シュガースノウ・ラブ

※静雄誕


いつもと変わり映えのしないある日の夕方。ビルの谷間に沈みはじめた太陽を眺めながら、静雄は紫煙を吐き出した。換気扇に吸い込まれていく煙を見送り、再び窓の外に視線を移す。真下の通りを行き交う人波は忙しない。池袋の街は今日も変わらず多くの人間で賑わっている。

「静雄ー」
「あ、はい」

名を呼ばれて静雄は振り返る。少し開いた社長室の扉から上司であるトムが顔を覗かせていた。静雄が灰皿に煙草を押し付けたのを見ると、トムは右手を突き出して軽く振る。

「あぁ静雄、お前はいいんだ。報告はもう終わってるから、直帰していいぞ」
「え、でも……」
「いいって。今日はお前も早く帰りたいんじゃねーの?」

にかっと笑った上司の表情につられ、静雄も微笑む。トムに言われるまで忘れかけていたが、今日は静雄にとって特別な日だった。

「……ありがとうございます」
「おう。また明日な、静雄」
「はい、お先に失礼します。お疲れ様っす。」

煙草の箱を胸ポケットに入れて、代わりに引っ掛けていたサングラスを手に取る。事務所を出て階段を降り、通りに出てからサングラスを掛けた。真っ赤な夕陽に照らされ、静雄は軽く目を細める。全身を包む暖かさにどこか安堵しながら歩き出した、その時だった。

「静雄さんっ」

静雄の背後から少年の高い声がした。ゆっくりと振り返った先には、学生服を身に纏った茶髪の少年が立っている。青いブレザーの下には真っ白なパーカーを着ていて、首元には暖かそうなマフラーを巻いていた。寒さのせいか鼻の頭が少し赤くなっているのが妙に可愛らしい。少年はアーモンドのような瞳を丸くしながら静雄をじっと見上げる。

「やっぱり静雄さんだ」
「紀田……」
「お仕事終わりっすか?」
「あぁ。お前も学校帰りか?……にしても、久しぶりだな」

隣に並んで歩き出した正臣を見下ろし、静雄は軽く首を傾げる。静雄の問いに正臣は柔らかくはにかみ、少し照れたような笑みを浮かべた。

「久しぶりに会いたくなったんっすよ。静雄さんに」
「―――…お前は、またそういうことを……」

正臣の率直な言葉を受け、静雄は頬が熱くなるのを誤魔化しながら呆れた風を装う。自分で言って照れるくせにストレートに感情を表現してくる正臣が可愛らしい。静雄に呆れられたと思ったのか、慌てて両手を振る様子も一層それを引き立たせる。

「信じてないでしょ?本当っすよ!」
「どうだかなぁ。紀田は普段からそんな調子だろ」
「静雄さんってば」
「んな恥ずかしいこと、普通は言わねぇ」
「し……静雄さんだけですから!」

ぴたりと静雄が歩みを止め、正臣はあっと口を抑えて立ち止まる。静雄の視線を感じながら、正臣はゆっくりと顔を上げていく。鳶色の瞳に射抜かれた瞬間、正臣は静雄を置いて走り出した。

「おい、紀田!」
「〜ッ、失言でした!お、俺もう帰ります」
「俺に会いに来たんじゃねえのかよ!」

二人の距離はあっという間に縮まり、静雄は正臣の腕を掴んだ。そのまま路地裏に引き摺り込み、逃げられないように正臣の身体をコンクリートの壁に押し付ける。夕陽が僅かに遮られている路地裏は仄暗い。静雄が少し屈んで顔を覗き込むと、正臣は赤くなった顔を必死に逸らそうとした。

「紀田」

窘めるように名を呼ばれ、正臣はびくりと肩を震わせる。おずおずと視線を上げ、静雄と目が合ってそのまま硬直した。静雄は手を伸ばして正臣の痩身をすっぽりと抱き締めた。

「し、静雄さんっ」
「あ?」
「ここ、外っすよ…!」
「大丈夫だ、路地裏だからな」
「そういう問題じゃ…」
「もういいから、ちょっと静かにしてろ」

静雄の言葉で諦めたらしく、正臣は大人しく黙り込んだ。静雄は正臣の髪に鼻先を埋め、軽く息を吐く。

「あの、めっちゃくすぐったいんすけど」
「そんくらい我慢しろ」
「横暴だ……」

拗ねた口調で呟かれ、静雄は腕の力を少し緩めた。僅かに身体が離れたことで正臣は静雄の胸に手を押し当てたまま顔を上げる。頬はまだ赤く染まっていて、時折視線が宙を泳ぐのが可愛らしくてたまらない。

「まぁいいか」
「え?何がっすか?」
「ん、充電できたからな」
「……充電?」
「会えなかった間は不足してたんだよ、お前が」

静雄の言葉を聞いて正臣はたっぷり3秒間固まった。それから口をぽかりと開け、わなわなと震えながら静雄を指差す。

「こら、人を指差すんじゃねえよ」
「だ、だって、静雄さん…っ!」
「なんだよ」
「静雄さんの方がよっぽどこっ恥ずかしいこと言ってんじゃないっすか!!」

正臣の指を掴んで降ろさせながら静雄は首を捻る。何のことか分からないといいたげな静雄に対し、正臣は真っ赤になった顔のまま静雄を睨み上げた。不満たらたらな表情に静雄は頭をがりがりと掻き、困ったように眉根を下げる。

「別に恥ずかしいことじゃねーよ。ただの事実だ」
「恥ずかしいっすよ!なんすか充電って!そんなんずるいっすよ!」
「あーもう、キャンキャン吠えんなって。何がどう具体的にずるいんだよ」
「だ、だってそんな…静雄さんに充電させろとか言われたら、誰だってときめいちゃうに決まってるじゃないっすか!」
「……ときめいたのか?」
「当たり前っすよ!」

力強く肯定してしまってから正臣は静雄が意地の悪い笑みを浮かべていることに気付いた。おもむろにサングラスを外し、ぐっと顔を近づけられ言葉に詰まる。鳶色の瞳が僅かに眇められたと思えば、再び抱き締められてしまった。

「し、静雄さん」
「お前ほんと可愛いなぁ、紀田」
「なに言っ」
「俺がこんなこと言うのはお前だけだから安心しろ。あと、もう一回ちゃんと充電させろよ」

拘束が緩んだと思えば静雄が背を屈めて顔を寄せてくる。反射的に正臣が目を瞑れば、唇に柔らかな感触が触れた。少し冷たくてかさついているそこは、何度も触れ合うたびにだんだんと湿りを帯びていく。僅かに開いた隙間から舌先を捻じ込まれ、正臣がふらつくとそのまま背中をコンクリートに押し付けられる。壁面の冷たさに思わず逃げ腰になれば、強く腰を引き寄せられた。腰に回された腕の温かさに膝から力が抜けかける。口腔内を蹂躙していく静雄の舌は熱く、時折ざらりと触れ合うだけで背筋がぞくぞくと震えてしまう。やっと解放された頃にはすっかり正臣の息は上がっていて、静雄の支えなしでは立っていられなくなっていた。赤い顔で見上げてくる静雄に柔和な笑みを向け、静雄は赤い舌先を覗かせて舌なめずりをする。凶暴な獣の片鱗を見せつけられ、正臣の心臓は大きく跳ねた。

「満足したぜ」
「……もう勘弁してください……」
「なんだそりゃ」
「俺、ときめきすぎて死んじゃいます」

じっとりと睨んでくる正臣に静雄は苦笑した。正臣の前髪を掻き上げて額にキスを落とすと、あんまり拗ねるなよと囁く。

「拗ねてないです!……てか、静雄さん!それよりも…」
「あ?」
「今日、俺が来た理由分かってます?」
「理由…?会いたくなったからってさっき言ってただろ」
「あー、まぁそれもあるんすけど、それだけじゃなくて―――」
「……なんだよ?」
「あ、やっぱり静雄さん覚えてないんっすね」

ピンと来ずに静雄が首を捻っていると、正臣は嬉しそうに笑う。悪戯が成功した子供のような表情で静雄の首に両手を伸ばす。

「お誕生日おめでとうございます」

背伸びをしながら抱き着かれ、静雄は大きく目を瞠った。至近距離で笑顔を向けられ、静雄の頬がじわじわと赤らんでいく。それを見て正臣は心底嬉しそうにウインクをした。得意げに声が弾み、僅かに上擦っている。

「サプライズ成功っすか?」
「……紀田……あぁ、大成功だ」

静雄の言葉に正臣はにっこりと微笑み、厚い胸板に顔を押し付けた。くぐもった声のまま、何度も嬉しそうな笑みを零す。

「良かったです。会えなかったらどうしようかと思ってたんすよ」
「トムさんが早く帰らせてくれたんだよ。別に予定があるわけじゃなかったんだが……お前、待ってくれてたのか?」
「いや、俺が待ってたのは5分ぐらいでそんなに待ってないです。…それに、こうやって抱き締めてもらえるなら冷えても平気っすよ」
「……お前、またそういう……」

呆れながら静雄は笑い、正臣の髪を撫でた。促すように軽く肩を叩くと、正臣は顔を上げて身体を離す。温かい体温が名残惜しかったが、いつまでも路地裏にいるわけにもいかないだろう。静雄が手を差し出すと正臣も笑って手を伸ばす。

「……流石に手は冷えてるな」
「静雄さんも冷たいっすよ」
「そうか?じゃあ冷えないうちに帰るか」
「俺、カレー作りますよ!スーパー寄っていいですか?」
「……マジか?」
「はい!ま、まぁ……幽さんみたいにスパイスからってのは無理っすけど」
「いや、すげー嬉しい。ありがとな、紀田」

サングラスを掛け直し、静雄はふわりと微笑む。それを見て正臣も嬉しげに頬を緩ませた。降り出した雪がアスファルトの地面に落ちては滲み込んでいく。白い息を吐き出しながら笑い合う二人の背中は、騒がしい冬の雑踏の中へゆっくりと消えていった。


end.




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