光
愛して くれる 人 も
受け止めて くれる 人 も
君 しか いない 僕 を
ずっと
ずっと 忘れないで ほしい
光 耳障りな断末魔と、肉と骨とを斬り裂く鈍い感覚と。
見事な血吹雪を上げて目の前に崩れ落ちる、さっきまで人間と呼ばれていたモノを冷たく見ろした。
今はもう、呼吸をすることもない、ただの肉の塊。
見開いたままの瞳と視線が合って、知らず眉を顰めた。
血振いをして、鞘に刀を納める。
「…其方も片付いたか」
背後で静かな声。
一歩後ろに下がると、とん、と背中に温かいものを感じた。
僅かに振り返ると、肩越しに一くんの肩が見えた。
それに少しだけ体重を預けてみる。
静かに一くんはそれを受け止めて、小さな吐息をついた。
「…重いぞ」
「あ、傷つくなぁ」
言って、背を離して今度は身体ごと振り返った。
「そっちは何人?」
「…四人」
「え、四人?ずるいな、僕は三人なのに」
「ずるいとは聞き捨てならん」
目の前に立つ一くんは、生真面目に眉を顰めて低く言う。
僕の足元に転がる塊に目をやって、それから僕を見上げた。
無言のまま、暫し見つめられて。
「…何?」
「じっとしてろ」
一くんは小さく言うと、僕の方に手を伸ばして来た。
指先が僕の頬の方に近付いて来て、それから。
親指の指の腹で、僕の頬に触れた。
ぐい、とそのまま拭うような仕草をする。
「…珍しいな」
「だから、何?」
「…血が、」
言われて、ちらりと見えた一くんの指の腹に血が付いてるのに気付いた。
そうして納得する。
「お前はいつも、返り血を浴びないだろう」
「…鈍ったって言いたいの?」
「…いや」
低く律義に応える一くんに笑った。
「ただ、」
「ん?」
「一瞬、迷ったように見えた」
静かに僕の鼓膜を揺らした声に、そっと笑う。
ねぇ、どうして君は。
そんなにも僕のことを分かってるんだろう。
「ねぇ、一くんは初めて人を斬った感覚って、覚えてる?」
「…あぁ」
「僕は、さ」
どうしてだろう。
「覚えてないんだ」
僕よりも先に、人を斬った君に早く並びたいって。
そんな、欲しかった玩具を先に手に入れた子を羨むみたいに。
僕も人を斬ったけれど。
「思い出そうとしても、思い出せない」
最初は。
剣を手に取ったのは、僕の居場所を作るためだった。
自分のためだった剣は、いつしか近藤さんのための剣になり。
そして、敬愛する近藤さんの新選組を守るための剣になった。
「…そんなことをふと、思い出しちゃって」
僕は、決めたんだ。
新撰組の剣になると。
「斬り合いの時に邪念は不要だ」
「うん、そうだね」
「己の死に繋がる」
なのに。
最近、酷く身体が身体が怠い。
だらだらと、微熱が続く。
乾いた咳が出る。
最初は、ただの風邪だと思っていた。
けれど、それにしては長引く咳。
--------そうして、僕は予感した。
僕は、きっと遠くないいつか、死ぬのだろう。
それは、刀を握りながらか。
刀を握ることもなくか。
そうして、思う。
斬り合いの最中。
まだ、死ねないけれど、もしも死ぬならこんな中で、と。
僕がまだ、走れる間に。
僕がまだ、戦える間に。
力の限界まで、近藤さんを、土方さんを、新選組の剣となって。
……そうだ、僕が、守る。
「君が一緒なら、僕は死なないでしょ?」
言えば、一くんはそっと口の端を上げて僕に笑う。
きっと君のこんな小さな表情の変化を知るのは、僕しかいない。
「…少々、荷が重いな」
「信頼してるってことだよ」
僕の言葉に、一くんは僕の真意を確かめるように鋭く瞳を細めて僕を見て、それから瞳に宿す光をそっと穏やかなものにした。
「ねぇ、覚えておいてよね」
闇夜に輝く、深い蒼色を見つめる。
「僕が背中を預けられるのは、君しか居ないってこと」
一匹狼、って言葉がぴったりだった一くんが、こうして僕にそっと寄り添ってくれるようになったのはいつのことからか。
それは、簡単には思い出せないけれど。
しつこく話し掛ける僕に、最初は迷惑そうに邪険に接していた一くんが変わったのは。
---------そうだ。
僕が、初めて人を斬った日に。
部屋に戻っても、人を斬ったことなんて何も言わなかった僕に、一くんがそれに気付いて。
同じく何も言わず、一くんは僕の首に腕を回してそっと抱き寄せてくれたんだ。
嗚呼、そうだった。
その瞬間を思い出した刹那、掌に肉と骨とを斬ったあの鈍い感触が蘇った。
「…総司」
低く呼ばれて、顔を上げると、少し驚くほど傍に一くんの顔。
そして、伸ばされる腕。
そうして。
あの日と同じように。
一くんの腕が僕に回って、そっと引き寄せられた。
僕よりも少し背の低い一くんの肩口に、顔を寄せる体勢になる。
「…それは、俺も同感だ」
そう言った一くんは、引き寄せた腕とは反対の手で、僕の右掌に触れた。
あの嫌な、鈍い感触がよぎった掌を。
そのまま、包み込まれる。
「ねぇ一くん、僕より先に死なないでよ」
生き急ぐように君は、いつも駆けるから。
僕はその眩い光を焼き付けて、君を探すんだ。
「僕より先に死んだら、一生赦さないから」
君がこうしてそっと。
僕に寄り添ってくれるから。
あの時、僕は狂わずに僕のままで在れたんだと思うんだ。
だからきっと。
もしも君が居なくなったら、僕はおかしくなるだろう。
「総司」
名前を呼ばれて、一くんの肩口から顔を上げるのとほぼ同時に。
口の端を固く結んだままの一くんの口唇が、僕の口唇に触れた。
「…はは、珍しいね」
驚いて、蒼色の瞳を見返すと、一くんの指先が僕の口唇に触れて、指の腹でそっと開かれる。
そのまま、もう一度。
今度は、深く重ねられた。
絡み付いてくる舌先に自分のそれを絡めて、もっと深く。
一くんの掌が僕の頬に触れて、そうして口唇が離れた。
「君から、外でこんなことをしてくるなんて」
何だか不意に込み上げて来た恥ずかしさを茶化すように。
「…血を見て、興奮した?」
極めて明るい声で言えば、一くんはそれに否とも言わずただ微笑(わら)った。
「ねぇ、一くん」
今度は、強請る声で。
「帰ったら、……しようか」
甘えた猫みたいな声を出して、一くんの首に両腕を回して抱き付いた。
それに反応するように、静かに僕の背に一くんの掌が触れる。
「君の手で、僕を滅茶苦茶にしてよ」
埋めた肩口から顔を話して耳元でそっと囁いたら、一くんは喉の奥で低く笑った。
「…帰ってから、やっぱり嫌だと言っても知らないぞ」
情事の最中を思い出させるような、低い濡れた声で囁かれて背中が粟立つ。
「…言わないよ」
呼吸が触れる距離で見つめて、頬を擦り寄せた。
「もっと、もっと、って…強請ってあげる」
そうしたら、忘れさせてくれる?
あの日みたいに。
君の腕で、君の手で、君の熱で。
「…性質(たち)の悪い猫だ」
機嫌の良い猫みたいに頬を擦り寄せる僕を、揶揄して一くんが笑う。
言いながら君は、擦り寄せた頬とは反対の頬を優しく撫でて、僕の腰を引き寄せて抱き締める。
「そんな猫も、…嫌いじゃないでしょ?」
頬を離して鼻先を合わせたら、口唇を掠め取られた。
「…そうだな」
布越しに触れる熱を感じて、そうして思う。
嗚呼、僕はもう君なしでは生きてはいけないのかもしれないって。
「君で僕を溢れさせて」
こんな我儘な僕を優しく甘やかせてくれる人も、愛してくれる人も、そっと受け止めてくれる人も、君しか居ないんだ。
新撰組の剣になると言って、抜き身の刀みたいに振り回って、触れるもの全てを斬り付ける僕を、血を流しながら握り締めて止めてくれる人もきっと君しか居ない。
だから、僕は思う。
君より、早く死にたい、と。
言ったら、君はあの鈍い蒼い炎を宿した蒼色の瞳で僕を睨み付けるんだろうけど。
だけど、もう。
僕には、もう君しか居ないんだ。
君しか要らないんだ。
「一くん、好きだよ」
囁けば、抱き締めてくれる腕に力が込められる。
僕を見つめる、蒼い瞳。
嗚呼。君こそが、僕の光。
だって、僕に差し出される腕は、
こんなにも あたたかい。
終
斎沖
だから、
どうか消えないで。