卯月の頃 上









どうか  覚えて いて。











月の頃













「…宗次郎」

満開の桜の樹の下で、細長い手足を投げ出すようにして座り淡い桃色に覆われた頭上を見上げる少年に、ゆっくりと近付いて来る影が声を掛ける。

宗次郎と呼ばれた少年は声の方に顔を向け、逆光になってよく見えないその歩み寄って来る人影に瞳を細めた。

「土方さん」

長身で細身ながらも、一見して剣術で鍛えているのだと分かる肩幅の広い身体が宗次郎の足元まで近付くとその場で一度立ち止まった。



「何してんだ、お前」

聞き慣れた素っ気無い口調に、宗次郎はそっと苦笑する。

「…桜」

「何…?」

「桜を見てました。綺麗でしょう?」

顔を上向かせて桜の樹を見上げ、宗次郎が明るい声音で言った。

露わになった白く細い首を見て土方は少し眩しそうに瞳を細め、それから樹に身体を預けて座る宗次郎の身体を見る。

着物の端から垣間見える、成長期特有の細長い手足。

筋肉が骨の成長に付いてゆけずにいるように見えるその腕と脚は、生来細い宗次郎の身体を更に頼りなく見せていた。

「こんな樹の根元に座って花見をする奴は初めて見たな」

「最初はね、離れた処で見てたんですよ。でももっと傍で見てみたいなと思って」

「近過ぎやしねぇか」

「いいえ。頭の上が全部桃色なんて、素敵だと思いませんか土方さん。散っていく花びらの、一枚一枚が見える感じがするんです」

土方は宗次郎の横に歩み寄ってその傍に腰を下ろした。

そして総司に倣って、頭上を仰ぎ見る。

一面を覆う、淡い桃色。

「…綺麗」

黙ったままの土方の横顔を宗次郎は見つめて口を開く。

「やっぱり梅の花の方が、土方さんはお好きですか?」

「…フン」

クスクス笑って言う宗次郎の頭を軽く小突いた。

「この桜も悪か無ぇな」

「素直じゃ無いんだから」

「ガキに言われたく無ぇってんだ」

「もう子供ではありません」

土方の言葉に宗次郎は少し頬を膨らませて怒ったような表情をして見せる。

そんな仕草が、周りを微笑ませ、またその年齢を幼く見せると言うことに本人は気付いていないのかも知れない。

そう思って土方は端正なその顔に苦笑を滲ませた。

「あぁそうかよ」

「…ねぇ、土方さん」

突然真剣な声音になって口を開く宗次郎を見つめる。

宗次郎は真っ直ぐに前を見つめて、開いていた口唇を一度軽く噛み締めると思い切ったように土方を見つめ言った。

「今度は…いつまでこちらにいるんですか?」

宗次郎の居る試衛館があるのは江戸の甲良屋敷。

土方は、その試衛館と日野の姉の嫁ぎ先など実に様々な処を行き来していた。

ふらりと道場にやって来て数日間居座ったかと思うと、又今度来た時には寄っただけだと言ってすぐに帰ってゆく。

道場の若師範で、また宗次郎の兄弟子でもある近藤と、土方は仲が良かった。

幼い頃に試衛館道場に内弟子としてやって来た宗次郎を近藤は実の弟のように可愛がっていたが、そのうち突然フラリと訪れる土方に、宗次郎も面識を増やす度に自然と打ち解けていった。

素っ気無くも、優しさを垣間見せるこの男を宗次郎は慕った。

会って話す度に、笑いかけられる度にそれは増してゆく。

その想いが、何と言うべきものなのか宗次郎にはまだよく分からなかったけれど。

「…その話だがな、宗次」

宗次郎からの予想していなかった問い掛けに土方は軽く頬を掻きながら低く言う。

「今更だが、試衛館に正式に入門することに決めたよ」

「えっ」

驚きの表情で土方を見上げた。

「何だ、その狐につままれたような顔は」

見上げて来る宗次郎の白い頬を指先で痛くない程度に軽く摘まんで土方は片頬を歪める。

「本当ですか?」

思いがけない宗次郎の明るい声に土方は少し驚きながら頷いた。

「もう決めた。近藤さんにも言ってある」

「では、これからはもっと一緒に修行出来るのですか?」

「そうなるな」

土方の言葉に、宗次郎は大きな闇色の瞳を細めて嬉しそうに微笑んだ。

本当に嬉しそうな顔で見上げて来る宗次郎の頭を、土方の大きな手が少し乱暴に撫でる。

「随分と嬉しそうだな」

「えぇ、とっても」

「何故だ?」

「土方さんと一緒に居られる時間が増える」

何気無い言葉だったのかも知れない。いや、きっとそうだったのだろう。

心の底からの言葉であっても。

奥に在る自分の想いは、きっと宗次郎の意味するものとはかけ離れているはずで。

それでも土方は、宗次郎の言葉に瞠目し一瞬呼吸を詰めた。

「…それが何より嬉しい」

言ってまた微笑む宗次郎の瞳を覗き込む。光に満ちた深い闇色の瞳。

「可笑しな奴だな」

肩を竦めるようにして笑う宗次郎のその細い肩に腕を回した。

回した腕を曲げ、軽く力を込めて宗次郎の首を絞める。

「土方さん、苦しいですっ」

土方の腕に指をかけてその力から逃れようとする宗次郎が楽しそうに笑いながら言う。

腕から力を緩めると、宗次郎はそっと土方の身体にその身を凭れ掛けさせた。

そんな宗次郎の仕草は弟が兄を慕っているようなものだと、土方はひとり思って苦笑した。

そう思い込ませるしか無かった。

「…ね、土方さん」

「何だ」

「約束、しましょ」

瞳を上目遣いに、宗次郎が土方を見つめる。

「何のだ」

「ずっと、試衛館に居るって」

「約束?する必要は無いだろうが」

「ありますよ」

土方に凭れていた宗次郎はその身を起こし、腰を動かして座り直すと真正面から土方を見据えた。

「同じ道場の人が突然いなくなったりしたら道場の皆が心配します。私も心配です。…だから、試衛館に入門するなら今までみたいに突然いなくなったりしないって約束をして欲しい」

「…俺はそんな心配されるようなガキじゃ無ぇぞ」

「そう言うことじゃ無くて…」

急にシュンとして俯いてしまった宗次郎に、土方は内心ため息を付く。

ずっと試衛館に居て欲しいと言う宗次郎の真っ直ぐ過ぎる想いは正直嬉しいものだった。

そして思うままにそれを口にするこの少年が言いようもなく愛しいと思う。

何とも表現し難いくすぐったさと、苦さが心に広がる。

「…仕方無ぇな」

呟くように低く言った土方の声が耳に届くと、宗次郎は顔を勢いよく上げて土方を振り仰いだ。

それでもまだ不安そうな表情を消さない宗次郎の頬に指先で軽く触れ、口端を上げ笑って見せる。

「喜んだり沈んだり…ったく、ガキは忙しいなぁ」

「子供じゃありませんっ」

言いながらもようやく笑顔を見せる宗次郎に、土方も瞳を細めた。

「じゃあ土方さん、ハイ」

満面の笑みを浮かべて、右手の小指を立てて土方の方に差し出す宗次郎。

土方はその手と宗次郎と、交互に見つめた。

「…何だ、それは」

「指きりです」

「んな事ぁ…」

分かってる、と全て言う前に宗次郎が言葉を続ける。

「約束、してくれるんですよね」

小首を傾げて可愛らしく微笑むその姿に土方は低く舌打ちをした。

そしてそっぽを向いて宗次郎の方に右手を差し出す。

宗次郎の小さな手が、差し出された土方の手を取りそっと小指を絡めた。

その感触に、土方は顔を戻して宗次郎を見る。

嬉しそうに微笑って歌を口ずさみながら指切りをするその様子に土方はそっと微笑んだ。

「約束しましたからね?」

「…あぁ」

「忘れないで下さいね」

土方の手を小さな宗次郎の手が握り締める。





「--------忘れねぇよ」



まるで己に言い聞かせるように、ゆっくりと呟いた。

















「おい、宗次」

中庭に面した廊下の端に、一人座っている身体に土方は声を掛けた。

「お風呂ですか?」

拭いきれてない髪から落ちる雫を少し乱暴なくらいに手拭いで押さえながら土方が近寄る。

「あぁ、お前も入って来い」

「…えぇ、もう少ししたら」

言って、空を振り仰ぐ宗次郎の隣に土方は腰を下ろした。

「何見てるんだ、お前」

「空ですよ」

「馬鹿野郎、そんなこと分かってるんだよ」

「怒らないで下さいよ…何を、って聞かれても本当に見てるのは空だから困ってしまう」

微笑みを浮かべて空を見上げる宗次郎に倣って、土方も顔を上げる。

「今日は月が綺麗に光り過ぎていて…星があまり良く見えませんね」

呟くように言う宗次郎の横顔をそっと見つめた。

「…月が、可哀相だ」

「--------どうしてそう思う」

「だって、せっかく星が傍に居るのに…自分が照らされて光るせいでその星達がよく見えなくなってしまうなんて…可哀相だ」

「それなら、星の方が可哀相だと思うものじゃあねぇのか」

「…私は…月が可哀相だと思ってしまう」

ほんの少し、宗次郎が瞳を切なそうに細めて見せる。

「一人では輝けなくて…力を借りてやっと光を放つけれど、そのせいで自ら輝くもの達を逆に薄くさせてしまうなんて、月はどんな思いで空に居るんだろう」

「月がそんな風に考えるかよ」

土方の言葉に、宗次郎は空を見上げていた顔を戻して土方を見つめた。



「考えているかも知れません。だって、想いなんてその人にしか分からないんですから」

「…宗次郎?」

突然、宗次郎が口にした言葉に驚きながら土方はその名を口にする。

「…でも……傍に居るのに、近くない…傍に居るけれど、手の届かないものを見る苦しさは…私にも分かる」

小さな声で囁くように言った宗次郎の言葉に土方は瞠目しながら、隣に座る身体の肩に触れた。

心なしか震えるその肩を包むその手に、そっと力を込める。

刹那、身体を強張らせる宗次郎に驚いて土方は低く声を掛けた。

「宗次」

「…ふふ、変なこと言いましたね。--------お風呂、頂いて来ます」

小首を傾げて土方に微笑みながらそう言って宗次郎は静かに立ち上がると、そのまま早足で廊下を歩いて行った。

その小さな背を見送って、土方は軽く吐息を付く。

宗次郎の肩に触れたその手を見つめ、瞳を細めながら空を振り仰いだ。

月光に、瞳を凝らす。

「傍に居るが、手の届かないもの…」

思わず呟いた自分に舌打ちをしてから、勢い良く立ち上がり土方はその場から離れた。



「手に入れようと思えば…出来ないことは無ぇんだ」

例えば、その身体。

無理やり手に入れることは出来る。

けれど。

欲しいのは、そんなものでは無くて。



本当に欲しいのは。



「…どうしようも無ぇな」









「あれ、歳さん」

廊下で、永倉とすれ違う。

風呂上りらしく、着物の襟を少し肌蹴させながら肩に手拭いを掛けている。

健康的な肌の色をした頬に、人懐っこい笑みが浮かんだ。

「宗次と風呂一緒になってな、背中流してもらったんだ。あんたは?もう入ったのか?」

「あぁ、先に入らせてもらったぜ」

「…何だい、随分おっかねぇ顔して。…今時分からお出掛けかい?」

わざと少しからかうような口調で言う永倉に土方は苦笑する。

「ちょっと出て来る」

「お帰りは?」

「…気分次第だ」

土方の言葉に永倉は口の端を歪めて笑って見せる。

「湯冷めするぜ」

「…冷やして来たいのさ」

「そうかい」

無遠慮に深くは尋ねて来ない永倉の性格に安堵しつつ、その身体の横を通り過ぎた。

「春とは言え、夜はまだ随分と冷えるぜ。そこそこにな」

言いながら片手を数回ひらひらと振って見せ、土方とは反対方向に廊下を歩いてゆく。

土方もゆっくりと歩き出し、玄関へとその足を向けた。





出て来る、と永倉に告げて出て来たまでは良いが、特別どこかにあてが在る訳ではない。

何処へ向かおうかと思案しようとしたその時、昼に見た桃色の光景が浮かんだ。

「…夜桜も悪か無ェな」

独り言を呟いて、土方は昼に宗次郎と歩いたその道を行った。

真っ直ぐに続く道を歩く頭上には、綺麗な月が輝く夜空。

上目遣いにその月を見、歩く速度をほんの少し緩めた。

途端に、宗次郎が先ほど口にした言葉が頭をよぎる。

微かに震えていたその声音まで思い出せて、土方は深いため息を吐いた。

「宗次郎」

知らずと呟くのは、かの名前。

「お前は、知らない」

歩みを止めて、空を振り仰いだ。

きつく掌を握り締める。

掌に食い込む爪よりも、鈍く重いこの胸の方が痛い。



「知らないんだ」

9歳離れたあの身体を守ろうと思ったのは、初めて川辺で出会ったあの日から。

共に過ごす日を重ねて、年を送り、笑い合う日々の中で変わったものがある。

守りたいと思うのは、変わらない事実。

けれど。

いつからか、あの笑顔に惹かれていた。

「お前の想いと俺の想いは…違う」

ただ傍に居たいとか、そんな綺麗なものではない。

欲しいと、思ってしまう。

全てが欲しいと願ってしまう。

今までに感じたことの無いような激情が湧き上がる。

こんな想いは、知らないはずだけれど。

きっと、遠く忘れていただけかも知れない。

そう。

確か、これは愛とか恋とか言っただろうか?

否、そんな言葉で覆い切れないような深い想い。

けれど多分これが、人を想うと言うこと。

不意に吹き付ける強風に瞳を細めた。

目の前に一枚の花びらが舞う。

それに指先を伸ばし、そっと握り締めた。













「土方さん…っ」



遠くで呼ばれた気がして、土方は桜の樹に後頭部を付けて閉じていた瞳をゆっくりと開いた。

暗闇の中瞳を凝らすと、こちらに走り寄って来る影がある。

「…宗次」

立ち上がって、走って来るその身体の名を呼んだ。

ずっと駆けて来たのだろう宗次郎は荒い息のまま土方の前に立つ。

「宗…」

宗次郎、と言いかけた土方にまだ呼吸の整わない宗次郎が飛び付くようにして抱き付いた。

「…ッ」

自分の胸に顔を押し付けて抱き付いてくる宗次郎に驚きつつ、その上下する背に手を回す。

「…宗次郎…」

「新八さんにっ…外に行ったって聞いて…きっとここだと…っ思って」

乱れた息の中で言う宗次郎の背を、何度か掌で優しく撫でた。

「…馬鹿。ちょっと出て来ただけだよ」

込み上げるのは苦笑。

こんな真っ直ぐな宗次郎が本当に眩しいと思う。

すると宗次郎は顔を土方の胸に付けたまま首を振った。

「追わないと…土方さんが遠くへ行ってしまう気がして」

次第に整って来た呼吸。

しかし耳に入って来る声は消えそうに小さく、震えていた。

「…何処に行くって言うんだ」

「分からない…分からないけれど…だけど」

ゆっくりと宗次郎が土方の胸から顔を上げる。

心なしか、見上げて来る闇色の瞳は潤んでいる気がして。

それに驚いて、土方は背に回した方の手とは逆の手を宗次郎の頭に乗せ髪を撫でようとした。

風呂から上がってすぐに駆けて来たのだろう、着物は着流しのままに、その髪はまだ濡れている。

風邪を引くだろうと言いけて、土方は自分の羽織を半ば無理やり宗次郎に羽織らせる。

「お願いだから…もう何処へも行かないで下さい」

「…お前」

「ごめんなさい…ただのわがままだって…言ってはいけないって分かってるんです…でも」

宗次郎の言葉に瞠目し、見上げるその瞳を見つめた。

「そんなの無理だと分かってるから…だからせめてこうして貴方を追うことを許してくれますか…?」

「宗次」

「貴方の邪魔にはならないようにするから…」

そこまで言って、宗次郎はまた顔を土方の胸に伏せた。

一瞬の間を置いて、宗次郎の口唇から零れるのは震える声。

「…だから…嫌いにならないで」

「宗次郎…」

「ずっと…傍に居たい」

「居るじゃあねぇか」

宥めるように、土方は何度も掌で宗次郎の背を撫でる。

薄い背が、震えていた。

己が抱える想いと、宗次郎との想いは違うもののはずだと土方は眉を寄せた。

「そうじゃなくて」

そんな土方の思考とは裏腹に宗次郎の口が告げるのは切なる想い。

「…そうじゃなくて…」

宗次郎の細い指が、土方の着物の胸の辺りを握り締める。

「ずっと…ずっと、傍にいて欲しい」

声音は、まるで泣いているようで。

「--------ごめんなさい」

「宗次--------」

「…ごめんなさい、土方さん」

何度も繰り返して謝る宗次郎の頭を両脇から掴み、自分の胸に伏せたその顔を仰向かせた。

「宗次郎」

名を呼ぶと、成長途中の頼りない細い肩が大仰なほどに揺れる。

土方はその肩に手を掛け、逆の手で宗次郎の頬に触れた。

「…宗次、俺を見ろ」

瞳を伏せ、土方の視線から逃れようとする宗次郎に低く言う。

まだ瞳を合わせようとしない宗次郎の両頬を、掌で包み込んだ。

「…ごめんなさい土方さん…貴方を困らせたくは無いのに--------」

「宗次」

宗次郎の言葉を遮って、土方が名を呼ぶ。

その、いつもよりも強い土方の口調に宗次郎の瞳がやっと土方を捕らえた。

見上げて来る闇色の瞳が、僅かに潤んではいるが涙に濡れていないことに安堵する。

重い口を、土方は開いた。

「…さっきの言葉の意味を、お前…分かって言っているのか」

頷く。

風に舞った桜の花びらが、宗次郎の髪に落ちた。

「お前の願いは、それだと言うのか」

土方から瞳を逸らすこと無く、宗次郎がもう一度頷く。

「…貴方の傍で…貴方と共に在りたい」

実年齢よりもまだ僅かにあどけなさを残したその顔が、驚くほどに真っ直ぐに土方を見つめる。

その闇色の瞳に引き込まれるように、瞳の奥の奥にまで目を凝らした。

宗次郎に握り締められた、着物の胸の辺りが熱い。

無言のままの土方に、宗次郎が揺れた瞳を細めて微笑い掛けた。

その笑顔を見つめながら、土方は左の手を先程のように宗次郎の肩へ回す。

暫し続く沈黙に耐えられなくなったか、瞳を伏せようとする宗次郎に声を掛けた。

「…宗次郎」

呼ばれて、反射的に顔を上げたその頤に手を掛け薄く開いた口唇をそのまま掠め取った。

軽く触れた、柔らかい感触。

宗次郎の瞳が、大きく見開かれた。

「俺のは…お前のように綺麗な感情じゃあない」

顔を見つめ合う前に、土方は宗次郎の耳元に顔を寄せ吐息混じりに低く囁く。

宗次郎は土方のその囁きに首を大きく横に振った。

「…私のこの想いこそ醜いものです……貴方の重荷になりたくないと思いながら

 こんなにも貴方の傍に居ることだけを望んでいる」

「--------全て欲しいと、そう、言ったら」

「もう…全て、貴方のものです」

「全て奪うと言ったら」

「貴方なら構わない」

理性の箍が外れそうになるのを感じながら、腕の中に細い身体を抱き締めた。

「貴方の傍に居させて下さい」

「…宗」

両腕にすっぽりと収まってしまう、まだ成長途中の小さな身体を全身で包み込む。

ゆっくりと土方の背に宗次郎が腕を回して来た。

たどたどしいその動作さえ愛しい。

「土方さん…」

何か言いかけた宗次郎の頬に手を副えて、そっと上向かせる。

二人の顔の距離をゆっくりと縮めてゆくと、宗次郎はきゅっと口唇を噛んで瞳を閉じた。

その口唇に親指の腹を当て、薄く開かせるとそのまま自分のそれを重ねる。

互いのそれに触れる柔らかさに酔いながら、次第に深くなる口付けに、宗次郎の身体が震えた。

「…ん」

口唇が離れた瞬間に零れた吐息が甘い。

「…なら…離れるんじゃあねぇぞ」

もう一度かたく抱き合って、土方が囁いた。

「…離れないから…離さないで」



その腕の中で、宗次郎が吐息で笑う。

「ずっと、貴方だけを追っていた」

言いながら頬を胸に寄せて来るその仕草に、土方はそっと微笑う。

「これからもずっと…変わらないから」

春の夜風にさらされ冷えてしまった身体を、互いの体温で埋め合わせるようにして抱き合った。





「約束、するから」

離れないと。

傍に居ると。

この頼りない細い小指で、固い約束を交わして。





「ずっと貴方の傍に居る」

今度は、私が貴方と約束を交わしましょう。

貴方と絡めたこの小指で。



どうか違えることが無いように。

そんな日が来ないように。



それだけ、祈るから。





「土方さん、もう一度…」



全て言い終わる前に、宗次郎の紅い口唇を土方の薄い口唇が覆った。





















「…っ…」

耳元で零れる甘い吐息に、背中が疼く。

目の前の細い身体を抱き込んで、薄らと桃色に染まった耳朶を甘噛みする。

「--------怖いか、宗次」

低く囁きながら微かに震えるその肩を引き寄せた。

問い掛けに無言で首を振る宗次郎に土方はそっと苦笑した。

「嘘をつけ」

言って声も無く笑うと、襟を割り滑らかな肌に触れる。

手をゆっくり肩口にまで滑らせて、そのまま左肩を肌蹴させた。

微かに震える身体を抱き締めて、口唇を重ねる。

噛み締めた歯列を割って柔らかく舌を絡めると、宗次郎の指が土方の胸の辺りに縋った。

深く絡められる吐息に、腕の中の強張った身体からそれが抜けてゆく。

細い身体と共に、床へと己の身体を埋めた。

肌蹴させた左肩から鎖骨へと指を滑らせると、組み敷いた身体が小さく揺れる。

頬を僅かに上気させて見上げて来るその瞳の目尻に口唇を寄せた。

「…震えている」

耳元で低く囁くと、肩を震わせてその細い肩を竦ませて見せる。

「外が寒かったから…」

小さな声で返す宗次郎に苦笑した。

「…そうか」

白い首筋を指先でなぞり上げ、その後に口唇を這わせる。

軽く仰け反った喉元を吸い上げた。じわりと広がる、紅い痕。

「--------すぐに暖かくなるさ…」

「ひじか…」

名を呼ぶ声も遮って、前戯も無く柔らかい口唇を貪る。

逃げようとする舌を絡め取り、口腔を犯す。

「ふ…ぅ…っ」

肩を抱く腕と反対の手を、帯に掛け器用にその結び目を緩めた。

緩めた帯を引き、重ねられた襟を広げる。

露わになった白い肌を掌で撫で上げ、その滑らかな感触を確かめた。

「…今なら…まだ引き返せるぞ」

まだ、今なら。

この手で、その身を堕とす前に。

思いながら頬に手を伸ばす。徐に、その手に宗次郎が己の手を重ねた。

「言ったはずです」

掌から伝わる温もりのような、柔らかな声。

「もう全て貴方のものだから」

頬に触れた土方の手を握り締めるようにして、宗次郎が細い指をそっと絡める。

「貴方の言葉が嘘では無いと…この身体に教えて欲しい」

心なしか濡れたその響き全てを、口唇で攫った。









障子越しに射す月明かりに、闇の中の白い身体が浮かぶ。

熱を帯びたその身体は、抱かれたその腕に翻弄され切なくも震えている。

「…あ…っ」

薄い胸を口唇で弄られて、噛み締めて堪えていた吐息が零れた。

もう触れられていない所は無いと言うほどに蠢く大きな掌が、身体の線を撫で上げる。

その手は首から胸、脇腹、大腿を這い、僅かに反応し始めている宗次郎自身に到達した。

「やっ…」

掌全体で包み込むように触れられたその感触に、悲鳴に近い声が漏れる。

柔らかく扱かれて、その背が大きく仰け反った。

瞳を閉じ、両腕を額の辺りで折りその表情を隠す宗次郎が大きく頭を横に振る。

その腕を退けさせ、羞恥で紅く染まる頬に触れて薄く開いた口唇に土方は自分のそれを重ねた。

触れた口唇が、熱い。

「少し…我慢しろ」

言って、身体をずらし顔を宗次郎の下腹部に埋めた。

緩やかに反応を見せる自身に口付け、そのまま口の中に含む。

「あぁっ」

ビクンと大きく揺れた腰を押さえ付けて、深く銜え込んだ。

強過ぎる刺激と快楽から、開かされた膝を閉じて逃げようとするのを許さず、己の身体を割り込ませてそれを止める。

「…土方さんっ…ぁ…ッ」

手の甲で覆われた口元が、上擦った声が組み伏せる腕の名を呼ぶ。

縋るものの無い指先がその行き場を探して空を切り、土方の髪を揺らした。

そのまま布団に落ちた指が敷き布に皺を作る。

土方はその指に己の指を絡めて、白い手を握り締めた。縋る指が、愛しい。

下腹部から顔を離し、握り合う手に口付ける。

「宗次郎」

身体をずらして腕の下の身体にのしかかるようにして、真上から顔を見つめた。

名を呼ぶと、閉じられた闇色の瞳がゆっくりとその瞳を開く。

潤んだ瞳も、切なく吐き出される吐息も、全てが欲しい。

「土方さ…」

顔を寄せれば、細い腕が土方の首元に柔らかく絡められた。

左腕でその身体を抱き寄せて、自然と狭まるそのままに顔の距離を縮める。

触れ合った口唇が更に深い交わりを求めて互いの吐息を誘い込む。

「っん…」

空いた右手は、滑らかな肌を滑って大腿の辺りを行き来する。

柔らかい内腿を掌で包み込むように撫で、濡れた指先を宗次郎の内部に忍び込ませた。

「や…ぁ」

初めて異物を受け入れるその部分が、進入して来たそれを拒んで締め付けて来る。

内部で指を折り曲げると、大きくその身体が揺れた。

ゆっくりと慣らしながら土方は仰け反った白い喉に口唇を落す。

紅く残した痕をもう一度軽く吸い上げてから、口唇を下へと滑らせてゆく。

上下する薄い胸を彩る淡い色の突起を口に含み、舌先で刺激した。

切なそうに身を捩るその身体の内部へ忍び込ませた指をもう一本増やす。

「…あっ」

「…宗次郎」

耳元で囁いて、幾分慣れて来たように思える入り口から指を抜く。

宗次郎が息つく間もなく、土方は細い腰を抱え込んで欲望の兆しを露わにした己を先程まで慣らしていたその部分に押し当てた。

無意識に逃げようとする腰を引き、ゆっくりと締め付ける壁の中を押し入る。

「--------…ッ」

強張った身体が、切れ切れに苦しそうな吐息を吐き出す。

「宗次」

乱れた前髪を掻き上げて、優しく名を呼んだ。

その指で、宗次郎の髪を結い上げた元結を緩めて纏め上げられた黒髪を解いた。

散る黒髪は、濡れているように艶やかな光を放つ。

呼吸さえも苦しそうな宗次郎の髪を一度梳いて、汗の浮かぶ額に口唇を寄せる。

少しずつ内部に進もうとする土方自身を、宗次郎の内壁が頑なに拒む。

苦しそうなその様子に、やはり無理だったかと土方が思いかけたその時、土方の頬に宗次郎の指が触れた。

「名を…」

掠れた声を聞き、口唇を重ねて渇いた喉を潤わせる。

「…名を…呼んで下さ…」

頬に触れたその手を取り、手の甲から包み込んで掌に口唇を寄せた。

「貴方の声で…」

「--------宗次郎」

微笑んだように、見えた。

「宗次郎…」

繰り返しその名を口にしながら、土方は身体の至る所に口唇を落し白い肌を紅く染める。

胸に舌を這わせた瞬間に一瞬力の緩んだ宗次郎の身体の奥へ、更に身を進めた。

絡み付くようにきつく締め付けて来るその壁に、土方の頤から一筋冷たい汗が流れる。

初めて体験する痛みに慣れることの無い宗次郎の頬も、その痛みからかいつもよりも白く見えた。

「宗次…」

痛々しいまでに迫り来る痛みを堪えて居るように見える様子が、愛しくも心に痛い。

一度身を引こうと腰を引こうとする土方の腕に、宗次郎の手が触れる。

「…平気だから…っ…土方さん…やめないで--------」

潤んだ瞳が、土方を捉える。

「宗次郎」

「…ちゃんと…貴方を知りたいんです…」

途切れ途切れに伝えられる言の葉は、吐息に混じって消えた。

震えながら腕に触れる指先に土方は己の指を絡めて、紅く濡れた宗次郎の口唇を吸い上げる。

愛しいからこそ、大切にしたいと想っていた。

優しく抱こうと、そう想っていたけれど。

この身体に堕ちるのには、今の言葉はもう十分過ぎた。



荒々しいまでに深く貪り、宗次郎を追い詰める。

息苦しさに顔を背けようとするのも許さず、舌を絡めた。

横の髪を優しく梳きながら、白い肌に口唇を這わせてゆく。

次第に強張った身体から力が抜けてゆくその時を逃さず、腰を一気に押し進めた。

「--------あぁっ!」

腕の下の身体の背が弓形に大きく仰け反り、その痛みの大きさを土方に伝える。

内部を抉られるように押し進められた宗次郎の入り口は、見なくとも血に濡れているだろうことは安易に想像がついた。

息を吸うことも吐くこともままならぬ宗次郎に頬を寄せる。

倒した上半身のせいで更に深く飲み込まされて、細い身体がまた大きく揺れた。

「…宗次郎…」

流れ落ちる涙を舌先で掬い上げ、彼の呼吸が落ち着くのをゆっくりと待つ。

「ひ…じかた…さん」

差し出された両手を、肩口に回させる。

引き寄せられるままに身体を近付け、耳元で宗次郎の呼吸を聞く。

浅く早いが次第に整って来た呼吸に土方は、宗次郎の前髪をもう一度掻き上げ真上から見つめた。

「宗…」

低く呼んでから、抱えた腰を僅かに揺らす。

「…ん…っ」

薄く開いた口唇から零れる吐息は濡れ、語尾は甘い。

湧き上がるのは荒々しいまでの征服欲と、それ以上の愛おしさ。

「土方さん…」

顔を寄せて額を合わせ、白い頬に流れる雫を指先で拭う。

潤んだ瞳が、じっと土方を見つめてくる。

上気し、桃色に染まった肌に溺れることに、言葉は必要無い。

土方は細い腰を抱え込んで、深く重ねた。

零れそうになる声を堪えようと噛み締められた口唇を塞ぎ、ゆっくりと追い詰める。

「…そんなに噛み締めるな」

耳朶を甘噛みしながら囁き、掌で胸を弄る。

音にならない、微かな吐息が土方の耳を掠めた。

この密やかな吐息も潤んだ瞳も、肩に立てられた爪の痛みも、まるで全てが誘惑。

昂ぶる想いのままに、時に激しく律動を刻めば、その度に白い身体が仰け反った。

荒々しく進入するそれに、内部の熱い壁がきつく絡み付いて来る。

腰を揺らす度、闇に響く濡れた音が耳に届くと、宗次郎は頬を更に赤らめた。

細い脚を大きく開き、自身を深く飲み込ませながら、まだ引き返せるなどと先刻言った己を思い出して土方は自嘲した。

こんなにも渇望していたこの肌にのめり込んでいるのに、引き返せるものか。

ずっと、欲しいと思っていたのだ。

「…土方さ…っ」

熱にうなされたように何度も名を呼ぶその口唇に土方は自分のそれを重ね、口腔を蹂躙した。

絡め合う舌の甘さに酔う。

「--------歳、と」

薄く血管の透けた白い首筋を吸って、吐息混じりに囁く。

閉じていた瞳がその声でゆっくりと開かれ、潤んで艶やかな瞳が土方を見つめてくる。

視線が絡むと、宗次郎はその瞳を細めて微笑んで見せた。

「…歳…さん…」

言って、その身体を求めて宗次郎の腕が土方を引き寄せる。

請われるままに上半身を折り、胸を合わせた。

苦痛の色の消えた宗次郎を見つめ、深く重なった腰を揺らす。

「あっ…」

零れそうになる声を堪えていた砦が崩れ、快楽に濡れた喘ぎが甘い吐息を残して闇に消える。

その声に、土方は薄く満足そうに笑うと背に回した腕に力を込め、少しの隙間も無く二人の肌を重ね合わせた。

深く貫かれた身体が小刻みに震え、大きく仰け反る。

「歳さ……もうっ…」

限界だと口には出来ず、ただそれだけを告げる宗次郎に、土方は笑ってもう一度突き上げる。

「--------…!」

闇を裂くような声にならない吐息が放たれると、耳元に口唇を寄せ囁いた。

「…あぁ…焦らさねぇよ」

張り詰めた宗次郎自身を右掌で包み込んで扱き上げれば、腕の下の身体が切なそうに身を捩る。

土方が腰を揺らす度に宗次郎の細い腰もまたそれに翻弄され、一つの律動を刻む。

切れ切れに吐き出される熱い呼吸が土方の頬を何度も掠めた。

肩から滑り落ちそうになる白い手を掴み、土方は細い指に自分の左手を絡める。

その指に縋って力を込めてくる手を握り締め、激しく追い詰めると宗次郎は身体を強張らせて土方の手の中に全てを吐き出した。

一気に脱力するその身体の中で、土方も溜めていた熱を迸らせる。

ぐったりと薄い胸を上下させる宗次郎と絡めた手に口付け、左手で乱れた髪を梳いた。

結び合った部分から土方が腰を引くと、宗次郎が呼吸を詰める。

「…宗次」

名を呼べば、甘えるようにして腕を差し出す宗次郎を抱き起こして身体を引き寄せる。

土方は自分の身体を下にし、宗次郎の身体を自分の胸に掻き抱きその腕にゆっくり力を込めた。

「…歳さん…」

未だ濡れた響きの残る声が胸の辺りを擽る。

頬を包み込んで、熱く舌を絡め合った。

「ん…」

抱き合った後のこの気だるささえも、今は愛しい。

想っていた身体を抱くことが、こんなにも満ち足りることなのだ知らなかった自分が可笑しい。

心底、離したくないと、想った。



不意に肩の辺りが冷たくて、視線をずらす。

そこを枕にしていた宗次郎が、静かに泣いていた。

「…何故泣く」

「…分からない…とても、とても幸せだと想うのに」

顔を寄せ、口唇で零れる涙を掬い上げると宗次郎が淡く微笑う。

「この温もりが愛し過ぎて…ひとりになるのが怖いと想ってしまう」

「言ったはずだぜ」

濡れた瞳が真っ直ぐに土方を見つめて来る。

土方はその視線を受け瞳を細めて笑うと、軽く啄むようにして宗次郎の口唇を奪った。

「ひとりになど…させはしない」

無言で頷くその後頭部を引き寄せ、土方は宗次郎の首の辺りに顔を埋める。

「もうお前は俺のものだ」

「…全て?」

「嫌だと言っても、もう知らん」

放たれた言葉に、宗次郎がまた綺麗に微笑んで見せた。

細い指が、土方の頬を愛しそうに撫で、そして首筋、肩、腕へと滑りそっと左腕の力を緩めさせる。

柔らかな仕草で宗次郎は土方の手に自分の指を絡めてゆっくり握り締めた。

そして、土方の手の甲を己の頬に当てる。

濡れた瞳を瞑り、宗次郎が密やかに囁いた。

「ずっと…貴方のもので在りたい」

そっと身を寄せてくる華奢な身体を抱き締めて、土方も瞳を瞑る。





「離れるなど、もう許すものか」







淡い微笑が、闇に溶けた。










「卯月の頃」-下-へ続く













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