宿り木


振り払われた 手 は 、

想う こと さえ

赦して くれない



宿り木





-----------煩い奴だ。



最初の印象。

やたらと剣の腕は立つ癖に。

手から刀を離してみれば、口唇からは途切れることなく言葉が飛び出して来て、そして何が可笑しいのか分からないが翡翠色の瞳を細めて楽しそうに笑う。

正直、苦手な人間だと思った。

今までは。

俺のことを気味の悪い奴だと言う陰口も聞こえてくるのはよくあることだったし、群れない己に近付いて来るものはなかった。

そうだ。

こうして気付けば近くに来て他愛もない会話をして、けらけらとひとり笑う、そんな奴など無論のこと。

そんな彼は、剣を握れば、笑みを纏っていた翡翠の瞳には傍に立つだけで斬れそうな殺意を宿す。

そして可笑しそうに、口の端を歪めて笑うのだ。



「…分からんな」



どれだけ邪険に接してもけろりとして、また口唇から言葉を紡ぎ、笑って見せる。

かと思えば、瞳が合っても視線が合ったことさえ気のせいだったのかと思うほど冷たい光を浮かべて擦れ違う。

まるで、怪我を負わされた野良猫のような。



何の因果か、屯所で同室となった最初の頃は、煩くて敵わず意図的に留守にすることもあった。

けれど部屋に居る己を見つけると、嬉しそうに笑って他愛ない話をし、やはり笑って見せる彼を見て、そう言えば己は彼のことを何も知らぬのだと思うようになって。

我が物顔でごろりと部屋の畳に横になり(当然と言えば当然だ、此処は彼の部屋でもあるのだから)、己に対して様々なことを尋ねて来るその翡翠が陽の光を浴びて光る様や、機嫌のいい猫のように瞳を細めて笑う様は、嫌いではなかった。



けれど、ある日。

縁側にひとり座り、暮れゆく空をただ静かに、瞳を細めて見ている横顔を見て。

彼には無縁なはずの、孤独が見えた気がしたのだ。

(そうだ、彼の傍にはいつも誰彼かの姿が在った)



「盗み見なんて、悪趣味だね」



物思いに耽っていたその様を見られたことを照れるように、彼は言って頬を歪めるように笑った。

その、表情が。

まるで、迷子になっていたところをやっと見つけてもらった、…おかしい表現ではあると思うが、そうとしか表現のしようのない、心許ないもので。



光に溢れた世界に生きていると思っていた彼が不意に見せた、翳。

どちらが本物の彼なのだろう、そう、思案して。

知りたい、と。

生まれて初めて、他人に興味を持っている己に気が付いた。

始まりは、きっと、そこから。



そのうち、ころころと瞬時に変わる表情が焼き付いて離れなくなるまでに時間はかからなかった。

気に掛けている、そう、気付く。





ある日、彼の帰りが遅い日があった。

屯所の中で姿を見掛けなければ、知らず視線で翡翠を探してしまう己が居て。

それに気付きながら、部屋に戻ってから暫くのこと。

障子が、静かに開いた。



「あ、居たんだ、一くん」

へら、と笑みを浮かべて言いながら、彼は部屋の中に入って来た。

ゆらり、部屋の空気が揺らぐ。

違和感を感じたのは、多分初めから。

彼の声を聞いて、それから纏う空気を感じて、それから。

隠し切れていない、血の、臭い。

そして、確かに揺らいでいる、その背に纏う気配。



嗚呼、彼はきっと。





人を、斬ったのだ。





「ねぇ、一くん」

明るい声で名を呼ばれれば、それが届いて胸を響かせる。

「何て顔してるの、恐ろしいな」

笑い声を漏らしながら、伸ばした手の指先で眉間に触れて、また笑う。

不意の感触に驚いてつい、その腕を強く掴んだら、肩が、翡翠が、目の前で初めて揺れた。





「…痛いよ、一くん」

言われるまで掴んだままだった手を、離す。

「…すまない」





「君は、他人に触れることも、触れられることも、苦手みたいだね」





苦手。----------否。

そうではない。

こうして、触れられたことがないから。

こうして、触れたことがないから。

どうすればいいのかが、分からないだけだ。

それをどう伝えればいいのか、その術さえ分からず、押し黙っていたら翡翠がそっと細まって笑みを刻んだ。



「…ごめん」



何か、言おうと口を開いてから迷ったように一旦閉じた口唇から紡ぎ出されたのは謝罪の言葉。

静かに言って、立ち去ろうとする背の腕を掴みたいと。

思った、この感情の意味は何なのだろう。



壊れて、消えてしまう、と。

そんな思いが、頭をよぎった。

思ううち、本能的に身体は動いていたらしい。



「…一、くん…?」



揺れた声が、耳元に届いて、頬を掠めて、初めて。

腕を引き、抱き締めていたことに気付く。



「他人に触れることも、触れられることも、君は苦手なんじゃないの?」

「…そのようなことを言った記憶はない」

「あはは、…確かにそうだ」



抵抗することもなく、大人しく腕に抱かれる身体が可笑しそうに笑う。

翡翠が一瞬伏せられたかと思うと、艶を帯びた光で見つめて来た。

そして、緩やかな動作で首元に両腕が回されたかと思うとそっと身を寄せて来る。

強くなる、血の臭い。



「…もしかして、気付いた?」

「……あぁ」

「それなら、話が早いや」



人を斬ったことがあるかと、問われたことがあった。

迷いながら、首を縦に振ったら彼は翡翠を瞠目させて、それから瞑目した。

その時、彼が何を言ったかは覚えていない。

けれど、瞳を閉じる前の翡翠が揺れていたことだけは、鮮明に覚えている。



「…ねぇ、一くん」



呼ばれて視線を上げたら、己から少し高い場所にあった口唇が、静かに降って来た。

不意のことに驚いたのは事実。

けれど。

不思議と嫌悪感はなかった。

「嫌、だった?」

縋るような瞳で見つめられて、縋るように僅かに震えた腕で抱き返されて。

返される、それ以上の力を込めて抱き寄せて、掠められた口唇を塞いだ。



嫌ではないなら。

では、この込み上げる感情の名は一体何と言う。



揺らいだ姿を見せられて。

腕を差し伸ばし、抱き寄せたこの感情の名は一体何と言う。



差し込まれた舌先を絡め取って深く、深く合わせた。

互いに抱き合う腕に力がこもる。

流されるのとも、流そうとしているのとも違う。

意味は分からない。

何故かも分からない。

けれど、互いにこの今、求め合っているのだと言うことだけは。

感じ取れた。





差し出された腕を取って、足を開かせて交わって。

揺らすたび、背中に爪を立てられた。

視線が合うたび、口唇を強請られた。

少し掠れた、甘い声が鼓膜を震わせる。

優しくしようとも思わなかったし、彼もそれを望んではいなかったと思う。

ただ若い劣情のまま、貪るように身体を重ねた。

果てる前、彼は潤んだ翡翠を、顔を引き歪ませて何かを告げようとした。

直感的に、その言葉を耳にしてはならないと己が警鐘を鳴らす。

言葉を途切れさせる目的で深くを抉るように突き上げれば、腕の中の身体が一度大きく突っ張り、そして弛緩した。

ひくりと蠢いた内壁に促されて、熱を解放する。

二つの荒い呼吸だけが、部屋の中を暗く湿らせていく。

視線が絡んだ、刹那。

合った視線を嫌がるように、彼が身体を捩じらせた。

合わせた腰を引き身体を離すと、彼は酷く散漫な動作で上半身を起き上らせて此方に背を向けた。

脱ぎ散らした着物を肩に掛け、背を向けたまま。



「……ごめん」



彼は、小さく呟いたのだ。



その日以降も。

彼は、いつも通り、今まで通りに己に話し掛け、笑い掛けて来た。

あの日の熱はまるで夢幻だったかのように。

けれど。

ふとした時に感じる、言い得ぬ壁を感じるようになったのは、己の思い違いなのか。





慣れない京の暑さにやられたのか、体調を崩した彼は、数日間床に就いた。

部屋に居ようとすれば、うつるから出て行けなどと言うけれど、此処は俺の部屋でもあるのだと強い口調で言えば、彼はそれ以上何も言わなかった。

いつもよりも離して布団を敷き、背中を向け合って眠りにつく。

大体は、彼の方が先に眠りに落ちた。

元々眠りは浅い方だった。

(それは彼も同じで、剣客としては当然のことなのだろうが)

だから彼が寝苦しそうに吐息を付き、何度も寝返りを打てば、嫌でも目が覚める。

寝乱れた布団を整えてやり、汗の浮く額に付いた前髪を掻き上げてやれば、寝苦しそうに眉を寄せていた彼の表情が僅かに和らぐのだ。

頬をそっと撫でれば、彼の口の端が上がった。

こんな幼い顔をするのかと、普段見ることの無い彼の穏やかな表情に、胸が大きく鼓動する。



もっと知りたい、もっと触れたい。

想いが、歪んでいくことを実感した。





彼が寝込んで数日後、彼はふらりと道場に姿を見せた。

平助に声を掛けられて、へら、といつもの笑みを浮かべて手を振る頬が白い。

言葉少なく道場をあとにした彼の背を見つめ、追ったのは、自然なことだった。



青白い頬をしてふらりと外に出る彼の背に、眉を寄せる。

自覚がなさすぎる。

初めて人を斬ってからと言うもの、彼は新選組の剣としていつも第一線に立ち、刀を振るっていた。

自然と、敵は増えていく。

なのに。

当人はそんなことは気にもせず(むしろ嬉しそうに見えるのは気のせいか)、飄々と彼は町を歩くのだ。



子供のように、足元に落ちる小石をたまに蹴りながら、彼は歩く。

そして。

彼の前に立ちはだかる三人を見た。

目についた店の軒先に背を寄せる。

気付かれぬようひっそりと、軒先から顔を覗かせた時には、彼の剣はすでに一人目を斬り上げ、そのまま二人目の背に回り込み袈裟斬っていた。

鮮やか、と感嘆する間に三人目が彼の懐に飛び込むように斬りかかっていく。

彼の鍔元がその刀を受けたかと思うと、強い力で押し返した。

先ほどの二人よりは多少出来るらしい。

素早い動作で続け様に襲って来る刀を柳のように受け止め、風のようにするりと身を翻すまではほんの一瞬。

上半身を少し前屈みにして身を翻した先、空いた胴に斬り込もうとした彼が、上半身を上げた、刹那のこと。

彼の動作が、止まった。



「…、隙あり、…っ」



好機、と言わんばかりに体勢を整えて刀を振り上げようとする男の背が目に入った時、すでに足は動いていた。

鯉口を切り、柄に手を掛けた、瞬間。

鋭く、空を斬る音と共に。

「な、にっ」

呻くような、男の声。



「…隙?」



続いて、冷たい、静かな彼の声。

鈍い音を立てて崩れ落ちた男の肩越しに、冷酷な光を宿した翡翠を見た。



「そんなもの、何処にあるの?」



可笑しい、とでも言いたそうな響きの声を発しながら、血振るいして納刀する彼を見つめた。

斬り込める位置まで踏み込んで居た故に、彼との距離は酷く近い。





「…何で、君が此処にいる訳?」



声音は、冷酷なまま。



「一くん」

「顔色が良くない癖に、外に出て行くのを見たからだ」

「…やめてよ」



放つ声を拒否するように、翡翠が揺れる。



「一人でふらりと外に出た僕を守ろうとでも言う訳?」

「…そう言う訳ではない」

「じゃあ、どう言う訳?」



守ろうなどと、思って追った訳ではない。

ただ、道場から垣間見た頬の色が白過ぎて。

追わなければ、と。

ただ、思ったのだ。



「君に守られなきゃいけないくらい弱ってなんかない」

「…分かっている」



翡翠を揺らしながら、きつい声音で。突き放すように。



「守られることなんて僕は望んでいないよ」

「それも分かっているが、…総司、自覚していないだろう。酷い顔色だ」



語尾は強いのに、何故そこまで翡翠を揺らがせるのかと、心に翳がよぎる。

差し出した手で、彼の腕を強く掴んだ。



触れた刹那、強張るように小さく震えた腕。



そうだ、あの日もそうだった。

彼が初めて人を斬った日も。

この手が、彼に触れて。

彼を、抱いた。

そうだ、分かってる。



あれは、愛などと言う生温かいものではなかった。





胸の辺りが重くなる。



「一くん」



揺れた声が、耳に届いた。



「僕が、十数える間に此処から立ち去ってよ」



掴まれた手が、振り払われる。



「総司」



何故、そんなにも揺れた瞳で、俺を見る。

あの日と、同じように。



「…君が居なくならないなら、僕が居なくなるよ」



今度は、この手など不要なものなのだと。

思い知らせるには、十分な声。



「そうじゃなきゃ、今は君を斬っちゃいそうだから」



弱々しく笑って彼は、背を向けた。

ゆっくりと、離れていく。

手を、差し伸ばそうとはしなかった。

赦されない、気がした。

離れていく背を見つめながら、きつく掌を握り締めた。

爪を立てて、きつく。



「……総司」





傍に居れば、煩いと思っていたのが始まりだったのに。

こうして、背を向けられれば何故か心が重くなる。


「俺は、」



言葉は交わさず、肌を重ねた。

求められていると、求めていると、思ったことすら過ちだったのか。



答えは、見えないのに。





ただ、触れたいのだと言う想いばかりだけが込み上げる。

いくら必死に思い返しても、過去には見当たらぬ感情。





「……、」





煩い奴だ、と。

思ったのが、最初。

そして、くるくると目まぐるしく変わる表情をもっと見てみたいと思って。

不意に見た、翳を見て、笑みの奥に隠した本心を掴みたいと思って。



もっと傍で、と。



歪んだ想いが鮮明な輪郭を描いた頃、伸ばした手は振り払われた。





荒々しく肌を重ねた夜を思い出す。

行為のあと、向けられた背を。

『……ごめん』

小さく、呟かれた声を。





離れる背に、あの日のように手を伸ばせばよかったのか。

それは分からない。

ただ、心だけが、鈍く痛む。

嗚呼。

こんな痛みは、知らない。





分からないまま、振り払われた手だけがただ熱かった。













斎沖



この感情の名を知るのは、

もう少しあとの話で、










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