夢の途中
夢 の 途 中
「…は?風邪?」
目を丸くして言う土方に、近藤は笑いながら言った。
「あぁ、数日前から熱を出して寝込んでるんだ。顔でも出してやってくれ」
笑うその頬には笑窪が浮かぶ。
言いながら、手元は稽古道具を片付けて。
「宗次郎も、きっと喜ぶ」
近藤のその言葉に、土方は頭を掻きながら近藤に踵を向けた。
「…仕方ねぇな」
呟く。
「心配な癖に…トシ、またお前は…」
後ろで豪快に笑う近藤に苦笑しながら、土方は道場を後にした。
「ったく、風邪かよ。稽古が足りねぇなアイツ」
ブツブツと呟きながら縁側を歩き、ひとつの部屋の前で足を止める。
声を掛けようと思ったが、寝ているだろうと思いそのまま障子を開けた。
部屋の真ん中の大きな布団に小さな身体が収まっている。
後ろ手に障子を閉め、その枕元にどかっと座った。
白い頬が熱で紅く染まり、汗が滲んでいる。
寝ている顔をそっと覗き込みながら額の上に置かれた手拭いに手をやると、びっくりする位温かくなっていた。
「おいおい、尋常じゃねぇな」
言いながら手拭いを手桶の中に浸してじっくりと冷やしてから固く絞って額の上に乗せてやる。
すると、その瞳がうっすらと開いて。
熱で潤んだ瞳が枕元の人影を認めた。
「…若先生…?」
掠れた声が、荒い呼吸の中で言う。
「馬鹿野郎。しっかり瞳ぇ開けて見やがれ」
言い放った。
その次の瞬間。
熱にうなされているはずの宗次郎が淡く微笑んだ。----------ように、土方には見えた。
「…土方…さん?」
「あぁ、そうだ」
土方が自分でも驚くくらいの穏やかな声で。
横になる宗次郎の身体を、布団の上から擦ってやる。
「宗次、お前鍛錬が足りねぇな」
少しふざけた感じの口調で言うと。
「…宗次じゃありません…宗次郎です…」
いつものように丁寧に名前の略を正しながら微笑む。
その声は掠れて、いつもの響きは無く。
土方は、ふっと頬に苦笑を浮かべた。
「大した違いはねぇじゃねぇかよ」
土方のその言葉に、宗次郎はまた微笑って見せる。
「まぁいい、風邪の時ぁ寝るが一番だ。----------寝な」
言って、宗次郎の瞳にそっと手を置いてその瞳を閉じさせた。
手から感じる体温が、熱い。
「手…冷たくて気持ちいいですね…」
ほうっとため息をつきながら宗次郎が言った。
「そうか」
低く呟いて、その手を宗次郎の頬に持って行き紅く染まった頬を撫でる。
そのまま眠りに落ちた宗次郎を見つめて、土方は手桶を腕に立ち上がった。
その足で、井戸に向かう。
手桶の中の温くなった水を投げ捨て、冷たい水を汲み新しく流し入れた。
そう言えば、他人の看病などした覚えが無いなと思い土方は独り笑う。
「……」
無言で手桶を脇に抱え、さっきの部屋へと向かう。
布団の中の宗次郎は軽く眉間に皺を寄せ苦しそうな浅い呼吸で眠っていた。
枕元に座ると、宗次郎の身体が軽く身動ぎをして寝返りを打つ。
それに伴ってずれてしまった手拭いを額に戻して。
浅い呼吸を繰り返す紅い口唇に目を留めた。
少し顔を近付けて、宗次郎の顔をじっと覗き込む。
「…」
ただの偶然だろうが、宗次郎の瞳がそれと同時にまたゆっくりと開いて。
確かに、土方を潤んだ瞳で見つめた。
紅い口唇が、何か言葉を発している。掠れた声は届かなくて、土方は耳を宗次郎の口許に寄せた。
「…何だ、水か…?」
土方はそっと宗次郎の身体を起こして水の入った碗をその口許に持って行く。
しかしその水は宗次郎の口唇から零れ落ちて。
それを見て土方は宗次郎の身体を自分の腕の中に抱え直す。
ひとつため息を吐いてから、水を自分の口に含んだ。
宗次郎の頤に手を掛け、紅い口唇を少し開かせる。
そっと、宗次郎の口唇に自分の口唇を重ねた。
「…ん…」
コクンと、宗次郎の咽喉が動く。
宗次郎は軽く吐息を吐いて、再び眠りについた。
それを見て土方は宗次郎の髪を優しい手つきで撫でる。
その身体を布団に横にしてやった。
「…宗次郎」
宗次郎の額に乗せた手拭いをまた冷やして絞り、そっと熱い額に戻した。
「…ぅ…」
口唇から熱い吐息が零れて。
「…ひじかた…さ…」
ドクンと、土方の心臓が大きく鼓動した。
我知らず微笑んで、囁く。
「ここに居るぜ…」
夢を見ているのか、それとも土方の声が聞こえたのか、宗次郎の口唇の端が微かに上がった。
土方は何かに動かされるように、宗次郎の方に顔を近付ける。
----------やめろ。
自分の中で、声がする。
土方は、固く瞳を閉じた。
ゆっくりと瞳を開けば、目の前には宗次郎の顔。
薄く開いた口唇。
誘われるように、土方は宗次郎の口唇に自分のそれを重ねた。
軽く触れて、すぐに離れる。
そして、もう一度。
今度は深く吐息を絡める。
「…っふ…」
宗次郎の顔が、それを無意識に拒んだ。
土方は宗次郎の頤を掴み、宗次郎の動きを阻む。
ゆっくり、二人の口唇が離れた。
「----------」
土方は真上から宗次郎を見つめ、顔を苦し気に歪める。
口唇を噛み締めた。
「…畜生」
低く、呟いた。
さっきの行為のせいで、宗次郎の口唇は濡れて紅さを増す。
「宗次郎…」
宗次郎を見つめたまま、土方は掌を握り締めた。
「俺も随分信用されたモンだなぁ、おい…」
声が、ほんの少し嗄れて。
「お前は…知らない」
瞳を閉じると、浮かんで来るのは宗次郎の笑顔。
ひと目で、惹き付けられた。
「俺がたまにどんな瞳でお前を見ているか、な…」
守りたいと思ったあの日から。
自分の本心を告げたら、宗次郎はどうするだろうか。
本心を知られたら、どうなるだろうか。
今のこの関係は。
宗次郎は、自分の前では微笑わなくなるだろうか。
それとも変わりなく、微笑ってくれるだろうか。
宗次郎は、自分から離れてゆくだろうか。
それとも変わりなく、傍に居てくれるだろうか。
「…俺が、お前の事をどうしたいか…」
------------守りたい、この腕で。
抱きたい、この腕で。
離したくない。
泣かせてみたい。
傷付けたくない。
滅茶苦茶に、してみたい。
「…ふっ…」
矛盾していると、土方は自嘲した。
「……」
------------最近、夢を見た。
嫌がる宗次郎の身体を、畳に無理やり組み敷く。
逃げようとする身体を押さえ付け、口付ける。
怯えて強張る身体を強引に開かせ、思い切り貫く。
『------------ッ!』
音の無い世界に、宗次郎の声にならない悲鳴が響いて。
-----------そこで、目が覚める。
「…狂ってやがる…」
土方は声も無く、肩を揺らして自嘲った。
本当に、どうかしていると思う。
いつか自分が、暴走してしまう気がする。
本当に、宗次郎をあの夢のように無理やり抱いてしまうのではないだろうか。
彼からのこの信頼全てを、打ち砕いて。
「…宗次」
そっと宗次郎の頬に手を寄せる。
身動ぎひとつ、眉を寄せる事すらしない宗次郎に土方は苦笑した。
安心しすぎだぞと、耳元で低く囁く。
宗次郎の手を取り、小さな手の甲に軽く口付けた。
「俺は…お前の全てを受け止めてやる」
お前が望むなら。
お前さえ、望んでくれるなら。
誰よりも傍に居て、お前だけを守ってゆけたら。
黒髪を、指先で梳く。
滑らかな指触りを楽しみながら。
何度も、何度も繰り返し。
「…じかたさん…」
不意に名を呼ばれて、土方は顔を上げた。
自分に向かって伸ばされる腕をとって。
微笑んで顔を寄せれば、宗次郎の腕が土方の首に絡む。
「…どうした」
弱い力で、土方を引き寄せるその腕にあえて逆らわずそれに身を任せた。
座ったまま上半身だけを宗次郎に寄せている体勢になる。
それは少し苦しくて、土方は肘を付いて宗次郎の身体に並んで横になった。
「怖い夢でも見たか」
無言で首を振る。いつもより潤んだ瞳が土方を見つめる。
「…寒いんです…」
それはいけないと、身を起こそうとした身体の着物を宗次郎の指が握り締めて。
「…何でぇ」
ふるふると首を振る宗次郎。
土方は軽くため息を吐く。
「…行かないで下さい」
掠れた声が、心細そうに告げた。
宗次郎のその様子を、土方は黙って見つめる。
自然と浮かんでくる苦笑を堪えながら。
「随分と甘えん坊な坊やだな」
「……」
「…宗次、ちょっとそっちに詰めな」
言いながら布団を捲り宗次郎の横に身を横たえた。
背中にそっと手をやり、その小さな背を撫でる。
「これで満足か」
肘を付いて自分の頭を支えながら宗次郎を覗き込んだ。
宗次郎の指が、自分の着物を掴むのを感じてから土方は宗次郎の身体に腕を回す。
自分の胸の方に小さな身体を引き寄せる。
少し間を開けて宗次郎の頭が小さく頷いた。
「まだ身体が熱いな…こうしててやるから寝ろ」
そう言うと、宗次郎が指に力を込めるのが分かる。
「…行かねぇから…安心して寝な」
宗次郎の背中に回した腕にほんの少し力を込めて。
宗次郎の口唇から、安らかな寝息が零れ出すのを待つ。
それはすぐにやって来た。
ちょっと身体を離し、その寝顔を見てみようと思って身体を動かそうとして。
宗次郎の手が、まだ自分の着物を握り締めているのに土方は微笑んだ。
「ったく、行かねぇってんだろうが」
腕を背中に回して、指先で宗次郎の髪の毛を梳いてやる。
この指の、小さな束縛が心地好い。
自分の胸の辺りから伝わる宗次郎の身体の温かさもその心地好さを増させる。
「……」
今を壊したくないと思う自分と、今以上を望む自分。
この温もりが、愛しい。
取り合えず今はこれでもいいと。
思う内に、宗次郎の温かさのせいで少しずつ瞼が重くなってくる。
土方は、ゆっくりと瞳を閉じた。
宗次郎の規則正しい寝息に耳を澄ます。
睡魔が静かに近付いて来るのをそっと待ちながら。
腕の中の小さな身体をそっと、更に自分の方に引き寄せた。
------------今日は夢を見ない。
そんな気がした。
終
土沖