晴れすぎた空 7
この 手 が
掴みたい と
思って いたものは
いつも
ただ ひとつ だけ で、
それすらも
満足に 守れない
この 手 が 憎い と、
清水寺の坂の下にある、小さな茶屋。
店の外で甘味を楽しめるようにしてある、その店先で。
斎藤と永倉は、背を向け合って座っていた。
二人の手には、薄青の塗られた小さな湯呑み。
ずず、と音を立てて永倉は茶を飲み、傍らに置いてある皿から団子を手に取った。
「…思ってたより、元気そうで何よりだ」
串に噛み付くように団子を頬張り、明るい声で言う永倉に斎藤はそっと口の端を上げる。
「どうだ、そっちは」
「…俺を見る目は厳しいものだが、意外に落ち着いた日々だ」
「怪しまれねぇ方がおかしいってもんだからな」
如何にも可笑しい、と言う口調で言う永倉の声音は以前と変わらず明るい。
振り返ることは出来ぬが、顔を見ればあの人懐こそうな笑顔を永倉が浮かべていることは、容易に想像出来た。
「其方は、どうだ」
「…変わらねぇよ」
何にもな、小さく呟く永倉の声。
「まるで何もなかったみたいに、…何も変わらねぇ。ただ、屯所が移って身の回りの整理に皆忙しいくらいだ」
伊東らが屯所を出て三か月になる。
満開に咲いていた桜は散り、桔梗が鮮やかな紫で京の街を彩り始めていた。
伊東ら一派が離隊してから約三か月後。
新撰組は、二年程屯所としていた西本願寺から不動堂村へ屯所を移している。
まだ足を踏み込ませてはいないが、大名屋敷と見紛うほど大きく、複雑な造りになっていることを小耳に挟んでいた。
「平助は、…元気にやってるか」
「…あぁ、変わりない」
「そうか、…良かった」
心底安堵したような声音で永倉は小さく呟くと、続けて茶を啜った。
ひとときの、沈黙。
「…総司だがな、」
沈黙を破ったのは、永倉の重い、低い声だった。
不意に出た名前に、斎藤は己の肩が揺れかけるのを何とか抑えて瞳を伏せる。
「あまり、…良くない」
今度こそ、肩が揺れるのを斎藤は実感した。
屯所の庭先で桜が散る中、薄らと笑みを浮かべた白い頬を思い出す。
「体調が悪くて、最近はずっと臥せっている」
「……そうか」
白い頬に浮かんだ微笑を思い返しながら、知らず脇差の柄に触れて。
辛うじて小さな応えを、斎藤は返した。
「総司な、…お前が居なくなった日、大量の血を吐いたよ」
大きく。心臓が鼓動したのを感じた。
「今まで見たことの無い量の、血を吐いてた」
告げる永倉の声は、悲痛な響きを伴っている。
「誰にも、…土方さんにも言うなって、俺の腕を信じられないくらい強い力で掴んだんだ」
喉の奥が干上がっていくのを感じて、斎藤は静かに茶を喉に流した。
じわりと身体に広がっていく熱さに、別れの日、己を抱き寄せた総司の腕の温かさを思い出してしまう。
「誰にも言わないと、約束したんだがな」
「…では今、何故俺に」
「…総司が、お前を呼んでいた気がした」
呟いて、永倉は小さく笑った。
「何故、」
「分からない」
問うた声に重なった、永倉の声。
「何故かと問われたら、分からないとしか言えねぇ。…けど、俺はそう思った」
言い切って、永倉は残りの茶を勢いよく喉に流し、立ち上がる。
「でも安心しろ、確かに体調は良くなさそうだが落ち着いてはいる」
刀を腰に差しながら、まるで宥めるような声で永倉は明るい声で告げて。
「枕元からいつも、総司は刀掛けの脇差を眺めているよ。……あれ、お前の脇差だろう?」
永倉は、いつ気付いたのだろう。
夥しい量の血を、総司が吐いたその日か。
それは斎藤には計り知れなかったが、きっと正直者で真直ぐで、心根の優しい永倉はきっと総司が血を吐いた日以来、毎日総司の元へ足を運んでいるのだろう。
そして総司が寝入って、ふと。気付いたのだろう。
そうしてきっと、少し年の離れた兄が弟を愛しむように、総司を見つめているのだろう。
「…あんたは、相変わらず総司を甘やかしているんだろうな」
斎藤の声に、永倉は声を上げて笑った。
「あぁ、甘やかしている。…あいつのことを怒るのは俺の役目じゃねぇからな」
静かにそう言って、永倉は懐に小さな包みを仕舞い込む。
その包みは、総司への土産の甘味だと永倉は先ほど笑っていた。
「…そうだろ?斎藤」
ひらり、右手を振りながら去ってゆく永倉の背を、斎藤はそっと見守った。
では、その役目は一体誰のものだと言いたいのか。
永倉さん。あんたは。
俺に、何を言いたい。
俺に、何を望む。
永倉さん、あんたこそ、本当は己が屯所に戻る日を恐れているのではないか--------。
だからこそ、総司のことで心を痛めながらもあんたは、俺に早く戻れと言わないのだ。
言えないのだ。
「…俺は、」
己がどうしたいか、など。
改めて問わなくとも、想いはひとつなのだ。
けれど今は、どうしたいか、など、そんな己の意思など不要なのだ。
どうしなければならぬかは、明確なのだから。
では、どうすべきか、と問われれば。
----------己は、何と答えるのだろう……?
「それでも俺は、…」
遠ざかる大きな背を見つめながら、斎藤は、脇差の柄に触れる。
その感覚を、指の腹で確かめるようにして。
そして。
込み上げて来る重い感情に耐えるように眉を寄せ、掌をきつく握り締めた。
続く