しなやかな腕の祈り







強い人と、思っていた。













しなやかな腕の















「----------ん」

総司の口唇から溜め息のような吐息が零れた。

それから少し身動ぎするような気配を背後で感じて。

土方は書類を捲る手を止めてそれに声を掛ける。

「…起きたか」

畳と、着物が擦れる音。

「あれ…私…」

まだ少し寝ぼけた様子の残る声に、土方はそっと苦笑した。

「馬鹿野郎、巡察から帰ってきたその足で俺の部屋に来て話してる途中に
 安らぎ出したんだろうが」

背を向けたまま言う土方に、総司がくすっと笑う。

「…怒ってます?」

返ってくる言葉は分かっていたけれど、机に向かうその背中に向かって尋ねた。

総司は、自分の上に掛けられていた羽織を見つめ、それを大事そうに抱き締める。

こんな何気無い彼の優しさが切ないまでに愛しいと思う。

「あぁ?いつものことだろうがよ。…怒るか」

その言葉に、総司の頬に浮かんでくるのは微笑。

膝を抱えて座り、腕の中にある土方の羽織に顔を埋めた。

微かに香る、彼の匂いに総司はそっと瞳を細める。

「土方さん…夢を見てました」

土方は、一度総司の方を振り返って。

総司の頬に浮かぶ微笑を見て彼も淡く笑い、また机の上の書類に視線を戻す。

「懐かしい…試衛館の頃の夢です」

呟くように静かに綴られるその言葉に土方は一瞬瞳を軽く見開いて、呼吸を詰めた。

総司は土方の大きな背中を見つめる。

夢で見たのと変わらない、広くて大きな背中。

「夏に…お祭りの花火を皆で見ていました」

「……」

「…綺麗だった」

思い出すようにして総司は瞳を閉じた。

「皆、楽しそうで…」

わいわいと、じゃれ合いながら。

「貴方も、近藤さんも、斎藤さんも、永倉さんも、原田さんも、藤堂さんも、井上さんも……山南さんも」

----------山南さんも。

あの、穏やかな笑顔が浮かぶ。

ゆっくりと、瞳を開いた。

黙々と書類を捲る、土方の背を見て。



「…アイツも、笑っていたか」

土方が、低く問う。

総司は、その言葉に瞳を見開く。

…夢の、中で。

「えぇ、楽しそうに」

笑っていました。

総司の言葉に、土方の手が書類を捲るのを止めそれを静かに閉じる。

「…そうか」

ただ一言を、低く。

山南の死を悼む余裕も無く、隊内は日に日に忙しさを増す。

土方の忙しさも、もちろんそれに比例して。

その様子に、土方副長は血も涙も無いのかと言う隊内の影での話すら嫌でも耳に入ってくる。

----------鬼副長、と。

土方はそれも一笑に付してきた。

総司には、土方が忙しい上に更に仕事を重ねて何かを忘れようとしているとしか見えなくて。

…痛い。そう、思う。





「…土方さん」

呼び掛けた。

そっと膝を進めて、土方の背に腕を回しその大きな背中に文字通り抱き付いた。

この背中が、抱えているものは。

その、重さは。

一体、どれだけ。

土方の肩に顔を埋め、総司は瞳を閉じる。



「泣かないで下さい」

掠れた声が。

「…あぁ?泣いちゃいねぇよ」

訝しそうに土方が言う。

「いいえ」

顔を、がっしりした肩に埋めたままに。

「心の中で、です」

「…総司…」

呼ばれて、顔を上げる。

振り返った土方の腕の中にそのまま抱き締められた。

目の前の広い胸に頬を寄せて。

「…泣かないで」

呟くと、頭の上で土方が苦笑する。

「馬鹿野郎」

土方の大きな手が総司の頬を包み、そっとその顔を上向かせた。

「泣いてるのは、お前だろうが」

総司の頬を一筋、涙が伝う。

それを土方の指先が拭って、まだ零れようと涙の溜まる目尻に口唇を寄せた。

その声音と動作があまりにも優しくて、総司は震える口唇を噛み締める。

抱えきれないほど大きな土方の背中に、腕を回した。





「土方さん…お願いだから…」

総司を土方の腕が抱き寄せる。

「…総司」



「強いところばかり…見せないで…」

心の中だけで、泣かないで。

強い人だと。

独りで、生きてゆける人だと。

思わせないで。

その背中にあるものは。

その傷は。

誰になら、見せられるの。

誰になら、触れさせられるの。

…私は、触れても良いの。

「総司」

顔を上げた瞬間に、総司の口唇を土方の口唇が塞ぐ。

不意に深く口付けられて、総司の指先が土方に縋った。

「……っ」

総司が吐息を付くのを見て、土方は口を開く。

「もう、アイツのことでは泣かないんじゃあ無かったのか?」

片頬を歪めながら皮肉を言う土方の表情は、それでも柔らかい。

さっきのように、土方は優しい手付きで総司の頬の涙を拭う。

その感触が何だか懐かしくて、総司は微笑んだ。

「…土方さん、これは貴方の涙だから」



「--------そうか」

低く呟くと、土方は瞳を細めた。

微笑とは決して言えることのないその表情だけが、土方の心を物語る。

「…貴方の前でなら…隠さなくても、良いでしょう?」

この涙だって。

隠したりなんてしないから。

貴方だって、隠さなくて良い。

今の貴方が見たい。

だからどうか。

言って。



「それは、俺の涙か」

「…ふふ」

否定せず微笑んだ総司を、土方は柔らかく抱き締めた。

「随分出やがるな」

「…貴方が溜めているからです」

「そうかよ」

「…そうですよ」



ため息を付くと共に、土方は今度は穏やかに微笑んで見せた。





「…お前が言うのなら、そうなんだろうさ」









貴方が、泣かないと言うのなら。

貴方は、泣けないと言うのなら。

ならばこの涙さえ貴方のために。



瞳を細めて微笑う総司の滑らかな頬に、また一筋。

土方の手がいつものように総司の髪を梳く。

「少なくとも…お前には俺の全部見せてるはずだぜ」

土方の力強い腕が、総司の細い肩を抱いた。

「見せようと思うのも、見せられるのもお前の他には居ねぇだろ」

口唇の端だけを上げて、土方が笑う。

「…違うか?」

視線が、絡んだ。

ふふ、と総司が柔らかく微笑んで。

「嬉しいです」

綺麗に微笑む総司の白い頬を伝う涙を、土方の口唇が吸い上げる。

そのまま目尻、瞼、額に口付けた。

着物の左右の襟の間から覗く土方の厚い胸に総司の指がそっと触れる。

直に伝わる肌の感触と体温。この身体が、生きている証。

ゆっくりと瞳を伏せる。



「ねぇ、土方さん」

「…何だ」

伏せていた瞳を戻せば、土方の切れ長の瞳が総司を射る。

その視線を真っ直ぐに受けながら。



「もし…貴方が泣く時は…」

貴方が私に全てを見せていてくれるのなら。

私は、生きなくてはいけませんね。

口を開こうとした土方の言葉も遮るようにして。



「この腕で…貴方を抱き締めるから…」



言葉を止めたら この腕に



「----------総司」



生きましょう。

例えこの身体の中に流れる血の全てを吐き切ってしまっても。

貴方の傍にと言う、ただひとつの私の願いのために。

私を必要としてくれる、ただひとりの貴方のために。

泣けなくなったと言う、優しい鬼のために。

私の生きる意味は、貴方。

…この、命の生きる意味の全て。



遺された者たちは、遺されたものを抱えたまま生きるしか許されないなら。

遺されたものを、生きるための糧に変えて生きてゆく。

例え、逝く記憶は在っても、遺る想いはきっと在るから。

まだこんなにも、生きたいと思えるから。

振り返っても、蘇るものは鮮やかで幸せな光景。

守りたいと思う、笑顔たち。

守りたいと想う、広い胸。





まだ、この腕にはたくさんの祈りが溢れてるから。







指先から

こぼれる愛を集めて

全てあなたにあげましょう





「どうか隠さないで」







残せるものは

どこにもなくて

あなたもいつか

わたしもいつか

消えていくけど

空は流れて





貴方とのこの日々も 祈りさえも いつか流れて?







「…貴方を、見せて」







土方さん。

貴方は、私が死んだら泣くのでしょうか。























土沖








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