ひそやかに恋情

※来神時代


「焼き芋?」

肌寒さが増した11月初旬のある日。放課後、呼び止められて振り返った門田の顔を覗き込んだのは臨也だった。嬉しそうに差し出された手にはずしりと重そうなビニール袋。中にはぎっしりと大量のさつまいもが詰まっていた。ざっと見るに20本前後はあるだろうか。

「うん。ドタチンもやろうよ!」
「それは構わないが……これは、どこから…」
「あぁ、これ?」

重い袋を持つのに疲れたのか、臨也はビニール袋を地面に置いてその場に屈み込む。中から数本の芋を取り出して、じっくりと検分しはじめた。綺麗な赤紫色をした芋は太さや長さも申し分なく、焼けば美味いだろうと想像がつく。

「家庭部の子に貰っちゃったんだよね」
「貰った?」
「なんか顧問の先生の実家が農家らしくて、苗を貰ってきて育てたら思ったより育ちが良かったんだって。今日収穫してたみたいなんだけど、たまたま通りかかったら押し付けられちゃってさぁ」

困っちゃうよね。臨也はそう言ってへらりと笑みを浮かべた。おそらく一人ではなく何人かに囲まれて渡されたのだろう。臨也の家は両親が不在がちで双子の妹しかいない。こんなに大量の芋を渡されても困るのは目に見えている。それに妹たちは偏食がちだと言っていた。これでは2日と持たずに飽きてしまうだろう。芋を検分している臨也の頭を軽く叩き、門田は重いビニール袋を持ち上げる。

「そういうことなら付き合うぜ」

臨也は門田を見上げてにっこりと笑う。すっと立ち上がると、手を伸ばして門田がよろめくのも構わずに首に抱き着いた。困惑した門田が振り払おうとしていると、二人の前を一人の男子生徒が通りかかる。透明な硝子越しに黒い瞳をぱちぱちと瞬かせて、気まずそうな苦笑を浮かべた。

「こんなところで抱き着くのはどうかと思うけど…」
「違う、岸谷。誤解だ」
「あっ新羅。ちょうど良かった」

慌てる門田に対し、臨也は門田から離れると新羅へと駆け寄る。新羅が胸に数冊の本を抱えているのを見ると、不思議そうに首を傾げた。

「なにその本」
「え?ああ……借りてた本、今から返却してこようと思ってね。それより臨也、何がちょうど良かったの?」
「一緒に焼き芋やらないかなーと思ってさ。それでドタチンにも声かけてたんだよ」
「焼き芋?なんでまた急に」
「家庭部の女子に臨也が貰ったんだ。ほら、この量だから食いきれなくてな」

門田がビニール袋の中身を見せると、新羅は合点が行ったように頷く。少しの間悩んでいたようだったが、分かったよと頷いて胸の本を抱き直す。

「臨也が女の子に貰ったっていうのは引っ掛かるけど、さつまいもに罪はないしね。無駄にするのも忍びないから、僕も付き合うよ。でも先に本を返却してくるね」

そう告げて新羅はぱたぱたと小走りで図書室がある学習棟へと消えていった。臨也は何故か少し不満げな顔をして新羅の背中を見つめている。

「どうした、臨也」
「……さつまいもに罪はないって何?」
「あー…岸谷としてはお前に関わると面倒だからってことじゃないか?」

門田がそう言うと臨也は眉を顰めて門田からビニール袋をひったくる。門田が重いだろうと言っても、臨也はふらつきながら歩き出してしまった。八つ当たりは勘弁してくれと門田が頭を掻いていると、臨也が去った方向とは逆方向に見慣れた金の髪を見かけた。

「静雄」
「……おう門田か。どうしたんだ、そんなところで」

どうやら今から帰るらしく、静雄は鞄を肩に担いで歩いていた。人気のない校舎裏にいたことで不思議に思ったらしく、首を捻って静雄が近づいてくる。

「あぁいや、大したことじゃないんだがな」
「……臨也の野郎、ここにいたか?」

不意に静雄の鳶色の瞳が眇められ、剣呑な色が宿る。鼻を何度も動かしている様子から見るに、臨也の臭いを嗅ぎ取ったいるのだろう。門田はどう答えるべきか迷ったが、結局は芋を減らすことを優先にする。

「さっきまでな。臨也が家庭部の女子からさつまいもを貰ったらしいんだが、量が多いんだ。今から岸谷も呼んで焼き芋をするんだが、静雄も一緒にやらないか?」
「あァ?なんで俺がノミ蟲と一緒に焼き芋なんか……」
「臨也と妹たちじゃ食べきれないんだ。腐っちまったら勿体ないだろ?」

静雄のこめかみには一瞬青筋が浮きかけたが、門田の言葉で表情が変わる。食べ物を粗末にすることを静雄は好まない。しばらく唸った後にがしがしと頭を掻き、しょうがねぇなぁと呟く。

「どこでやるんだ?」
「この裏に焼却炉があるだろ。あそこなら片付けが楽だからな」
「……分かった」

少し照れた様子で言う静雄に門田は微笑み、静雄を先導して歩いていく。臨也は今頃、一人で不貞腐れながら準備をしているだろう。

「良かった。ただし、喧嘩はしないでくれよ」
「……おう」

静雄を連れて行けば臨也は怒るだろうが、なんとか諫めなければいけない。骨が折れるなと思いつつも、門田は無意識に表情が緩むのを抑えきれなかった。




×




「あはは、シズちゃん落ち葉まみれ!きったなぁーいっ」
「ッ…、いざやあぁぁぁぁ!」
「あーあ」
「………………」

焼き芋を片手に持ったまま足で落ち葉を器用に蹴り上げる臨也、落ち葉を浴びて激昂する静雄、呆れ顔で焼き芋を頬張る新羅―――門田は騒がしい状況にこめかみを押さえて重い息を吐き出した。

「お前ら!喧嘩はするなって言っただろ!」
「だってシズちゃんが襲ってくるんだもん」
「あァ!?手前から吹っ掛けてきたんだろうがっ!」
「ったく、聞いてんのかよ……」
「あはは、大変だねぇ門田くん」
「岸谷……お前も他人事みたいな顔しやがって……」

だって実際他人事だしね。あっけからんと言ってのける新羅をじろりと睨むと、わざとらしく肩を竦められた。八つ当たりをしてもどうしようもない、と門田は腰を下ろす。目の前でパチパチと爆ぜる焚き火の音が心地良い。コンクリートの地面は冷たいが、手を翳すと焚火が暖かい熱を分けてくれた。

「ごめんって、門田くん。そう睨まないでよ」

新羅は苦笑しながら焼き芋を再び頬張る。焼くばかりに徹していた門田はまだ焼き芋にありつけていなかった。長い木の枝を手に取り、落ち葉の中からアルミホイルの銀紙を探し出す。手のひら大の大きさの芋を見つけ、門田はそれを取り出してみる。火から遠い場所にあったお陰でなんとか手に取れる熱さだ。ゆっくりとアルミホイルと濡れ新聞を剥ぎ取ってみる。全体から仄かに湯気が上がっていた。

「門田くん、手を拭いた方がいいよ」
「あぁ……ありがとう」

自分の分を食べ終えたのか、横に寄ってきた新羅がウエットティッシュを差し出してくる。有り難く受け取って手を拭き、ゆっくりと芋を半分に割る。ぶわりと湿った湯気が立ち上り、黄色い断面が露わになる。甘い匂いがふわりと漂い、自然と門田の頬は緩んでいた。横から覗いていた新羅も綺麗な断面に声を上げる。

「おーっ、すごく綺麗な色だね」
「あぁ。岸谷が食べたのはどうだったんだ?」
「甘くて美味しかったよ。安納芋みたいなねっとりした甘さじゃなくて、どっちかというとホクホクしたタイプかな。僕はこっちの方が好きだけど」
「そうか。俺もねっとりしたやつは苦手だな」

皮を剥いて一口食べてみる。優しい甘さが口いっぱいに広がり、自然と溜息が漏れた。ほっとするという表現が相応しいだろうか。喉の渇きが少し気になったが、夕方時の空腹にも抗えず門田は再びかぶりついた。遠くの方で静雄と臨也が喧嘩していることを除けば、とても和やかな気持ちになれる。

「……美味いな」
「ね、甘くて本当に美味しいよ。今日ばかりは臨也の顔に感謝しないとね」
「確かにな」

眉目秀麗という言葉が相応しいほどに整った容貌は女子が黄色い声を上げるのも納得だ。その美貌を今は凶悪に歪めているが―――今の臨也を女子が見たら流石に裸足で逃げ出すんじゃないだろうか。臨也がナイフを取り出したのを見て、門田は焼き芋を新羅に押し付けて立ち上がる。

「臨也!ナイフを仕舞え」
「でもさぁドタチン、シズちゃんが止まってくれないんだもん」
「それはお前が煽るからだろ、臨也。…静雄もだ。喧嘩はしないって約束しただろ」
「……それは……」

露骨に顔を顰める臨也とばつの悪そうな静雄。静雄が手にしていた火ばさみを手放したのを見て、門田はその肩をぐいっと抱いて引き寄せた。

「ほら静雄、お前まだ食ってないだろ。甘くて美味いぞ」
「……本当か?」
「お前、甘いもん好きだったよな」
「あぁ」

絆された様子で静雄は僅かに微笑み、門田に連れられて歩いていく。その様子を臨也はつまらなさそうに見つめていたが、新羅に手招きされてナイフを胸元に仕舞った。大きく伸びをして座っている新羅の元に歩み寄ってくる。

「あーあ、つまんない」
「こんな時まで喧嘩しなくていいじゃないか」
「だって…」

口を尖らせて言い訳を重ねようとする臨也に、新羅は落ち葉の中から取り出した芋を一つ投げる。まだ少し熱かったそれを何度か手の中で転がし、臨也はじっとりと新羅を睨みつけた。

「熱い!」
「火傷するほどじゃないだろ?ほら、臨也も食べなよ。元々は君が貰ったさつまいもじゃないか」
「俺は別に甘いもの好きじゃな…」
「焼き芋やろうって言いだしたの、臨也なんだろ?」
「……なんで、それ」
「門田くんが言ってたよ。焼き芋、やりたかったんでしょ?」

新羅がにっこりと微笑んで首を傾げる。臨也はアルミホイルに包まれた芋を見下ろして黙り込んでいたが、やがて重い溜息を吐き出した。僅かに赤くなった頬は肯定を示している。それを見て新羅は座ったまま手を伸ばし、臨也の手を引っ張った。

「ほら、ここ座りなよ。焚火があったかいよ」

促されるまま腰を下ろした臨也の隣、50センチほどの距離には静雄が座っていた。静雄は気まずそうに視線を逸らし、臨也もそれに対して眉を顰める。新羅は臨也を宥めるように背中を軽く叩く。

「臨也」
「……分かったよ、食べるって。お腹空いてるし」

新羅から渡されたウエットティッシュを受け取り、臨也は手を拭く。アルミホイルと濡れ新聞を剥がすと紫色の表皮が覗いた。まだ芋が熱いので割るのはやめて、ゆっくりと皮を剥いていく。黄色い身が見えてくると、臨也の腹は自然と音を立てた。隣の静雄を極力意識しないようにしながら、臨也は一口かぶりつく。口腔内に甘い香りと優しい味が広がっていく。どう?と覗き込んでくる新羅をあしらいながらも、自然と口角が緩んでしまう。

「……まぁ、思ったより甘いね」
「僕もあと1個食べようかな」
「珍しいな。岸谷がそんなに食べるなんて」

門田が静雄の隣から声を上げると、新羅は笑いながら新しい芋を手に取る。少し小さめのそれはまだ熱かったらしい。伸びてしまうのも構わずに、新羅はカーディガンの裾を伸ばして手で芋を包み込んだ。

「あちち…。門田くんの焼き具合が絶妙だからだよ。アルミホイルだけじゃなくて濡れ新聞まで用意するなんて初めて知ったよ。慣れてるんだね」
「昔は家でもよくやってたんだよ。濡れ新聞も親父に教わったんだ」

少し照れたように言う門田を見つめて静雄が目を細める。臨也は静かに芋を咀嚼していたが、芋が喉に詰まるようになったらしい。食べかけの芋を静雄に押し付けてふらりと立ち上がった。

「おい!どこ行くんだよ臨也」
「にょみもにょかってくゆ」
「あ!?」

まだ口の中に芋が入っているのか、憤慨する静雄に対してもにょもにょと一方的に喋って臨也は去って行く。押し付けられた芋を見下ろし、静雄は怒りきれずに曖昧な表情を浮かべた。それを見ていた門田と新羅はともに苦笑を浮かべる。

「飲み物買ってくる……かな?」
「確かに喉に詰まるよな。先に飲み物用意しておくべきだったか」
「僕はお茶があるけど、門田くんと静雄も飲み物ないんじゃない?買ってきたら?」

水筒を揺らして新羅が尋ねると、門田は鞄の中からブラックコーヒーの小さなボトルを取り出した。少し減ってはいるが、中身はまだ残っているらしい。

「あぁ、俺も昼に買ったコーヒーが残ってるんだ。静雄は…ブラック得意じゃないよな。臨也と一緒に買ってきたらどうだ?」
「あー……」
「芋はまだ残ってるし、食うだろ?」

臨也の細い背中はもう少しで角を曲がろうとしていた。門田の言葉に促され、静雄は渋々といった風に立ち上がって地面を蹴る。角に消えそうになった臨也の背中を追いかけて走り去った静雄を見送り、門田と新羅は顔を見合わせて笑った。

「世話が焼けるよね、本当に」
「だな。喧嘩するほど……ってやつか?」
「そうそう。二人して強情というか、意地っ張りというか。面倒臭いったらありゃしないよ」
「こっちがやきもきする」
「……焼き芋だけに?」
「そうかもな」




×




静雄が小走りで角を曲がると、臨也は驚いたように振り返った。静雄の顔を見て目を丸くし、それから呆れたように肩を竦める。

「なぁにシズちゃん、俺を追いかけてきたわけ?」
「べ、別に手前を追いかけてきたわけじゃねぇ。俺も喉が渇いてたからで……」
「俺の芋、持ったままじゃん」
「……あ」

臨也に指摘されて静雄は視線を下ろした。自分の手の中に臨也の食べかけの芋があることにようやく気付き、否応なく頬が熱くなった。臨也は苦笑しながら歩み寄ってくると静雄の手の中から芋を取り返し、アルミホイルで綺麗に包み直す。

「まぁいいや。ほら、自販機行くんでしょ?」
「お、おう」

臨也に腕を掴まれ、静雄は軽くたたらを踏んで歩き出す。頭一つ分小さい臨也の髪が秋風にさらりと揺れた。甘く漂ってくるのは臨也のつけている香水だろうか。普段は気に入らないと思う香りのはずなのに、何故か心地よく思ってしまう自分に静雄は少なからず動揺した。手を離せと言いたいのに、制服越しに伝わる体温は暖かい。結局静雄は臨也の手を振り払うことができないまま、校門の外にある自販機の前まで来てしまった。部活の生徒以外は既に帰宅しており、人が少ない時間帯だったのは幸いだった。誰かに見られようものなら、叫びながら臨也を殴り飛ばしていただろう。

「んー、ここの自販機あんまり良いラインナップじゃないんだよねぇ。食堂の自販機の方が良かったかな」
「食堂もう閉まってるだろ」
「あ、そうだった。うーん、コーヒーも俺が好きなやつないなぁ」
「……お前が好きなのってなんだよ」

どうしてこんなことを尋ねているのだろう、と頭の片隅で思いながら静雄は口にする。臨也の好きなものを知らないと思ったら自然と口が動いていた。臨也は特にそれを疑問に思う様子もなく、赤い売り切れランプがついたボタンを細い指で示す。

「ここの売り切れになってるやつ。あ、シズちゃんカフェオレあるよ」
「あー…でもこれ無糖だろ?」
「さつまいも甘いんだから無糖でいいじゃん。ほんと子ども舌だねぇ」
「あァ!?」
「あ、ちょっと自販機壊さないでよー?」

からかわれたと思った静雄が拳を握り締めると、臨也は勘弁してよと両手を上げる。今ここで自販機を壊せば、あとは歩いて10分ほどの距離にある自販機しか無くなってしまう。静雄としても喉が渇いているのは事実だ。静雄が深呼吸をして拳を諫めると、臨也は安堵したように尻ポケットからチェーンのついた財布を取り出した。それを見て、静雄は自分が財布を鞄の中に入れっぱなしなことを思い出す。

「やっべぇ。財布、鞄の中だったわ」
「えぇ?飲み物買うのに忘れてくる?普通」
「うるせぇな!……ちょっと取ってくる」
「ちょっと待ちなよ」

静雄が踵を返そうとした時、臨也が声を上げた。不思議そうに首を傾げた静雄の前で自らの財布を軽く振ってみせる。

「……なんだよ?」
「シズちゃんどれがいいの?」
「え?あー…甘いの無いみてぇだしカフェオレ、かな」
「カフェオレね」

静雄の返事を待たずに臨也は自販機に千円札を突っ込んでカフェオレのボタンを押す。ガコンと音がして下からカフェオレが出てくるのを静雄が眺めていると、臨也は自分の分のほうじ茶のボタンを押した。臨也はカフェオレの缶とほうじ茶のペットボトルを下から取り、カフェオレの缶を静雄の胸に押し付ける。突っ立っていた静雄は反射的にそれを受け取ってしまってから、缶の温かさで我に返った。

「な、なんでお前が買って…」
「今から取りに戻ったら冷えちゃうよ」

臨也の言葉に静雄はぱちぱちと瞬きを繰り返す。なんでもないように告げられた言葉の優しさに、動揺してしまいようになった。静雄は僅かに困惑を滲ませながら首を捻る。

「いや……俺は風邪とか滅多にひかねぇぞ…?」

臨也はそれに対して軽く目を瞠り、ゆっくりと首を横に振る。何言ってんだか、と言いたげに軽く瞳が眇められた。

「そうじゃなくて、芋が。まだ残ってるやつ食べるんでしょ?」
「あ、あぁ……芋のことか」

勘違いをしてしまった。じわりと熱くなる頬を誤魔化すように静雄が俯くと、臨也は目を丸くしながら静雄の腕に抱きつく。下から静雄の顔を覗き見上げ、意地悪く唇をゆがめてみせる。

「もしかして自分が心配されたと思っちゃった?」

かっと頬が熱くなり、静雄は臨也の手を振り払う。臨也は器用にバランスを取りながら静雄の手を避け、なおも楽しそうに笑う。一瞬でも勘違いをして動揺した自分が情けなくて、静雄は臨也を強く睨みつけた。臨也はその視線を受けながら財布を仕舞い、悪びれることなく再び静雄に近付いた。今にも噛み付きそうなほど警戒している静雄に少しも臆することなく、腕をぐっと掴んだ。

「いざっ……」
「ほらほら怒んないの。せっかく買ったのに飲み物も冷えちゃうよ」
「…………」

食べ物もそうだが、飲み物を引き合いに出されると静雄は弱かった。臨也もそのことをよく理解しているのだろう。にっこりと微笑みながらも、瞳の奥は静雄のことを試すように煌めいていた。

「……あんまり、ひっつくんじゃねぇよ」
「別にいいじゃん。周りに誰もいないし寒いし」

静雄が軽く腕を揺らしても、臨也は静雄の腕をしっかり掴んだままだった。歩きながら次第に体重を預けてくる臨也はどこか楽しげで、その表情の中には邪気が感じられない。さっきみたいに弄ばれている気はしてならないが、臨也の体温と僅かな重みが不快にはとても思えなかった。

「あとで金、返すからな」
「えー?別にいいよ100円ぐらい」
「手前に借りなんて作りたくねぇんだよ」

静雄の言葉に臨也は頬を軽く膨らませる。そんなことしてもぜんぜん可愛くねぇんだよ。そう一蹴しようと思ったが、リスみたいだと思ってしまって言葉が出ない。可愛くないにしても、ノミみたいにぴょんぴょん跳ね回るこいつは小動物に似ているのかもしれない―――ぼんやりそんなことを考えていると、臨也が不意に立ち止まる。

「おい、急に止まんなよ」

静雄がそう言うと、臨也はゆっくりと顔を上げた。軽く唇を開けて、何かを思い出したと言わんばかりの表情を浮かべている。

「やっば…忘れてきちゃった」
「は?何を」
「おつり。さっきシズちゃんと話してたせいだよ」
「俺のせいかよ!」

既に校舎裏の曲がり角まで差し掛かっていて、自販機まで戻る方が遠くなっている。明らかに戻りたくなさそうな臨也を見て、静雄は自然と口を開いていた。

「俺が取ってくる」
「え?」

顔を上げた臨也は目を丸くしていて、静雄は視線を逸らしながら頭を掻く。何を言っているんだと言う自覚はあったが、臨也が妙にくっついてくることから寒がっていると思ったのだ。

「金、出してもらったし。それに手前、寒いんだろ。俺よりずっと風邪ひきやすそうだし……先に戻ってろよ」

視線を戻せないまま言うが、臨也からの返事は返ってこない。焦れて臨也を見下ろすと、臨也は制服の袖口で頬を覆いながら俯いていた。僅かに耳朶が朱く染まっている。

「おい、臨也?」
「……ね……」
「ね?」
「……ネコババしないでよ」
「はァ!?んなことしねーよ!!」

呟かれた言葉が予想だにしない方向性で静雄は思わず声を荒げる。臨也は俯いたままだったが、怒るのも癪になって静雄は臨也の手を振り払って歩き出す。ちらりと振り返っても臨也は追いかけてくる気配がない。軽く息を吐き出すと、白い煙になって空気に溶け消える。静雄は夜が近づく肌寒さにぶるりと肩を震わせ、自販機へ戻る道を急いだ。一方、一人残された臨也はペットボトルと芋の入ったアルミホイルを胸に抱えたまま角を曲がる。戻ってきた臨也を迎えた新羅は、不思議そうに軽く首を傾げる。

「どうしたの?顔、真っ赤だけど」
「おい臨也、静雄は一緒じゃなかったのか?」

新羅と門田に応えることなく、臨也は焚火の前に体操座りをする。膝をぎゅっと抱えたまま、熱の引かない自らの頬を隠すように埋めた。門田と新羅はその様子をじっと眺めていたが―――やがてどちらからともなく呆れたように苦笑する。

「本当に世話が焼けるよねぇ、門田くん」
「……まったくだな」

熱くなった頬を冷やすように吹き抜けた風と友人たちの声を耳にしながら、臨也は種火のごとき恋心を誤魔化すように瞳を閉じる。静雄が戻ってくるまでに、いつもと変わらぬ笑みを浮かべられるか、それだけが問題だった。


end.




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