誓い










守りたいと、思った。

この手で。











誓 い











天気のいい日だった。

夕日に映える多摩川が綺麗で、川辺をのんびりと歩いていた時の事。

俺は、少し先に座り込んだまま動かない人影を見つけて歩みを止めた。

「……」

子供だ。

普段ならば気にも留めず、通り過ぎたはずだったのに。

「…おい」

気付けば、俺はその小さな背中に声を掛けていた。

きっと、その背中があまりにも小さくて細くて頼りなかったからだと、自分に言い訳をしながら。

突然声を掛けられたせいだろう、その背中がビクッと揺れる。

振り返らない背中に、少し苛立ちながらもう一度呼び掛けた。

「どうした」

子供は、振り返らずに首をブンブンと横に振る。

俺は、怪訝に思いながらも更に尋ねた。

いつもの俺らしく、気にせず立ち去ればいいことなのに。

「具合でも悪いのか」

無言のまま、また首を振る。

俺は一度舌打ちをして、そいつの横にしゃがみ込んでその細い肩を掴んだ。

驚いた反射で、子供は振り返りざま顔を上げて俺を見上げる。

「…っ」

俺は、知らずと呼吸を飲んだ。

------------泣いていた。驚くほど綺麗な顔が。

子供に、綺麗なんて言うのは可笑しいかも知れないけど。

驚きに見開かれた大きな漆黒の瞳からは涙が流れて、白い頬を濡らしていた。

刹那、子供は自分の袖口で涙を拭う。

まだ流れようとする涙を堪えているのだろう、小さな紅い口唇を噛み締めながら。

「何で泣いてやがる」

「…泣いてません」

震える声で、子供は言った。

その強がりに俺は苦笑し、ため息を付く。

「あぁ、そうかい。…じゃ、これは何なんだ?」

そう言いながら俺は、自分でも驚くくらい優しくその頬に流れる涙を指先で拭ってやっていた。

また、見開かれる瞳。

みるみるうちにまた涙が溜まって来て、白い頬を濡らしていく。

「ん?ガキはガキらしくしてな。泣きたい時は泣けばいいんだ」

目の前で口唇を噛み締めて泣く子供を、俺は見つめていた。

この年齢で、声を殺して泣く事を知っている子供。

「------------」

俺はこいつの横に座って、その頭をぐしゃぐしゃと少し乱暴に撫でる。

子供は嫌いだ。

わがままで、その上すぐに泣きやがる。

なのに。…じゃ、俺は今なんでこんな風にこいつの傍に居るんだよ。

「日野にかえりたい…」

子供が、ポツリと呟いた。

一瞬、時間が止まる。

「…日野だと?」

そいつは顔を上げて俺を見つめて来た。そしてコクンと頷く。

「俺は歳三、土方歳三ってんだ。さっきお前が言った日野に住んでる。…お前は?」

驚いた、顔をした。

「…宗次郎。沖田宗次郎です」

今度はこっちが驚く。

ちょっと待て。その名前は。

「お前が近藤さんの処の内弟子か…?」

また、更に驚いた顔をする。

「若先生をご存知なんですか?」

「知ってるも何も、俺と近藤さんはガキの頃からつるんでるぜ」

言いながら、俺はまじまじと宗次郎と名乗ったガキを見つめた。

今度トシにも紹介する、と笑窪を見せて笑った近藤の顔が浮かぶ。

あぁ、なるほどな。

------------いい瞳をしてやがる。

近藤が入れ込むのが分かる気がした。

俺の遠慮ない視線にも、怯まずにじっと大きな瞳で見つめ返してくる。

「丁度いい、これから近藤さんの所に行こうかと思って歩いてた所だ。宗次、共に行くか」

一瞬の沈黙。

「…宗次じゃありません、宗次郎です…」

その一言を発して、宗次郎は俯いてしまった。

そんな様子を見て俺は軽く頭を掻き、一瞬考え込んでから思い出す。

そうだこいつ、泣いていたんだっけ。

「お前、泣くためだけに試衛館からここまで来たってのか?」

「…泣いてません…!」

そう言いながらも、宗次郎の瞳にはまた涙が浮かんでいる。

泣いていた理由を、俺の一言で思い出したのかも知れない。

「うるせぇ!」

声を荒げれば、目の前に立つ宗次郎の身体が大きくビクッと揺れた。

その過剰なほどの反応に俺は少し驚きながらも言葉を続ける。

「素直に認めやがれ、お前はガキなんだから必要以上に我慢する必要なんてねぇんだ。どんなに我慢したって泣きたい時は涙は出てくる、何も恥ずかしいことじゃあねぇ。わざわざここまで来たならお前の気が済むまで泣きな」

怒鳴るように早口で言って、宗次郎の小さな頭を自分の胸に押し付けた。

一瞬、腕の中の身体が強張る。

「ガキらしく思い切り泣いてみな。きっと少しはすっきりする」

背中を撫でてやっていたら、宗次郎の指先が俺の着物をぎゅっと握り締めた。

それからすぐに、腕の中から小さな嗚咽が零れ始める。

「試衛館での生活は辛いか」

頷くと思った頭は、予想に反して首を横に振る。

近藤から、ほんの少しではあるが話は聞いていたから。

道場主である周斎の妻が、宗次郎は彼の不貞の子供だと思っているようで辛く当たっている、と。

「…っ若先生は…優しくて…っ」

しゃっくりを上げながら一生懸命話そうとする宗次郎の背中を軽く叩きながら俺は言った。

「なら近藤さんを信じて付いてゆけ。あの人は大きい人だ。きっとお前を強くしてくれる」

小さく、頷く。

「お前は強くなる」

言い切ると、宗次郎は顔を上げた。涙に濡れた瞳で。

「私も、若先生みたいに強くなれますか…?」

「お前が、そうなりたいと思うなら」

見つめられて、俺もその視線を真っ直ぐに受け止めてそう言った。

その、次の瞬間。

宗次郎は、やたら綺麗に微笑んで見せた。

初めて見るような笑顔に、俺は迂闊にも一瞬見惚れた。相手がガキだと言う事も忘れ去って。

「強く、なります」

「あぁ」

つられて俺も、宗次郎に向かって微笑んでた。

手の甲で、涙の痕を拭ってやる。

すると宗次郎は、少し照れたようにまた微笑った。

不思議な奴だな。

「…ひじかた…さん?」

俺の名を、宗次郎が初めて口にする。

「…ん?」

宗次郎の小さな手が俺の着物を握り締めて。

真っ直ぐに俺を見つめて、言った。

「ありがとうございます、ひじかたさん」

そう言って、さっきみたいに綺麗に、可愛らしく笑って見せる。

素直で可愛いじゃねぇか。

……随分と泣き虫だがな。

「気にする事ぁねぇよ」

俺もこんな優しい声出せるじゃあねぇか、と冷静に頭の中でそう思って少しだけ驚いていた。

「暗くなる前に行くぜ、宗次」

試衛館に向かって歩き出す------------が、後ろから宗次郎が付いてくる気配がない。

怪訝に思って振り返る。

数歩離れた所に、宗次郎が立って俺を見上げていた。

「…何だ」

「ひじかたさん、宗次じゃありません、宗次郎です」

笑って宗次郎が言う。俺は、軽く苦笑した。

一瞬の、沈黙。

まだ一歩を踏み出そうとしない宗次郎を見て、俺は視線を逸らしたまままた軽く頭を掻く。

「……」

コイツは、何を待ってるんだろう、と思いながら。

俺は宗次郎に背を向けた。

そして、決心のためのため息をひとつ。

「…行くぞ、宗次郎」

宗次郎に背を向けたまま、俺は左手を後ろに差し出した。

同時に、タタッと走り寄って来る足音。

後ろ手に差し出した手を、宗次郎の小さな右手が握り締めた。

子供の手らしく、小さくてあったかい。

頭約二つ分目線を下げて、ようやく宗次郎と視線が合う。

宗次郎は俺を見上げて嬉しそうににっこり笑った。

「どうして分かったんですか?」

手を、繋ぎたいって。

「…さぁな。」

……どうしてだ?

もしかして。

…まさかな。

自問自答してたら、宗次郎がまた言う。

「ひじかたさん、ありがとう」

微笑って。------------あの顔だ。

俺は、返事の代わりにさっきよりもほんの少し宗次郎の手を握る力を強くした。

「…大きい手ですね。」

嬉しそうに言うと、宗次郎も更に俺の手を強く握ってきた。





「ガキとは違うからな」





笑って。

並んで歩くこの道程がいつもの道よりも伸びてくれたら、と可笑しくも俺は心の隅で思っていた。









「覚えてますよ、何となくですけどね」

宗次郎が布団の中で笑う。

あれから3年。宗次郎も12歳になっていた。

夜、寝る前の何気ない話。

「あぁ、土方さんって何て優しいんだろう、って子供心に思いましたもん」

「…バカ野郎、何言ってやがる」

苦笑した。

「明日も朝稽古早いんだ、早く寝ろ」

「はーい」

珍しく宗次郎はそう言うと瞳を閉じた。でも口は閉じない。

「でもね土方さん、あの時土方さんに手を繋いで帰ってもらって本当に安心したんですよ」

「…そうか」

瞳を閉じたまま、宗次郎が言う。

「あったかいなぁ、って…可笑しいですよね、独りじゃないって思ったんです…」

「……」

「何だか…泣きたくなるくらい嬉しくて…」

言葉が、途切れた。

薄く開いた口唇からは規則正しい寝息が聞こえてくる。

「宗次郎?」

一度、声を掛けてみた。返事は無い。

寝顔に、笑顔が残っているのを見て俺は知らずと笑っていた。

「まだガキだな」

安らかな寝顔。

そのガキから瞳が離せないでいるのは誰だと、苦笑を浮かべて宗次郎の寝顔を見つめる。

3年も経てば、大分人間は成長する。無論、宗次郎も例外ではなく。

が、あの笑顔は変わらない。と言うよりも変わったのは身長くらいか。

「泣かなくはなったけどなぁ…」

呟く。

強くなった。剣も、心も。

でも、時々垣間見せる弱さ。

それを見せてくれるのが俺だという事がこんなに嬉しいなんて。

お前には、言わないけれど。

「もっと、俺に頼って来い」

もっと、もっと。

まだ、足りない。

「…まだ、急いで大人にならなくていいからな」





もう少し、このままで。





俺が、お前を守ってやる。



あの日、決めたから。

お前の涙に誓ったんだ。





笑っていて欲しい。





俺の傍で。





この、祈りにも似た想い。

「失くしたくないんだ…」

------------お前だけは。







だから。もっと弱いところを見せて。

俺の前では、泣いたっていい。

もっと、頼ってくれ。







そうすれば、俺はきっとお前のために今よりももっと強くなれるから。













土沖








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