夜の海に立ち
寂しいって 言えない
だから 強がって いる
受け止めて くれない
分かる から 泣かない
一人で 平気 と
平気じゃない から 言う
夜 の 海 に 立 ち 深い闇夜を切り裂くように。
暗い深海を切り開くように。
揺れながら、船はゆく。
その、深い暗い処へと。
溢れるたくさんの悲しみを、飲み込んでしまえ。
喇叭(ラッパ)の音が鳴り響く中。
息絶え、白い布に包まれた彼が、白い飛沫を立てて海の中に消える。
見守る人々の口から零れ落ちる、嗚咽や慟哭。
僕はただ。
何処か現実味を感じさせないその光景を、ただ、ただ、見つめるしか出来なかった。
夜更け、眠れなくて。
そっと、部屋を抜け出した。
甲板に出ると、予想以上に強い風に髪が舞う。
海も、空も闇の中。
重い雲に隠されて、月や星さえも息を潜めていた。
少し寒くて肩が震えたけれど、部屋に戻る気にはなれなくて。
山崎くんが飲み込まれていった、暗い海を見つめた。
暗い暗い深海にどれだけ瞳を凝らしても、その底は見えない。
嗚呼、きっと。
この海の底は、深い絶望なんだ。
…ならば。
この海に沈んだ山崎くんは、一体何処にいくんだろう。
そんなことを想う。
山崎と言う男を、僕は好きにはなれなかった。
でもきっとそれは、彼の方も同じだったろうと思う。
口うるさくて、いつも僕に寝ていろと医者みたいなことを言って、僕を監視するような瞳でいつも僕を見ていた。
そして何より。
土方さんに信じられて頼られて、誇らしそうに隊務をこなす、その様が。
好きになれなかった。
思うように動けない僕を尻目に、彼はまるで当たり前のように土方さんの少し後ろに立って。
そうだ、まるでそっと土方さんを守るように。
其処は、僕の居場所だったのに。
---------だから。僕は。
「……総司」
甲板に出て、風に吹かれていた僕の背に投げかけられる静かな低い声。
声の最後には、少しの怒りと、戸惑いと、労わるような響きを混じらせて僕を呼ぶ。
「此処に居たのか」
声が、少しずつ近付いて来る。
「勝手に部屋を出るな」
僕の、すぐ後ろで声がしたかと思うと、ふわり。
肩に、羽織が掛けられた。
「…何処に居ようと、僕の勝手でしょう」
肩に掛けられた羽織をそっと握り締めて、呟いた。
「お前が健康体なら、部屋を出るななどとは言わない」
「やめてくださいよ。…全然身動きの取れない病人じゃあるまいし」
嗚呼。
土方さんの口から、僕の身体の心配ばかりが零れるようになったのはいつのことからだっけ。
不意に、そんなことを思う。
「今日はね、体調がいいんですよ」
風に遊ばれる髪の毛を掻き上げた。
「だから、海が見たいなと思って」
「…そうか」
短く土方さんは言うと、それ以上何も言わなかった。
ただ、静かに僕の隣に立つ。
俯いたまま視線だけ土方さんの方に投げると、白い頬が見えた。
また少し、痩せたように見えて眉を寄せる。
「ねぇ、土方さん」
何故だか、顔を上げられなくて、俯いたまま土方さんを呼んだ。
応えは返って来なかったけれど、気配で土方さんが僕の方を見たのが分かる。
「…僕はさ、……山崎くんが好きじゃなかった」
瞳を伏せて、足元を睨み付けた。
ぶるりと身体が震えたのは、寒さのせいだろうか。
それも分からなくて、掌を握り締めた。
「お節介で、口うるさくて、…いつも僕を病人扱いして、」
…僕の、居場所を奪った、山崎くん。
山崎くんはいつも僕を見る時、眉間に皺を寄せて険しい顔をしてた。
僕は、山崎くんが笑ったところなんて見たことあったっけ、なんて、思い返そうとした、その時。
何かあたたかいものが僕の肩に触れて、それが土方さんの掌だと気付いたのと同時に、土方さんの肩に顔を寄せるようにして土方さんに抱き寄せられていた。
「……なのに戦って、勝手に死んでった」
新選組の隊士として。
新選組を、近藤さんを、…そして土方さんを守って。死んだ。
…それは。
僕が、そう在りたいと、強く願った姿。
羨ましい、って。
思わないなんて、嘘になる。
「…好きじゃ、なかったのに、さ」
そうだ、好きじゃなかったのに。
「居なくなったら居なくなったで、すごく静かになっちゃって」
口うるさい人が居なくなって、清々するはずなのに。
「何だか、……変な感じ」
そう、言ったら。
僕の肩を掴む土方さんの掌に、力が込められた。
「総司」
低く、僕を呼ぶ声。
「それは、…そう言う時は、……寂しいって言うんだ」
土方さんの声が、耳に届いた刹那。
ある日のことを思い出した。
その日は、朝から身体が酷く怠くて、誰に言われるともなく布団に静かに身体を横にならせていた。
そんな僕の処に、朝食と薬を持った山崎くんがやって来て。
静かに寝てる僕を見て、軽く瞳を瞠目させた山崎くんが、僕の枕元に静かに座った。
「…静かに寝ることも出来るのなら、言われなくてもそうするべきです」
抑揚のない声でそう言うと、僕に朝食を差し出して。
「食べたくない」
「…聞こえません」
「食べたくないんだ」
「…では、これも?」
言って、真顔の山崎くんが差し出して来たのは、可笑しいことに饅頭だった。
小振りのその饅頭には見覚えがあった。
「…これって、」
「斎藤さんが、あなたの駄々を見越して昨日買い求めて来たものです」
「本当、お節介だなぁ、一くんは」
「お節介ではなく、親切と言っていただきたい」
「はいはい、僕が悪かったよ」
「…どうしますか」
「……食べるよ、食べればいいんでしょ」
のろのろと起き上って、差し出された朝食を一口、二口食べる僕を、山崎くんは静かに見ていた。
その日以降。
僕の朝食には、必ず少しの甘味が膳に載せられていて。
「…これは誰が買って来たの?」
「俺です。あなたは、甘味があると食事を取るようだから」
「…君も、一くん並みのお節介だ」
茶化すように言うと、深く刻まれた眉の皺が消えて。
「褒め言葉として受け取ります」
ほんの少しだけ、瞳の光を穏やかなものにして、山崎くんは僕に笑ったっけ。
そんな、様を見て。
嗚呼、君が笑ったのを初めて見た、とか。
君も笑えるんだね、とか。
そんな言葉を飲み込んで、僕は粥を口にしたんだ。
山崎くんとの思い出と言えば、朝食の時のやりとりばかりを思い出すけれど。
眠りにつこうとする僕の枕元で、君は一言。
小さく、呟いた。
「あなたは、もっとあなたの存在意義を知るべきだ」
「副長の隣に、いつまでも立っていてもらわなければ、」
「…壊れてしまう」
そっと、僕の髪に触れて。
静かに立ち去った君が言った、壊れる と言う言葉。
何が、って、最後の最後まで君に聞けないままだったけれど。
その言葉は、僕の胸にずっと、抜けない棘のように引っかかっていた。
そうして、今も。
「…寂しい?」
「あぁ」
山崎くんは、僕がどんなに邪険に接しても、必ず僕の部屋にやって来た。
眉に深い皺を刻みながら。
それは、近藤さんに、土方さんに、そして松本先生に言われてのことだったんだろうけれど。
それでも、毎日、毎日。
君は、僕の部屋に来た。
そして。
------------もう、君は、来ない。
「…寂しい、か」
くつくつと、何とも言えない感情が込み上げて来て、肩を揺らす。
口唇からは、小さな笑い声さえ込み上げそうで。
そっと、口唇を噛み締めた。
寂しい。
…寂しい?
嗚呼、この感情は何と言う名のものなのだろう?
「泣いているのか」
土方さんの肩に寄せた僕の頭に、土方さんの声が降って来る。
静かな問いに、そっと嘲笑った。
「泣いてませんよ」
涙、なんて。
そんなもの、僕は。
----------もう、流し方も忘れてしまった。
「泣いてるのは、土方さんの方じゃないんですか」
「…泣いてねぇ」
憮然とした口調で、土方さんは僕に返すけれど。
「僕は、泣かない」
ねぇ、土方さん。
貴方は、優しいひとだから。
本当は泣きたいくせに、泣かないで。
鬼の副長の顔をして。
「僕が泣いたら、土方さんが泣けないでしょ?」
心の中でそっと、泣くんでしょう?
「…馬鹿野郎」
薄らと。
笑いを含んだ声で、土方さんが言う。
「鬼が、泣くものか」
そんなことを言いながら。
僕を引き寄せる腕に力を込める貴方は、やっぱり優しいから。
「言うでしょう、鬼の目にも何とか、って」
ほら、僕は見ないから。
僕は、見てないから。
泣いたって、茶化したりしないから。
「…泣かねぇよ」
それでも、降って来る声は頑なに。
土方さんの肩が震えてる。
土方さんに引き寄せられた、僕の肩も。
----------こんなに震えているのは、どうしてなんでしょうね?
「……総司」
船がゆく。
深い闇夜を切り裂くように。
暗い深海を切り開くように。
揺れながら、揺れながら、船はゆく。
その下には、全てを飲み込む如く、深い、暗い海。
「泣いて、いいんだぞ」
耳に吹き込まれる、静かな声。
まるで子供をあやすような、そんな。
切なく声を揺らして言う、土方さんこそ泣けばいい、って。
言えなくて。
「…僕は、…泣かない」
泣かない。
少なくとも、貴方の前では。
僕は、泣かない。
そう、平気。
平気だって。
言い聞かせて、僕は歩いてきた。ずっと。
それは、それだけは変わらない。変えられない。
「…強情張りだな」
その声は、誰のことを言ったのか。
僕のことだろうか、それとも土方さん、貴方のことだろうか。
僕を抱く、土方さんの腕が揺れている。
そうして思う。
嗚呼、土方さんは今、泣いているのだと。
涙などなく、ただ。
心で、泣いている。
心が、哭いている。
嗚呼、どうか。
声無き慟哭も、全て。
この海に、鎮まってしまえ。
そんなことを、思いながら。
土方さんの背に、そっと腕を伸ばした。
背に触れる前に、指先が震えた。
泣きたいから、なんかじゃない。
言い聞かせるように、土方さんの服をきつく握り締めた。
終
土沖
触れ合うことで
分かるなんて、
気付きたくなかった。
---------寂しい
なんて、