出し、臨也の顔をそっと覗き込んだ。ぎゅっと固く閉じられた臨也の目尻にはうっすらと涙が浮かんでいた。静雄はがしがしと頭を掻くと、臨也の身体を引き起こす。出ている尻尾が挟まれて痛くないようにずれたスラックスを少しだけ引き上げ、強張っている臨也の背中を擦った。

「悪かった、臨也」

囁くように言うと、臨也はそっと身体を離して静雄を見上げた。品定めするように警戒する視線にたじろぎかけるが、静雄はじっと耐えた。やがて静雄の首筋に鼻を近づけるとくんくんと匂いを嗅ぎ、肩に額を押し付けて黙り込んでしまう。静雄はどうしたものかと硬直したが、ふと臨也の尻尾が左右にゆっくり揺れていることに気づいて表情が緩んだ。

「臨也」
「…………」
「無視すんなよ、動けないだろうが」
「うっさい。黙ってろ」

臨也がやっと口を開いたと思えば、つっぱねた声で一蹴されてしまった。静雄が何度声を掛けても、臨也はその場から動こうとしない。ゆったりと尻尾を揺らして静雄に身を預けていた。まるで懐かなかった野良猫が初めて触らせてくれたような感覚を覚えて、静雄は臨也の背に手を回す。緩い力で抱き締めてみるが、臨也は少しも抵抗しようとしなかった。

「なぁ臨也、黙ったままでいいから聞けよ」

返事は戻ってこなかったが、静雄は軽く息を吐いて言葉を続ける。臨也の尻尾は相変わらずゆらゆらと揺れていた。

「俺は手前が普通の人間だったら追いかけたりしねぇし、強引に捕まえたりもしねぇ」

臨也の猫耳がぴくりと動き、静雄の肩に押し当てられた額が僅かに離れる。こちらを伺う控えめな視線を感じたが、静雄は視線を前に向けたまま更に続けた。

「俺はな、お前以外の奴をこんなに……馬鹿みたいに構ったりしねぇってことだ」

静雄は首を横に捻り、臨也をじっと見つめ返した。臨也は神妙な表情を浮かべていたが、やがて深い溜息をひとつ零して笑う。

「シズちゃんってほんと頭悪いよね」
「―――はぁ!?」

突然の罵倒に静雄が素っ頓狂な声を上げて拳を握ると、臨也は静雄の腕の中から抜け出てベッドを飛び降りた。立ち上がって大きく伸びをする様子はまさに猫そのものだ。それから静雄を振り返ると、いつもと変わらない嘲笑を浮かべた。綺麗な唇をいびつに歪め、紅玉の瞳がうっそりと細められる。

「俺を甘やかしたら、つけ上がるだけだよ」

そう言い捨てると、臨也は静雄のブランケットを身体に巻き付けて部屋の隅に座り込んだ。身体を小さく丸め、俯いたきり動かなくなった様子を見るにしばらく寝るつもりなのだろうか。自由気ままな行動は人間の時と大差がないような気もする。静雄は行き場を無くしてた拳をそっと緩め、大きく息を吐き出した。窓を開け放つと生温い夜風が入り込んできた。臨也の髪が風に揺れるが、当の本人は気にならないようで静かに目を閉じている。

「……しばらくは禁煙だな」

胸ポケットに入ったままだった煙草の箱には数本残ったままだったが、静雄は箱ごとぐしゃりと握り締めた。無惨にもぺしゃんこに潰れた紙箱は、部屋のごみ箱に綺麗な軌道を描いて放り込まれる。カコンという軽やかな音だけが狭い部屋の中に響いた。


end.




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