月光
すべてを。
月 光
鋭い気合が飛び交う道場の片隅で、木刀を抱えて斎藤は今試合っている二人を見つめていた。
…永倉と総司だ。
普段からは想像もつかないほど険しい顔をして永倉と立ち会う総司を瞳で追う。
知らず、額から流れてくる汗を拭った瞬間、総司と永倉の間合いが詰まり刹那激しく打ち合った。
「一本っ!」
審判役の藤堂から鋭い声が発せられた。
永倉が胴、総司が面を打ち合い寸止めの状態で止まっている。
そして、二人してにっと歯を見せて笑いあった。
木刀を納めて一礼をし、壁に寄る二人の肩に原田が腕を回して言う。
「平助、今のはよぉ、」
「打ち込みはほぼ同時だった。でも新八のはちょっと浅かったな」
永倉の方を見て、藤堂が言った。
「いや、やっぱり俺って優しいからさ」
にこにこしながら言う永倉。
「馬っ鹿、かなり一生懸命だったくせによ」
「…煩ぇ」
鋭い永倉の手剣が原田の鳩尾に入る。
「うお゛、…っ」
腹を抱えて蹲る原田に道場に集まっている者達が笑った。
斎藤は、それにも表情を崩さずに。
ふと、総司を見た瞬間に二人の視線が合った。
一瞬瞳を丸くして、それから総司はにっこりと斎藤に向かって微笑む。
斎藤はそれを見てゆっくりと立ち上がり、総司の方に歩みを進めた。そして。
「沖田さん、やろう」
「…えぇ、喜んで」
す、と道場の真ん中に二人が入る。
至る所で打ち合っていた者が、その手を止めて二人に注目した。
永倉が審判を務めてくれるらしく、二人の間に立った。
一礼し、床から瞳を戻した瞬間、二人の視線が絡む。
瞳を軽く細めて、総司は斎藤に微笑みかける。
木刀を構えた刹那、その笑みは頬から消え失せた。
その様を斎藤は息を呑んで見つめ、威嚇するように睨み付ける。
「…始め!」
道場の雰囲気が、一気に凍りついた。
「あぁ〜、お前らの試合ったら…見てるこっちの寿命が縮まるぞ」
井戸端で豪快に水をかぶりながら原田が言う。それに頷くのは永倉と藤堂だ。
あはは、と総司が声を上げて笑う。
斎藤はそんな様を横目で見て、道衣を肩から脱いだ。
「それより、大丈夫か二人とも。それ」
永倉が自分の右頬を指差して二人に言う。
総司と斎藤の互いの頬に、赤く残る一本の筋。
木刀の一閃の痕。
右頬に手を当てて、総司は平気ですよと笑った。
それに続くように斎藤も無言で頷く。
「最後に同じ処狙うんだから、二人してよ」
「いやはや、まぁいい試合見せてもらったよ」
原田と藤堂が言う。
「…ま、お疲れさん」
永倉がまとめるようにそう言うと、三人はつるんで井戸端から歩いて行った。
残されたのは、二人。
もろ肌脱ぎになって水をかぶる斎藤を見つめて、総司が言う。
「一さん?」
「…何だ」
「楽しかったですね」
にっこり笑って、道衣を脱ぎながら総司が言った。
水を肩にかける総司の方を見る。
剣客にはそぐわない白い肌に、斎藤は瞳を細めた。
「…すまなかった」
「何がです?」
「あんたの突きがあまりにも鋭くて、…俺もつい」
総司の右頬に残る一筋の痕を見て。
「あぁ、これですか?いやだなぁ、私だって同じなのに」
斎藤を見上げ、その右頬を見つめて総司が穏やかに笑う。
「おあいこです」
「副長に後からお叱りを食らうな」
ふ、とほとんど表情を崩すことなく、斎藤が僅かにと口の端を上げた。
「何ですかそれ、いやだなぁ一さんは」
苦笑しながら道衣を着直そうとする総司の手を、斎藤が止めた。
無言のまま、斎藤は総司の背に立ちその細い背を手拭いでさっと拭い始めた。
「背中が水滴だらけだ。…ちゃんと拭かないとまた風邪をひく」
斎藤の剣客らしい大きな手が、総司の華奢な肩を掴む。
「最近、あんたは妙な咳をするからな」
斎藤のその言葉に、総司は一瞬瞠目した。
そして後ろに立つ斎藤を見上げ、総司はくすくすと笑う。
「…すみません」
内心苦笑して、斎藤は総司の道衣を後ろから着せてやった。
細い身体を、道衣が隠す。
「一さんの手も、…大きいですね」
子供のように無邪気に笑う総司のその表情に、斎藤は知らず瞳を細めた。
”も”、と言う些細な言葉が引っ掛かっている自分に眉を顰めて。
「もうすぐ巡回だ。悪いが先に行く」
言うが早いか、足早に歩き出す背。
総司の視線からまるで逃げるように、斎藤は自室へ急いだ。
斎藤の大きな背を見つめ、軽く総司は吐息をつく。
先ほど斎藤が触れた肩を、道衣の上から抱きしめる。
熱い気がした。
「副長、斎藤です」
「入れ」
失礼します、と一言足して入室する。
険しい表情をした、新撰組の鬼副長。
平隊士であれば、この表情を見ただけで身を竦ませるに違いない。
「三番隊、揃いました。上番致します」
「あぁ、待て…もう一隊付けようと思っていたのだが…そうだな、よく走り回る隊が良い」
「……」
「…山崎、居るか」
「は…」
襖越しに声がする。
なかったはずの気配が、襖の奥に感じ取れた。
「原田を呼んでくれ。出勤だとな」
「承知致しました」
刹那、気配が失せる。斎藤は心の中で感嘆した。
「…と言う訳で十番隊と巡回だ。いいな」
「…承知」
軽く頭を下げる。
耳を澄ますと、奥の部屋がにわかに騒がしくなったようだ。
原田が隊士に発破をかけているのが聞こえてくる。
「----------おい、斎藤」
「何でしょう」
「どうした、その頬」
土方が自分の右頬を示して言った。
「昼の稽古で沖田さんと試合まして…その際に」
その言葉に、土方が苦笑する。
驚くほどに穏やかな瞳。
「ったく…困ったもんだな、総司の奴には」
「いえ、本日は俺も…」
言いかけたところで、廊下に大きな足音が響く。
「土方さん、十番隊いつでも行けるぜ!」
声とともに障子が物凄い勢いで開いた。
「よし、出動だ」
斎藤は土方のその言葉を聞いてひとつ吐息をつき、瞳を伏せる。
開いたその瞳には、市中で恐れられている剣鬼の光が宿る。
音もなく立ち上がった。
「行こう、原田さん」
不審な動きがあると探索方からの情報が入っている店、屋敷を片っ端から調べ上げて、屯所へ戻ってきたのは日もすっかり暮れた時間帯。
夕方になったのに蒸し暑くて、じっとりと汗が噴き出して来る。
汗を拭いながら、報告のために原田と二人、副長室へ向かった。
部屋の中には次の巡回組の一番隊と二番隊の組長が座っている。
総司と永倉だ。
「ただ今戻りました」
「…ご苦労」
巡回の報告----------最近、ある料亭に重要人物が出入りしているという情報を伝えた。
「何だと」
「才谷、と名乗っているそうですが…」
「嘘だぜ土方さん。そいつの、聞いた外見や特徴は坂本龍馬だ。間違いねぇ」
「坂本か…」
坂本龍馬。----------あの男か、土方はひとり心の中で舌打ちした。
「ご苦労だったな、二人ともゆっくり休んでくれ」
土方の言葉を聴き、斎藤はちらりと総司の方を見た。
気のせいか、頬が青白い気がする。
右頬に残してしまった痕が痛々しい。
そんな、斎藤の思考を止めるかのように。
「おい総司。お前ぇ本当に大丈夫なのか?ひどい顔色だが」
土方が総司に声をかける。
「平気ですってば」
「くれぐれも永倉に迷惑掛けるんじゃあねぇぞ、いいな」
「はい、分かってます」
「じゃあ土方さん、一番隊二番隊上番するぜ」
総司は永倉の声ににっこり笑って、二人並んで部屋を辞した。
それに続いて原田が部屋を出る。
続いて、斎藤も部屋を出ようとしたところ。
「斎藤」
おもむろに、土方に呼び止められた。
「総司のあの頬のは…お前ぇか?」
右頬を指先で斬るような仕種をして、土方が立ち上がった斎藤を見上げる。
「…そうです」
低く、告げた。
一瞬の沈黙。
それを破る、土方の重いため息が零れた。
「お前ぇらの試合は、見てる方の心の臓に悪い。…ほどほどにな」
「承知」
くるりと文机に向かい、自分に背を向けた土方に斎藤は軽く一礼し、部屋を出た。
自室へ、廊下を歩いて行く。
足が、重く感じる。
先刻の、総司の頬の白さを思い出した。
「…」
ふと、空を見上げる。
暗くなった空に、ぼんやりと月が浮かんでいる。
眉を寄せてそれを見て、斎藤は何も起こらぬようにと、知らず祈っていた。
日課である愛刀の手入れをしようと、灯に火をともす。
一番隊と二番隊が出動してからかなり経つはずなのに、まだ二隊は帰って来ないらしい。
先ほども、原田がひょっこり部屋にやって来たが。
「やっぱり総司もまだか。…遅いな、帰りが」
「そうだな…」
何かあったのではないか、互いにその言葉は口にせずに。
原田はそうしてすぐに帰って行ったのだが。
その、原田がやって来た時間からももう半刻はとうに過ぎている。
遅過ぎはしないか。
思いながら、刀の手入れ道具を傍に引き寄せた時。
廊下を歩いて来る足音がする。
この足音は、多分総司だと思う。
案の定、部屋の前で足音が止まった。
「戻りました」
少し間を置いて、障子が開く。
ゆっくりと部屋に入って来た身体に声を掛けた。
「…随分遅かったな」
「噂の方と少々追いかけっこをしたんですよ」
「坂本か」
「えぇ、逃げられてしまいましたけど。…二隊も居たのにと、土方さんに怒られてしまいました」
笑いながら言う総司の息遣いに耳を澄ませた。
いつものそれと、違う。
「…おい、」
声を掛けた瞬間、総司が軽く咳き込んで。
「すみません、…かなり、走り回った、から…」
苦しそうに咳をしながらも笑う総司の背中に手をやる。
灯に照らされた頬が、恐ろしくなるほどに白かった。
乾いた咳を、細い身体は繰り返す。
背中に置いた手で、驚くほどに頼りなく薄いその背をさすった。
やっと止まった咳に、総司の身体がぜいぜいと喘ぐ。
苦しそうな呼吸音が続いて。
酸素が足りないと言うように、それを求める身体は次第に過換気状態になっていく。
過換気状態になると、かえって呼吸が苦しくなると聞いたことがある。
逆に呼吸を落ち着けるように、息を少し止めてみたり深呼吸などをすれば自然に治まる、とも。
「沖田さん、ゆっくり息を吸え」
浅く速い呼吸を繰り返す総司の両肩を掴むようにして、その顔を覗き込んだ。
頬は相変わらず白く、苦し気に閉じられた長い睫毛に涙が滲んでいる。
「落ち着け、…沖田さん」
「平気、です…から…」
青白い顔をして言うその身体を抱え込むように腕の中に抱き締めて、忙しなく荒い呼吸をする口唇をふさぐように半ば無理矢理口付けた。
「…っ、ん、」
総司の細腕が一瞬斎藤の身体を押し戻そうとするが、それを許さず更にきつく抱き締める。
突っ張らせていた総司の腕の力が次第に緩んで、指先が斎藤の着物の胸元を握り締めた。
苦しそうに上下していた肩が、次第に落ち着きを取り戻してゆく。
一度、口唇を離して呼吸の荒さを確認した。
先刻よりも、かなり落ち着いたようだ。
「…は、ぁ…っ」
大きく、一度深呼吸する総司を確認して、斎藤はもう一度口唇を重ねる。
呼吸に落ち着きを取り戻した総司の口唇の柔らかさを実感した。
甘いと思って、そっとひとり自嘲する。
ゆっくりと、二人の口唇が離れた。
「…戻ったか」
腕の中で俯いた顔を覗き込むようにして、斎藤が問う。
「は、…い」
大分、荒さの治まった呼吸の中で総司が小さく答えた。
「もう苦しくはないか」
黙ったまま頷く総司に、斎藤はひとつ安堵の吐息をつく。
「…呼吸を落ち着かせるのに、あれしか浮かばなかった…すまない」
下らん言い訳のようだと思いながら告げる。
総司は腕の中でまた、黙ったまま首を横に振った。
「もう…落ち着いたか」
「…平気です」
多少掠れた声ではあったが、やっと声が返ってくる。
良かったと、口にする代わりのように抱き締める腕に力を込めた。
「一さん…」
「何だ」
「…離して…下さい」
「嫌だ」
「一さんっ…」
逃げようとする身体を、自分の全身で腕の中に閉じ込める。
体格差は歴然としている故に、総司が斎藤の腕から逃れるのは無理なことだった。
「…こんなこと…しないで下さい」
「何故」
「聞かないで」
「聞かせてほしい」
「…ずるい」
そう言って見上げて来た顔の、右頬に残る痕に口唇を寄せる。
「…聞かせてくれ」
耳元で、そっと囁いた。
耳に掛かる吐息から逃げるように顔を逸らし、総司が俯く。
「…そんなはずはないのに……思ってしまう」
「何をだ」
「言いたくない」
「…聞きたい」
右手で、総司は自分の目元を覆ってしまう。
表情を伝える、その大きな瞳は隠された。
唯一見える口唇が、一瞬微かに震えたように見えて。
「…馬鹿みたいに……特別なのかと…期待してしまう…だから」
語尾が、弱々しく震えた。
そっと、総司の顔を覆う右手を外させ、その掌に口付ける。
「そう思って構わない」
「…何、」
総司の言葉を途切れさせて。
「あんただからしていることだ」
「どうして…」
「先刻、口を吸ったのだって…あれは言い訳だ。あんただからしたんだ」
斎藤が言葉を放った途端、切なそうに引き歪む闇色の瞳。
「…嘘」
「嘘ではない」
総司の肩に顔を埋めて、斎藤は身体を密着させた。
「一さん…」
その行為に戸惑うように、揺れた声が斎藤を呼ぶ。
「…嘘ではないと言っている」
ただただ、首を横に振る総司。
「信じて欲しいとはまだ言わない。…でも俺は絶対に嘘はつかない」
言って、軽く口唇が触れるだけの口付けをした。
柔らかい、感触。
先刻よりも、顔に色は戻って来たがまだいつもに増して頬が白い。
「…まだ顔色が良くない。寝た方が良いな」
そっと身体を離して、押入れから布団を引き出すと斎藤は手早くその布団を敷いてしまう。
総司はそんな斎藤の様子を見て、淡く苦笑した。
「今日はもう寝ろ」
頬に笑みを浮かべて見上げてくる総司に、斎藤はゆっくりと近寄った。
「沖田さん…寝るんだ」
「平気ですよ」
ひどい顔色のくせに、笑って。
斎藤は、真正面から総司の肩を掴んだ。
「…総司」
総司、と。口にした。無意識で。
刹那、総司は驚いた顔をして斎藤を見上げる。
「寝てくれ」
「…ふふ」
柔らかい吐息とともに、総司がそっと微笑んだ。
「一さん…優しいなぁ」
のんびりとした口調に、斎藤は深くため息をつく。
「あんただけだ」
それ以外は知らん、そう呟くように付け足すと、総司は瞳を細めて綺麗に微笑って。
斎藤は、総司の右頬に指先を滑らせた。一筋の紅い痕が残る頬に、淡い微笑み。
「…嬉しい」
斎藤の敷いた布団に、ゆっくりと総司が横になる。
布団を掛けてやると、総司は顔だけを斎藤の方に向けて。
囁くような声で、言った。
「総司、って…呼んでくれましたね」
「…あぁ」
「ねぇ一さん、今度からそう呼んで下さい」
「…そのうちな」
「意地悪」
楽しそうに笑う総司の目元を、斎藤は自分の左手で覆い隠した。
顔を近付けて。
「…寝ずに話すのなら、無理矢理にでも黙らせるぞ」
笑みを浮かべたまま薄く開いた口唇を塞いだ。
まるでそれを受け入れるように総司は咽喉を少し仰け反らせ、口を開いた。
そのまま、深く求める。
「…っ…」
濡れた吐息混じりに二人の口唇が離れる。
「本当に、…無理矢理だ」
くすくすと、総司は笑って。
「…怖いか」
「いいえ」
柔らかい仕種で、総司の手が斎藤の手を目元から外す。
「一さんだから」
白い手が、斎藤の頬に伸びて。木刀が掠めた頬の痕をなぞった。
「…信じているから」
「総司」
噛み締めるように、その名を呼んでみる。
呼べば、その人は嬉しそうに微笑んで。
それから、その微笑を消してまっすぐに斎藤を見つめた。
「…一さん…?」
「----------何だ」
「…信じても、いい…?」
掠れた声音。斎藤は、無言のまま総司の視線を受け止める。
「貴方を」
斎藤の頬に寄せられた総司の指先が、微かに震えた。
「信じることを、許してくれる…?」
その指先を握り締めるように、斎藤の手が総司の手を握り締める。
「信じて欲しいと、いつか私に言ってくれますか…?」
乱れた総司の前髪を、握り合った反対の手の指先でそっと梳いた。
斎藤は総司の顔の横にその手を付き、覆い被さるようにして総司を見下ろした。
総司の頬に、斎藤の影が落ちる。
「…お前が、それを望むのなら」
「言って欲しい」
体重を支えていた肘を折り、顔を総司に近付ける。
口唇を耳元に寄せて低く、囁いた。
「…俺を----------信じてくれるか」
信じて欲しいと言う言葉を、望んでくれるのか。
斎藤の言葉に、総司は微笑んでそして細腕を斎藤の首元に回す。
呼吸が触れ合うほど間近で、見つめ合う。
そうして、何かに引き寄せられるように、互いに顔を寄せ口唇を重ねた。
「一さんのことを信じるから……」
言いながら、総司がゆっくりと瞳を閉じる。
「何も告げずに……離れないで」
眠りに落ちた、その横顔を見つめた。
障子越しに微かに入ってくる月光が、白い頬を照らす。
その頬に手を伸ばしかけて、斎藤は自分の手を直前で握り締めた。
秘め続ける想いのはずだったのに。
込み上げる激情は、留まることを知らず一気に流れ出してしまった。
こんなにも簡単に、想いを吐き出すことなどないと思っていたのに。
……けれど。
もう、覚悟は出来た。
全身全霊を掛けて、守るのだ。
傍に、居るのだ。
隠すことは、もうやめにするから。
誤魔化すことも、もうやめにするから。
「…総司」
もっと、触れ合ってみたい。
もっと、触れ合いたい。
この頬の、小さな痛みさえ。
全てを
奪いたいと 思うのは
果たして 罪なのか。
狂っていると思えるほどの、
こんな執着心なんて今まで知らなかった。
自分以外の何かに、こんなにも執着するなど思い返そうとしても何ひとつ思い出すことが出来ぬ。
「…お前となら、生きることも無駄ではなさそうだ」
とうに、この命への執着など捨て去ったけれど。
もう少し、生きてみようか。
己の命がもし彼の人よりも先に消え失せることがあれば、彼の人はあの白い頬に涙を流すだろうか。
----------あぁ、これはまるで願いに似た祈りだ。
お前の全てを、見てみたい。
………いつか、全て奪うから。
「お前の望むままに、…」
離れることなく、ともに在ろう。
らしくないと、自嘲して。
「ともに生きると誓おう」
触れかけて握り締めたその掌で、斎藤は今度こそ総司の頬を包み込んだ。
終
斎沖