稚拙な愛を



「臨也」
「…………」
「おい、臨也」
「…………」
「っ、返事ぐらいしやがれ!」
「……なに、うるさいんだけど」
「テメェなぁ…っ!いきなり俺ん家に押し掛けてきといて、その言い草はねぇだろうが!」
「シズちゃんうっさい。声でかい」
「だからなぁ…!」
「―――……うるさい、ってば……」

臨也の声はひどく弱々しく、今にも掻き消えてしまいそうだった。その声を聞いて静雄は深い息を吐き出すほかなかった。


×


金曜日の夕方、家に帰って一息ついていた静雄の部屋に臨也は窓から突然侵入してきた。ガチャリという窓の鍵が開錠される音に静雄が振り向くや否や、猫のようにするりと滑り込んできた臨也は腰にタックルをかます勢いでしがみついたきり、離れなくなってしまった。静雄が何があったのかと聞いても、「知らない」「うるさい」「黙れ」の一点張りで話になりやしない。いつもは喧しいほどに饒舌な臨也の口も全く機能をしていなかった。―――静雄には大体の原因は分かっていたが。

「臨也、顔ぐらい上げろ」
「…………」
「おら、早くしねぇと頭もいじまうぞ」
「……頭もがれるのは嫌……」

低い呟きのような返事とともに臨也はようやく顔を上げた。静雄が顔を覗き込むと、夕日が射し込む部屋の中でも分かる程に沈んだ表情をしている。目元はうっすらと赤く腫れ、ルビーのように赤い瞳には薄い涙の膜が張っていた。

「あんまり見ないでよ」
「なんで」
「……ひどい顔、してるでしょ」
「あぁそうだな。不細工な顔してるぞ」

率直に頷きながら返すと、臨也は途端に表情を歪ませた。胸をどんどんと何度も叩かれ、静雄は顔を顰める。痛くも痒くもないのが事実だったが、機嫌の悪い臨也は面倒だというのが正直なところだった。まだナイフを持ち出してないだけマシだと思ってしまうのは重症だろうか。

「……ねぇ、シズちゃん」

臨也は不意に手を止めて静雄の名を呼ぶ。静雄がついと視線を戻すと、今にも泣き出しそうに目を伏せている。心臓がどくりと不自然なほどに跳ね、静雄は思わず臨也へ手を伸ばす。細い肩を掴むと、その薄さや低い体温を感じて心臓の鼓動が早まっていく。

「な、なんだよ」
「……あのね……俺、」

焦燥感からなのか、声を詰まらせながら必死に何かを言おうとする臨也が痛々しい。静雄はそっと細い背中に手を回し、何度か宥めるように撫でてやった。身を屈め、ゆっくりでいいと耳元で囁くと臨也は小さく頷いた。臨也は肩を震わせながら深く息を吐き出すと、再び口を開いた。

「……し、んらと…」
「新羅?」
「うん。……新羅と、喧嘩になって」
「―――どうして」
「……あいつが、酷いこと言うから」

何を、とは聞けなかった。新羅と臨也は中学時代からの付き合いだった。静雄は小学校は新羅と同じだったが、その頃はちょっと変な奴だという認識しかなかった。来神高校で再会した新羅は、3年間で何があったのか、随分と変態性が増して近寄りがたくなっていた。隣に臨也がいたせいもあったのかもしれないが。そして、その3年間を新羅とともに過ごしていたのは言うまでもなく臨也だ。聞けば同じ生物部に所属していたらしいが、まともに来る部員は2人を除いてほとんどいなかったという。おそらく相当に濃い3年間を過ごしたのだろう、高校で再会した時の2人の間には独特な雰囲気が漂っていたのを静雄はよく覚えている。それほどに学生時代は親しかった2人だったが、成人してからはどこか険悪さに似た空気が流れていた。おそらくセルティが新羅との仲を深めていくにつれて、だろう。

「あー……そうか…」

さらさらの黒髪を乱さないようにぎこちなく撫でながら、静雄はどう対応したものかと苦心した。臨也にとって新羅の存在は特別だ。静雄との関係も一言で言い表せるようなものではないが、新羅は別格なのだろうとなんとなく察しはつく。友人とも親友とも似つかない―――おそらく新羅は友人だと言い切るだろうが、臨也は気安く口にできないのだと静雄は思っていた。

「……本当に馬鹿だよ、新羅は。首無し女に惚れ込んで、あんなッ…」
「…………臨也、」

友人のセルティを悪し様に言われるのは嫌だったが、臨也の複雑な気持ちも分かるので何も言えない。事情を深く理解していない静雄が下手なことを言えば、火に油を注ぐ結果になるのは目に見えていた。静雄は重い息を吐き出すと、臨也の身体をぐっと引き寄せた。こんな時に臨也が静雄の元に来るのは慰めの言葉を求めてではない。

「ほんと、嫌だよ。あいつも首無しも、嫌いだ…」
「……あぁ」

静雄の肩口に額を摺り寄せ、臨也はくぐもった声で呟いた。それきり黙り込んだ臨也の背中を撫でながら、静雄は部屋を満たす静寂に耳を澄ませた。いつもは騒々しいほど騒ぐ臨也がこんなにも落ち込むのは滅多にないことだ。臨也自身はひどく傷心しているのだと分かってはいたが、こんな時に縋る相手は静雄しかいない。それを理解している静雄は、今ばかりは優越感に似た感情を新羅に抱いてしまう。新羅も意図的に臨也を苦しめているわけではないだろうが、良くも悪くもセルティのことしか目にない男だ。臨也もそれを頭で理解してはいるのだろうが、心はまだ中学時代の生物室に取り残されたままなのかもしれない。その頃の2人の間に何があったのかを知る由もないことが、唯一静雄にとって歯痒いことではあったが。

「……ごめんね、シズちゃん」

数分間の空白の後に臨也が掠れ気味の声を漏らした。静雄が腕の力を緩めると、臨也は手の甲で目元を拭って顔を上げる。

「別に…気にしてねぇよ。だから、あんま落ち込むな」

乱暴に拭ったせいで赤くなっている臨也の薄い皮膚を静雄はそっと撫でる。ゆっくりと顔を近づけても臨也は逃げる気配がない。柔らかな唇に触れるだけの口づけを何度か繰り返し、薄く開いた唇を抉じ開けるように舌を侵入させた。火傷しそうに熱い臨也の咥内を蹂躙すると、呼吸の合間にあえやかな声が漏らされる。その声に煽られるように口づけを深くすれば、静雄の胸の辺りを掴んでいた臨也の手がずるりと滑り落ちた。

「ッ、悪い」

はっと意識が引き戻され、静雄は唇を離す。上手く呼吸ができなかったのか、臨也は肩を大きく揺らしていた。滑らかな黒髪をそっと梳きながら名前を呼ぶと、臨也は苦笑を浮かべていた。

「はは、死ぬかと思った」

冗談とも似つかない発言に静雄が固まると、臨也はぼすりと静雄の胸に額を埋めた。背中にぎゅっと手を回され、臨也の体温が再び密着する。手触りのいい髪を撫で続けていると、顔を伏せたまま臨也は呟きを漏らした。至極小さな声ではあったが、静雄にはきちんと聞こえるように。

「シズちゃん、俺のこと好き?」
「……あぁ」
「どんなところが好き?」
「……クソうぜぇけど死ぬほど顔が良くて妙に可愛いところ」
「うわ、少しは遠慮して言ってよ」
「素直に言った方がいいだろ、こういうのは」
「そうだね。……俺はシズちゃんのそういうところが好きだよ」

お互いの気持ちを確認するように反芻するその光景は、滑稽だろうか。2人はあまりにも不器用で手探りにしか愛を深められない。不器用なりに拙い愛を反芻して、その確かな存在を確かめる。

おそらくそれが、2人にとっての最善だった。
だからこそ


(繰り返す、反芻する)



end.




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