美しい人



愛してる と

言われる ほど

哀しみは なぜ

溢れた だろう








美 し い





大阪城の城中の奥の、更に奥の部屋。

新選組の隊士の中でも、限られた者たちしか立ち入ることを許されない小さな部屋に、彼はひっそりと居た。

陽も暮れかけて、血を思わせる紅が空を染め始めた頃。

その部屋に向かう、影が一つ。









「総司」



声を掛けて、一息。

応えが返ってくることを待つが、障子越しに待ち望んだ声は届かなかった。

迷うことなく障子を開ける。

薄暗くなった部屋の中、行燈をつけることもなく、彼は居た。

窓を小さく開け、桟に肘を付き、外を眺めていた。

薄らと差す夕陽が、総司の横顔をそっと照らしていた。

儚い、と。

思わせる様で、静かに。

座していた。



「…駄目だったみたいだね」



儚い、と思わせたのはほんの一瞬のこと。

耳を疑いたくなる程の明るい声が、部屋の空気を揺らした。



「…あぁ」



言われて、先ほどまで身を投じていた戦場の様を思い起こす。

最強と言われた剣客集団であった新選組の面々が、次々と鉄砲の前に命を散らした。

時代が変わって来ているのだと、否が応でも思わざるを得ない光景だった。

脳裏に蘇った光景と共に、負傷した左腕が疼くように痛んで、そっとそこに触れる。


「…井上さん、……死んだんだってね」

視線は窓の外に向けたまま。

静かに総司が言った。

「……土方さんから聞いたよ」



総司の声に、副長は一体どれだけ急いで総司の元に来たのかと、そんなことを思う。

今、此処に居る俺も、城に戻ったのと同時に此処へ駆け付けたと言うのに。

そう思って、いつも険しい顔をしている副長が総司に対する時だけに纏う、何とも表現し難い、柔らかい空気を思い出した。



「…そうか」

肩に下ろした総司の髪が、風になびく。

その様を見てから、俺は足を総司の方に向けた。

ゆっくりと歩いて行って、窓際に座った総司の傍らに立つ。

窓から見える景色は、燃えるような紅い空。

その中で、葉を落として枝と幹だけになった姿を紅く染められて、同じく燃えるように立つ木々。

総司が見ていたのは、そんな景色だった。



「平気そうなふりしてたけど、…さすがに辛そうだったな、土方さん」

井上さんは、局長や副長からすれば試衛館時代からの大切な同志だった。

総司にしてみれば、井上さんは親戚にあたる。

辛いのはお前も同じであろうに、と。そっと瞳を伏せる。

こんな時になっても、やはり総司が気を揉むのはただひとりのことなのだ。

余計な感傷などとうの昔に捨て去ったはずなのに、胸が重くなるのは何故なのか。





土方さん、



土方さん、





お前がよくその名を口にすると気付いたのが始まりで。

あからさま過ぎるほどの、彼に向けられる意地の悪い言葉や仕草が、総司なりの歪んだ愛情表現なのだと気付いた頃には、もうすでにこの身は焼け付く激情の中に在って、身動きが取れなくなっていた。

彼の背を守ろうと必死に駆ける、総司の背に己の背を合わせて。

そっと、陰ながら見守ろうなどと愚かに心に決めたのはいつの日のことか。





「鉄砲ってのは、よっぽどすごいものなんだね。猛者揃いの新選組でも全然歯が立たないって、あの土方さんが言うんだから」

呟くように言うと、総司はやっと此方に瞳を向けた。

心なしか、いつもより潤んでいる翡翠に眉を寄せる。

副長から戦の話を聞いて、井上さんの死を聞いて、ひとり。

静かに心を痛めていたのだろうか。

「でもさ、土方さんにも一くんにも鉄砲の弾が掠りもしないって言うのは、やっぱり弾も当たる人を選ぶってことなのかな」

くすくすと、可笑しそうに笑う翡翠。

けれどその頬には隠し切れない悲愴が見える。

ゆっくりと手を差し伸ばして、総司の頬に触れた。

「…良かった、一くんが無事で」

驚くほど柔らかい声で総司は言うと、総司の頬に触れた俺の手に重ねた。

己のものよりも幾らか温かい掌に包まれて、戦の余韻が残って強張っていた身体からゆっくりと力が抜けていくのを感じた。

「ちゃんと帰って来てくれて、良かったよ」

余りに弱々しい声が耳に届いて、思わず抱き締めていた。

戦で負傷した腕が鈍く痛み、僅かに眉を寄せる。

「…怪我、したの?左腕?」

「…情けない話だ」

「利き腕じゃないか」

「大した怪我ではない」

「土方さんは?」

「…先ほど此処に来たのだろう?ご無事だ」

声に、総司が笑う。

「さっきの言葉、訂正しなきゃ。…土方さんだけに弾が掠らないなんて、やっぱり弾も当たる人を選ぶんだ」

「総司」

「…そっか、…でも一くんの傷も酷くないなら、それならよかった」

傷を労わるように、そっと背を抱き返す腕が愛おしい。

腕から伝わる温もりに、きつく瞳を閉じる。

「…総司」

「君を殺すのは僕で、僕を殺すのは君なんだから」

胸の中で、くぐもった呟きが零れた。

悲愴や焦燥の混じった、小さな声だった。

「…そうだ」

耳に届いた総司の声は震えていた。

けれど、どうだ。

腹の底に力を入れなければ、この声さえも震えそうになっていて。



「ねぇ一くん……武士の世は、終わると思う?」

言いながら、まるで宥めるような手付きで総司の掌が俺の背を撫でた。

「いつか武士なんてひとりも居なくなって、刀さえも不要な世になったら、」

小さく開いた襟元と肌の狭間で、総司の声が揺れる。

「新選組の剣になるって決めた僕は、さ……何処に、行けばいいんだろうね…?」

僅かに、けれど確かに。

俺の背に回った総司の掌に、力が籠った。

指先が、着物にきつく皺を作っているのを感じる。



「誰からも、”お前なんて要らない”って言われるのかな」



背に触れていた総司の手が、きつく俺の背を抱き締めた。

縋るものを求めるように、強く。



誰からも、などとお前は言うけれど。

お前がその言葉を言われることを恐れているのはただひとりだろう。

けれどそれはただお前の杞憂にしか過ぎないのだと、何故この腕の中に居る男には分からないのだろうか。

お前が歪んだ愛情をぶつけていたのと同じように、あの人も不器用な愛情をいつもお前にはぶつけていたと言うのに。



嗚呼、何故。

その言葉を、あの人に言わぬのだ。

嗚呼、何故。

その言葉を、俺に告げるのだ。

俺がお前に告げられる言葉など、ひとつだと言うのに。



「ならば俺が言う」



きつく、額を総司の肩口に押し付けて。

欲しているだろう言葉を、本当に欲しているものとは違う口唇で。



「お前が必要だと」



言うのと同時に、背に回っていた総司の腕が力なく滑り落ちた。

だらんと畳に投げ落とされる。

抱き締めていた腕の力を緩めて、弛緩した身体の肩を掴んだ。

絡む、視線。

潤んだ翡翠が、揺れた。

「…君は本当にお人好しだね」

小さく笑って肩を揺らしながら、驚いたような声音で総司が言う。

「僕をもらったって、得することなんて何もないのに」

「…俺は損得でこの身を動かしたことなど一度もない」

「生真面目だなぁ」



「俺を殺すのはお前で、お前を殺すのは俺なのだろう」



言えば、可笑しそうに細められていた翡翠の瞳が瞠目した。



「…離れていては、叶わない」



言葉に、翡翠が引き歪んで泣くような色を浮かべたかと思うと、それはすぐに消えて。

無邪気に笑った。

「一くん、僕は君のことが好きだよ」

畳に落ちた手がゆっくりと持ち上がって、俺の髪に触れる。

指先を櫛のようにして、幾度か行き来させたかと思うと一房、掌に掴んでそこに口唇を寄せて見せた。

「…君は?」

伏せられた瞳が、見上げて来る。

子供のような、無邪気な、強い光を宿して。

「………っ、」

「そこで答えに詰まるのって、酷くない?」

そう言って、総司はやっといつも見慣れた、頬を歪めるような笑みを見せた。

「…総司」

低く、名を呼べば小さく小首を傾げて見上げて来る翡翠。

その翡翠を隠すように掌を翳し、耳元に口唇を寄せた。

     

小さく低く、囁くように告げれば、総司の口の端が上がった。

「聞こえないよ」

悪戯っ子の声音で言うと、総司の手が俺の手に触れて瞳を隠していた掌を外させて。

「よく聞こえなかったし…言葉だけじゃ信じられないから、…ねぇ、一くん」

ゆっくりと。

差し出された腕が、俺の首元に絡み付いた。



「僕を、抱いて」





お前が、本当に欲しい腕は。

お前が、本当に差し伸ばしたい手は。

俺ではないのだろう、と。

そう、思うのに。分かっているのに。







では、俺は何故。

この腕を、振り払えない。











「…は、…っじめ、く…んっ」

熱に浮かされた甘い声で名を呼ばれて。

優しくしたいと思うのに、思考に身体がついていかない。

飢えた獣のようだと、自嘲しながら合わせた肌の熱さを追った。

「君が、…好き…」

甘えるように伸ばされた腕を取って、引き寄せる。

腰を掴んで引き下ろして、奥まで飲み込ませればその背が弓のように撓った。

揺らすたび、耳元を掠める声がもっと聴きたくて、気遣いもなく腰を深く合わせて。

「好き、だよ…」

小さく震えて強張る身体に舌を這わせた。

「…っあ、あ…ッ」

忙しなく上下する胸の小さな飾りを舐め付ければ、肢体を切なそうに捩る。

不意に視線を感じて顔を上げれば、目尻に滴を溜めて潤んだ翡翠が見つめていた。

目が合えば、それはゆっくりと細められて、そして微笑う。

「…総司」

口を合わせようとすれば、嫌がるような素振りを見せたがそれさえ無視して半ば無理矢理のように口唇を合わせた。

奥に逃げようとする舌先を絡め取って、思うまま蹂躙する。

もう嫌だと言っても、赦す気はなかった。

「ん…っや、ぁ…あぁっ」

腰を一度引き、間髪を入れずに深く交わらせると高い嬌声が上がった。

見開かれた瞳から一筋、雫が零れ落ちる。

それを口唇で掬って、目尻に口唇を寄せた。

「一、くん…っ愛、してる…」

「総司」

「…あ、いしてるよ…」

熱にうなされるように、何度も。

けれど切なそうに告げるその声を聞きたくなくて、口唇を塞いだ。



愛してる、愛してる。



暗闇で不確かなものを手探りで探るようにお前は何度も何度も。

まるで自分に言い聞かせるように何度も繰り返して。



本当に愛されていると、勘違いするほど優しく。

翡翠を細めて笑いながら、この頬に触れるのだ。



総司。





今、お前は何を想っている……?





「…一くん、…もうっ…」

限界だと訴えるように震える身体の腰を抱え直して抽挿を激しいものにすれば、腕の中の身体は熱をあっさりと放出させて弛緩した。

そのまま身を引こうとすると、腕に総司の手が触れる。

「…嫌だ、…」

駄々っ子のように何度も首を横に振って、嫌だと繰り返して。

抱き付いて来たかと思うと、総司は己から腰を揺らした。

「…一くん、…ちゃんと、このまま…」

言われて、何かが飛び掛けた。

「…っ、総司…」

すっかり細くなった身体を抱いて、膝に上げる。

「ッ、ぁ…っ」

不意に深く飲み込まされて、膝の上で総司の身体が大きく仰け反った。

天を仰ぐように逸らされた喉元に噛み付くように口付けて、腰を突き上げる。

絡み付いてくる感覚に眉を寄せると、総司が薄く笑った。

「一くんの、その顔も、…好き…」

いやらしく舌なめずりをしてそう言うと、総司は膝の上で踊るようにその身体を自ら上下させて解放を促した。

「…ッ」

その動きに合わせて背中を抱き腰を揺らして、交わったまま熱を吐き出した。

それに満足したように妖艶に総司は笑うと、明らかに故意的な動作で後ろに倒れてゆこうとする。

背中から滑り落ちそうになる腕をどうにか取って、そっと畳に横たわらせた。



「…僕のこの手は、ろくにもう刀さえ握れない手だけど、まだ使い物になるね」

俺に掴まれた腕を、何故か満足そうに見つめて。



「……まだ、君に届く」



薄らと、頬に笑みを浮かべた。

そして。

左腕に巻かれた、血の滲む包帯に口唇を寄せる。



「一くん、…愛してるよ」



届いた声に、胸が酷く重くなる。

否。

重い、などと言う生易しいものではない。



この感覚はきっと、痛い、と、言う名のものだ。





愛している と 言われるほど、



何故こんなにも 哀しみが溢れるのだろう?



どれだけ引き寄せても、抱き寄せても、



何故、遠いと 感じるのだろう……?





「……お前が、いとおしい」





声に、揺れた翡翠。





「…ありがとう、一くん」





美しい。

ただ、美しい。



けれど、決して手に入ることはない。

心は、あの人に囚われている。



嗚呼。





手に届かないものほど美しい、と。





知っていて伸ばした、この 愚かな 掌は いつか、







----------いとしいものを、すくえるだろうか。

















土沖←斎



俺の手は、お前の愛を
掬えるだろうか。

俺の腕は、お前を
救えただろうか。








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