桜
はらはらと。
風にもてあそばれるように。
桜が、舞う。
桜は散るから美しい、なんて。
誰が言った。
桜 「ね、綺麗でしょう?」
楽しそうに、総司は笑顔で土方を見上げて言った。
人影のない祇園の、夜桜。まるでこの場だけが別世界。
不思議なほどの静寂。
「…そうだな」
満開の桜を、見上げて。
総司は、ゆっくりと樹に歩み寄って行く。
それを、土方は視界の端で見送った。
「土方さんと、見に来たかったんです」
一度振り返って、微笑う。
土方は、軽く口唇の端を上げて笑った。彼の、独特の表情。
「…綺麗」
総司は、両手を広げて風に舞う桜花を指で追う。
ただその様子を、土方は少し離れて後ろから見つめて。
痩せたな、と思う。
「総司」
くぐもった声が、知らずと零れた。
楽しそうに桜を愛でるその背中は、あまりにも頼りなく。
「------------」
そっと近寄って、その背を後ろから抱き締める。
回した自分の腕が、かなり余ってしまうまでに更に細くなった身体が、悲しかった。
「土方さん…?」
突然の行為に戸惑ってほんの少し揺れた声が、名を呼ぶ。
土方は、総司の肩に顔を埋めた。
抱き締める土方の腕に、総司はそっと触れて。
「…土方さん…」
どうしたんです。
聞こうと、口を開きかけて止めた。
背中に感じる温もりに、総司はゆっくりと安堵の吐息を吐いて、桜を見上げる。
「総司…」
肩に顔を埋めたまま土方が声を発した。
熱い吐息が、首筋にかかって総司は呼吸を詰める。
「お前、ここに居るな?」
まるで、独り言のように。
その言葉に、総司は瞳を見開いた。
総司を抱く土方の腕が、微かに震えて。
「…えぇ、居ますよ」
「……」
行くな。
逝くな。
言葉には出来なくて。
言葉にはしたくなくて。
「ねぇ土方さん」
呼ばれて、顔を上げる。
「綺麗、ですよね」
「綺麗だな」
見上げる総司の顔を、青白い月の光が照らす。
「あと…何回こうやって…」
桜を見れるでしょうか。
私に残された時間はあとどれだけ?
言葉が続かなくて、総司は口唇を噛みながら微笑んだ。
揺れた瞳が、切なそうに引き歪んで。
「土方さん…」
あとどれだけ。
貴方と、一緒に居られるの。
「…総司」
眉を寄せて苦しげに土方は名を呼んだ。
頤に手を掛け、顔を後ろに居る自分の方に向けさせて土方は総司に口付ける。
閉じた総司の瞳から、涙が流れた。
口唇が離れると、総司は微笑んで。
「…ごめんなさい」
小さく、言った。
微笑を浮かべて見上げて来る顔は、綺麗。
涙の痕の残るその頬が、あまりにも白く。
その白さは、月の光のせいだと。
そう、思いたくて。
土方は、ただ口唇を噛み締めた。
「…また、来るぞ」
低く呟く。
「え…?」
「見に来るんだろう、桜を」
はらはらと、散る桜の中で佇む細い背中を、そっと抱きしめた。
「また、桜の咲く頃に」
この微笑みを、ずっと忘れまいと思った。
風が、吹く。
桜の木を、躍らせる。
桜の花を、散らせる。
淡く、花びらが舞った。
------------まるで、儚い夢のよう。
桜が、散る。
華やかに、風に舞って。
確かに、美しいと思うけれど。
------------まだだ。
まだ、早い。
散るな。
まだ、消えるな。
昔の歌人が、言っていたっけ。
“願はくは花の下にて”
春に。
------------春に...?
感じてはいけない、予感がする。
それは、むしろ恐怖と言う姿に似て。
聞こえないはずの足音が、迫って来る。
頼むから。
奪っていくな。
「--------総司」
------------散るな。
終
願はくは花の下にて春死なむ
そのきさらぎの望月のころ
土沖