君へ
笑って いて、
僕の 愛 する人 よ
君へ 行燈だけが照らす部屋の中に、布擦れの音と荒い呼吸が響く。
「…っ、は、ぁ」
喘ぐように呼吸を繰り返して薄く開いた口唇から、湿った吐息が零れた。
初めて出逢った時とは比べ物にならぬほど頼りなく、薄くなった胸を激しく上下させて呼吸さえままならない様子で、縋るように伸ばされた両腕を取った。
そのまま背に腕を回させて、抱き締める。
「……ん、っ」
触れ合う肌のまま、また深く飲み込ませると、零れ落ちそうになる声を堪えるように暫く開いたままだった口唇がきつく噛み締められた。
組み敷いた身体の頬を見ると、酷く白い。
額に浮く汗も、冷たいものなのだろう。
急過ぎたかなどと、今さら思っても仕方ないことを思っていたら、背中に爪を立てられた。
「…っ…、」
爪の線が走るなど、そんな生温いものではない。
肉を抉るほどの強さだ。
思わず顔を歪めると、抱き込んでいた総司が薄く笑った。
「一、くん…今さら、止めようなんて、…思ってない、よね…?」
荒い呼吸の下、途切れ途切れに。
辛うじて保っている理性を切れさせるような言葉を、悪戯っ子のような笑みを浮かべて総司が言う。
「ねぇ、…一くん」
熱く濡れた吐息混じりに、名を呼ばれて。
引き寄せられるように顔を寄せると、口唇を掠め取られる。
「最中にさ、そんな難しい顔、しないでよね」
普段の言動からは想像も出来ない、穏やかな、優しい手付きで、総司の指先が頬を撫でた。
「僕は、へいき、だから…」
言って、促すように緩やかに下から腰を揺らされて眉を顰める。
促されるまま、腰を抱き直して緩やかに揺らすと、薄らと開いた口唇から声にならない吐息が漏れた。
総司の吐き出した其れが、目の前で溶ける様を思うと背筋がざわめいた。
「…痛い、のは…僕の方、なのに」
さらりと流れた髪の毛を総司の指先が掻き上げて、口付けを強請るように頬を合わせて来る。
鼻先を合わせて一度見つめあってから、軽く口唇を合わせた。
いつもは、病がうつることを気にして最中に口付けを強請ったりなどしないのに、と思いながら。
口唇を合わせたまま瞳を開けば、目の前に翡翠が飛び込んで来た。
「何で君が、泣きそうな顔してる訳?」
言われて。
やっと、総司がした行為の意味を理解する。
普段は素直になどならぬ総司の、彼なりの気遣いだったのだと。
嗚呼。
全て、お見通しと言うことか。
不意に愛しさが込み上げて、口付けを深いものにしようとすると顔を背けられた。
その頤を掴んで無理矢理に此方へ向けさせて、深く吐息を絡めた。
合わせる前の、戸惑ったような表情を脳裏に思いながら瞳を閉じる。
そんな顔をさせたい訳ではないのに。
--------何故、うまくゆかないのだろう。
こんなにも、いとおしいと思うのに。
「笑ってよ、」
珍しく、君の方から抱き締めてくれたから。
久方ぶりに、身体を開いたのに。
荒々しいくらいに貫いた後に、渋い顔をした、君。
そんな顔を、見たいんじゃないのに。
正直、僕も飢えていた。人の肌の温かさに。
だから、どんな風にされたって良かったのに。
優しい君は、僕の病を知ってから最中に辛そうな顔をするようになった。
それが、何だか悔しくて。悲しくて。
愛を囁いて、なんて、そんな女みたいなことは言わない。
だけど。
「…お願いだから」
痩せ細っていく、僕の身体は醜い?
もしかしたら、君はそう思っているのかもしれないけど。
でも強請ったら君は、思い通り与えてくれるから。
甘えてしまうんだ。
甘えて欲しいんだ。溺れて欲しいんだ。
せめて、肌を重ねている時だけは。
何も考えないで、ただ熱を追って。
その身体に、この身体の熱さを焼き付けておいて欲しいんだ。
なのに君は苦しそうな、辛そうな顔をする。
酷く優しい腕で抱き締める癖に。
ねぇ、そんな顔を、そんなことをされると。
「勘違い、しちゃうよ」
僕が思っているより、君は本当は僕を大切にしてくれてるんじゃないかって。
僕が思っていたより、君は本当は僕を大事に思ってくれてるんじゃないかって。
ねぇ、もしかして。
「……君は、僕が居なきゃ駄目なんじゃないかって」
言えば、君は行為を止めて僕の髪の毛を優しく掻き上げて、掌でそっと僕の頬を包むんだ。
それから指先で僕の頬の感触を確かめるように何度も撫でて、そして。
----------抱き締める。
「…していい」
低く。耳元に吹き込まれる声。
ぞくり、それだけで僕の身体は熱を帯びる。
「勘違い、していい」
耳朶に口唇を寄せられて。
吐息混じりの声がしたかと思うと、甘くそこを噛まれた。
「っはじめ、くん…」
「お前を、喪いたくない」
こんな時に。
心臓が止まるようなことを、そんな瞳をして言うなんて狡い。
……狡いよ。
「…はは、……困った、な」
見つめられて、蒼い瞳に吸い込まれてしまいそう。
綺麗な蒼に見惚れていたら、腰を揺らされて身体が仰け反った。
「うかうか、…っ死ねない、じゃない…ッ」
「死ぬなと言っている」
緩やかに再開された行為に、先ほど爪を立てた背中に知らず腕を回して。
激しくはないけれど、でも確かにこの身体を昂らせていく腰の動きに身を任せた。
「…あ、…っぁ、ん、」
慣らされた身体は、痛みを容易に快楽に変えていく。
零れ落ちる吐息を噛み締めず吐き出したら、一くんはやっと少しだけ笑った。
「僕…は、…一くん、の…笑った顔が好き、だよっ…」
途切れながらも、やっと言葉を吐き出したら、吐息が触れ合うんじゃないかってくらいに近い場所にあった一くんの口唇が、僕の額に落ちて来る。
僕の好きな、深い綺麗な蒼い瞳がゆっくり細まって、笑みを浮かべた。
「総司」
僕の好きな、一くんの声。
低くて、静かで、心地良く鼓膜を震わせる。
その声で名前を呼ばれるだけで、昂らされること、君は知ってる?
「っふ…あ、ぁ…っ」
零れる声が堪えられなくなって、大きな声が漏れそうになると、僕が口唇を噛む前に一くんの口唇が触れる。
少し強引なのに、でも優しい感触が僕は好きだった。
うつると言っても、一くんは静かに首を横に振って、耳元で低くうつらない、と囁いてから口唇を重ねて来る。
ねぇ一くん。
僕は、君が好きだよ。
「一、くんっ…、笑って、」
「総司」
「いつでも、思い出せるように」
覚えていたいから。
「もう、いい」
「いつか、離れても、さ」
……ずっと。
「…総司、……分かったから」
君の、幸せな顔を。
焼き付けておきたいんだ。
いつか逝く時に、君の辛そうな顔しか思い出せない、なんて。
ゆっくり、あの世にも逝けないじゃない?
そんな僕、可哀想だろう?
ねぇ、だから。
「笑って、よ…」
祈っているよ。
らしくないって、君は笑うかもしれないけれど。
僕が居なくなっても、どうか君が幸せで在るように。
どうか君が、笑顔で在れるように。
きっと、君は知らない。
どれだけ、僕が君と言う存在に救われていたか。
どれだけ、僕が君を愛しているか。
どれだけ、僕が君を愛していたか。
君は、------------知らないよね。
「僕が居なくなって、…君が、僕を…忘れても…」
最期まで素直になれない僕を赦してほしい。
先に逝く僕を赦してほしい。
君は、僕を憎むだろうか。
君は、僕を忘れるだろうか。
忘れていいって、言ったけれど。
本当は、忘れてなんて欲しくない。
恨まれてでもいい、君に、僕を覚えていて欲しい。
言わないのは。
君を、縛り付けたくないから。
------------本当は。
いつまでも君を僕に縛り付けておきたいけど。
君は、生真面目な人間だから。
一生僕だけを愛して、なんてそんなことを言ったら、君は。
目の前にぶら下げられた幸せの約束にさえ目を背けて、僕の愚かな愛の言葉に囚われて一生を生きていきそうだから。
僕を忘れて幸せに、なんて。
そんな、綺麗言。
この僕が、望んでるはず、ないじゃない?
(君に、僕の本当の想いを伝えなくたって、君は僕を忘れず僕の影に囚われたまま生きていくんじゃないか、なんて、そんなことは。きっと、僕の愚かな祈りでしかないよね…?)
「…忘れぬと、何度も言ったはずだ」
嗚呼。
君は、やっぱり僕の欲しいものを全部与えてくれる。
でも、その優しさは残酷だよ。
「…一くん…ごめん、ね…?」
もう、離れなきゃいけないのに。
未練を残してひとり死ぬなんて。
悲しすぎると、思わない?
「……謝るな」
だからせめて。
祈るよ。
ずっと一緒に、なんて。
祈らない。
そんな、無意味なこと。
祈ったって叶わないって分かってることなんて。
祈らない。
死ぬ時も一緒、なんて。
叶うはず、ないんだ。
そんな、夢物語みたいなこと。
祈らない。
君も、望んではいないだろう。
「-------君が、好き」
つい口に出た言葉は、一くんの口唇の中で溶けた。
これが、僕の最期の願い事だ。
どうか、叶いますように。
僕の、愛するひとよ、どうか。
いつまでも、
笑っていて。
終
斎沖
笑っていて、
さよならを告げる時も。