chocolate shooter

※バレンタイン


それは甘い甘いチョコレイト。

頭も身体も精神も、全てをぐずぐずに溶かしていく
―――麻薬のような、危険な弾丸。


×


「あれ?シズちゃん偶然だねぇ、何してんの?もしかしてサボり?やだなぁ、ちゃんとお仕事しなよ!田中さんに迷惑かけちゃダメでしょー?」
「ッ、……臨也ぁああああああ!!」
「えっなに?どうしたの?」

聞こえないよー?とおどけて笑う臨也は、耳に手を当ててニヤけた笑みを隠そうともしない。静雄がぶんぶんと振り回す標識を器用に軽く避けては、あまつさえ空中で回転やちょこまかとした動きを見せ付けるように飛び跳ねる。

「避けてんじゃねぇよ!!ノミみてぇなウザい動きすんなノミ蟲が!!」
「ひっどーい。こんな眉目秀麗な俺にそんなこと言うのはキミぐらいだよ?信じらんない」
「俺こそ信じられねぇよ、手前の鬱陶しさがなァ!」

戯言を交わしながらも静雄はアスファルトを打ち砕く一撃を繰り出す。臨也は汗ひとつ浮かべないままひらりと回避してみせると、にっこり微笑んだ。

「危ないなぁ。俺の綺麗な顔が傷ついたらどうしてくれるの?責任取ってくれるの?」
「責任なんざ知るか!俺がそのキレーな顔ごとぶっ壊してやるからよぉ!」
「え?今シズちゃん俺のこと綺麗って言った?可愛いって言った?」
「全然言ってねぇし手前は性格ブスだろうが!!」
「あっひどーい!ブスって言った!」

臨也は繰り返される静雄の攻撃を危なげなく避け、塀の上に着地する。静雄を満足げに見下ろしながら、臨也は口角を歪めて笑った。そんな臨也を睨め上げながら、静雄は違和感に舌打ちをする。今日は臨也の様子が可笑しい。いつもならコートの中に何本も仕込んだナイフを静雄や看板に投擲してくる。その他にも小賢しい攻撃を仕掛けてくるのに、今日は静雄の攻撃を避け続けるばかりで手を出してこなかった。次第にその違和感が気持ち悪くなり、静雄はついに大声を張り上げた。周囲の空気がビリビリと震える感覚に臨也が僅かに顔色を変える。

「……ちょっと、急に大声上げないでよ」
「手前、なに企んでやがるッ!!」

振り回しすぎてひしゃげた標識を臨也に向かって振り下ろすが、臨也はそれを難なく避ける。凄まじい轟音と同時にアスファルトが深く抉れた。

「何のこと?俺は何も企んでないし、言いがかりは止めてくれるかな」
「言いがかりじゃねぇ!俺には分かんだよ」
「……それを言いがかりって言うんだよ……シズ、ちゃんッ!」

再び振り下ろされた標識を避けた臨也は街路樹にぶら下がって回転し、太めの枝に着地する。その木ごとへし折ってやろうとすかさず静雄は手を伸ばすが、幹に手が触れる前に臨也は地面に飛び降りてしまっていた。

「シズちゃん遅いよー!ほらほら、こっちだってば」
「……ッ、手前ぇえええええ!!ぶっ殺す!!」

素早い動きに翻弄される静雄を嘲笑い、臨也は身を翻して路地裏へと駆けていく。それを追い、静雄もひしゃげた標識を放り投げてて走った。鈍い音が響き渡り、取り残された群衆は戦々恐々としながら路地裏に消えた2人を見送った。臨也は狭い路地裏を走り抜け、転がっている空き缶や瓶を器用に避けていく。静雄はというと避けることなく平気で踏み潰していくので靴は破片だらけになる。やがて路地裏が行き止まりなことを確認すると、臨也は走るスピードを緩めて壁面に取り付けてあった看板に掴まる。軽々とその上に飛び乗ると、静雄を見下ろして形の良い唇を吊り上げた。

「シズちゃんに質問です!今日は何の日でしょうか?」

やたら陽気なトーンで投げかけられた問いに静雄は眉を顰める。今日は2月14日、何の日か分からない男なんて存在しないだろう。

「……手前、舐めてんのか」
「やだなぁ、違うよ。シズちゃんったら被害妄想が激しいね」
「うるせぇ!……バレンタイン、だろ」
「正解!よく分かったね、すごいすごーい!」

子供を褒めるような喋り方に、静雄のこめかみには青筋が浮かぶ。臨也の明らかに馬鹿にした物言いに元々高くない沸点が下がっていくのを感じる。

「やっぱ舐めてんだろ……本気で潰すぞ……」
「違うってば。もう、俺ってそんなに信用ない?」
「あるわけねぇだろ!!手前に信用できるところが1つでもあったならこんな仲になってないだろうからなぁ!?」
「あはは、そりゃそうだ。……ていうかさぁ、」

あははっと快活な笑いを吐き出しながら、臨也はコートの内側をまさぐる。ようやくナイフを取り出すのかと静雄は軽く身構えて臨也の手を注視していたが、出てきたのは予想とは全く異なる小さな物体だった。

「これ、なんだと思う?」

臨也の指に摘まれていたのは、可愛らしい包装紙に包まれた直径3センチほどの何か。臨也に対して不釣り合いすぎるそれに静雄が首を捻ると、何が面白いのか臨也は両手を叩いて笑った。

「あはは!何なのか全然わからないって顔だねぇ」
「手前、それ……チョコレートか…?」
「ご名答!可愛い包みだよねぇ。貰ったら無条件で嬉しくなっちゃう」

今の会話の流れで分からない方がおかしいだろう、と露骨な誘導に腹は立ったが静雄は何も言い返さなかった。それよりも臨也の最後の物言いが引っかかる。貰ったら無条件で嬉しくなる?まるで誰かに貰ったのだと豪語しているようなものではないか。

「……なぁ、それ誰に貰ったんだよ」
「え…?―――秘密、かなぁ」

静雄の問いに臨也は一瞬戸惑ったようだったが、すぐに普段通りの笑みを浮かべて質問を躱す。のらりくらりと正解を言おうとしない姿勢に静雄は拳を握り締め、壁ごと破壊してやろうかと思いを巡らせた。

「なに?シズちゃん怒ってるの?嫉妬?羨ましいの?」
「ンなわけねぇだろ!!」
「……じゃあ何?」

臨也は看板の上で座り込み、急に高かった声のトーンを落として静雄をじっと見つめた。全てを見透かすような紅玉色の瞳に居心地が悪くなり、静雄はふいと視線を逸らす。笑みを消し去った臨也の表情は、嵐の前の静けさを感じさせる不穏さを僅かに含んでいた。どう答えても間違っているような気がして何も返せずにいると、臨也は呆れたような溜息を吐き出す。

「………ま、いいか」

臨也は包みを手中で何度か弄ぶと、唐突に静雄の目の前に飛び降りてきた。硬いアスファルトを叩く、ダンッという臨也の足音が狭い路地裏に響いた。今まで逃げていた相手に急に距離を詰められ、静雄は思わず後退る。明らかに先ほどまでと臨也の纏う空気が変わっている。

「な、なんだよ」
「ねぇシズちゃん……チョコ、欲しい?」

思わぬ問いかけに静雄が目を見開くと、臨也は赤い瞳をすうっと眇めた。細くしなやかな指先に頬を撫でられ、肌がぞわりと粟立つ。いつの間にか静雄は行き止まりに追い詰められ、一歩後退れば背中に壁が触れる冷たい感触があった。この状況は何なんだ、と静雄は困惑だらけの頭で必死に思考を巡らせる。

「そ、りゃ、欲しいだろ。男だし……」
「へぇ?そうなんだ」
「手前、なに考えて「このチョコとか、欲しい?」

自分が貰ったであろうチョコレートを摘みながら、臨也はにっこりと微笑む。何を言っているのか静雄は更に混乱を極めた。どうして臨也がバレンタインの話題に執着し、自分が貰ったというチョコレートを静雄にあげようなどと言い出すのか、全く以て分からなかった。何かを企んでいるのかとも思ったが、どうもそういう雰囲気ではない。静雄はずっと感じている異質な雰囲気の理由がどうにも不明瞭だ。

「なんで……」
「なんで?シズちゃん、チョコ欲しいんじゃないの?」
「……だってそれは、お前が貰ったんだろ。からかってるのか?」

すっかり怒りの感情が鳴りを潜めた静雄は、自分でも驚くほど穏やかな声で臨也に問い返していた。この距離なら確実に臨也を捕らえられるだろう。詰め寄られたせいで臨也は手を伸ばせば引き寄せられる距離にいる。しかし、それより今はこのモヤモヤした違和感を取り去ってしまいたい。臨也が手にしている包みに指先で触れ、静雄はもう一度同じ問いを繰り返す。それに対して臨也は眉根を下げて苦笑した。あまり見せない仇敵の表情を間近で目にして、静雄の心臓はどくりと奇妙に高鳴る。

「……シズちゃん、勘違いしてるよ」

ていうかさぁ、いい加減に分かんないの?ほんとシズちゃんの鈍さって罪だよね。呟くようにそう口にすると、臨也は静雄の眼前に包みを突き出した。ピントが合わないほどの距離にある包みに静雄が戸惑って首を捻ると、臨也はじれったそうに包みを忙しなく何度も揺らした。

「これは誰かに貰ったんじゃなくて、俺が自分で買ったんだよ。人に渡すためにね」
「―――誰に……」
「そんなの、言わなくちゃ分かんないわけ?」

臨也は静雄のシャツの肘辺りを拗ねたように引っ張る。最悪、ほんと鈍感男なんだから、と繰り返す臨也の耳朶がほんのり朱く染まっていた。そこでようやく合点が言った静雄は、じわじわと頬が熱くなっていくのを感じる。臨也の言い方が回りくどかったのもあるが、散りばめられたヒントの数々に気付けなかったことに静雄は情けない気分になった。逡巡したのちに細い手首をそっと掴むと、臨也は驚きに目を見開いて静雄を見上げる。

「……悪かった」
「やっと分かったの?……鈍感ってレベルじゃないよ」
「そうだな」
「俺の口から言わせようなんて、シズちゃんってほんと無粋だよ」

棘のある物言いにも返す言葉がなく、静雄は臨也を引き寄せてその肩口に額を押し当てた。何の抵抗も見せない臨也に安堵し、背中に手を回す。数拍の沈黙ののちに臨也の手が静雄の背中を縋るように掴んだことに、ようやく臨也の怒りが落ち着いたのだと悟った。不器用ながらも加減しながら臨也を抱き締めると、くぐもった笑い声が聞こえてくる。毒気など微塵も感じさせないその声に表情が見たくなって、静雄は臨也の顔を覗き込んだ。

「ばか、見ないでよ」
「……耳まで真っ赤になってる」
「うるさい!シズちゃん、ほんとそういうとこが無粋」

熟れた林檎のように紅潮した顔のまま、臨也は不本意そうに眉を顰めた。これ以上機嫌を損ねるわけにはいかないと静雄が手の力を緩めると、臨也は数歩後退りをして手に持ったままの包みを再び揺らす。欲しい?と、試すように視線だけだが問われているのが分かる。静雄が大人しく頷くと、臨也は満足そうに微笑んだ。細い指先は器用な手つきで包みを剥がし、中から一粒のトリュフが姿を現す。上部にはアラザンがあしらわれ、艶のあるそのトリュフは見ただけで高級品なのだと分かった。トリュフから漂う、カカオの芳醇な香りが静雄の鼻腔を擽る。

「誰に渡すんだって訊いたよね、シズちゃん」

包装紙越しにトリュフを摘みながら臨也はこてんと首を傾げた。どうにも試されている感覚が否めないまま静雄が頷くと、臨也はトリュフを自らの口に放り込んだ。それに静雄が声を上げるよりも早く、臨也は静雄の襟首を掴んで引き寄せた。ぐらりと重心が前へ傾くと同時に、唇に触れる柔らかい感触。動揺に薄く唇を開いた瞬間、ぬるりと熱い感触が滑り込んでくる。臨也の舌だと認識するよりも早く甘いチョコの味が口腔内に広がり、カカオの香りが鼻から抜けていく。外側はミルクチョコなのだろう、甘ったるいほどの味は静雄が好む甘さだった。臨也に応えるため、静雄は細い腰をぐっと引き寄せて前屈みの姿勢になる。臨也が伸ばしてきた手は静雄の首の後ろへ回され、薄く目を開けると背伸びをしている爪先が目に入った。身長差を気にしている臨也のことだ、可愛いなどと言おうものなら刺されるかもしれない。ぼんやりとそんなことを考えていると、上の空な静雄に気付いたのか臨也が静雄の舌をキツく吸い上げた。静雄は苦笑しながら好き勝手に動き回る臨也の舌を甘噛みする。一瞬びくりと肩を震わせた臨也の頬に触れながら口づけを深くすると、合間に零れる呼吸が荒くなっていく。トリュフは半分に割れ、中からはプラリネのクリームがとろりと溢れてきた。香ばしいナッツの香りと柔らかい味に、思わず静雄の頬が緩んでいく。何度も口づけを繰り返しているうちにチョコはすべて溶けてしまい、臨也の唇の端から伝いそうなチョコも静雄が綺麗に舐め取る。ようやく唇を離した時には臨也の呼吸はすっかり上がってしまい、頬は真っ赤に染まっていた。

「悪い、調子に乗った」

乱れてしまった黒髪を撫でながら静雄が謝ると、臨也は苦笑した。別にいいよと答える声色はひどく甘やかだった。至近距離で見つめ合ったまま微笑むと、どちらからともなく口づけを繰り返す。バレンタインの昼下がり、路地裏には似つかわしくないほど甘い香りが漂っていた。


(キミのハートに、この甘い弾丸を)



end.




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