太陽の破片





ただ、君を。


















の 破 片















「…お帰りですか?一さん」







屯所の門をくぐろうとしたところで、遠くから柔らかい声がかかる。

踏み出そうとした足を止めて、ゆっくりと顔を上げた。

柔らかな陽が降り注ぐ縁側に、その声の主は座っていた。

「…総司」

名前を呼ぶと、その人は闇色の瞳をそっと細めて、穏やかに微笑う。

太陽の光を浴びて微笑う様は、やけに眩くて。

斎藤は額の辺りに掌を翳し、僅かばかり瞳を細めた。

眩しく在りながらも、何処か遠くへ消えてしまいそうな印象さえ抱かせる、視線の少し先で座る細い身体を見つめた。

「……所用があってな」

そう低く応えると、何が可笑しいのか総司はまた笑って見せる。

何が可笑しい、などと斎藤も問うたりはしない。

彼が己の言葉に柔らかく笑みを浮かべるのは、いつものこと。

「お蕎麦屋さんですか?それとも刀探しに骨董品屋さん?あぁ、まさかこんな真昼間からお酒を飲みに行ったわけではありませんよね?」

くすくす、と如何にも楽しそうに笑う総司にそっとため息をついて。

斎藤は、縁側に腰掛けたままの総司に向かってゆっくりと歩みを進めた。



「…総司」

彼の人以外が聞けば、怒りを含んでいるとも感じさせるような声で斎藤は低く名を呼んだ。

「…何ですか?」

そんな思いさえ知ってか知らずか、総司の声は相も変わらず明るい。

「今日は随分と体調が良さそうだ」

「えぇ、そうですね」

ここ最近、白を通り越して青かった頬は、陽の光を浴びているせいかほんのりと淡く上気している。

総司の目の前で歩みを止めて、無言のまま斎藤は総司を見下ろした。

思っていることを感じさせない表情、とはまさにこんな表情のことなのだろう。

普段から無表情であることは隊内でも皆が知って渡る斎藤である。

こんな風に真正面から見られれば、平隊士などは震え上がるのであろうが試衛館の面々たちはすでに慣れっこなのだ。

何より、今斎藤の目の前に座る彼は言うまでも無く。

無言無表情のまま、斎藤は総司に向かって手を伸ばした。

「一さん?」

真正面から無言のまま見つめ合っていた静寂を裂いたのは、総司の声。

その声にさえ反応せず、斎藤は伸ばした手を総司の額に当てた。

前髪をそっと掻き分けるように額に手を当て、それからその手を左頬にゆっくりと伝わせまたそこを掌で包み込む。

大きく骨ばった、剣術だこのある無骨な掌である。

けれどその掌の感触は、総司にとっては優しいと感じるものであった。

斎藤は、まるで頬の感触を確かめるように何度か指先で総司の頬を撫で、それからもう一度同じように掌をそっと頬に寄せる。

陶器を思わせる滑らかな感触は、今日は熱さも感じない。

そんな小さなことに安堵する己に、斎藤はそっと自嘲した。

「……総司」

「はい?」

名残惜しささえ感じながらも、斎藤は掌をそっと離して。



「共に出かけたかったのであれば、最初からそう言え」



一言、低く言ったのだ。

その斎藤の声に、総司の闇色の瞳が瞠目する。

僅かに見開かれた瞳は、すぐに穏やかに細められて。

「ふふ、一さんは私以上に私のことを分かっている」

嬉しそうに。

総司が微笑った。





人はみな自分の笑顔すら見えなくて

そばにいる誰かに見守られている

そうやって交わって生きていく








総司と土方が軽い言い争いをしたのだと、永倉から聞いたのは巡察から帰隊した早朝のこと。

これから上番する永倉が、苦虫を噛み潰したような顔で斎藤に耳打ちしたのだ。

総司の胸の病がじわじわと進行しつつある頃から、総司と土方の間で小さな言い争い、--------言い争いと言うには軽いものだけれど--------が増えた。

自分の身体のことさえ気にかけず、隊務につくことを願う総司と。

総司の身体のことを思い、隊務から離そうとする土方と。

思うことはいつも二人、同じものであるはずなのに、それ故にすれ違うのであろう。



「総司を頼むよ、斎藤」



あの二人がそんな状態になると、いつものように言われる言葉。

やはりいつもの如くそう言った永倉に、今度は斎藤が苦虫を噛み潰す思いであった。

「…損な役回りだ」

低く呟いたはずの声は、己で思っていたものよりも大きいものだったのか。

永倉はそっと笑って斎藤に言ったのだ。



「…何だかんだ言ってもな、総司はお前の言うことは聞くんだ」



嬉しい、と。

思えたら、いっそ楽なのかもしれない。

けれど。

そうも思えないのは、そっと己の心の内で抱いている想い故のこと。

交わるようで交わらない。

己と、彼の人は。

あの背を追う彼の人の背を追う己。

結局のところ、すれ違いばかりなのだ。

分かっている。

分かってはいるけれど。

放っておけない。目が離せない。

真っ直ぐに前を見ているくせに、こちらの方が驚いてしまうほど強い心の芯を持っているくせに、なのに時々見ていて危ないと思えるほどに彼は揺らぐのだ。



…分かっている。

惚れている故の、己の勝手な執着だと。





「お出かけするんだったら、誘ってくれたら良かったのに」

小さな子供がするように口を少し尖らせ、拗ねたように言う目の前の彼の人は、己と同い年とはそうそう思えない。

込み上げてくる苦笑を噛み殺す。

「…俺が巡察から帰って来たら、お前は部屋にいなかった」

早朝から土方と言い争って、その脚で上番する前の永倉の部屋に行き、事の起こりを永倉に零していたのだろう。

そのまま顔を合わせることなく、下番した斎藤はふらりと出かけたのだった。

「そう、なんですけど」

言って、そっと俯いてしまった総司の表情を、結わいで肩の辺りで踊っている黒髪が隠した。

ひとつ、小さく吐息をついて。

懐から、小さな包みを取り出した。

そして総司の目の前に差し出す。

「…土産だ」

低く言うと、総司はすぐに顔を上げて少し驚いたような顔を見せ、それからおずおずと白い手を包みに伸ばした。

「私に?」

「お前以外に誰が居る」

込み上げて来る言いようの無い羞恥心を隠すように、まるで突き放すかのように言っても。

目の前の総司は、蕩けるように、嬉しそうに笑った。

「ありがとう、一さん」

開けてもいいですか、確認するように言って総司は小さな包みをそっと開いた。

「…金平糖」

様々な色の小さな金平糖。

「拗ねた子供は、そういったものが好きなのだろう」

わざと、意地の悪い言い方をすれば総司は軽く口を膨らませて。

「嫌だなぁ、同い年なのに」

「そう感じさせないお前が悪い」

一聞すれば、冷たいと思わせるやり取りのようにも感じるが、不器用な斎藤が取るそんな態度さえ優しさに溢れているものなのだと総司は知っている。

十分過ぎるほど、知っているのだ。

「やっぱり、共に出かけたかった」

くすくす、と。

総司は込み上げて来る笑いを噛み殺すように肩を揺らして、斎藤を見つめる。

「どんな顔をして金平糖を一さんが買ったのかを共に見たかった」

「共に行っていたら、そんなものを買うものか」

「そんな無愛想な顔で、金平糖を買いに行ったのですか?」

ふふ、と噛み殺しきれなかった笑い声が総司の口唇から零れ落ちた。

「…煩い」

こんなやり取りをしても、買って来なければ良かったなどと思うことさえないことが不思議でならない。

「要らないのならば返せ」

言葉は、いつも裏腹。

短く一言、斎藤が告げると、総司は黙り込んで斎藤を見つめた。

深い闇の色をした瞳に、捕らえかけられる。

「…何だ」

動揺を隠すようにして。低く問うた。

その声に、総司は瞳を細めてにっこりと笑う。

「…一さん、ありがとう」

言って、総司は一粒、金平糖を細い指先で摘まんで口に入れた。

ちらりと見えた舌先を、見なかったことにするかのように斎藤はそっと目を逸らした。

「一さんも食べますか?」

「…要らん」

「ここの金平糖、とっても美味しいんですよ。一さん、よく知っていましたね」

愚問を、と思う。

お前がよく店の名前を口にしていたではないか、などと。

口にすればまた、茶化されてしまうようなことを言うのはやめにした。



「一さん、あのね、…」

たまに金平糖を口に放りながら、明るく総司は斎藤にとりとめない話をする。

それは、…そう、まるで何時も通りに。

何も無かったのだと、何も言うなと言うかのように繰り返し、日常の話をするのだ。

「…そうしたら、土方さんがね、……」

言って、総司の動きが一瞬。本当に一瞬、止まったのを斎藤は見逃さなかった。

「……喧嘩したそうだな」

静かに、口火を切る。

え、と。総司の口唇が確かに形取ったが、それは声にならなかった。

「私が?…誰とですか」

白々しいとも言えるやり取りであるが、これもいつものこと。

総司は、自分に関わることを他人に心配され、触れられることが嫌いなのだ。

嫌いと言う言葉が合っているのかは分からない。

だが、幼い頃から年の離れた大人ばかりと生活を共にしていたせいか、他人に自分のことを心配されるということを極端に苦手にすることを斎藤は嫌と言うほど知っていた。

「副長に決まっている」

有無を言わせないよう告げると、総司はそこで口を噤んだ。

永倉には言えるくせに、己には言えないのかと。ぐっと、腹の底が重くなるのを感じた。



「……喧嘩、と言うほどではないのです」

少しの間を置いて、総司が口を開く。

その声が僅かに揺れていたのは、聞き間違えではないだろう。

「土方さんが心配性過ぎるのです。私はもう平気なのに、」

「…そう言って動いて、夜に熱を出すのは誰だ」

また、総司が口を噤む。

本当のことを言われては、反論も出来ないというところだろう。

「…平気、です」

先ほどよりも更に揺れた声が、鼓膜を揺らした。

「私は、平気なのに」

ぐ、とまた腹の底が重くなる。

怒りにも、苛立ちにも、悲しみにも似たそれは、斎藤の奥深いところをじんと痺れさせた。

「…お前のことを心配して言っているのだ」

「私の身体のことは、私が一番分かっている」

「分かっていると言いながらお前が無理をするから、副長は言うのだ」

斎藤の放った言葉に、総司は顔を歪ませた。

眉を寄せて瞳を揺らし、何かを言おうとして、そのまま口唇を噛み締めた。

そうしてそのまま黙り込み、深く俯いた。

感じ取れるのは、焦燥感や悲壮感、様々に混じり合った複雑なもの。

そっと。手を伸ばして総司の肩を掴んだ。

細い肩は、僅かに震えていた。

その感触に、総司がそっと顔を上げる。

視線が、絡んだ。

「…何を、そんなに不安に思っている」

真正面から見つめ合い、問い掛ける。

それに答えはなく、ただその代わりのように大きな闇色の瞳が揺れた。

嗚呼、この瞳だ。

頑な過ぎるまでの強い芯を持っているくせに時々、こちらが不安になるほどに揺らぐ、この。

言い得ぬ苛立ちを覚えて、斎藤は半ば無理矢理のように総司の身体を両腕に抱き込んだ。

抵抗されるかとも思ったが、小さな抵抗も無く細い身体は胸の内に飛び込んで来た。

そっと、総司の耳元に口を寄せて。

「…聞いてやるから、言え」

低く。囁いた。

ふるり。一度だけ、小さく腕の中の身体の頭が横に振れた。



「あと一度しか言わん。…俺が聞く。だから言え」

今度は、肩が小さく震えた。

背中に回される腕はない。けれど。触れ合う温もりだけで、今は十分だった。

「…怖い、んです」

やっと耳に届いた声は、心無く揺れていた。

促すように、抱き込む腕に力を込めれば総司が僅かに息を詰める。

「…私はこのまま、要らない人間になってしまう」

切々と語られるその声の主は、一体、どれだけ。

「私の居場所は、何処にもなくなってしまう」

どれだけ、たった一人で。

「…あの人の、役に立てなくなって…ただ生きている屍のようになって、」

幾つもの、夜を。

「------------あの人からも、誰からも、…必要とされない人間になる」

思いつめて、超えて来たと言うのだろう。

ただ、ひとり。

どれだけの孤独感の中、息をしてきていたのだろう…?



知らず、抱き締める腕に力を込めた。

細い肩に、顔を埋める。

「…そんなことは、ない」

ようやっと口にした言葉は、情けなくも震えていて、そっと斎藤は嘲笑した。

「いいえ。そうなのです」

「…違う。そんな日は、来ない」

まるで、己に言い聞かせているようだと。斎藤は、分かっていたけれど。



「土方さんにとって、…私は不要な人間になる。…近いうちに、きっと」



嗚呼。

そうだった。

腕の中の彼の人の世界は、あの人で成り立っていたのだと。

思い知る。

こんな告白で、改めて思い知るなんて。

硬く、瞳を閉じた。



「…そんな日は、来ない…」



されるがまま、この腕の中に居る身体は、知らないのだ。

どれだけ、あの人が大切に思っているのか。

どれだけ、離したくないと思っているのか。

知らない、だけなのだ。

嗚呼。

これを悲しいと言わずに、何を悲しいと言えようか。

届かないと分かっていて抱くこの想いを、悲しいとは言わぬ。

ただ。

互いを想い過ぎるが故に、ただただ無常にすれ違う二人を。

悲しいと。

そっと静かに、肩を震わせる総司が。

悲しすぎるとは、思わないか。



「…もしも、」

細い肩に顔を埋めたまま。重い口を開く。

「そんな日が、…そんな時が来たら」

静かに、己の胸に頬を寄せて来る総司への愛おしさが込み上げる。

----------言えば、卑怯だとお前は嘲笑うか。



「俺が、もらう」



腕の中の、身体が揺れた。



「俺には、お前が必要だ」



じゃら、と。

静かな音を立てて、金平糖が総司の掌から零れ落ちた。

ころり、ころり。

畳の上に、小さな粒が転がった。





「…俺が、お前の全てをもらう」



切なく、頼りなく震える薄い背を、掻き擁く。



「……っ、」



細い指先が、斎藤の背中に回って縋った。

















「…ねぇ、一さん」

腕の中で、総司が静かに口を開いた。

「私は、…ずるい人間ですね」

放たれた声は、僅かに、けれど確かに斎藤の胸の内を抉った。



総司の想う人を、斎藤は知っている。

そして。

告げてはいないけれど。

きっと、斎藤の想う人を、総司は知っているのだ。

そうして、こうやって。

総司は、斎藤の腕の中に居る。

「…そうかもしれないな」

言えば、総司の身体が一瞬強張った。

自分を責める必要はないのだと告げたくて、そっと背中に当てた手に力を込める。



「だが…きっと俺もそうなのだろう」





総司の、壊れそうな切れそうな糸に触れて。

まるで弱っているところに付け込むように、こうして傍に居るのだ。

暗闇で、その傷に無遠慮に触れておきながら。

なのに、深いところで己はその傷を癒す術を知らない。





…どうだ、俺の方が、卑怯だろう……?





「…お前はもっと、ずるくなってもいい」

低く、小さく告げれば、総司は小さく笑った。

そうして、柔らかく言うのだ。



「……一さんは、優し過ぎる」



言いながらも。

斎藤の背に回した腕にそっと、力を込める。

卑怯かもしれない。

けれど。

こうして身体を寄せ、縋ってくれるだけで救われている人間が今、此処に居るのだ。

それは、真実なのだ。

嗚呼。可笑しい。

可笑しくて、…悲しい。





「優し過ぎます……」





揺れた声が、鼓膜を震わせる。

その声に、不覚にも心まで震えた。





ふと上げた視線の先。

総司の肩の先で、転がった橙の金平糖が、障子越しに差す陽の光できらりと光った。



嗚呼。

まるで太陽の破片だ。

何時か、斎藤は総司を太陽のようだと言った。



散らばるそれは、全て吐き出せない総司の想いなのだ。





そう、思って。

そんなことを思った己がやけに感傷的になっているのを感じて、斎藤はそっと自嘲する。







「……お前にだけだ」







低く告げて、斎藤は総司の肩に顔を埋めた。



















土沖←斎








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