還るは 君の 待つ処



空を切る、乾いたひとつの音だけが、何故かとても近くで聞こえた気がして。
その、音の方を振り返ろうとしたのとほとんど同じ頃。
焼け付くような、痛み。
下腹が、ジンと痛む。


その場所に手を伸ばし、掌で包み込んだ。
見なくても解る、じわりと濡れた感触。
ゆっくりと押し当てた手を離し、顔の高さまでその手を上げた。


--------紅。
鮮やかな、紅い血。
それを見て、
あぁ、俺にもまだこんな紅い血は流れていたのか、
などと 下らないことを思う。




……そう言えば、お前の血も、


こんな風に 紅かったっけ。






お前が先に還った、其処はどうだ。
皆、居るのか。
幸せで、居るか。
微笑って、居るか。
其処から俺は見えるのか。


…なぁ、総司。


--------お前は今もまだ、…俺を見ているか。









還るは 
君が 待つ処







胸を撃たれたら即死。

腹を撃たれても致命傷になる、と。

銃創に詳しいのだと言う、幕府のお抱えの医者が言ってたことがある。

俺のもとで共に戦い、そして官軍の奴らに腹を撃たれ絶命した男の傷に、

最期くらい綺麗にしてやりたいじゃないかと、寂しそうに笑いながら、

綺麗な包帯を巻き直してやっていた彼が言っていた。

銃と刀の傷は比べるようもなくその性質は異なっていた。

こんなちっぽけな穴ひとつで、死んでしまうなんて思えなかった。

刀に生きてきた俺たちとしては、それを認めたくなかったというのが本質かもしれないが。

生への渇望のなくなった静かな身体を前に、俺はそっと心の中で手を合わせた。

せめてこの幕臣に 安らぎの死があるように、と。

血の気も無く、すっかり白くなってしまった頬を眺めていた時、

俺は この年若い男の名前さえ知らなかったことに瞠目した。

------------無能な指揮官だったと、恨むなら恨めば良い。

それでもしも、お前が生き留まったこの世界よりも心穏やかな場所へと戻れるならば。

お前が本当は看取られたかったのは誰なんだろうなと、問い掛けて。

まだ、幾許か温もりの残る頬に手を伸ばした。





「…許せ」





不意に、口をついて出た言葉。

それは、誰に向けたものだったのか。

部下の一人も守ることさえ出来ず、またひとり 生き延びてしまったと言う、何とも言えぬ苦い感情故か。

……それとも。



離れるなと言い縛り付けておきながら、

最後の最後にひとりきりにし、

その 最期の刻さえも見届けてやれなかった、あいつへ…?



「…ゆっくり、休め」





触れていた指先を、握り締める。



目の前の白い頬に、誰かの影が重なった。















「先生!」

「土方先生!」



下腹部の焼け付く痛みと、撃ち抜かれた衝撃のままに落馬した俺に、人が集まって来る。

地面に仰向けに倒れ込んだ俺の身体を抱き上げる腕。

それを、囲む俺の大切な部下たち。

まだ、周りでは激しい銃撃が続いていると言うのに。

ぼんやりと瞳を開くと、必死の形相で俺の名を呼び続ける口が見えた。

そんなに無防備になるな。

背中を見せるな。

お前たちも、撃たれちまう。



「土方さん!しっかりして下さい…!」

「土方さん、瞳を開けて下さい!」

「一旦退いて、処置を!」

口々に言う声。

俺の身体を支える腕を、ありったけの力を込めて握り締めた。



「…土方、さん…?」









「…退くな…」



「え、…」









「…進め」



進め。

お前たちは、前へと。前へと。

進むんだ。

こんな処で立ち止まるな。

進め。



そして。





「…生きろ」





込み上げるものがあって、ひとつ咳をすると口から血が溢れ出した。

ドクンドクンと、速く脈打つ心臓とは裏腹に、痛みが和らいできて。





「生き抜け」





全てを見届けてやれぬ俺を許せ。

先に、還る場所へと逝く俺を憎め。



憎悪も、…生きる力になる。





「生きるんだ…」



周りの喧騒も、もう耳には遠くて。

目も、霞んできて良く見えない。

ただ、ひとつ。



目に飛び込んで来た、鮮やか過ぎる青。

空が、
……青い…--------。





あぁ、



いつか 多摩で見た 
あの 空の色 だ。





「……」



総司。

口を開いたが、その端を血が流れるだけでもう声も出ない。

走り続けた身体も、もう重い。

なのに、…可笑しいほどにこの心は安らかで。







やっと、還れるのだと言う思いが込み上げた刹那、頬に柔らかい風が吹いた。

撫でるようなその風に乗せて、声が 聞こえた気がした。







土方さん








…総司、……お前か?









迎えに、来てしまいました












幻覚では、無いかと思った。

最期に、都合の良い夢でも見ているのかと。



目の前に、求めてやまぬ姿が立っていた。

その頬には、守りたかった微笑。

手を差し出され、その腕を引き身体を抱き込む。

そっと胸に頬を寄せてくる身体には、温もりさえあって。







土方さん








「…還って、来た…」









えぇ、…そうですね








「お前の、もとに」









ずっと、
……待ってました







…きっと、
待っていたのは 
俺の方だ…。



お前のもとに、還りたい と。

ようやく、そんな馬鹿みたいな思いも この空に包まれて。







--------今、還る…。







お前が居る。

お前が、居る。

今、此処に。





お前が居る、

其の場所へ。











「……総司、…待たせたな」





声無き声で告げれば、お前は昔と変わらないで微笑って見せて。

ゆっくりと、首を振る。









ずっと、
…見てましたから…
…土方さん












耳を擽る風のような声が心地よくて、



重くなった瞼をゆっくりと閉じる。













最期に瞳に焼き付けたのは、



眩し過ぎるほどの 青。





















『……おかえりなさい』










今、





想いは 青に溶けて。













土沖









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