獣のようにはなれない夜



薄暗い部屋の中で浮かび上がる白く艶かしい肢体。やけに眩しく映るそれは、俺の心をひどく掻き乱していく。細い肩に触れると、肌は吸いつくように滑らかで柔らかい。少しでも力を込めすぎればいとも簡単に砕けてしまう、細い骨の存在を否応なく感じさせられる。軽く肩を揺さぶると、艶のある黒髪がぱさりと枕に触れた。むずがるように何度か頭が揺れ、長い睫毛に縁取られた瞳が薄く開かれる。

「……臨也、起きろ」

紅玉に似た赤い虹彩がじっと俺を射抜く。眠りの淵で何度かゆらゆらと揺れ、薄い唇が開かれた。寝起きだということを感じさせない澄んだ声が紡がれる。

「なぁに」
「何じゃねぇよ。さっさと起きろ」
「随分と乱暴な起こし方だね」
「うるせぇ。さっさと帰れ」

猫のように細められている瞳を見つめていると気持ちが揺らぎそうで、俺は視線を天井に投げる。視線を感じながら吐き捨てるように俺が言うと、臨也の纏う空気がピリついた。

「……シズちゃん、最低だね」

シーツの衣擦れがやけに生々しく耳に響く。ようやく視線を戻すと、上体を起こした臨也が俺をじっと睨めつけていた。鋭い瞳の奥に燃えるような怒りを感じ取り、背筋がぞくりと震える。

「最低。ヤリ終わったら用無しってこと?」
「は?」
「そんな言い方ないでしょ。他にもっと言い方とか…」
「……俺たち、ただのセフレだろ」
「ッ、だからって…!」

何かを叫ぼうとした臨也は俺の顔を見て口を噤む。噛み締められた形の良い唇から今にも血が滲みそうになっていた。ついと視線を逸らし、臨也はベッドを軋ませながら立ち上がる。

「本当に、シズちゃんには呆れて言葉も出ないよ。……帰る」

臨也は低く呟きながら床に脱ぎ捨てられていた衣類を拾い上げ、身につけはじめる。白い肌に黒衣が纏われていき、倒錯的な雰囲気はたちまち普遍的なものに移り変わっていく。スラックスとインナーまで身に纏い、クローゼットを振り返った臨也の視線が不意に止まった。

「なに見てんの」

俺の視線に気が付いた臨也は、不機嫌そうに眉を顰める。襟足の髪を指先で撫でながら、俺を試すように顎を軽く上げた。

「……別に」
「そんな感じじゃなかったけど」
「なんでもねぇってんだろ」

見透かすような態度に苛立って僅かに声を荒げると、臨也は無言のままクローゼットを開けた。闇夜に溶ける漆黒のコートを痩身に纏い、ベッドサイドに置いていた携帯を細い指で掴み、ポケットへと滑り込ませる。俺は頭をがしがしと掻き、吸っていた煙草を灰皿に強く押しつける。小さな火が燻ぶりながら消えると、身支度を終えた臨也が一瞬だけ俺に視線を投げかける。真っ赤な瞳を見るだけで気まずくて、俺はすぐに視線を床に落とした。誤魔化すように荒い言葉を口から吐き出す。

「早く帰れよ」
「……本当に、君って最低だね」

何の感情も籠らない冷たい声で臨也は呟いた。コートの裾を翻し、細い背中が静かに部屋を出ていく。扉の閉まる硬い音は部屋に重い静寂をもたらした。それを見送ってから俺は溜息を零す。胸の中に渦巻く感情を誤魔化すために、俺は煙草に火をつけた。本当は―――俺たちの関係がセフレであろうが、無理矢理にでも引き留めてやりたかった。呼吸さえも奪い去るほど深く口づけて、たとえ拒まれても奴の中に深く俺を刻みつけて、逃げ出そうとしたって何度も捕らえてやりたい。ひらひらと蠱惑的な蝶のように、或いは気紛れな猫のように、俺を惑わせる折原臨也という存在。それを俺だけのものにして、蓋をして、鍵をかけて、閉じ込めてしまいたい。けれど、所詮それは叶うことのない戯言でしかない。

「ッ、畜生…っ………」

くゆりながら漂う紫煙は、臨也のきれいな臓器を蝕んでは汚していく。まるで、醜く穢れた俺の心によく似ていると思う。俺は行き場のない苛立ちを抱え、燻ぶらせたまま静かに瞳を閉じる。扉の向こうから微かに聴こえてくる嗚咽から逃れるために。


end.



title by moss




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