美しき日々





途切れることはなく

続いていくという事







し き 日 々









日に日に細くなるこの腕と指先を見つめて、ひとり想うことがある。







大きな捕り物があった巡察から帰り、永倉は肩を叩きながら廊下を歩く。

その廊下の先で、少し猫背気味な細い身体が足を庭先に投げ出して座って居るのが見えた。

声を掛けようと片手を上げて口を開こうとするが、その横顔の表情に一瞬息を詰める。

白い頬と、どこか一点を見つめる闇色の瞳。

いつも笑顔を振りまき無邪気に話をする、昔から見知った彼の表情がそこには無かった。

江戸に居たあの頃も、時々驚くほどに大人びた顔をして見せた彼であったがそれとも違う。

上げかけた右手を下ろして、腿の辺りで軽く一度握り締めてから永倉は口を開く。

「総司」

縁側にひとり腰掛けている総司に声を掛けた。

声に驚いたように軽く肩を揺らし、総司は近寄って来る永倉を見上げた。

その頬には、いつもの見慣れた微笑み。

「…お帰りなさい」

「おう」

総司の表情の変化に永倉は内心そっと眉を寄せながら、頬には笑みを刻む。

昔からの総司の悪い癖だと思う。

幼少の頃、歳の離れた者達と育ったせいか、総司は人に心配されることを極端に嫌う。

そしてそれに触れられることも許さない微笑み。

その微笑みの奥に、人前には出さない繊細な糸があることを永倉は知っているつもりだ。

何とも言えない苦々しさを噛み締めつつ永倉は総司の顔を覗き込む。

腰掛ける総司の横に並んで座った。

「何、見てたんだ?」

中庭の何かを食い入るように見つめていた横顔を思い出して永倉が言う。

永倉の言葉に総司は瞳を細めると、庭先に目を向けた。

「花をね、見ていたんです」

総司の視線を追って庭に瞳をやると、その先には鉢植えに青紫色の花が咲いている。

「俺、花の名とかはさっぱり分からないんだ」

「あれはね、竜胆って言うお花ですよ」

「リンドウ?」

「夏にお水をたくさんあげるんです。花を咲かせるのはちょうど今時期で…竜胆って、咲いている花に水が掛かると閉じてしまうんですって。ずっとね、お水をあげてたんです。」

綺麗に開いた青紫色の花を微笑みを浮かべて見つめながら、総司が言った。

その横顔を見ながら、そう言えば庭で花に水をやっている総司の姿を見たことがあったなと永倉は思う。

「へぇ。…花が咲いてる時に水が掛かると閉じるのか」

「…不思議ですよね。今日ね、やっと咲いたんですよ?綺麗に咲いて良かった」

嬉しそうに言う総司に瞳を細めて、永倉も花を見つめた。

そして羽織っていた浅葱色の羽織を脱ぐ。

一瞬の沈黙を先に破ったのは総司の声。



「永倉さん、血の臭いがしますね」

瞳は花を見つめたままで、総司が静かに口を開く。

永倉は一瞬視線を花から総司に向けるが、その白い頬を一目見てそれを自分の膝元に向けた。

たたみもせず脱いだそのままに膝の上に置いた羽織に散る紅い染み。

いつもよりも何だかどす黒く見えて永倉は瞳を伏せた。

「…あぁ、ひとり斬って来た」

穏やかに花を見ている時にはとてもそぐわない会話。

そんな毎日にも慣れきっている自分に永倉は嘲笑った。

「永倉さん?」

その笑いに気付いてか、総司が永倉を見て首を傾げて見せる。

「何でもねぇよ」

総司の頭に手を伸ばして少し乱暴に撫でると、総司は声を上げて無邪気に笑う。

「もう、永倉さんはそうやってすぐ私を子供扱いする」

苦笑を頬に浮かべる総司に向かって永倉は思い切り瞳を細めて微笑んだ。

人懐っこい笑顔が顔に広がる。

「さてっ」

一言発してから永倉は勢い良く立ち上がった。

「俺は部屋に戻るぞ。お前も後から巡察組だろう?それまで休んでた方が良いぞ総司」

「もうすぐ部屋に戻りますよ」

永倉は総司の言葉に軽く頷くと、一度庭先に咲いた花を見、それから廊下を歩いて行った。

その背を見送ってから総司は下駄を履いて庭に出る。

青紫色の花を咲かせる竜胆に近寄り、鉢のすぐ傍にしゃがみ込んだ。

曇った空を見上げてから、そっと花に指先を伸ばす。

「…雨…降るかなぁ…」

灰色の雲が一面を覆う空。一雨、来そうな感じがする。

「せっかく、咲いたのに」





廊下を歩く足を止めて、永倉はゆっくりと振り返った。

庭に下りた総司が鉢植えの傍に膝を抱え込んでしゃがむのを見て。



「…血の臭い」



低く、呟く。

握り締めていた右手を開いて、掌を見つめる。





「取れないと、思うようになったのはいつからだろうな」











「刀を捨て、大人しく縄に付いて下さればこちらも手荒い真似はしません。…刀を捨てなさい」

言い終わらないうちに刀を振り上げて斬りかかって来る浪士に、ゆっくりと刀を構える。

袈裟斬りに振り下ろされる刀を上段に薙ぎ払い、空いた上半身を斬り下げた。

刀の走った痕から血を吹き出させながら、前のめりに倒れる身体を見下ろす。

その闇色の瞳には、冷たい光。

斬り口が少し浅かったのか息の残る、倒れた身体の腕がゆっくりと伸ばされ総司の袴の裾を握り締めた。

血に濡れ苦痛に歪んだ表情を浮かべた男は総司を見上げて来る。

その焦点はもはや合ってはいなく、生と死の境界にあるのが見て取れた。

男が何か言葉を発しようと口を開き、総司の袴の裾を握り締める手に最期の力を込めるのと同時に、総司は刀を地面垂直に突き下ろす。

男の身体が大きく一度震え、握り締めていた手から次第に力が抜けると地面に静かに滑り落ちた。

「……」

男が口にしたのはひとりの女性の名前。

妻か、恋人か、それとも娘か。

いずれにせよ彼にとってきっと最愛の者の名であったのかと思う。

刀を引き抜く際の鈍い感触に瞳を伏せて血振るいをし、懐紙を取り出すと刀に付いた血を拭い納刀した。

もしも自分にもこんな風に最期が来たら、その時に一体誰の名を口にするだろうかと思いかけて頭を振る。

「沖田先生」

後ろでの小競り合いを治めた隊士達が数人駆け寄って来るのに笑顔で応える。

...いつものこと。

「隊士で怪我を負った方は」

「皆無事です」

その言葉に頷き、後始末の指示を出す。

素早く走って散る隊士達を見て、それから先程斬り伏せた足元に倒れる身体を見下ろした。

静かにその頭の傍に膝を付き、苦痛の残る顔を見つめた。

もう何も映してはいない、見開かれた瞳。

そっとその瞳に手を伸ばし、指先で瞳を閉じさせた。



「…貴方の死は…」



一体どうやってどんな風にして最期に口にした人へと伝わるのだろうか。

私もこの彼も、知る術は無いけれど。



「貴方の帰りを待っている人が居たのに」



この命を奪ったのは他でも無い自分。

斬り合って、殺したのだ。

この手で。この、剣で。

繰り返される生命のやり取り。

この姿は、もしかすると明日の自分の姿。

今日を生きて、明日を生きて。

それから。



...その、先には?




「…声は、届くのかな」



最期に伝えたいと想う人へ。

最期の声は、届くのだろうか。



知らない。



分かるはずも無いなら、祈るしか無い?



愛しい者の“死”は、どうやって心を占めて。

そこに、優しさの欠片はあるのだろうか。

甘く美しい響きはあるのだろうか。





「…血に染まったこの腕で、私はまだ生きる」







貴方は、知らない。









巡察を終え、土方の部屋に向かう。

「土方さん」

部屋の前で立ち止まって障子越しに声を掛けた。

「入って来い」

投げかけられた声に従って部屋に入ると、土方は文机に向かい書をしたためている。

少し離れた場所に正座し、大きなその背を見つめた。

暫し続く沈黙。

「…血の臭いがするな」

土方の低い声がそれを破る。

総司は軽く瞠目した。

「浪士を…斬って来ました」

「あぁ、報告は聞いた」

振り返らずに背を向けたままで土方が続ける。

また訪れるのは重い沈黙。

「…総司」

「何ですか?」

「…何があった」

土方の言葉に口を開きかけて、一度それを噤む。

「何もありませんよ?」

「嘘だな」

ゆっくりと土方が振り返るその所作。

真正面から見つめてくる土方の精悍な切れ長の瞳を見つめ返す。

「どうして?」

「…何か隠していると分かる」

「ふふ…」

苦笑を滲ませて総司が微笑むと、土方はその身体に手を伸ばす。

誘われるままに立ち上がり、土方のすぐ傍まで膝を寄せた。

肩に腕を回されて、抱きすくめられる。

刹那、あぁ今日も帰って来たのだと言う実感が込み上げて来て、総司はそっと自嘲した。

「今日斬った人にも…大切な人が居たのだと思って」

総司が口にした言葉に、土方は瞑目する。

「…彼の死を知って、泣く人がきっと居るのだろうと思って」

両掌をそっと開いてそれを見つめた。

ひとつの生命を奪った、剣を握るこの手。

認めたくは無いけれどまた少し、細くなってしまったかも知れない。

血に染まって、もう汚れてしまったこの腕。

手を握り締めようと力を込めると、その手を土方の手が握る。

温かい。

大きな手で包み込むように握り締めてくる土方の手に、指を絡めた。

総司の所作に土方は穏やかに瞳を細め、指を絡めて来た白い手に口唇を寄せる。

「…血が」

「血など付いているものか」

「この手は汚れてしまっている」

「…それがどうした」

そっと、俯いた。

「貴方に、血の臭いが移る」

絡めた指先に力を込めると土方のその手も握り返してくる。

柔らかく伝わって来る肌の感触と温もりに、訳も無く泣きたくなる。

「消えないのはお前だけじゃ無い」

いくら手を洗っても、拭えないあの独特のぬる付いた感触。鉄の臭い。

染み付いて、離れない。



「お前、俺が死んだら泣くか」

徐に口を開いた土方のその言葉に、総司は弾かれるようにして顔を上げた。

絡み合う視線の先の、静かな光を宿す土方の瞳に総司は瞳を細める。

頬に浮かぶのは、綺麗な微笑み。

「…泣きませんよ」

思っていたよりも明るい響きの声が土方の耳に届いて。

「貴方が私より先に死ぬことは有り得ませんから」

言い切る総司の言葉に、土方の切れ長の瞳が瞠目する。

何か言いたそうに口を開く土方が言葉を発するのを遮って総司は続けた。

「私が…貴方を守るからです」



死ぬ時は一緒だなんてよく耳にするけれど、

そんなこと 果たして本当に叶うことなのだろうか。



「…こんな腕でも…まだ守れるものがあるなら」

あとどれだけ貴方を守れるか。

こうして傍に居られるか。

分からないけれど、愚かにも祈りながらこうして傍に在るから。



この世の全てに、最期があるのだとしても。

理に逆らってでも、守りたいものがあるから。





「総司」





未だ見ぬ夢



剣を握って 切っ先を振り下ろして 肉と骨とを斬り

拭い落とせない 血を浴びて。



罪を背負い



それでも。




「守り続けるから」

死は いつも隣り合わせにあるけれど。



「だから…泣きません」



絡めた手とは逆の手で、土方が総司の細い頤を掴み口唇を重ねた。

次第に深くなるそれに総司の瞳がゆっくりと閉じられる。

闇色の瞳が長い睫毛に隠されるのを土方は見つめながら、身体に腕を回して引き寄せた。

逃げようとする舌を絡め取って更に深く求める。

交わした口付けに、微かに血の臭いと鉄の味がする感じがして。

土方は瞳を閉じ、総司を抱く腕に力を込めた。













土方の部屋を出て、自室に向かって廊下を歩いてゆく。

外は、灰色の雲が抱えきれなかった雨。

「……っ」

走り出した。

縁側に面した、鉢植えを置いてある中庭へ向かう。

秋の冷たい雨に濡れた青紫色の花。

すっかり、閉じてしまった。

濡れることも気にせず庭に出る。

ゆっくり、ゆっくりと鉢植えまで近付き立ち尽くした。

冷たい雨が、熱い身体を冷やしていく。

急速に熱を奪われる身体。

咽喉の奥から咳が込み上げてきて、上半身を折り止められない咳を繰り返した。

口元を押さえた指先から、鮮やかな血が流れ出す。

それは指を伝い、腕を伝い着物の袖口を朱に染め始めて。

指先から地面に滴り落ちた鮮血が、雨に流される。

倒れそうになる身体を叱咤しその場にどうにかしゃがみ込んだ。

乱れて荒い呼吸の中で、血に染まった掌を見つめる。紅。

震えているその手に、総司は微笑んだ。

「…ふふ…」





日に日に細くなるこの腕と指先を見つめて、ひとり想うことがある。





「このままこうやって…いつまで…?」

いつまで貴方を守れる?

この腕で。

いつまでこうして居られる?





閉じてしまった青紫色の竜胆の花にそっと触れた。

指先に残った紅が、その花を染める。

残酷なほど、綺麗に映った。

知らないうちに頬を濡らしていた雫は、雨にかき消されて。



「まだ守れる」

花を染めた鮮血が、雨に流されてその色を薄れさせてゆく。

紅が消えた青紫の花の色を瞳に焼き付ける。

この吐き出した血は、流れるのに。

激しさを増すばかりの雨にも、腕に染み付いた血は流れはしない。



「…貴方を守る…」

離れたくない。離れるのは嫌。

貴方の傍で。貴方だけを。





それでも。

いつかこの身体はきっと離れてしまうけれど。



雨に打たれ、体温を奪われた冷たい指先を握り締める。





それでも 逝くだろう

あなたを 残して。




「まだ…」



それまでは。

この腕で、貴方を守るから。





「…ッ」

後に零れるのは嗚咽。









「…生きて」






















土沖








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