夏の欠片


きっと、いつか。







 の 欠 片











黒谷での会合を終え、土方は重いため息をつきながら自室へ続く廊下を歩く。

しばらく廊下を歩き、角を曲がるところで人の気配を感じて、ふと土方は歩みを緩めた。

「…総司?」

土方の部屋の前に面した廊下の縁側に腰を下ろし、所在なさそうに脚を前後にふらふらと動かして座っている青年に声を掛ける。

俯いていた顔が、ゆっくりと土方を見上げた。

頬には、淡い微笑み。

「…土方さん」

柔らかい声音が土方の名前を呼び、そしてその言葉を綴った形の良い紅い口唇が笑みを零した。

「おかえりなさい」

「…あぁ」

会合での疲れで重くてたまらなかった身体が、ほんの少し軽くなった気がして土方は内心苦笑した。

縁側に座ったままの総司の傍までゆっくりと歩いてゆき、見上げてくる瞳を見つめる。

「何やってんだ、お前」

「土方さんのお帰りを待っていたんです」

「それは俺の部屋の中に居ても出来ただろうがよ」

「えぇ…でも、此処の方が部屋の中に居るよりも早く土方さんにお帰りなさいを言えるでしょう?」

闇の色をした大きな瞳が見上げて来る。

何気ない言葉に、こんなにも安らぎを覚えてしまう自分に土方は少し驚きながら、その瞳を見下ろした。

陽が傾き始めた時間。一体いつからこうして此処に居たと言うのか。

「…馬鹿、京の夏は暑いんだ。こんな処に居たら暑さにやられちまうぞ」

「平気ですよ」

心配性なんだから、と総司が呟いてまた無邪気に土方に微笑い掛ける。

一瞬、その瞳に吸い込まれそうな気がして、土方は瞳を逸らした。

「総司…来い」

障子を開けて、声を掛ける。

一歩先に自室に入り、後ろの気配を伺うが動く気配を感じない。

土方は、ゆっくり振り返った。

「…総司?」

首を傾げ、子供のような無邪気な顔をして見上げて来る総司に土方はひとつため息をついて。

踏み入れていた足を廊下に戻し、総司の横に立った。

そのまま、しゃがみ込む。

総司の白い頬に手を伸ばして、そのまま目尻に口付けた。

「…ふふ」

くすぐったそうに肩を竦めながら、総司は土方のその手に頬を摺り寄せる。

総司の手が、土方の手に重なって。

「土方さん、あのね。…わがままを言っても良いですか?」

「わがままかどうかは、俺が聞いて決める。…何だ」

周りに人は居ないのに、まるで秘密の話をするかのように総司は土方の耳元に口を寄せた。

そうして小声で囁く。

「…お祭りに、行きたいんです」

「何…」

土方の耳元から口を離して、総司が土方を見上げた。

「…祭り?」

「そうです」

大きな瞳を思い切り細めて、総司が笑う。

土方は黙ってその表情を見つめて、深くため息を吐いた。

その反応に、総司の表情が曇る。

土方のそれが分かって、総司が口を開く前に言葉を発した。

「…あのなぁ、総司」

「何ですか」

総司の細い肩を、そっと引き寄せた。

そして総司が先程したように、耳元に口唇を近づけて低く囁く。

「そういうのは、わがままとは言わねぇ」

言って、総司に向かって土方は口の端だけを上げて薄く笑って見せた。

刹那、曇っていた総司の顔に綺麗な微笑みが浮かぶ。

「土方さん」

ふい、と土方は顔を背けて立ち上がった。

「…行くぞ」

背中を向けたままで、総司に声を掛ける。

その大きな背中を見上げて。そっと、ひとり微笑んだ。

「…はい」













「…うわぁ」

子供のように瞳を輝かせて、総司は境内に並ぶ露店を楽しそうに回って行く。

そのすぐ後ろを土方がゆっくり歩いて。

周りは、親子連れがほとんどである。

俺だけ不釣合いだなと、土方は苦笑した。

人込みに紛れて歩いて行く背中を見つめる。

チリンと、綺麗な音が耳の端に入って来て土方はふとすぐ横の露店に目をやった。

鈴だ。金の鈴と銀の鈴。

ぶら下げて飾られた鈴が、風にそよぐたびチリンと小気味良い音を響かせる。

金の鈴には赤い紐。銀の鈴には紫の紐。根付のようだ。

頬を軽く掻きながら、土方は歩みを止めた。





「土方さん、見て下さい」

前方から、土方に向かって総司が走り寄って来る。

にっこりと笑って差し出された総司の手の中には、舟らしき作り物。

綺麗な千代紙で作られているのだろうその舟を、総司は壊れ物を扱うような仕種で掌に収めた。

「…どうしたんだ」

「あの露店で、買いました」

振り返って、総司が言う。

「風車と迷ったんですけど…これにしました」

その露店には、鮮やかな千代紙で作られたたくさんの風車が回っている。

カラカラと、独特な音がここまで聞こえて来る。

土方は、その鮮やかな色に瞳を奪われた。

----------懐かしい。そう、思った。



「…懐かしいですよね?土方さん」

心を見透かしたかのように総司が土方に向かって微笑い掛ける。

土方は一瞬、瞠目した。

「…高幡にも、行きましたね…」

足を止め、風車が並ぶ露店を総司が見つめる。

鮮やかな風車を見て、眩しそうに瞳を細めた。

高幡不動。

名を聞いただけで、懐かしい、日野の景色が浮かんだ。

その感傷を振り切るようにして。

「…総司」

「はい」

「夜も更けた……帰るか」

土方を見上げて、総司は無言で頷く。

境内を背に、ゆっくりと歩き出してしばらくしてから。

「土方さん」

「何だ」

「寄って行きたい処があるんです」

心なしか、潤んだ闇色の瞳を見つめる。そっと、白い頬に指を滑らせた。

「何処だ」



「…鴨川」



風が、吹いた。









「…ありがとう、土方さん…楽しかったです」

鴨川の川辺に並んで座って、その流れを見つめた。

川辺は、やはり風が冷たい。土方は横に座る総司の顔をそっと見つめた。

少し、頬が青白い気がする。

「寒くねぇか、総司」

「平気ですよ」

くすくす笑って総司は答えるが、触れた頬は冷え切っていた。

「ねぇ土方さん、風車…懐かしかったですね」

「あぁ…そうだな」

「土方さん、私が小さかった頃、高幡不動に連れて行ってくれましたよね。覚えていますよ」

そっと、総司が瞳を伏せる。長い睫毛が、頬に影を落とした。

「はしゃいで走り回って…」

「そうだ、転んで足を捻ったお前を俺が背負って帰ったんだ」

苦笑交じりに土方が言った。

「ふふ…そのまま私、土方さんの背中で寝てしまったんでしたよね」

「ぐっすりな。…でも手に持った風車は離さなかった」

「だって土方さんが買ってくれたものだったから」

総司の視線が、土方を捕らえる。

「嬉しかったんです」

そう言って、総司は徐に立ち上がると川の流れの際まで近付いて行った。

土方も立ち上がり、その背を追う。

袴の裾を軽くたくし上げて、総司はもっと川の流れに近付くとそこでゆっくりとしゃがみ込んだ。

そして、先刻買ったと言う舟をそっと取り出し、川辺で摘んだ野花をその中に入れる。

その様子を土方は無言で見つめ、総司がこの舟を買った目的を理解したのか、眉を寄せた。

総司も、そんな土方の表情の変化に気付いたのか、柔らかく苦笑する。



「……魂送り、ですよ」

手の中の舟を見つめて、総司が静かに言う。

「今日は彼岸ですから」

その指先が微かに震えているのは、この風の冷たさ故か。…それとも。

「こんなことしか…私には出来ないから」

呟いて、川の流れに舟をそっと置いた。

刹那、流れて行く舟。

流れて行くその舟を、総司は立ち上がると無言で見つめた。

その表情を、風に靡く黒髪が隠してしまう。

「…総司」

「斬って、命を奪ってしまった私に送られても…嬉しいことは無いのでしょうが」

瞳を伏せ、それでも微笑む総司を土方は自分の腕の中に閉じ込めた。

顔を総司の肩口に埋めれば、総司の指先が土方の背中に縋る。

「…そんな瞳をして笑うな」

「土方さん、…でも」

「何も言うな」

それだけ低く告げて、土方は総司の口唇を自分のそれで塞いだ。

触れた瞬間の口唇の冷たさを埋めるようにして、深く求める。

「…ん」

息苦しさに顔を一瞬背けようとする頤を掴み、更に吐息を絡めた。

口唇が離れた瞬間、土方の腕が総司の身体をきつく掻き擁く。

「…還りたいか」

あの頃に。人を斬ることなど知らなかった頃へ。

たくさんの血を浴びる、その前の自分へ。

「土方さん…」

「答えろ、総司」

土方の射るような視線を総司はまっすぐに受け止めて、それから淡く微笑んだ。

「懐かしいとは、思います…けれど」

声音は、静かで。

吐き出された声が震えていないことに気付いて、それに安堵した自分を土方は嘲笑った。

「貴方が居るこのときに、貴方とともに在れる…それが私の全てですから」

土方とともに在ることが唯一の願いである総司の、偽り無い本心。

「今…土方さんとともに在れたら私はそれでいい」

還りたい、なんて思わない。

思いたくない。

そっと、土方の背中に回した指先に力を込める。

「総司」

抱き締めたまま、土方は総司の耳元で低く囁いた。

「覚えているな?」

低く、吐息混じりに囁く土方の声に、総司の肩が震える。

それを隠すようにして、総司は土方の背中に縋る指先に更に力を込めた。

「俺は…お前と歩いてゆくと言った」

総司は、土方のその言葉を聞いてそっと微笑む。

「私は、貴方から離れないと言いました」

今度は総司の方から、土方を抱き締める。

「……忘れる訳が無い」

静かに告げる総司の頬に、土方の掌が触れた。

それから、頬の滑らかな感触を指先で確かめて。

懐から小さな銀の鈴を取り出して、総司の大刀の栗形と下緒の結び目に、それを器用に通し括り付けた。

チリン、と軽い音が鳴る。

「土方さん…?」

「お前は、こういうものが好きだろうが」

照れたように顔を背けて言う土方の端正な横顔を、それから今しがた付けてもらった鈴を、総司は交互に見た。

指先で鈴に触れ、その音を楽しむ。

「…ありがとうございます」

綺麗に微笑んで、総司は愛しそうにその鈴を握り締めた。

もうひとつ、土方の手の中にある鈴を総司が見つけ、そっと尋ねる。

「土方さん、それは…?」

「俺のだよ」

「土方さんの?」

「らしくないと、笑うか?」

金の鈴を、総司に見せて土方は軽く笑った。

総司の指が、土方の手の中の鈴を絡め取る。

「…いいえ」

そう言うと、総司も同じように土方の大刀に鈴を括り付けた。

「…とても嬉しい」

「そうか」

風が、鈴を軽やかに鳴らす。

静まり返った川辺に、その澄んだ音は響いて。

「綺麗な音」

ふふ、と無邪気に笑う総司の肩を抱き、土方はゆっくりと歩き出した。

「風邪をひく。…そろそろ帰るぞ」

「はい」

肩を抱かれるまま、それに従う。

肩を包む土方の大きな手から伝わる温もりが、何故か泣きたくなるくらいに嬉しいと思った。

屯所に向かって、ゆっくりと歩いて行く。

総司は、鈴の音にそっと耳を澄ました。



「もう…夏も終わりですね」

見上げると、土方は無言で頷いて見せる。

その穏やかな土方の表情に、総司は微笑んだ。





こんな、何気ない夏の日。

貴方と二人で歩いたと、ひとり思い出す時が来るのでしょうか。

この鈴の音さえも、切ない音となるような。

----------思って、総司はそっと自嘲した。





たとえ、思い出すことさえ辛くなる日が来ても。





それでも、いつかまた

思い出すだろう。






鴨川に架かる橋を渡りながら、川の流れを見下ろす。

遠くへ流れて行ってしまったはずの舟を見た気がして、総司は瞳を凝らした。





「…どうした?」

「いえ、…」

「…何だ」





還れない、日々を。

還らない、記憶の欠片を。







……たとえば、今日のように?










「魂送りが、……誰かに届いたような気がして」
























土沖








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