遠き春 下









穏やかな笑顔を、覚えてる。











遠 き 









灯を落とした部屋に、火鉢の中の炭が弾ける高い音が響く。

夜も更け、翌早朝大津を発つと言うことで山南と総司は少し早く床に就いた。

布団に入り、隣で先に寝息を立てた山南の方を、寝返りを打つようにしてそっと見つめる。

もしも自分がこのまま眠りに落ちて、朝起きた時に山南が横に居なければそれはそれで良い。

むしろ、それを願いたい気持ちだった。

山南の帰りたい場所は、痛いくらいに分かった。

しかし、これからその場所に帰るということは一体何を意味するのか。

山南の帰りを待ちながらもそれを心の奥で恐れ、京で待つ仲間達のことを思う。

皆の居るあの場所に帰るのが、今の山南の願いであるけれど。

でも。

それが叶った時、やっと帰りたかった場所に戻って来た彼を待つものはただひとつ。

堂々巡りを繰り返す思考に頭を振り、気持ちを静めようとため息を付こうとした瞬間。

咽喉が鳴り、途端に咳が込み上げて来る。

堪えようとするも、言うことを聞かない身体は乾いた咳を繰り返させて。

「…ッ」

布団の中で身体を抱え込むようにして丸めて、咳が治まるのを待つ。

「…総司」

隣で、山南が布団から身を起こすのと同時に総司は寝返りを打ち山南に背を向けた。

胸のこの病は、咳などから空気感染するものであるから。

そんな総司の思いを知らないはずも無いが、山南は布団から起こした身を総司の方に近付けた。

背を丸めて咳を繰り返す総司の肩に手を掛け、その逆の手で波打つ背をさする。





「やはり、無理をさせてしまったようだな。…すまない」

突然、そんな言葉を言う山南に総司は瞠目した。

咳を堪えながら、懸命に首を大きく横に振る。

その総司の様子に、山南の気配が笑みで和らいだのが背中越しに伝わった。



「…また、試衛館に居た頃の夢を見ていた」

どうしようもないな、と言う苦笑交じりの山南の声が背後で聞こえる。

それから、少しの間を置いて。



「振り返った時、どうか後悔の無いように…」

まるで独り言のように山南は一言ずつ言葉を綴る。

「思い返した時、どうか幸せであったと思うように…」

吐き出す咳の身体への負担を少しでも減らそうと山南は何度も総司の背を優しくさすった。

確かに温かい山南の体温が、擦ってくれる掌から伝わる。

この温もりが、最期になるなんて思いたくなかった。

総司は、固く瞳を閉じた。

「そう思えるように、生きて欲しい」

息苦しさからだけではない涙が、頬を伝い流れ落ちる。

次第に落ち着いてきた咳と、乱れて荒くなった呼吸を戻そうと大きく深呼吸をする。

吸い込んだ空気に、肺が微かに悲鳴を上げたがそれもやり過ごし、総司は口を開いた。

「…しあわせ…」

掠れ、揺れた声が囁く。

「何だい?」

「では、山南さんは…」

総司の問い掛けに、山南は瞳を少し丸くして、それからおだやかにその瞳を細めて笑った。

「幸せだったよ」





「お前達に逢えた。…それが、私にとって最良の人生の全てだった」









「…総司、寝たのかい?」

やがて安らかな寝息を立て始めた総司に向かってそっと問い掛ける。

返事が無いことを確認すると、ふとんを優しく掛け直した。

山南は微笑んで、布団の上から総司の身体を何度も静かに撫でた。





「明日、私がお前に願うことがお前にとって重く辛いものにならぬことを祈りながらも…それでもどこかで私を覚えていて欲しいと思ってしまうと言ったら…」



「…お前は、勝手だと怒るだろうか…?」

山南の指が、そっと総司の髪を撫でた。

闇の音に、耳を澄ます。

遠くは無い夜明けの気配を感じながら。

ゆっくりと、口を開く。





「…最期の身勝手を、どうか許して欲しい」



囁いて、山南は静かに瞑目した。





















「理由を…聞かせてはくれんのか、山南君」

近藤が、険しい面持ちで口を開く。

「申し上げるような理由はございません…これ以上はもう何も聞かないで頂きたく存じます」

「…そうか」

「長年のご厚情を…真に申し訳ないが…この山南敬助、隊規を犯し己の士道に背いてしまった…これは変えがたい事実です」

山南の視線が、近藤を、そして土方を捕らえた。

思いもしないほどの瞳の晴れやかさに、近藤は目を見張る。

土方は、そっと目を伏せた。

その様子を見て、山南が柔らかく微笑む。

「ご処罰を、お下しください」

伊東は、俯いたまま。

原田が、永倉が、斎藤が、そして総司が、近藤を見た。

近藤は深い吐息を付き、天井を見上げる。

戻って来たその瞳には、微かに涙が浮かんで。

「…総長山南敬助、局中法度違反により…切腹を申し付ける」

重く、低い声で近藤が告げる。

「ありがたき幸せに存じます」

額を床に付けて伏し、穏やかにそれを受け取った。

「…恐れながら」

伏せたまま、山南が口を開く。

「何だね、山南君----------顔を上げたまえ」

「山南敬助、最期のお願いをいたしたく存じます」

顔を上げて、山南が近藤を見た。

そして、土方を。

「介錯は、沖田総司君にお願いしたい」

「……」

総司の肩が、一瞬揺れる。

大きな瞳を更に見開いて、土方を、近藤を、そして山南を見た。

近藤は、無言で頷く。

「あぁ……総司、どうだ」

視線を投げて、声を掛けた。

総司は、瞳をそっと細めて。

綺麗に微笑んだ。

「…役不足ですが、務めさせていただきます」

山南は自分の斜め前横に座る総司に軽く会釈をし、微笑む。

「…ありがとう」

穏やかな、顔だった。







部屋を去り際に、山南は土方に近付きただ一言だけ。

「…土方君」

周りには、聞こえないくらいに落とした声で。

「追っ手を…総司にしてくれてありがとう----------礼を言う」

その言葉に土方が目を見開くと、山南は試衛館時代の瞳で笑った。

そして、すれ違う。

土方は、拳を握り締めた。

「馬鹿野郎…」

低く、呟くことしか出来なかった。













「…総司」

黙々と、準備をする総司に同室の斎藤が声を掛ける。

聞こえているのかいないのか、返事は無い。

ほんの少し見えた横顔の、その頬はいつもよりも白くて。

「総司」

細い肩を掴むようにして、向かい合わせになって立った。

「…っ」

辛そうに口唇を噛み締めて俯く総司に、斎藤は呼吸を詰めた。

肩を掴む手に力を込めると、総司はその頬に頼りない微笑みを浮かべて斎藤を見上げる。

視線が、ぶつかる。

「…嫌だな、一さんがそんな顔しないで下さいよ」

「お前の方が…ひどい顔をしている」

斎藤の言葉に総司は困ったような表情をして、それから瞳を伏せた。

長い睫毛が、白い頬に影を落とす。

「きちんと出来るのか…って、思ってます?」

呟くような総司の声。

…震えていた。

斎藤は、ゆっくりと首を横に振った。

「出来る、出来ないじゃない。…お前はやる。お前しか出来ない。--------そうだろう」

低い響きの斎藤の声に、総司が顔を上げた。

「…山南さんが望んでくれたから」

込み上げる感情を振り切るように総司は淡く微笑んで言う。

「総司」

原田が、障子越しに声を掛けそれを静かに開いた。永倉と、並んで立っている。

「山南さんの用意が出来た。…そろそろ行こう」

永倉の静かな声に総司は頷くと、穏やかな表情で立ち上がった。

斎藤はそれを見上げ、続いて立ち上がる。

歩き出した原田を先頭に、山南切腹のために用意された部屋へと歩みを進めた。

廊下を歩く四人の足音だけが響く。誰も、口を開こうとはしなかった。…開けなかった。

山南と、近藤たちが控える部屋の前で立ち止まる。

斎藤は先に部屋に入ると他の三人に瞳で告げ、静かに襖を開け入っていった。

すでに部屋の中に座る山南に軽く会釈し、そこから少し離れた場所に座った井上の隣に座した。

入って来た逆隣りの部屋には隊士がもうすでに揃い、息を詰め膝を寄せるようにして中の様子を伺っている。

斎藤はそれを横目で見て、部屋に入る前に見た総司の頬の白さを思い出していた。















静まり返った部屋の真ん中に、山南がひとり座っている。

その目の前には、近藤、土方が並んで座り、用意されたもうひとつの席に、伊東の姿はなかった。

切腹の場が用意された間の隣の部屋に、伊東は普段から行動を共にすることの多い者たちと一緒に他の隊士たちとは少し離れた場所で俯き座している。その顔色は、蒼白に近い。

襖が開き、原田、永倉、総司と順に入って来る。

山南の横に座ると、永倉が静かに言った。

「及ばずながら、手前らがお役を頂戴仕った。刀持ち拙者永倉新八、検死原田左之助、介錯沖田総司にて役目を果たさせていただく所存にて…お心安らかに」

三人、揃って礼をする。

「…かたじけない」

君たちまでもと、そんな響きを含めて山南は会釈した。

部屋の中に居る者たちで、水杯を交わす。

中に居るのは近藤、土方、永倉、原田、井上、斎藤、総司、そして山南。

奇しくも、江戸の試衛館時代からの仲間のみとなった。

試衛館からの同志で、山南と同門である藤堂は隊務で江戸に下っている。

水杯が片付けられると、総司は立ち上がり、山南の後ろへ向かう。

山南には、総司が微笑っているように見えた。

山南の背後に立った総司に、永倉が刀を手渡すと総司はそれを音もなく鞘から抜刀する。

鞘を受け取り、永倉は柄杓で刀に一杯の水を掛けた。

それを静かな瞳で総司は見つめ、静かに刀をまず下段に構える。

静寂。

その中で。山南が、静かに口を開く。

「切腹の席で、口を開いてすまないが…総司、介錯は私が声を掛けるまでどうか待って欲しい」

武士として、死ぬのだと、死なせて欲しいと。

山南の思いが、伝わって来る。

「…承知いたしました」

総司が静かに告げると、山南は微かに頷いて見せた。

柄を握る手に、力を込める。

山南は目の前に置かれた小刀に手を伸ばしそれをスラリと抜いた。

同時に、総司の腕がゆっくりと刀を振りかざす。

鍔の近くに懐紙を巻き、刃を腹に向けて構えるのが見える。

総司は、その一挙一動逃さぬようそれを見つめた。

いつもなら、切腹役が腹に刃を当てた時点で首を落とす。

だがそれを山南は望まなかった。

心を静めて、今はただ山南の声を待つ。

山南の、腕が動いた。

流れ出す紅が、後ろに立つ総司にも見える。

総司は口唇を噛んでそれを見守った。

そして。

「…総司」

荒くなった呼吸の中で、それでも静かな響きの声が総司を呼んだ。

総司は声を発すると同時に刀を振り下ろす。

「…御免!」

パッと、畳に紅い花が散った。

ゆっくりと、前に倒れ込む山南の身体。

返り血すら浴びず、静かに山南を見下ろす総司の白い頬は不思議なほどに穏やかで。

懐紙で刀の血を拭い、永倉から鞘を受け取ると静かに剣を納めた。

「…見事であった、山南君」

近藤は、低く、ただそれだけ言う。

その声と同時に、隣の部屋で様子を見ていた隊士たちから嗚咽が零れ出した。

近藤の隣に座る土方は、山南の血と、倒れ伏した身体をただ黙って見つめていた。

そして視線を上げ、その身体の後ろに立ち尽くす総司を見る。

総司の瞳が、悲しみも嘆きも、何も映していないのが逆に土方には辛く見えてならなかった。

「……」

山南の背後からなかなか動かない総司に向かって永倉が近付き、その背に手を回す。

心なしか青白い頬に、淡く微笑みを浮かべて総司は永倉と言葉を交わした。

形の良い口唇が“平気”と、かたどったように見える。

土方は、それを離れたところから見つめて。

そっと、瞳を伏せた。

「…トシ、行こう」

近藤に促され、立ち上がる。

気にならなかったと言えば嘘になるが、土方は振り返らずに部屋から出た。









「総司」

永倉が、総司の背にそっと触れながら声を掛ける。

俯いていたその顔がゆっくりと上げられ、見つめて来ていた永倉の視線を受けた。

「…総司」

揺れた永倉の声が耳に届くと、総司は紅い口唇の端をそっと引き上げて微笑って見せる。

その様子に、永倉は総司の背に置いていた手を肩にまで上げて、掌で細い肩を包み込んだ。

まだ微かに強張っている肩から、少しずつ緊張が解けてゆくのが掌越しに伝わって来る。

「馬鹿…無理に笑うな」

搾り出すようなその声に、一瞬総司の瞳が揺れる。

それを隠すように、そのまま瞳を伏せた。

「…無理になんて」

「総司…」

肩に置く手に、僅かながら力を込める。

「…平気ですよ、永倉さん」

言ってまた笑う総司を見て、永倉は軽く口唇を噛んだ。

永倉の横に並んで立つ原田も眉間に皺を刻み、溢れる感情を奥へ押し込めるように己の拳を固く握り締めている。

「責めるなよ、総司」

原田が唸るようにして言葉を発した。

「…えぇ、分かってますよ」

掠れた声には、何の感情すらも読み取らせまいとする響き。

互いに隠し切れない大きな喪失感が、胸をこれ異常無いほどに圧迫する。

総司は、手に持っていた刀を永倉に半ば押し付けるように持たせると踵を返した。

「総司」

「ちょっと…出て来ますね」

「丸腰でお前っ…」

振り返らずに行こうとする総司の腕を掴みかけた原田の手を、永倉が止めた。

「…新八」

背の高い原田を見上げて、永倉はゆっくりと首を振る。

ぶつける場所すらない、悲しみからか、怒りからか震える原田の腕を永倉の腕が掴んだ。

「畜生…っ」

苦しそうに吐き出されるその原田の言葉が、重く痛む胸に鈍く響く。

そんな二人の横に、斎藤が並んだ。

「永倉さん」

言って、永倉の瞳を斎藤は見つめる。

真っ直ぐに合わせて来るその視線に永倉が頷くと、斎藤は部屋を後にした総司の背を追った。

部屋を出る斎藤の背を見送り、永倉はため息を吐く。

総司に手渡された刀が手に重い。

刀を無理やりに自分に託して部屋を去った総司の肩に圧し掛かる、消えた命の重さは、果たしてどれだけだろうと思う。



「…山南さん」

吐息に混じって、その呟きは消えた。













永倉や、原田が自分に掛けてくれた言葉が反復して頭の中を巡る。

隣の部屋で控えて山南の切腹を見ていた隊士たちの嗚咽が、耳の奥で響く。

それを振り払うように、襷を外しながら総司はそのまま早足で壬生寺に向かった。

子供の姿のない静かな境内に、ホッと安堵のため息を吐き腰を下ろす。

「…総司」

呼びかけて、真っ直ぐに自分に向かって歩いて来る人陰がひとつ。

「一さん」

「放って置いた方が良いかとも思ったが…」

言葉少なく言う斎藤に総司は微笑む。

「…ありがとう一さん…やだなぁ、平気なのに」

「お前はそうやって笑って嘘をつくからな」

斎藤の言葉に、総司は軽く瞳を見開いた。

二人の視線が交錯する。先に瞳を逸らしたのは総司。

「困ったな…そんな事…」

「無いと、お前はまた笑って言うのか」

同い年ながら総司よりも少し大人びて見えるその瞳が真っ直ぐに総司を射る。

総司はその視線を受け、心底困ったというように微笑った。

「本当…一さんは鋭いんだから…」

斎藤も、総司のその表情を見て軽く笑う。

隣に座るぞと声を掛けて、総司の隣に腰を下ろした。

そして、斎藤は空を見上げている総司の横顔を見つめる。

何気なしに、ため息を吐いた。

「あ、ダメですよ一さん。ため息を吐いたら寿命が縮まるし幸せが逃げて行っちゃうんですよ」

視線は空を見たままで、総司が笑いながら言う。

その横顔の頬が、透き通るほどに白くて斎藤はそっと眉をひそめた。

「…迷信だろうが」

「そんな事ありませんって。とにかく良い事はないんですってば」

一生懸命力説する総司の口調がいつもと変わらない事に斎藤は少し安堵して、苦笑する。

「お前の前では気を付けるよ」

そう言うと、総司は頬を膨らませて斎藤を見た。

斎藤の言葉が不満だったらしい。

総司の表情に、斎藤はまた笑って。

「…あぁ、分かったよ。…全く、お前と居るといつもこうだ」

お前には負けるよと、斎藤が呟くと総司は瞳を細めて柔らかく微笑った。

その笑顔に、微妙な影があるのを斎藤は見逃さない。

「…総司、お前無理してないか」

大きな漆黒の瞳が斎藤を見つめる。

「何がです?」

「とぼけるな。…分かっているだろう?」

総司の瞳を、覗き込むように斎藤が静かに言う。

その視線を受け、総司は苦笑してそっと視線を下に逸らした。

「もう…一さんったら本当に鋭いんだから」

俯いて、総司が呟く。

「無理してるつもりは、ないんですけどねぇ」

「本人が自覚してないのが一番手に負えないんだ」

容赦ない斎藤の言葉にも総司は笑って。

微笑んだままに、総司が斎藤を見つめる。

「…決めてたんです」

ゆっくりと総司は口を開いた。

「笑って、送ろう…って」

微笑みは、寂しげな表情に変わり、その頬から、笑顔が消える。

「総司…」

呼べば、目の前にある横顔は仄かに微笑んで見せた。

「山南さんね…言ってくれたんです」

「……?」

総司は視線を斎藤の方には向けず、ポツリと言った。

「私の笑顔に救われた、って……。嘘でも、嬉しいですよね」

ようやく、顔を斎藤の方に向ける。

白い頬に浮かぶ微笑が何故だか痛々しく見えて、斎藤はそっと瞳を伏せた。そして。

静かに、しかしはっきりと。



「嘘じゃない」



言い切る。

「…え?」

「嘘じゃないさ。…信じてやればいい、あの人の最期の言葉を」

嘘じゃない。それはあの人の本心だ。心の中で、そう思う。

総司は、瞳を見開いて斎藤を見つめた。

斎藤は総司の膝に手を伸ばし、その膝頭に優しく触れた。

言葉にはならない斎藤の優しさが、伝わってくる。



「お前が信じてやれば、それはきっと嘘じゃない」



わななく口唇を総司はきつく噛み締めた。

それだけでは、耐えるのには足りなくて斎藤の手をぎゅっと握り締める。

「…ありがとう…」

頭を、斎藤の肩に寄せた。

「…泣いてるのか」

「ふふ…泣きませんよ」

頭を斎藤の肩に寄せたままで。

「最後まで…ちゃんと送ってあげなきゃ」

そう言って微笑む総司に、斎藤も一緒に笑った。



----------分かるさ、お前のその笑顔に救われているのはあの人だけじゃない。

口には出さない想い。言葉にしない代わりに斎藤の手が、総司の手を軽く握り締める。

「…そうだな」

空を見上げる総司につられて仰ぎ見れば、真っ赤な夕焼け。まるで、血の色のよう。

目に沁みる感じがして、斎藤は瞳を細めてそれを見上げた。

「一さん」

穏やかな総司の声に呼ばれて、斎藤は視線を総司の方に向ける。

「ありがとう」

柔らかく、瞳を細めて総司が微笑った。

きっと、あの人が救われていたのは他でもないこの顔だろうと斎藤は思う。

ゆっくり首を振り、斎藤は総司の背中を軽く叩いて立ち上がった。

「戻ろう」

「…そうですね。」

総司の声を聞いて淡く微笑むと、斎藤はゆっくりと歩き出す。

その背を見て総司も立ち上がった。

歩み出そうとして、足を止める。

斎藤の背に、ひとりの大切な人の背中が重なって。

総司は、両掌をそっと持ち上げ自分のその手を見つめた。



自分の笑顔に救われたと言って微笑んだ、あの穏やかな人の命を終わらせたこの手。

いくら洗っても流し落とせないほどの血で汚れたこの手。

…この手で、誰を守れると言うの。



「この手で…あとどれだけ…守れるんだろう…」



掠れた声で囁いた。







“何のために生きるのか”









山南の声が甦る。

--------何のために?

揺らぐことの無い、想いのために。

ただ、彼のために。

どれだけ。

この手は血を吸って。

この身体は血を吐いて。

あとどれだけ。





どれだけ、傍で。







「何か言ったか」

前を行く斎藤が問う。

「いいえ、何も」

斎藤が言ったように、笑って嘘をついて。

両手を、握り締めた。

「そうか」

斎藤のその一言を聞いて総司は早足で彼に走り寄る。





斎藤は、その総司の足音を聞きながら。

さっきの総司の声は聞こえたけれど、聞こえなかったふりをした。

わざと、問い掛けて。

彼の返事に、瞳を閉じた。

鈍く痛む胸に眉を寄せる。

まだ、冷たい風が斎藤の頬に吹き付けた。

すると横に並んで歩く総司が斎藤の腕にその腕を回す。

「この方があったかいですよね」

黙って総司を見た斎藤に、総司が一言。

「…あ、嫌でした?」

こうした何気ない気遣いがくすぐったく感じる。

「いいや」

組んだ腕から伝わる熱が、温かかった。

視線を落とすと、綺麗な微笑が隣にある。

子供のように楽しそうに笑う総司に斎藤は苦笑する。

気に掛かるのだ。

子供のように笑って見せたかと思えば、妙に影のある笑顔を見せたり。

笑って、嘘をついたり。

----------さっきのように。

無理をしている自覚の無いと言う彼。

タチが悪い。頬に滲むのは、苦笑ばかり。

彼の笑顔を見たら、鈍く痛むこの胸を抱えて。

遠い春を待ちながら、すぐ傍にあるこの微笑をもう少し近くで見ていようと思った。







尋ねたならば、答えるだろうか。

その、笑顔の向こうに在る存在(もの)を。









「早く、春になるといいですね」



「…どうして」

尋ねれば、クスクスと肩を揺らして笑う。



「春になると、桜が咲くでしょう?」



視界の端で、長い黒髪が風に揺れた。









「皆、桜を見たら綺麗だと言って笑うから」





その想いとは裏腹に。

春は遠く。









「そうしたら、何だか嬉しくなるんです」













まだ遠い、春の訪れを待って。





----------遠き春は、この胸の痛みを失くす術を知っているだろうか。


























土沖








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