春風アンブラッセ

※来神時代


突き抜けるような高い空は澄んだ青色だった。優しい日差しが暖かく降り注ぐ、昼休みの屋上。俺はといえば、売店で買った菓子パンといちごオレを抱えたまま呆然と立ち尽くしている。重い扉を開け放ったまま、俺の視線の先には寝転がる一人の男がいたからだ。俺の憎むべき宿敵、折原臨也はフェンスに凭れて夢の中だ。穏やかな寝息を立てて眠るその寝顔には、いつものような憎たらしさは微塵も感じられない。

「だ……」

誰だよこいつ、と思わず口に出しそうになった。俺は慌てて口を押さえ、極力そっと鉄の扉を閉めた。足音を立てないように慎重に歩み寄り、俺はフェンスの前に屈み込んだ。閉じられた睫毛はやけに長く、時折小刻みに震えている。夢でも見ているのだろうか。僅かに開いた薄桃色の唇が少しも荒れていないのは、胸ポケットから覗いているリップのお陰だろう。と、そこまで冷静に観察してしまってから俺はようやく我に返った。

(何してんだ俺!いくら端正でキレーな顔をしてようがこいつは毎日俺を罠にハメて嘲笑っている、あの折原臨也だぞ)

「気でも狂ってんのか、俺は」

俺は低い声で呟いて、額に手を押し当てる。パンといちごオレをコンクリートの地面に置くと、青空を仰ぎ見た。見事に晴れ渡った空には雲一つ浮かんでいない。俺の心とは裏腹なそれに、重い気持ちは募っていくばかりだ。

「綺麗だとか思っちまってる時点で、どうかしてるっつの……」
「へーえ、そうなんだ」
「ッ、……!?」

唐突に聞こえた間延びした声に俺はぐるっと首を回した。振り返った先には、にっこりと意地の悪い笑みを浮かべている臨也が居た。途端にぶわりと頬が熱くなり、同時に冷や汗が背中を伝っていく。

「い、いいい臨也、お前、いつから起きて…っ!」
「え?最初から。ここは俺のテリトリーなんだから、誰かが入ってきた時点で分かるに決まってるじゃん。まったく安眠妨害だよ。いい迷惑だ」
「最初から……?」
「当たり前でしょ。それぐらい普段から警戒怠ってないよ。突然襲撃してくる誰かさんがいるからね。てかシズちゃん、前から思ってたけど独り言でかすぎ」

まともに返答できない俺をよそに、臨也は猫のように背伸びをする。ひとつ大きな欠伸をして、まだ眠そうな表情のまま笑みを浮かべた。獲物を見つけた肉食獣のように、紅玉に似た色の瞳を眇めて。

「シズちゃんって、本当に俺のことだーい好きだよねぇ」
「っ、んなワケねーだろ!?」
「じゃあなんで寝込み襲わなかったの?俺がガチ寝してるって思ったのに、"綺麗"だと思った顔をじっと見つめて何考えてたのかなー?」

臨也は何も言えなくなった俺にぐいっと顔を寄せ、反射的に身を引きかけた俺の首に手を回した。ぐっと体重をかけられて、バランスを崩しかける。

「ねぇシズちゃん。俺の寝顔見て、欲情でもしてたの?」
「はあ!?」

予想だにしない言葉に噎せた俺に対し、臨也は愉快そうに笑うばかりだ。細い指先で俺の頬を突いて、完全に面白がっている。思った以上に強い力でしがみつかれていて、回された手を振り払うことも出来ない。

「あ、図星?男相手にむらっとしたんだー?顔真っ赤だねぇ」
「してねえ!」
「バレバレの嘘はやめなよ。そっかー、シズちゃんってゲイだもんね」

揶揄するような物言いに腹が立ち、俺はそのまま臨也の身体を押し倒した。背中を強かに打ち付けただろうに、臨也は余裕の表情を崩さない。急にどうしたの?なんでもない声色でそう言うと、こてんと首を傾げてみせた。あどけなく見えるその所作に理性がぐらつくのを俺は必死に堪える。このまま陥落すれば奴の思う壺だと分かっていたからだ。

「手前、あんまりからかうなよ」
「シズちゃんが嘘つくからでしょ?何ムキになってんの?」

あっけらかんと言いのけるその姿に反省する気配はゼロに等しかった。俺は重い息を吐き出すと、臨也の顔の横に手をついてぐっと屈み込んだ。息がかかるほどの至近距離になり、そこで初めて臨也の赤い瞳が揺らぐ。

「……じゃあ俺も聞くけどよ」
「なに」
「俺がもし手前に欲情してたとして、何するつもりだったんだよ」

俺の言葉に視線が泳ぐ。らしくない様子を目にして、俺は一つの仮定に行きついた。ニヤリと笑った俺を見上げていた臨也の頬が僅かに引き攣る。細い腕を掴み、今にも唇同士が触れ合ってしまいそうな距離のまま、俺は言葉を重ねた。

「キスでもしてくれたのか?」
「はあ!?」
「……手前らしくもない分かりやすい反応だなぁ」

嘯いた俺の言葉に臨也が目を丸くする。その隙にぐっと距離を埋めると、俺は半ば噛み付くように臨也に口づけた。目を見開いたまま、肩をびくりと震わせた臨也を囲い込むように体重をかける。薄く開いた唇から舌先を捻じ込むと、ざらりと舌同士が触れ合う感触に臨也が驚いた声を上げた。それを無視して、俺は口づけを深くする。ようやく唇を離した頃にはお互い息が上がってしまっていた。

「―――へぇ、やけに大人しいな」
「マウント取られた体勢で下手に動けるわけないだろ。馬鹿なの?」
「あ?」
「それに、シズちゃんの胸の中で死ぬなんて最悪だし」
「はいはい、そうかよ」

唇を尖らせてぶつぶつと呟く臨也を引き起こすと、気まずそうに見上げられる。俺もばつが悪くなって臨也の腕を離すと、放置していたパンといちごオレを手に取った。陽の光とコンクリートの熱のお陰でいい具合に温まっていたが、いちごオレは適温とは言い難い生温さだ。臨也は短ランを脱いで汚れを払うと、俺から距離を取って再びフェンスに凭れる。そのまま目を閉じようとしたので、俺は思わず声をかけてしまう。

「おい手前、昼飯食ったのかよ」
「……食欲ないからいいの」
「よくねーよ。そんなんだから細っこいままなんじゃねーの」
「うるさいなぁ」

構わないでよと一蹴されそうになり、俺は手に持っていた焼きそばパンを臨也に差し出す。臨也はぱちぱちと瞬きを繰り返し、首を傾げて苦笑した。

「何?」
「なに、って……これ、やるから食えよ」

呆れたように曖昧な笑みを浮かべ、臨也はあーとかうーとか唸った挙句に焼きそばパンを受け取った。オレがいちごオレをストローで啜っていると、眉根を下げてほんとシズちゃんって意味不明だよねと呟く。それを聞き逃さなかった俺は、コロッケパンを咀嚼したままじっと視線を送る。

「俺が栄養失調で弱りでもすれば好都合なんじゃないの。放っておきゃいいのに、ほんとお節介」
「……なんだそれ、メンヘラみたいなこと言いやがって。大体、俺は弱ってる手前を襲ったりしねーよ。フェアじゃねえだろ」
「じゃあ何?さっき寝込みを襲わなかったのもそういう理由なわけ?」
「……まぁ、そうだな」

俺の返事に臨也はますます不機嫌さを増した。焼きそばパンを両手で持ったまま、俺に背を向けて黙々と咀嚼しはじめる。細い背中がもう話しかけるなと言外に伝えていて、俺はコロッケパンの最後の一口を食べながら肩を竦めた。

("俺がいつも不意打ちしてるのにやり返そうと思わないの?"とか言ってくるかと思ったけど、何も言わなかったな)

そう言われたところで返答に困るので、言われなかったのは幸いでもある。拒絶の感情しか感じられない背中を眺めながら、俺は臨也の鈍さに呆れた。サンドイッチのビニール包装を剥がしながら、俺はさっきのキスを思い出す。喧嘩の延長線上で最初にキスを仕掛けたのがどっちだったのか、今はもう思い出せない。しかし、それが原因で俺は本気で臨也に暴力を振るえなくなった。以前までなら臨也の卑怯な手にそれなりの仕返しをしていたが、今では寝込みを襲えないどころか世話さえ焼いてしまう。今までもそうだったのだろうが、臨也の自分を顧みない、云わば自虐的な行動や言動がやたら目につくようになってしまったからだ。そのきっかけは、間違いなくキスをするようになったからで。

(俺は手前のせいでこんなにおかしくなってんのに、気付かねーのかよ)

モヤモヤした思いを抱きながら、俺はサンドイッチにかぶりつく。生温くなったいちごオレを喉に流し込むと、尚更モヤモヤは増幅されていくような気がする。俺が2個目のサンドイッチを食べ始めると、臨也は焼きそばパンを食べ終わったらしかった。日陰に移動して、相変わらず俺に背を向けたまま硬い壁に凭れ掛かる。どうやら再び寝ようとしているらしい。

「臨也」
「…………」

露骨に無視され、俺は舌打ちしたい気持ちを必死に堪える。サンドイッチを咀嚼すると、いちごオレで流し込んで立ち上がった。まだ半分ほど残ったいちごオレは片手に持ったまま。

「臨也、無視すんな」
「……うっさいなぁ、俺は今から昼寝するの。見て分かんない?」
「これ、半分残ってるから飲めよ」

俺が差し出したいちごオレのパックを横目で見ると、臨也はふっと鼻で笑う。いらないよと呟いて目を閉じようとした臨也に、俺はなおも言い募る。

「いつもよりデカいサイズしか残ってなかったんだよ。このままだと捨てるしかねーし、勿体ないだろ」
「知らないよ。キミがいちごオレに拘るからそんな馬鹿みたいなサイズになっただけでしょ。俺は甘いものそんなに好きじゃないし」
「……お前、焼きそばソースの匂いしたまま5限出るのかよ」
「お生憎さま。俺は口臭対策のタブレットを持ってるからね。教室に戻れば鞄の中に水あるし」

ああ言えばこう言う。俺はがしがしと頭を掻いてその場に座り込んだ。いちごオレのパックは地面に置き、臨也の背中をじっと見つめる。俺の視線を感じたのか、居心地悪そうに臨也は首だけで振り返る。

「何だよ」
「喉乾いてねーの」
「……分かったよ、飲めばいいんだろ」

臨也はいちごオレのパックを掴むと、俺が使っていたストローを引っこ抜いて開け口を大きく開けると直接飲み始めた。散々キスをしておいてストローの間接キスを嫌がる理由が分からない。細く白い喉が何度も上下するのをぼーっと眺める。甘いものがあまり好きじゃないというのは嘘だと知っていた。新羅や門田にお菓子やアイスを強請るのを俺は何度も目にしている。甘いもの好きの俺が分けたり奢ろうとする時だけ、決まってそう言って臨也は断ろうとする。臨也は半分ほど飲んだのか、口を離して軽く息を吐いた。いちごオレの甘い香りが漂っていた。

「……あっま……」
「でも美味いだろ、いちごオレ」
「毎日こんなの飲んでたら糖尿病になるよ。あーあ、余計に喉乾いた気がする」

俺が購買で多めに貰ったウェットティッシュを差し出すと、臨也はべたつく口元を拭った。それからいちごオレのパックを突き返すと、再びコンクリートの壁に凭れて目を閉じる。春の少し冷たい風が頬に当たって心地いい。俺はふわふわと揺れる黒髪に手を伸ばし、戯れに弄ぶ。気付いているだろうが臨也は瞳を閉じたまま、何も言うことはなかった。俺はしばらくその寝顔を見つめていたが、座ったまま距離を詰めると硬い壁に手をついた。至近距離で覗き込んでいて臨也が気付かないわけがない。長い睫毛が微かに震えたことに忍び笑うと、俺は滑らかな頬に触れた。

「臨也」

輪郭を辿るように触れ、ぐっと身体を寄せる。寸前でばちりと視線がかち合うが、臨也が何か言うよりも口づける方が早かった。細い顎を持ち上げ、半ば壁に押し付けるように何度もキスを繰り返す。俺の胸を押し返そうと臨也の手には一瞬力が籠るが、結局抵抗することはなかった。それを了承を受け取った俺は、薄く開いた唇から舌を侵入させる。逃げようとした舌を絡め取り、吸い付くと臨也の肩から力が抜けていく。抵抗しかけた臨也の手は今や俺の上着に縋りついていて、その無意識の行動に頬が緩んだ。いちごオレの甘い香りと味を感じながら口腔内を蹂躙する。口づけの合間に漏れる吐息は熱く、濡れていた。唇を離すと、目元まで朱に染めた臨也に睨み付けられて苦笑する。残念だが、迫力もないし上目遣いではただ可愛いだけだ。

「素直じゃねーな、本当に」
「うるさい」
「本当は手前からしてほしかったんだけどな」
「は?」
「俺が手前に欲情してたって認めたら、してくれたんだろ?キス」

一度だってキスを拒んだり否定しないのがその証拠だろう。俺はニヤリと笑いながら前髪を掻き上げ、露わになった額に口づける。ちゅ、と場違いなほど可愛らしいリップ音に臨也は頬を真っ赤に染め上げた。囁くようにもう一度名前を呼べば、臨也は観念したように俯いた。白い首筋まで真っ赤に染まっている。

「早く、続き……すれば…?」
「……おう」

抱き寄せた身体は暖かく、春風は俺達を包むように柔らかく吹いていた。


(抱かれながら、口付けを)



end.




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