夢追い









それは、遠い記憶。







 追 い










床に伏せる日が多くなって、思うことがあるのです。

思い返すことが、あります。





貴方は、もう忘れてしまったかもしれないけれど。

私は、今でもたまに思い出すのです。

あの日の、ことを。



まっすぐな夢を見て、輝いたあの瞳を。











「宗次、試衛館の生活はどうだ」

尋ねてくるのは、いつもよりも少しだけ違う貴方の声音。

それに気付いて私は、夕暮れに染まる多摩川を眺めていたその瞳を貴方に向けた。

瞳に映ったのは、端正な横顔。

夕暮れの橙に染まった頬と、暮れかけた陽を受けて光るまっすぐな瞳。

眩しくて、つい私は瞳を細めた。

「楽しいです。…皆、良くして下さいますから。若先生も、周斎先生も…歳さんも」

紛れも無い本当で。

大好きだった母と姉の元を一人離れ、試衛館へ内弟子に入った私に、皆優しかったから。

家族を思い出せば悲しくて、寂しかったけれどそれを打ち消すように剣術にも励んだ。

悲しみや寂しさを忘れさせてくれるほどに、近藤先生や周斎先生、そして土方さんは本当に本当に優しく、厳しくしてくれた。

ここに来ることが、私の定めで、この人たちに出会うために、剣を知るために、私はこの世に生まれ出でたのかと思うようにもなっていた。

「…そうか」

はにかんだように笑う土方さんに、私も笑いかけて。



「宗次郎」

珍しく、私の名前を略せずに貴方が低く呼んだ。

「俺はな宗次郎、夢がある」

真っ直ぐに前を見て、土方さんが言う。

「俺ぁ、武士になる。武士になるぞ、宗次」

武士という言葉を口にする度、日野のバラガキと言われた土方さんの瞳が、無邪気に光るのだ。

その瞳の色が、私はとても好きだった。

「身分が己の可能性も志も縛るなんて、そんなもん馬鹿げてるとは思わねぇか。その家柄に生まれたというだけで、武士の風上にも置けないような輩が武士だと言って往来を歩く…そんなもん、馬鹿げてると思わねぇか」

「武士の風上にも置けないような…?」

「そうだ。余りに情け無ぇ奴らが多過ぎるんだ」

「歳さんの度胸があり過ぎるんですよ」

「馬鹿。茶化すな」

言って、私の頭を軽く小突くと土方さんは引き締めていた顔をほんの少し緩めて笑った。

「お前は、武士の出だ。今の武士はお前の目にどう映る」

「私は…武士と言っても父の代までのようなものだし…。姉上はいつも“武士の誇りを持て”と私に諭してくれたけれど、やはり大切なのは身分ではなく志です。武士よりも立派な武士でありたいと私も思うし、よく見る武士よりも歳さんの方がよっぽどらしいと私は思う」

「宗次」

「歳さんは誰よりも格好良いです」

微笑んで言った私を、土方さんは驚いたように少し瞠目して見つめてきた。

そしてその表情はすぐに照れの色に変わる。

「褒めたって何も出てきやしねぇぞ」

「本当のことですもの」

土方さんは小さく、そうか、と呟くと突然真剣な眼差しになって真正面から私の瞳を覗き込んだ。



「俺は、日野を…江戸を出る。嫌いな訳じゃあねぇ。でも、ここだけで俺は終わりたくはねぇんだ。何かでけぇことをしてやりてぇとは思わねぇか」

まるで喧嘩をする前のような、生き生きした表情に私は思わず笑ってしまう。

「馬鹿、笑うな。--------いいな、宗次郎」

声を潜め、土方さんは綺麗に輝いた瞳を私に近付けて来る。

迷いの無い力強い腕が、私の肩を握り締めた。

「俺のこの腕も、お前のこの腕も…いつか、必ず世に出る時が来る」

肩に回された手が、外に出しきれず内に篭った土方さんの熱を私へと鮮明に分けて来る。

「だからお前は、今のお前のまままっすぐでいるんだ。いいな?宗次」

念を押すように最後に呼び掛けられて、私は顔を上げた。

二重の瞳の奥で燃える、静かな炎が見える。

土方さんの頬を染める夕焼けの橙よりも、鮮やかな色。

--------眩しいと、思った。



「私のままでいたら、いつか歳さんがこの場所を出る時…私も、連れて行ってくれますか?」

「…宗次郎」



「一緒に、連れて行って下さい」



一瞬の、間を置いて。





「あぁ、そうだな」



とても優しい、穏やかな声で。

見惚れてしまう、微笑とともに。





「…共に、行こう」













後から聞いたら、あの時土方さんは私に嘘をついたと。

そう、思ったと言っていた。

本当は、連れて行こうとは思わなかったと。

江戸を出れば、どんな流れが自分達を待っているか、土方さんは分かっていた。

私も、分かっていたけれど土方さんはもっと分かっていたのだ。



剣を握ると言うことが、どう言うことなのか。

その剣で、人の命を奪うことがどう言うことなのか。

それは、どんな重さなのか。



全て分かっていたはずなのに、京へと私を連れて来た自分を土方さんは、責めた。

...土方さんは何も悪くなかったのに。



私の手を、血で汚したくは無かったのだと、瞳を伏せて言った土方さんの顔が忘れられない。

私の手は、そんなに綺麗なものでは無いのに。

--------貴方の方が、ずっと綺麗だった。



貴方のそんな不器用な優しさが嬉しくて、切なくて。

胸が、痛んだ。





でも、それも、もう前の話。













夢を語った日から暫く、土方さんは江戸の試衛館道場から足を離した。

そんな、ある日。

私の母が亡くなったという知らせが、届いた。













「宗次郎っ」

俯いていた私の肩を、突然大きな手が引く。

驚いて顔を上げるとそこには土方さんの顔があった。

顔を上げた私の表情を見て、土方さんは不意に驚いた顔を見せる。

泣いていると、きっと思ったのだろう。

「…歳さん」

呼び慣れた名を呼んで、頬に微笑を浮かべる。

すると土方さんは軽く舌打ちをし、私の横に腰を下ろした。

「お前…」

「…聞いたんですか」

「…あぁ、聞いた」

低い応えが返って来る。

「葬儀には、行ったのか」

問うて来る声は穏やかで。穴が開いた胸の中に、沁み込んでくる。

「行って来ました。…初めて、母を抱きかかえました--------軽かった」

「……」

「こんなにも小さい人だったかと、思い返しても余り思い出せなくて…それが逆に悲しかった」

「宗次」

「顔は、すごく穏やかで…姉さんも泣いてはいたけれど…」

「宗次郎!」

言葉を遮る声に、肩が揺れる。

その肩を、土方さんは少し乱暴に抱き込んでいつものように私の顔を覗き込む。

「何故無理に笑う」

「…無理?」

「そうだ、どうしてそんな風に笑う」

「…だって…泣いてしまったら母が向こうで悲しむんじゃあないかと思って…」

「馬鹿」

また、言葉を遮られる。

「そんな顔をしていた方が、お前のお袋さんはきっと悲しむ」

覗き込んでくる土方さんの瞳が、一瞬悲しそうに揺れた。

それはきっと、見間違いではなく。

「宗次郎」

「…はい」

「良いんだ」

良いのだと言うその言葉の意味が分からずにいると、土方さんはもう一度私の名を呼んだ。

「…宗次郎」

その声は、静かで、穏やかで。

「良いんだよ」

心を、揺さぶられる。



「今ここで、泣いちまえ」

泣くと言うその言葉に、敏感に反応する自分の弱い心が震えてしまう。

「…だって…思い出そうとしても思い出せないのに…泣いてしまったら母の顔が見えなくて…また思い出そうとしても…なおさら思い出せなくなってしまう」

「頭も心も一杯の時はまず全部溜まってるものを出さねぇときっと無理だ。全部出せ。そうしたら、きっと思い出せる」



あぁ、これが貴方の優しさなのだ。

思ったら、突然目の前の視界がぼやけてよく見えなくなってくる。

頬を指先で撫でられて、泣いているのだと気付いた。

「っ…初めて抱えた母は本当に本当に軽くて……なのに、すごく…重くて…」

言葉の矛盾は分かっていた。

でも、そうとしか言い表せず、後の言葉が続かない私を土方さんが引き寄せる。



「死んだ人を抱えて、重いと思うのは…死んだ人がどれだけ抱えている人のことを思っていたかを知るための重さだと聞いたことがある」



耳元で、土方さんの低い声が響く。

「思われていればいるほど…抱えている人にとって死んだ人の重さが重く感じるんだ。お前のお袋さんの、お前への思いの重さだよ」

引き寄せられるままに、私は土方さんに身を委ねた。

「共に暮らしては居なかったけれど…お前は、いつも思われていたんだ」

頭を抱え込まれ、土方さんの胸に顔を寄せるような形になった。

あぁ、温かい。

人の温もりが、何故か無性に懐かしいと思う。

「分かるか、宗次」

一度だけ頷いて、土方さんの胸の鼓動に耳を澄ませる。

静かに、それでも確かに刻まれる鼓動の音に胸が締め付けられる。

閉じた瞳の裏に、ぼんやりと浮かぶのは遠い母の笑顔。

次第に鮮明になるその笑顔は、いつのものかはもう思い出せないけれど懐かしい母のもの。

穏やかで、慈愛に満ちたその微笑を、自分は何度与えてもらったのだろう。

「…分かります…」

今なら、分かる。

遠く離れていても感じていた、母からの愛。

その、母の最期の重さの意味。

土方さんの、言葉の意味。

閉じた瞳から、とめどなく涙が溢れて来る。



この涙が乾いたら、母のためにもう一度、心から笑おうと思った。









全て、遠い記憶。










あぁ。

思い返せば、必ず傍に貴方が居ましたね。

土方さん。

いつも、いつも貴方が居た。

真っ直ぐ前を見るその瞳に惹かれ、そしてその傍に居たいと思ったのです。

貴方は私に“そのままの私”でいろと言うけれど。

私はあの時のままの貴方を守りたくて、今までこうして共に在ったつもりです。

私は、貴方を守れたでしょうか。

貴方のために、生きたいと思いました。

貴方のために、この世に在りたいと思いました。





共に、行こう





はじめは嘘のつもりだったと言う貴方のその言葉も、私にはかけがえの無いものだったのです。

その言葉を聞いて、離れないと誓いました。

貴方を、貴方の夢を、守ろうと思いました。



果たして、それは叶いましたか。

優しい貴方が京に来て、鬼になり。

その通りに、鬼と呼ばれ。

真っ直ぐに居た、貴方を私は守ることが出来たでしょうか。

土方さん。

貴方が、いつかこの世に出ると言ってくれた私の腕は、こんなに細くなってしまいました。

まだ刀が重いとは思わないけれど。

いつか、この腕で剣が振るえなくなる日が来るのでしょうか。

貴方の夢をもう、支えられなくなる日が来るのでしょうか。

貴方をもう、守れなくなる日が来るのでしょうか…。





貴方とこうして、夢を追ってきたのに。



...いつか、置いてゆかれる日が来るかもしれませんね。

貴方の足手まといになる私など要らない。

もう、要りませんね。





なのに、貴方は変わらず優しいから。

そんな日は来ないんじゃあないかと愚かにも期待してしまう。







瞳を閉じれば、貴方の足音が聞こえてきて。

この、床の上で意識を手放す。



「総司」



名を呼びながら、いつもそっと頬を撫でて。



「…寝たのか」

声音は、低くて穏やか。







「また、来る」







貴方のその言葉が愛しくて。





「-------何度でも、来る」





...思ってしまう。







まだ、私も貴方と共に夢を追えるのかと。





もうすぐ、それも叶わなくなるなら。

せめて。

目覚める時は、貴方の声で目覚められますように。





「…総司」







夢の中でも、私を呼んで。





「総司」









----------死んだ人を抱えて、重いと思うのは…死んだ人がどれだけ抱えている人のことを思っていたかを知るための重さだと聞いたことがある。----------











貴方が言った言葉。

祈っても良いでしょうか。

もしも私が、貴方の傍で死ねたなら。

私のその重さで、貴方が昔、私に言ったこの言葉を、思い出してくれますか。







思われていればいるほど…抱えている人にとって死んだ人の重さが重く感じるんだ。







貴方に、私の思いが伝わりますように。

貴方は、重いと思ってくれるでしょうか。









----------いつか、その日が来たら。

私の、最期の重さを焼き付けて。



貴方は、夢を追い、歩いて行ってくれますか。






















土沖








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