cunning !



気まぐれにやってくる様子は、まるで猫のようだ。顔を覗き込んできたり、ちょっかいをかけてくることも稀にある。しかし、こちらが手を伸ばすとするりとすり抜けてしまう。腕の中に捕らえられた試しは一度もなく、こちらが弄ばれているような感覚に陥る。"彼"を見かけるたびに、トムはいつもそう思っていた。

「田中さん、こんにちはー」

澄み切った爽やかな青年の声が背中から投げかけられ、トムは吸っていた煙草を片手に振り返る。全身を黒に包んだ痩身の男が、美しい顔で微笑みかけていた。

「よう。……また来たんだな」
「あれ、来ちゃいけませんでした?」

人の良さそうな表情を浮かべたまま男は肩を竦める。ひどいなぁと嘯くが、真っ赤な瞳の奥は笑みを湛えている。つくづく腹の底が見えない奴だとトムは嘆息した。

「別にそうじゃねぇけどよ」
「なら良いじゃないですか。今はちょうど邪魔者も居ないみたいですし?」
「―――ちょうど、ね」

ご丁寧に静雄が休みの日を狙って来ていることをトムは知っている。わざわざ恍けた言い回しをする理由は分からないが、男はひどく上機嫌らしかった。近くのベンチに腰を下ろしたトムに歩み寄ってくると、上体を屈めてトムを覗き込む。

「なんだ」
「いや……今は休憩時間なのかなと思って」
「そうだ。お前も似たようなもんだろ、臨也」
「あはは、そうですね」

臨也はそう言って笑うと、トムに軽く伺いを立ててからベンチの隣に腰を下ろす。今までに断ったことなど一度もないのだから、いちいち聞かれなくても構わない。そう思いつつも口に出来ないまま、トムは吸いかけの煙草を口に運ぶ。

「煙草、身体に悪いですよ」
「知ってる」
「じゃあやめればいいのに」
「そう簡単にやめられたら苦労しねぇよ。依存性があっからな」

短くなった煙草を揺らしながら苦笑すると、臨也は黙って眉を顰めた。一応、考慮して副流煙が流れないようにしているが臭いのかもしれない。綺麗な顔が歪むのを見て喜ぶ趣味もないので、トムは携帯灰皿に煙草を押し付けて消した。消えていく火を眺めながら、臨也は瞳をほそく眇めて呟く。

「……苦いし臭いし、俺には理解できないな」
「吸わない方がいいに決まってる。お前は吸わないままでいいだろうよ」

トムのそんな言葉にも臨也は不機嫌な表情を崩さない。先ほどまでの上機嫌さはどこへやら、口元をいびつに歪めて嗤った。途端に瞳の奥に仄暗い色が見え、トムはうすら寒い気分になった。一瞬で温度を変えてしまう、臨也の纏っているこの雰囲気はとても堅気ではない。

「でも興味深いですよ。煙草もドラッグも酒も―――依存性のあるものから抜け出せない人間を見ていると、その愚かしさが愛しくなる。愚かで、哀れであればあるほど……人間の行動を観察する面白さは増すばかりだ」
「へぇ。俺もその愚かな人間の一人だって?」
「やだな、そんな言い方しないでください。愛しい人間の一人…ですよ」

うつくしい微笑を浮かべたまま、臨也はそう囁いた。甘く低い囁きは、まさに悪魔のようだ。その甘言に唆され、騙されて消えていった人間は今までにどれほど居るのだろう。考えただけでも気分が悪くなり、トムは引き攣った表情のまま立ち上がった。すかさず臨也の細い手が伸びてきて、スーツの裾を引っ張ってくる。

「田中さん、どこ行くんですか」
「もう休憩時間は終わりだ。あと3時間は働かなきゃいけないんでな」

トムの言葉を聴いた途端、臨也は浮かべていた笑みを打ち消して目を丸くした。少しばかり幼く見える表情に、トムの強張っていた気持ちが僅かに解ける。そうやって可愛い顔をしていれば20代の若者らしいものを。スーツの裾を掴んでいた臨也の指先がトムの手の甲に触れる。ひんやりとした体温にひくりと肩を震わせたトムに構うことなく、臨也は指先をトムの手にするりと絡めてくる。滑らかな皮膚の感触が同じ男とは思えない。思わず手を引っ込めようとした瞬間、臨也に強く手を引き寄せられる。大きくバランスを崩したトムは、結局ベンチへと逆戻りだ。週半ば、昼過ぎの公園には幸い人も少ないが、それでもこうして手を握られたままだと気まずい。それなのに臨也は楽しそうにトムの指をなぞるように触れてくる。

「……それ、楽しいのかよ」
「別に。ただ、男らしい手だなーと思って」
「あ、そ」

引き留めたいならもう少し上手い嘘を吐けばいいのに。そう思いながら僅かに頬を赤らめた臨也を横目で見る。人間を好きだの愛しているだの豪語する割に、臨也は個人的な感情を表現することが苦手らしい。トムはこの数年間でそれをよく理解していた。自由な方の手を動かして、臨也の細い手首を掴んでみる。

「あっ」
「……お前の手は綺麗だな」

ぽつり、零したのは率直な感想だった。体質のせいか日に焼けても色が濃くならない臨也の肌は白い。滑らかな肌はおそらくスキンケアを入念に行っているからで、爪も普段から綺麗に切り揃えられている。僅かに艶があるのはマニキュアを塗っているわけではなく、磨いているからだと以前言っていた。生まれ持った美貌を最大限に生かす臨也の丹念さには恐れ入るばかりだ。特に何かを深く思ったわけではなかった。だから、顔を上げた瞬間に飛び込んできた光景にトムは戸惑ってしまう。

「………おい、臨也?」

名前を呼んでも返事はない。トムの顔をじっと見つめたまま、臨也は完全に固まっていた。臨也の手からは力が抜け、トムの手は自然と解放された。手を伸ばして細い肩に触れると、途端に身体を跳ねさせて臨也は後退る。

「な、なに言っ……」
「―――臨也、お前カオ真っ赤だぞ」
「ッ、」

トムの指摘にコートの袖で顔を覆い隠すと、目だけでトムを睨みつけて臨也は立ち上がる。睨みつける視線は強いが、目元まで真っ赤なせいで威圧感はゼロだ。

「た、田中さんのタラシ!」

ぶるぶると肩を震わせていたかと思うと、臨也はそう叫んで走り去っていった。まるで捨て台詞だなと思いながら、トムは遠ざかる黒い背中を見送る。

「……気まぐれ猫にも可愛いところがあったもんだ」

どうにも頬が緩んでしまうのを止められないまま、トムはひっそりと呟いた。


end.




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