母性の欠如
2016/05/27 21:02

リアルタイムでは散々つぶやいておりましたが、こっちではちゃんと語ったことのない鉄●のオルフェンズ。
昨日、別の方の考察を見て、ちょっと語りたくなってしまいました。

ガン●ムとしてどうかとかは興味ないけど、久しぶりに(恐怖で)震えながら見るくらいのめりこんだアニメでした。


その別の方のアトラへの見方(どこまでも間違わない、聖母のようなところ)がなんとなく似てるなーと思いました。
ビスケットの件も言われてみれば、確かにアトラも関係なくはないのか…と。
アトラがビスケットにごり押ししなければ…的なね。そういう見方もできなくはない。

アトラは血のつながった家族がいない身ですが、それが故なのか、家族の闇をわかっていない気もする。
クーデリアの父親の時も、明らかに「娘を売った」という事実があり、クーデリアも自分のこれまでの親子関係からほぼ確信を持ってるのに、あの言葉はクーデリアにとって本当に救いになったのでしょうか。
「娘を心配しない父親はいない」というアトラの信じるこれで理想的なこれは、現実にクーデリアにはあてはまらないし、クーデリアにとって本来そうあるべき父親、親子像とは自分は違うのだと、周り回った否定をされたのではないか…とうがった見方です。
アトラは父親がクーデリアを売った事実を知らないから、通常そう言うよね…、単なる優しさとも思わんではないのですが。

ビスケットといい、クーデリアといい、血のつながった家族がいる人をアトラは微妙な関係にしている、ビスケットにいたってはもう取り返しのつかないとこにいってしまった。
ビスケットの時はアトラのごり押しに悪い予感はしたけど、その件がアトラのせいでもあるとは思わんかったな…
しかも、アトラは人をかばって殴られてって、健気にうつってしまったから、余計に始末が悪いっちゃ悪い。
アトラ自身は本当に良心で行動したと思うし、そんな展開望んでもいなかったと思うので、アトラが悪いとは思わんけど。

だったら、クーデリアとの違いって何?と思うのです。
クーデリアだって限りなく良心で行動を起こして、利用されて巻き込まれているけど、(三日月とかや視聴者から)叩かれる。
絶対的な違いって、彼女の行動が与える影響、か?
「戦場の違い」なんかな。

アトラって行動しても、特に影響がない。影響がないといっても、"表舞台"にはってことですが。
鉄華団関係とタービンズ以外でアトラのこと知ってる人いないよね?関わるシーンがないよな。
いわゆる裏方だから、何したところで非難は受けないか…


アトラはみんな(主にクーデリア、三日月)と違って、人の生死に立ち会っていない(ビスケットの時も遺体は見てない?)ので、ここの緊張感、闇部分を持っていない気がする。
だからこそ、三日月(手で殺す)やクーデリア(選択行動で殺す)とは異質に思ってしまう。越えられない壁のような。
アトラは間違いを責められるほどの選択をしていない、しないでいい、そういう立場だから非難されない。なんだがそれって理不尽といえば理不尽…だがそういうキャラなので別にいい。

それに、だからこそ、彼らが救われるところってあると思います。絶対的に安定の場所として。穢れのないきれいなもの。
むしろ、アトラはそのためにいるキャラなんだと思っていました。戦場という異常の中にいるみんなにとっての"普通"(飲食などの生活)を守るキャラクターなんだと。
対等という言葉が似合うのは、三日月とクーデリアだと思います。


アトラが肉を「かわいそう」というのに、魚はさばいちゃうというのもなんか不思議。
まあ、肉は食べたことないというのもあるだろが。
かわいそう…って植物だって命ですけどと思ってしまう。
肉をかわいそうって言った時、三日月をどう思っているんだとすごく気になった。自分を助けてくれた優しい三日月に恋しているのか?現実の三日月をどう思っているんだ?と。



アトラは結局いろんなものに守られている(過去も結局は助けられた)から、汚れないでいられると思う。
三日月は守ってもらえず、守るために、汚れることを選んで、そうするしかなくなってしまった。
クーデリアは汚れない場所から、自らの意思ででてきて、汚されて、汚れながらもきれいさを失わないでいる。

汚されないからきれいなままでいられるアトラ、
きれいなままではいられなくなった三日月、
汚されてもなおきれいでいようとするクーデリア、
汚されないキャラがきれいなのは当たり前なので、私はやっぱりクーデリアに好感を持ちます。


「守られているから汚れないアトラ」が好きな「守るために汚れなきゃいけなくなった三日月」の殺しに不穏な顔をするって皮肉なもんだな。
よくよく考えると、アトラを助けた時のお金も給料だったのか、奪ったのか、給料なのか?
いずれにせよ、彼が体をはったものなんですよね。
アトラって全力で自分の命を守る選択に迫られないキャラだな。その寸前で助けてもらってるから。あのときに三日月に助けられないで、死ぬか奪うかの選択に迫られた上での今のアトラならもう少し見方が変わってたなぁ。
寝てる人から奪うとか、殺そうとしてやめるとか、そういうシーンがあったら、なんか違う見方ができたんだよね。
努めてきれいでいようとするわけでもないし。


クーデリアは奪われるか奪うか(その後ろ楯で)の場面で守られつつも、最初は荷物に近かったけど、中盤は守り、最後は奪われるしかない場面で立ちはだかった、クーデリアにしかできない形で立ちはだかっていく。
地球降下後は鉄華団はもう彼女の護衛ではないので、守ってもらう義理は少なくともない。
命の賭け方というのか、その辺の違いもあるように思います。

自分の命を"尊い"(必死で、奪ってでも生きようとする、簡単に死んでいいと思ってない)と思ってない、自己犠牲はなんか好きじゃない。
最初のクーデリアとかそれなんだよな。単純に命を差し出そうとする。殴られた時のアトラもそれに近いと思う。命を奪われる緊張感がない。
クーデリアは終盤全部背負って生きてたどりつかなきゃいけなくなってしまった、死ぬ、身を差し出すことが許されない身になってしまった。
そう思うと、「相棒」が自分を庇って死んだクーデリアとオルガ、一方は背負って立ち上がり、一方は背負えず崩れた。三日月はその辺にも影響されたのかもしれないな…ああいう立ち直らせ方も仕方ないのかも…だとしても嫌だ…(笑)


結局、アトラって軽い、重みがない。
選択も覚悟も行動も。
そりゃきれいで当たり前でしょって私は思ってしまう。

ただアトラがいないと鉄華団はたぶん回らない。ご飯とか。
アトラがくる前もご飯のシーンあったから、つくれるのはつくれるだろうけど。
「死」に対して、拒むという視聴者の感覚に一番近いのはアトラなんだよなぁ。唯一の安定キャラだと思ってます。彼女がいなくなったら、ついていけないわ。

よくよく考えると、三日月、アトラ連れていくとき「アトラの飯はうまいからね」って、飯のことしか言ってない…
三日月がアトラに関わるのってビスケットの件以外は飯が絡んでる気が…
魚の時は拒否だし。
なんでしょうね、なんなんでしょう。
私には微笑ましく見えない…

あとアトラが地球に行くって知った時「言ってなかったっけ?」とか「そのままでいいんじゃない?」とか。
少女漫画的な受け取りかたすれば「どこに行こうとアトラは俺が守るから大丈夫」「そのままでかわいいよ」だけど、私は、三日月、もっとアトラに興味持とうぜ…ってなった。
会話、しないの?
アトラのブーツの匂い嗅いだときも、アトラがどんなブーツはいてたか覚えてない、見た目に興味ないともとれる。(ブレスレット嗅いでたし、匂いで判別してたのもあるとは思うが。女性陣が気になるという男衆の一人ビスケットの匂いを判別できるわけじゃないのに、同じ男だから?、アトラの匂いはわかるのか…アトラだからか、女だからか、ご飯の匂い…?)


飯といえば、アトラって鉄華団の家事全般をやるわけですが、母性はない、ようだ…(フミタンが子どもを抱き締めるシーンから)
精神的な母親、母性ではないということなんだろうか。
家事やってれば母親、というわけではなさそうです。当たり前だけど、家事できて、お節介ならだいたいおかんキャラやと思うけど、「抱き締めて許す、慰める」面において、アトラは違うんですね。
子どもには胸の大きさを示唆されてるけど。

忍たまみたいな給食のおばちゃんキャラがいたら、鉄華団ってまた違う決断をしてたんだろうな。
そう思うと、この作品って「お母さん」不在なんだなぁ。暴走のストッパーってお父さんじゃなくて、お母さんなんだよね、たぶん。
鉄血のキャラってお母さんいないよな。
鉄華団も、ギャラホも、ドルトのナバホさんの家族とかお母さんいた?
タービンズも「出生の母」ではあるけど、育てるシーンはあの数シーンしかない。
生まれてるんだから、生みの母はいるんだろうが、育ての母は不在。
イズナリオやらガエリオの父やら父親はいるけど。
母親の姿はびっくりするほどないな。
出てきたのは、クーデリアの母親ぐらいだろうけど、金持ちだし、子育てという子育てはしてないだろう。立場的に母親になってるだけで。

この世界観的に、子育てなんてないのだろうか。
産んだら産みっぱなし→孤児が増える、みたいな。

この世界観で理想的なお母さん出てきたら、雰囲気がまた変わるな。殺伐さが無くなる。
決意して、物事を進めていく"父親"的な人はいるけれど、慰め許す"母親"的な人はいない。
「赦し」「救い?」のない世界なのかもしれません。

包容力とか愛とか、見当たらないな。
だから、見てて不安になるんだな…。



私は世にいう妹っぽいキャラがカップリングになるのがどうも苦手なようで。
ランカ(マ●ロスF)もそうだったけど。
少女漫画の主人公っぽい、アトラもランカも。
追いかける、こっちを見て、感というのか。
恋愛したら、男女関係になるわけで、私の中でそれが許される年齢(見た目含め)があるようです。いずれ年をくっていくんだけど、どうも妹キャラは受け入れられない。

何でかはわかりません。
自分が兄がいるからかな。

でも、年齢がまだ足りてないけど、年上が好きな関係は受け入れられる。(ブラッ●ジャックとか)
離れすぎてるからか?

単にキャラか?
私が少女漫画苦手だからか?
少なくとも、三日月に少女漫画の男の子要素はないと思ってる。


それについてすごく考えたことがあって、男側(主人公側)の視点で見た時、
妹キャラ、幼なじみキャラって主人公に一途で従順だと思う。そこがいいとこなんだけど、裏を返せば、そういうのが好きな人って受けとりたい、愛してほしい、言うこと聞いて欲しいって気持ちが強そう。よほど純粋じゃない限り。
恋であって、愛じゃない気がするというか…
綺麗な所が好きであって(恋)、ダメなところが見えたり、好きな所が違ったら(例えば反論されたり)、それで破綻してしまいそうな…

逆にダメなところから入ると、ダメなところも理解した上でいいところも見て、その人という人をまとめて好きになるような。
だから、自分の悪い部分、汚い部分を見せれる、相手に依存してないからこそできること(見せたら嫌われるかも、好きなんだから理解できるでしょとならない)、お互いに自立した、一個の個体としての「好き」が対等で「愛」なんじゃないかなって思ってしまう。(嫌われたくないから我慢するって場合によってはかわいいよね←)
すべてを理解できるわけじゃないから、反論するし、喧嘩もするけど、がっかりしないし、自分の思い通りに動いてくれとも思わない、ただ互いにお互いを尊重して、いろんなことを乗り越えていけるのがよいパートナーなのかなと思います。

いろんな愛があるから、一概には言えないけど、私はそういう関係性のカップリングが好きって話。
ヒロインは強めが好きなことも関係あるかもな。
うまく言えないんだけど、依存しない、歪んでない、カップリングが好きです!←



★追記
私が三日月とアトラのカップリングを想像できないのは三日月のせいでもある。
私は三日月ってたぶんあれが素だと思ってて、仲間を大切に思う心はあっても、必要であれば、敵であれば容赦なく潰せる残酷さ、狂気は限りなく彼の本質なんだと思うのです。そういうのを本質だと言ってしまうと三日月が酷い人間に見えるけど、彼の残酷さは敵に限られるので別に普通なのかも。よくよく考えると、味方に優しくて、敵に酷って普通だな。ただ躊躇とか葛藤があまり見えないから、酷く見えてしまうのかもしれませんね。
そういう彼が丸くなってしまうとこが想像できないのです。もともと敵さえいなければただの思いやりのある無口な少年なんだと思うので、本質が変わるわけではない。
その本質はアトラの優しさで飼えて(?)しまうような代物に見えないのです。
しかも、アトラはその彼の狂気を良しとは思っていない。
端的に幸せそうに見えないんだよな…
あといつぞやのアミダさんの会話。「いい奥さんになれるよ、旦那選びさえ間違わなければ」…どういうことだろう…。しかも、アトラはいい奥さんに喜んで、後半聞いてない。
盃の後、いっさいフラグたってないだろ状態のクーデリアと三日月がお似合いと言い出したのもアトラだったな…なんでなの…

だが、正直、クーデリアと幸せになる三日月も想像できない。互いにその器だろうか…←

でも、15話のアトラの頬に手をあてる三日月ならいけそう。あのときは本当に心配してたもんね。
うーん、やっぱり、そう考えるとアトラとくっつくほうがいいのかもしれん。
だけど、下記のことを考えると、女性としてというより、妹、家族への思いやりにも見える。

いかんせん、三日月がよくわからんから、推測ばかりです。

…やっぱり三日月とアトラでいいかもしれん。
これでアトラが自ら好きじゃなくなるエンドじゃない限り、クーデリアがかなり批難されてしまう。
自己犠牲に恋愛の「2人が幸せになればいいや」って身をひく自己犠牲までくわわったら、そりゃみんなの同情集める。そういういい子キャラはなんだか私の中では違う…(※アトラが嫌いなんじゃなく、クーデリアとかがたたかれすぎるのが嫌。他キャラは自身の意志が行動に出ているから賛否がわかれてしょうがないけど、アトラは好き嫌いされるようなことをしていないだけなんだと思う)

身をひいたら美しいってなるかもしれんけど、恋愛においては違う。絶対に違う。二次元でも現実でもそう思う。
不倫でもないのだから、今回でいうとクーデリアとアトラには平等に権利と可能性がある。なのに、それで身をひいて涙を流すのは卑怯。
告白するというリスクをおかせなかった、勇気がなかった、断られるのが怖かった、それを誤魔化しちゃダメだ。
その点、マク●スFは良かったと思う。正々堂々戦った結果だから。フ●バの神楽とかも。
思いを伝えるかどうかは本人の勝手だけど。
少なくとも他人が同情するようなことじゃない。

やっぱり三角関係、苦手!!

またただのアトラ批判みたいに見えるが、見えてしまったら仕方ないか…
アトラ自身は悪くないと思ってるけど…簡単に善悪をとえる世界じゃないのに、簡単に登場人物を批判してほしくないというか。
私はアトラってこういう見方もできるんじゃないか、と思ってるだけで。アトラは善悪を問われる世界に踏み込んでないだけで、ただそれだけで善扱い(少なくとも悪ではないが)は違うんじゃないかと思うってだけの話。
好き嫌いと善悪、正しいか否かをごっちゃにするのが嫌なのかも。





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