予感 上





言いようの無い、この漠然とした不安。





予 感









「--------」

背後で、寝返りを打つ気配がする。

斎藤は身動きせず、瞳を閉じたままその気配を追った。

背後の気配の主は、そっと布団から身を起こし音も立てずに障子を開け、部屋から出て行った。

廊下を歩いてゆく音さえも立たず、その気配は次第に部屋から遠ざかってゆく。

少し間を置いてから、斎藤は音も無く布団から起き上がる。

そして、自分の横に敷かれた、今は無人の布団をじっと見つめる。

ここ数日、こんな風なことが続くのだ。

--------同室の彼が、夜半になるとふと部屋から居なくなる。

「……」

何とも言えない、この胸の中の重たさは何だろう。そう思う。

ここ暫く、妙に気に掛かること。

いつもひとりで何かを抱え込む癖のある彼が何かを隠して居るのは、きっと紛れもない事実。

自分がそうであるように、他人に深く詮索されることを彼が嫌って居ることも承知しているけれど。

今、動かねばいけないと言うこの予感。今日まで生きてきて、それが外れたことは無い。

「…」

同室の、彼の名を呟いて。

多少乱れた寝着の襟を正し、斎藤は立ち上がると部屋から出た。







廊下に出ると、夏が近い京都の独特の湿気が身体にまとわり付いてくるように思える。

それは、抱えたこの予感をまるで悪い方へと運ぶかのようにも感じられて斎藤は眉を顰めた。

廊下を足音一つたてず歩く。

何処へ行ったかは分からない。が、己の直感が斎藤の足を進めさせる。

突き当たりの角を曲がり、更に続く廊下の奥へ瞳を凝らすとその端に座る人影が見えた。

一歩、歩みを進めた瞬間僅かにその影が動く。

それは一度こちらを見たような動きを見せ、それからまた同じように前に向き直った。

表情が分かるまで近付くと、座っている身体がゆっくりと顔を上げる。

「…一さん」

穏やかな微笑みを浮かべるその頬が、いつもよりも白い気がした。

「どうしたんです?こんな夜半に」

「…それは俺の科白だ」

間を置かず返されるその言葉に、穏やかな微笑みは苦笑に変わった。

「総司」

苦笑を浮かべたままに、口を噤むその人の名を呼ぶ。

「…ここ数日、どうした」

「…何がです?別に何でも…」

「嘘だな。何でもない、と言う言葉は聞かんぞ」

言って、斎藤は総司の頬に手を伸ばしてその肌に触れた。

触れる頬も、微かに熱い気がする。

「顔色が悪い…夜目でも分かる」

総司は一瞬驚いた表情をして見せ、それからまた瞳を細めて微笑った。

「どのくらい、眠っていない?」

低く問われたその言葉に、総司はもう一度瞠目した。

そして、逸らしていた瞳を斎藤の方へと向ける。

「困ったな……いつから…気付いていたんですか」

逆に問い掛けられて、斎藤は軽く吐息を付いた。

「お前が部屋を抜け出すようになってすぐだ」

「本当に…一さんには敵わない」

「…総司」

少し強い口調になった斎藤に微笑み掛け、総司は頬に触れる斎藤の手に自分の手を重ねた。

「平気ですよ、最近ちょっと暑くて寝付けないだけです」

確かに、京都の夏の暑さは慣れない身体には辛い。

それでも、寝付けないだけでこんなにも顔色が悪くなるものか。

額が、熱くなるものか。

嘘だと、思った。

「ごめんなさい、いつも起こしてしまっていたのですね」

思考を止めたのは、総司の申し訳なさそうな声。

いつもそうだ。

隣に座るこの彼は、いつもこうして他人のことばかりを気に掛ける。

「眠りはいつも浅い…それは良いんだ」

こんなことを言いたいのではない、そう思いながら斎藤は頬に触れていた手を離し、その上に重ねられていた総司の手を軽く握り締めた。

「寝付けないからと言ってどうして部屋を出る?隣に人が居るのは息苦しいか」

それは昔の自分だ、そう、言葉を口にした瞬間思いつつ続けた。

「そうじゃないんです…ただ」

「ただ?」

「この場所で、夜が明けてゆくその色の変わり方を見ていると…眠れなくても気分が良くて」

「空の色?」

「一さん、じっくりと見たことがありますか?真っ暗い夜空が、朝に変わるまでの全ての色。綺麗なんです。同じ色は無いくらいで…すごく、綺麗なんですよ」

そう言って、夜空を仰いで総司は瞳を細める。

青白い頬をしながら言うその横顔が、一瞬遠く見えて斎藤は総司の肩を掴んだ。

「…一さん?」

首を傾げて、不思議そうに見つめてくるその身体を腕の中にいっぺんに抱き込む。

この腕が、覚えている数日前の彼の身体よりも、小さく感じたのはただの錯覚か。

「--------何でもない」

低く呟くと、腕の中の総司が吐息混じりに笑った。

伏せた顔を上げると、まるでいたずらっ子のような顔の総司が斎藤を見つめている。

「…ふふ…一さんのその言葉も嘘だ」

確かに嘘だったけれど。

...言えるものか。

お前が、遠くに見えたと?

--------言うものか。

消えかけていた、胸の中に重い痞(つか)えが蘇る。



「…煩い」

一言だけ囁いて、笑みの残る口唇に斎藤は自分のそれを重ねた。

触れた柔らかい感触をゆっくりと確認してから口を開くと、重ねていた総司の口唇も薄く開かれる。

「…ん」

零れた声をすぐ傍で感じながら、深く吐息を絡めてゆく。

背に回した腕に力を込めると、総司の腕が柔らかく斎藤の首元に回された。

「今度から眠れなければ俺を起こせ。…多少、相手にはなろう」

「…一さんが…?」

「不満か」

斎藤の言葉に総司は首を横に振った。

「嬉しいです…でも」

「でも?」

「…一さんの負担になってしまう」

「負担かどうかは、俺が決めることだ」

言えば、微笑んで見せる総司に斎藤も瞳を細めた。

「…ありがとう……」

言葉を言い切る前に、総司の口から乾いた咳が何度か零れる。

それはすぐに治まったが、斎藤はその背を何度か撫でた。

「…総司?」

「すみません…平気です」

どうした、と問い掛ける前に総司が困ったと言うような表情で笑って見せる。

「夏風邪でも、ひいたかなぁ」

「…部屋に戻ろう」

頷く総司の肩を抱いて、ゆっくりと立たせると二人並んで部屋へと歩き出す。

「やっぱり、ひとりよりも二人で居た方が良いですね」





「…ひとりは、寂しいから」









何気無く呟いた総司のこの言葉。

この時は、そんなにも重い言葉だとは思わなかったけれど。





彼の身体をこの腕に抱いた時のあの違和感を特別気にしなかったことを、

この時気付けなかったことを、後々こんなに後悔することになるとは、

愚かにも俺はまだ 思ってもいなかったのだ。













それは、突然「現実」となって。










「…おい」

物々しい雰囲気の祇園会所の中で、擦れ違おうとする身体を押し留め、その肩を掴んだ。

そして、半ば無理やり自分の隣に座らせる。

「真っ青だぞ」

斎藤は、一重の瞳を細めて総司を見つめた。

当の総司は、すっかり出る準備を整えて頬には笑みさえ浮かべて斎藤を見ている。

これから、大掛かりな御用改めを行いにゆくとは思えないほどの穏やかさだ。

「…平気ですよ」

「いつも言ってるだろう、お前の“平気”ほど当てにならんものは無い」

総司を一瞥して、斎藤は脚絆をつけ草鞋をきつく締め直す。

顔を見ずとも、困ったような顔をして微笑んで居ると隣り合うその気配で見て取れる。

瞳を伏せて斎藤は深くため息をついた。

「…今日の見回りは、どのようなものになるやも知れぬか分かっているだろう」

草鞋を締め直し終えた斎藤は真っ直ぐに総司を見据える。

「分かっていますよ」

驚くほどの明るい声に、斎藤は知らず瞳を見張った。

「…ならば」

「だから、ゆくのです」

「総…」

言いかけた斎藤の声を遮って、並んで入って来た近藤と土方が二人の前の方で立ち止まる。

そして会所内に居る隊士達に近藤が声を上げた。

「皆、随分待たせてしまったな。各自準備は良いか」

待っていたはずの会津の援軍の姿はまだ無い。

「会津の方々を待っておったが、もうこれ以上時を遅らすは機を失う。よって我らだけで参る!」

近藤のその声に、待っていたとばかりに声を上げるのは原田である。

「その言葉、待ってたぜ近藤さんよ!そうと決まれば早く出ようや!」

勢い良く立ち上がり、そのまま駆け出しそうな原田を近藤は笑って見、手で止めた。

それを見て、土方が口を開く。低いがよく通る声だ。

「まぁ、待て。この通り、出動できる隊士の数が限られている上に見回り範囲が広い。探索方からの受けている情報によると、浪士が居る可能性が高いのは池田屋か丹虎だ。隊士を、近藤隊と土方隊の二つに分け其々鴨川の西岸、東岸を改める」

土方の言葉に頷きながら、近藤は会所内の隊士を見回して声を張り上げた。

「総司、永倉、藤堂、浅野、安藤、奥沢、新田、周平、谷さん、以上9名はわしの隊だ」

「その他の者は、土方が指揮する。以上だ」

「おい、土方さんよ、近藤さんの方はたった10名じゃねぇか」

また、原田が口を出す。

「その分、剣の実力があるものを集めた。変更はしない」

言い切り、踵を返した土方に原田が何かまた言おうとするがそのまま口を噤んだ。

土方のその声を聞き、斎藤は横に立つ総司を見た。

「総司」

「…一さん」

「生きて戻れ--------良いな」

言っって、青白い頬にそっと触れる。

その青さからは想像も出来ないほど熱を持った頬に、内心瞠目した。

そんな斎藤の思いを知ってか知らずか、総司は闇色の瞳を細めると綺麗に微笑んだ。

「一さんも…」

己の頬に触れる斎藤の手にそっと触れて、総司が斎藤の元を離れる。

その背を瞳で追い、斎藤も土方の方へと駆け寄ろうと踵を返した。

刹那、同じく近藤の方へと駆けてゆこうとする永倉と瞳が合う。

永倉もそれに気付いてか、口を横に開きニッと笑って見せて擦れ違おうとする。

その肩を軽く止めて、斎藤は一言だけ呟いた。

「…総司が、おかしい」

斎藤の声に永倉は驚いた顔をし、それをすぐに隠すと軽く頷いて見せる。

「分かった。…斎藤、武運を」

「永倉さんも」





「では、参る!」

近藤の張りのある声に気合の声を上げ、34人の隊士がいっせいに会所を駆け出した。











近藤隊とは別働隊の土方隊は更にその一隊をもう一つに分けて、鴨川の東側を念入りに改めた。

それらしい旅籠や料亭はほとんど見回り終えた頃。

斎藤は、前をゆく土方のすぐ背後から、声を掛けた。

「副長、西側へ急ぎましょう。…嫌な予感がする」

土方はチラリと斎藤の方を見やると、その端正な頬を歪ませて笑いそして言った。

「斎藤、お前もか…俺も同じだ。…嫌な胸騒ぎがしてならねぇ。急ぎこちら岸を改めて西に向かう」



駆け続けた。

時間だけが過ぎてゆく。

後ろに続く隊士達の、乱れた呼吸を聞きながら斎藤は口唇を噛み締めた。

思うのは、あの横顔の白い頬。熱かった、あの肌。



「…副長!!」

隊の向かう方向から、こちらに向かって一人の男が駆けて来る。

「急いで…西側へ…敵は池田屋!局長を筆頭に、戦闘中です!」

荒い呼吸の中告げられた言葉に、斎藤は歯軋りをした。すぐ傍に居る土方を見る。

険しい表情を浮かべた土方は斎藤のその視線を受けて軽く頷くと、声を張り上げた。

「皆、聞いた通りだ!これより池田屋へ向かう!!山崎、お前は源さんの別隊へそれを伝えろ」



時間だけが、過ぎてゆく。





乱れた呼吸も隠せぬほどに走り、池田屋に土方隊が到着した頃には、周囲は驚くほど静まり返っていた。

「近藤さん、土方隊到着!」

土方は内部に向かってそう叫ぶと、手早く隊士に指示を出し池田屋周辺を囲ませる。

隊士が散ってゆくのを確認してから土方は斎藤と原田に声を掛けた。

「斎藤、原田、お前らは俺と来い」

言われるままに、土方の後に付き池田屋へと入る。

「おおおっ」

入った瞬間に目に入ったのは近藤の大きな背中。それに斬りかかる、浪士。

「おうっ」

近藤の気合の入った声が響くと同時に、愛刀である虎徹が一閃し血飛沫があがる。

くず折れるように倒れ込んだ浪士の身体を冷ややかに見下ろす近藤のその目は鋭い。

内部は文字通りに血の海だった。

「近藤さん!遅くなってすまん」

「おぉ、歳!」

返り血を浴び険しい顔をしていた近藤に一瞬笑みが浮かぶ。

仁王のように立つ近藤の横には、顔面を血に染めた藤堂が真っ青な顔をして座り込んでいた。

「…平助!」

原田と斎藤が藤堂に駆け寄り、近藤のすぐ横に座り込むと瞳を閉じた藤堂の肩を揺らした。

「いっ…てててっ」

「平助…!」

「ガクガク動かすなよ…この通りちゃんと生きてるから」

額に縛られた広い布が真っ赤に染まっている。青い頬に藤堂は笑みを浮かべた。

「…近藤さん…」

声を掛けた土方に近藤は笑い、口を開いた。

「まだ人の気配が残って居る…数人潜んで居るやも知れぬ。見ての通り、藤堂が額をやられた。永倉も右手の親指に深手を負っておるが、二階へ登っている」

「二階…?…近藤さん、総司はどうした?」

土方が、繰り返し尋ねた。

「総司は二階におる。…が、先程から妙に静かでな。物音一つせん。今、永倉が様子を見に行った」

近藤の言葉に弾かれたように斎藤は呼吸を詰める。

先ほどから探していたのだ。彼の姿を。

見当たらない。どこに居る。

「…斎藤?」

変化に気付いてか、土方が声を掛ける。

土方の声も聞こえないように、斎藤は勢い良く立ち上がった。

その尋常ではない様子に何かを悟ったのか、土方もその後を追う。

瞬間、二階で永倉の揺れた声が響いた。



「…総司っ!」



その声に、一階に居た者たちが肩を揺らす。

階段を登ろうとした瞬間、突然障子の影から出て来た影に斎藤は居合いのような速さで抜刀し刀を構えた。

「副長!早く上へ」

土方は柄に手を掛けたまま階段を駆け上り、二階を見渡した。

一歩踏み出そうとしたその影に、まだ潜んでいた浪士が抜刀して切りかかってくるのを土方は受け流し袈裟に斬り下ろした。返り血が眼前を染める。

「永倉!俺だ」

声を上げてから、気配だけを頼りに暗い室内を歩く。

奥の一室に踏み込んだ、その時。

「総司!」

駆け出していた。

斬り合った後だと分かる、血だらけの永倉に抱き起こされた身体は、その身を紅に染め、少しも動かない。

「総司…総司っ!」

永倉から奪うようにして抱いたその身体の温かさにまず土方は安堵し、それから名を繰り返し呼んだ。

「…斬られたような感じは無い…けれど」

永倉の右手親指の辺りに何重にもして巻かれた布は、藤堂の額の布と同様に紅に染まっている。

眉を寄せているその様子は、その手の痛さだけでは無いことも表情から窺えた。

「おいっ…総司!」

必死に土方が呼び掛ける姿を、斎藤は遠くから見た。

そして、土方と、永倉と、彼らに見つめられた身体に向かって走る。

「…っ!」

駆け寄って、永倉の隣に片膝を付いた。

「永倉さん…」

咽喉の奥が乾いて、上手く声が出せない。

「総司…」

やっとのことで紡ぎ出せたその声は、可笑しいくらいに震えて。

力無く投げ出された、白い手を握り締めた。

ぬる付いたこの感触は、血液。

「しっかりしろ…総司っ」

何度目かの土方の呼びかけで、微かに総司の睫毛が揺れた。

それを見取って、三人が名を繰り返し呼ぶ。

「……」

ゆっくりと開かれる瞳が、必死の形相で名を呼ぶ土方の顔を捉えた。

瞳だけ動かして、更に斎藤と永倉の顔を見る。

微かに、微笑んだように見えた。

「--------ッ」

何かを言おうと、口を開いた総司の表情が突如苦しげに歪む。

土方の腕の中で細い身体がのたうつように咳を繰り返し、そして。

斎藤に握られた手とは反対の手で、口元を押さえていた総司の白い手の隙間から鮮血が流れ出した。

それは総司の口元を染め、顎を流れ、咽喉元までをも紅に染めてゆく。

「…総司っ!」

咳が治まるのと同時に、身体から力が抜け土方の腕の中へ身を埋める。

ぐったりと弛緩した身体を抱き締めて、土方が悲痛な声を上げた。

口元を押さえていた腕も、するりと滑り落ちて。

鮮血が、目の前で起こった残酷な現実をありありと三人に突き付ける。

土方は耳を総司の口元に近付けて、その呼吸を確認した。

口唇を噛み締めて永倉と斎藤を見回す。

永倉はかたく瞳を閉じて頭を振り、右親指の辺りを押さえる左手に力を込めた。

「…総司っ…」

揺れた永倉の声をすぐ横で聞き、斎藤は意識を手放した総司の顔をただ見つめる。

青いと言うよりも、真っ白だと言う形容が合うようなその肌の色。



湧き上がるこの想いは、後悔?それとも、不安?

--------それとも。

...恐怖?





「総司」

自分の声とは思えないくらいに掠れた声を意識の遠くで聞きながら、斎藤は総司の手を握り締めるその手に力を込めた。













あの時間が、すべて夢であったなら。










不意に布団の中の身体が僅かに身動ぎした気がして、土方は手元の書類の文面を追う目をそちらの方に向けた。

「……土方、さん…?」

掠れきった小さな声に名を呼ばれて、土方は待ち望んだその声に穏やかに微笑んだ。

手にしていた書類を置き、枕元から顔を覗き込む。

「…そうだ、俺だ。総司…」

掛け布団の上に手をやり、総司の胸の辺りをそっと擦る。

「咽喉が渇いただろう、水を飲むか」

微かに瞳を細めて微笑むと、総司は頷いて見せた。

土方は総司の肩口の腕を差し入れて上半身をほんの少しだけ起こさせ、碗を口元に運ぶ。

白い咽喉がコクリと動いたのを確認してから土方はゆっくりとその身体を再び横たわらせた。

少しだけ潤って紅さを増した口唇が、ありがとうございます、と動く。

「とにかく、今はゆっくりと休め…これは局長・副長命令だ、良いな?総司」

「…すみません」

「馬鹿。謝らなくていい」

苦笑を浮かべて土方は言うと、そのまま黙り込んだ。

重い沈黙。



--------予感が、した。

「…総司、お前に話がある」

「聞きたく…ありません」

土方の突然変わった気配を察して、総司は拒絶の言葉を放った。

「いや、無理やりにでも聞いてもらわねばならない」

「…っ土方さ…」

身を起こそうとする総司の身体を土方の腕がいち早く止め、そのまま片手で細い身体に負担を掛けない程度に、上から押さえ付ける。

「近々、俺は隊士募集のため江戸に下る。--------総司、お前も来い」

土方の言葉に、総司は呼吸を詰めた。

「お前が同行してくれれば、俺も心強い。何より久々の江戸だ、共にゆこう…総司」

やはり、と言う思いと、どうして、という思いが交錯する。

震えそうになる口唇をきつく噛み締めて、総司はゆっくり瞑目した。

「…嫌ですと、言ったら…」

「今すぐに返事を出せとは言わん。が、俺はお前と共に江戸へ下りたいと思っている」

土方の声は、いつもよりも低く、そして硬い響きがある。

「本当のことを…言って下さい」

「…何?」

「江戸へ共に下って…帰りは?京への帰り道は…私は同行出来ないのでしょう?」

「総司」

「土方さん、貴方は…江戸に私を残して、ひとりで行ってしまうのでしょう?」

...血を、吐いた。

それが、何を意味するのかは誰でも分かる。

労咳。人に伝染する可能性が極めて高く、やがて死へと至らしめる病。

噛み締めていた口唇を緩めると、自然と笑みが浮かんだ。

それは、まるで自嘲。

妙に現実の薄れた意識の中で、呟くように言った。

「もう…不要になったのなら、はっきりとそう言って…」

総司の言葉を遮って、土方が声を荒げる。

「…ッ馬鹿野郎!そんなことがあるものか!」

「ならっ…此処に置いて下さい…!」

肩が、揺れる。

「良いか総司、聞け。皆、お前を江戸に戻すは本望では無い。しかし此処では、治るものも治らん。江戸で静かに療養して、それから…」

「いいえ、そんなのは嫌です…!江戸で療養して…?それから?それからどうしろと言うのですか」

「…総司っ」

全ての言葉を否定するように、総司は頭を大きく横に振る。

土方の腕に押さえ付けられたまま、それでも総司は布団の中から両腕を出して土方の着物の肩の辺りを握った。

「…まだ…走れます…剣も持てます……まだ…まだ、動けますから…」

声が、揺れる。悲痛な響きのある声が胸に重く響いて、土方は掌を握り締めた。

「…総…」

「此処に、居させて下さい…」

震えながらも縋るように着物を握り締めるその指から、力が抜けることは無い。

「もうっ…此処しか居場所は無いんです…」

心が、震える。

揺れた声が、震える口唇から零れるのと同時に、総司の白い頬を雫が伝った。

「総司……」

その様を半ば呆然と見つめる土方のその瞳を、真っ直ぐに闇色の瞳が見つめている。

潤んだ瞳から、瞬きと共にもう一雫、流れて頬を濡らす。



「…ひとりになるのは…いやです…」



悲痛な響きの声に土方は眉を寄せて瞑目した。

きつく口唇を噛み締める。

好きで離したいものかと、ひとりにさせたいものかと己の心で想いが葛藤する。

此処に居たいと訴える彼の想いも、痛いほどに分かる。

それでも。

それでも生きていて欲しいと思ってしまうのは勝手な願いか。





「…時間をやる」

上から押さえ付けていた腕から力を抜いて、土方は総司の枕元から立ち上がった。

「少し、考えろ…良いな」

「土方さんっ…」

障子に手を掛けると、背後で総司の気配が動いたのが分かる。

優しい言葉など、知らない。

否。今この場所では、何が優しい言葉と言うのか。

近藤と己の想いは間違ってはいない。総司の願いも間違ってはいない。

では、一体何が正しいと言うのか。



「…土方さん…っ」



まるで悲鳴のような声が響いた。

その声を耳の奥に焼き付けながら廊下に出て、障子を後ろ手に閉める。

「っ…斎藤」

部屋のすぐ外に居たその気配の主に土方は肩を揺らし、その名を呼んだ。

いつの間に巡察から帰り、部屋の前にこうして居たと言うのか。

全く気付かなかった自分に苦笑した。

深いため息を、付く。

「--------聞いていたか」

「聞いていました」

「何故、入って来なかった」

「入るべきではないかと」

「…そうか」

もう一度、深いため息を付いて。

「--------」

土方は何かを言い掛けて口を噤み障子の方を見ると、そのまま廊下を歩いて行った。

少し早足で歩くその背を眺めて、斎藤は障子に手を掛け音も立てずに開く。

刀掛けに大刀を置き、部屋の中に敷かれた布団を横目で見た。

掛け布団を深く被って布団に横になる、総司の枕元に座る。

そっと、掛け布団に触れた。

夏用で厚さの無い掛け布団は、その上からも身体の感触が分かる。

布団越しに触れたその身体は確かに震えていた。

触れたその手に力を少しだけ込めて、身体を布団の上から擦る。

何度も何度も繰り返し。



「…ありがとう、一さん」

くぐもった声が布団の中から零れる。

その声には答えず、斎藤は肩の辺りを掌で包み込んで、上半身を倒し布団の中の身体に額を寄せた。



「一さん、……おかえりなさい」

肩を包む手に、僅かばかり力を込める。









「--------…ただいま」








------この痛みさえも、
いつかあの空に?


「予感」-下-へ続く















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