陽だまりのように微笑む



「……兄さん、」
「もしかして、幽か…?」

兄弟の半年ぶりの再会は突然訪れた。仕事帰りの幽がたまたま寄ったコンビニが静雄のアパートから10分程度の距離にあったのだ。小さなコンビニのレジ前で大盛りのハンバーグ弁当を持った静雄は大きく目を見開いて幽を見つめる。二人は数秒間見つめ合っていたが、前の客が会計を済ませたことで静雄は慌ててレジへ向かう。静雄は隣のレジで同じく会計をしている幽を何度もチラチラと見ながら会計を済ませた。先に会計が終わった幽が待っていてくれていたので、半ば小走りで向かう。出入り口で邪魔にならないように幽の肩を抱いて静雄は店外に出た。サングラスをかけていても幽の整った容姿と芸能人オーラで目立つ。店外に居たカップルがひそひそと声を潜めながら幽を見ていたので、さりげなく軽トラックの陰に移動した。

「ありがとう、兄さん」
「いや……やっぱり目立っちまうな」
「ごめん」
「あぁ、別に幽が謝ることじゃねえよ。…気にすんな」

相変わらず感情の起伏が読みにくい静かな表情で幽は静雄を見上げる。静雄がぽんと頭を軽く撫でると幽は俯いた。ほんのりと微かにだが、頬に朱が差す。

「……兄さん、子どもじゃないんだから」
「あ、悪い」

窘めるように言われて静雄は手を離す。気まずい沈黙が流れ、先に口を開いたのは幽だった。静雄の手を引いて歩き出すと、自らのスポーツカーの前に移動する。助手席の扉が開かれ、静雄は目を瞬かせた。

「乗って。ここじゃ目立ってしまうし、家まで送るよ」
「でも歩いて10分だぜ」
「ちょっと迂回するから……話がしたいんだ」

幽は静雄の反応を伺うように尋ねる。静雄は笑って頷き、助手席へ乗り込んだ。高級外車は乗り慣れなかったが、車内で僅かに香るのは幽愛用の香水だ。羽島幽平として俳優活動をする前から幽が使っていた香水で、高校の頃に静雄が誕生日プレゼントとして贈ったものだった。値段も高くない一般的なブランドの香水だったが、幽はそれ以来同じ香水を継続して使用している。マスコミに普段使いの香水だと取り上げられた際、売れ行きが急激に伸びて企業は増産措置を取らなければならなかった。それまでハイブランドのCMに出ることはあれど、香水の仕事を受けなかった理由の一つだったらしい。

「この香水、ずっと使ってるんだな」
「うん。好きな香りなんだ」
「……そうか」

幽が本当に香りを気に入って使っているのだとしても、最初に静雄が贈ったことがきっかけになっていることには違いない。むずがゆい感情を持て余していると、幽がキーを回してエンジンをかける。車体が大きく震え、独特なエンジン音に車内が包まれる。周囲に集まっていた数人の客も諦めたように離れていき、幽はスムーズに車を出して静雄のアパートと逆方向へウインカーを出す。

「幽、迂回するの面倒だろ。時間あるなら家に来いよ」

その提案を聞いて幽はウインカーを消し、静雄に視線を向ける。いいの?と軽く首を傾げる幽に静雄はにこりと微笑み返す。

「いいぜ。……ま、狭い安アパートだけどよ。それでもいいならな」
「うん、お邪魔させてもらうよ」

幽は逆方向にウインカーを出し、ゆっくりとハンドルを切る。滑らかな動きで発車し、静雄の身体を心地よい震動が包んでいく。時間にして約3分程度だったが、僅かな時間も心地よく過ぎていった。


×


「それにしても久しぶりだな。元気だったか?」

貰い物の珈琲を淹れながら静雄が尋ねると、行儀よく正座していた幽が頷く。マグカップを受け取ると、目を閉じて珈琲の香りを堪能する。そんな何気ない仕草も美しく様になっていて、兄弟ながらに静雄は感嘆を覚えた。

「うん。元気だよ。相変わらず忙しいけど……兄さんは?」
「俺、は……まぁまぁかな」
「……そう」

静雄のぎこちない返答で実情を察したのだろう。幽は視線を落として珈琲の黒い水面を見下ろした。しばらく黙り込んでいたが、やがてテーブルにマグカップを置いて静雄を見上げる。黒々とした無機質な瞳の中に僅かに暖かな色が浮かんでいた。

「あんまり無理しないでね」

労わるように投げかけられた言葉に静雄は軽く唇を噛む。ただの同情からくる言葉ではない。家族の親愛として紡がれた言葉だろう。そう頭では理解してはいても、弟に案じられてしまう自分という存在に変わりはない。

「……あぁ」

やっとのことで静雄が返事をすると、幽は少し安心したように微笑んだ。静雄は自分の分の珈琲を啜り、それからふと顔を上げる。

「そういえば、お前なんでここに来たんだ?お前の家とは真逆だろ」
「あぁ……うん。今日はロケから直帰だったんだけど、なんとなく普段とは別の道を通って帰ろうと思って」
「夜のドライブか?忙しいんだから早く帰って休めばいいのに」

羽島幽平が売れっ子俳優なのは周知の事実だ。初期の頃は色物な映画にばかり出ていたが、演じたすべてのキャラクターを尊敬する幽の姿勢は次第に世間にも認められていった。今や若くして個性派俳優の名を欲しいままにしている。しかしスケジュールはとても忙しなく、ファンの間でもちゃんと休んでほしいという声が生まれている。しかし呆れ笑いを浮かべる静雄に幽は首を横に振った。

「ドラマの収録も一段落ついたし、大丈夫だよ」
「そうなのか?」
「うん。それに……」
「?なんだよ」

珍しく言い淀む様子に静雄が首を傾げると、幽はマグカップを手に持って一口だけ珈琲を啜る。やがて、黒い虹彩が真っ直ぐに静雄を射抜いた。

「兄さんに会いたかったから」

呟くように紡がれた言葉に、静雄は虚を突かれて目を瞬かせる。それから不意に花が綻ぶように笑みを浮かべた。兄のひどく穏やかな笑顔を目にして、幽は僅かに目を見開く。

「そっか……そうか、幽」
「うん」
「ありがとな。すげー嬉しいよ」
「……うん」

また子ども扱いだと叱られてしまうだろうか。そう思いながら静雄は幽の頭に手を伸ばした。滑らかな黒髪を優しく指で梳き、そっと頭を撫でてみる。幽は黙ったままだったが、静雄が満足して手を離すまで結局一度も口を開くことはなかった。


×


20分ほどぽつりぽつりと会話を交わし、時刻が21時を回った頃に幽は立ち上がった。名残惜しそうに引き留めた兄に微笑みかけ、幽は薄手のコートを羽織ってサコッシュを手に持つ。

「路上駐車してるしね。これ以上は長居できないよ」
「……そうか」
「兄さん、そんなに寂しそうな顔をしないで。また会いに来るよ」
「そん時はタクシーで来いよ」
「そうだね。……次からはそうするよ」

少し拗ねたように言う兄に微笑み、幽は高級そうな革靴に足を通す。静雄から渡されたプラスチックの靴べらを使って靴を履くと、ゆっくりと姿勢を正した。幽は背の高い兄を見上げ、すんなりと腕を伸ばす。

「兄さん」

幽の心情をすぐに汲み取り、静雄もまた両手を広げる。抱き寄せた身体は少し頼りなく感じられた。肩に押し当てられる幽の頭をそっと撫でる。触れた場所から伝わる体温が心地よく、静雄はそっと瞳を閉じた。

「どうしたんだよ、急に」
「うん……」
「何か言いたいことがあるのか?」

静雄が尋ねても幽は口を閉ざしたままだった。言葉を促すように背中を軽く叩くと、ようやく幽は顔を上げる。じっと見上げてくる瞳は感情を読み取りづらく、しかし静雄に何かを伝えようとしていた。

「ゆっくりでいいから」
「……兄さんは、一人じゃないよ」
「え?」
「俺が……傍にいる。ずっと、近くにいるから」

たどたどしく零された言葉の温かさに静雄は目を瞠り、花が咲くようにふわりと破顔した。熱くなる頬を誤魔化すようにがしがしと頭を掻き、噛み締めるように頷く。

「おう……ありがとな、幽。でも、お前も無理すんなよ?」
「うん」

腕の力を緩めて幽の背中を軽く押す。早くしないと切符切られちまうぜ?からかうように静雄が言うと、幽は苦笑して玄関の扉を押し開く。分厚い金属の扉が閉じかける一瞬――合わさった視線の先で、幽は優しい笑みを浮かべた。

「またね、兄さん」

ガチャリと無機質な音を立てて扉が閉じられる。しかし、遠ざかっていく幽の足音を聞きながら静雄は笑みを絶やせずにいた。少しささくれ立っていた気持ちが嘘のように穏やかになっていく。コンビニで買った弁当がすっかり放置されていることと空腹を思い出して声を上げてしまうが、それさえも今は苛立ちの材料にはなりえなかった。


end.




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