晴れすぎた空 4
「…もう、触れぬ」
言い切らなければ。
----------揺らぎなど、知らなかったはずなのに。
「…俺は、もう」
膝に置いた手を、知らず握り締めて。
そこに爪を立てかけたところで。
斎藤の頬に、温もりが伝わった。
「ならば、私が触れる」
総司の掌が、斎藤の頬を包み込んだ。
「私が、一さんに触れることにする」
目の前で、闇色の瞳が柔らかく細められる。
淡い、微笑。
「例え貴方が違うと言っても……私を救ってくれたのは、…一さんだから」
言葉に、眩暈を覚えることなどあるのだろうか。
目の前が白くなりかけて、斎藤はきつく瞳を閉じた。
嗚呼。
目の前の彼の人は、何と眩いのだろう。
「だから、一さん」
頬から、温もりが離れた。
言の葉に、想いを込めて。
想いよ、どうか伝われと。願うのだ。
生きていてほしいのだと。
生きて、ほしいのだと。
約束を、どうか覚えていて。
交わした言葉を、律義すぎるほど守ろうとする貴方に。
言葉で、約束で、その命を縛り付けて。
生きてと、せめて祈らせてほしい。
生きることにも、死ぬことにも執着しない貴方に。
泡沫のような、祈りを。
「一緒に、連れて行ってください」
しゅるりと、小気味良い布擦れの音がしたかと思うと、斎藤の目の前へ総司は脇差を差し出した。
差し出された脇差を一見すると、斎藤は差していた脇差を抜いて総司に差し出す。
「…一さん」
「受け取れ」
言われるまま、総司は斎藤の脇差に手を伸ばした。
それを見て、斎藤も差し出された総司の脇差を受け取る。
「今度は私が、貴方を助ける」
「…総司」
斎藤から受け取った脇差の柄を、優しい手付きで触れながら。
「そっと、貴方の傍に居る」
静かな夜に、確かな誓いを。
信じ続けるために、淡い祈りを。
「一さんの、傍に居る」
紡がれる言の葉は、まるで祈りだ。
斎藤は、そう思う。
祈りであり、願いだ。
他の誰でもない、きっと己自身の。
「一さんが、いつもそうしてくれていたように」
嗚呼。
叶わないはずの想いなのに。
----------届いていたなどと、思わせないでくれ。
こんな時になって。
これ以上。心を。揺らさないでくれ。
----------離れたくはないのだと。
これ以上。思い知らされたくはないのだ。
「お前の傍に居た俺は、…もう居ない」
冷たく突き放す術しか知らぬ、俺をどうか憎め。
「俺は、修羅の道しか歩めぬ」
そんな瞳で、俺を見るな。
全てを赦すような、そんな瞳で。
差し出される両手。
まるで他人事のようにその腕を見ていると、そのままそっと抱き込まれた。
ふわりと。
白に、包まれる。
「それでも、…一さんは一さんです」
確かに触れる温もりが、いとおしい。
こんな風に、彼の人から差し出された腕(かいな)に包まれたことはあっただろうか。
----------触れぬ、と。
決めたのに、なのに彼の人は至って平然とその決意さえ崩すのだ。
「一さんがどれだけ優しいか、…知らないのは貴方だけ」
耳元に吹き込まれる声は、小さく、静かに、揺れていた。
「その温かさも、優しさも、……私は知っているから」
微かに震える薄い背に浮かぶ背骨をなぞるようにして、その背に斎藤の掌が触れた。
まるでその感触を確かめるように、幾度か。
掌が上下に行き来して。そのまま、痩せた背に留まった。
「ねぇ、一さん?一さん、前に私に言ってくれましたよね」
触れ合う温もりにそっと折り重なるように、穏やかな声が重なって。
「私の居場所は、今も昔も変わらないって。----------ねぇ、一さん」
静かに、告げるのだ。
「一さんの居場所も、変わりませんよ?今も昔も、…そしてこれからも」
微かに震える肩も、僅かに揺れる声も、全て抱き締めたかった。
なのに。
こんなに傍に居るのに、何故この手は全てを得られないのだろう…?
嗚呼、こんなにも傍に在るのに。
どんなに欲しても手に入らないのだと思い知らせるくせに、何故こうして。
優しい声で優しい言葉を囁くのだ。
残酷な程、甘い希望を。
「…だから、生きて帰って来てくださいね」
鼓膜を揺らした総司の言葉に、斎藤はそっと瞠目する。
嗚呼、やはり。
彼の人は、気付いているのだ。
土方は勿論、己さえも口にしていない真実を。
深くは語らず、赦すのだと告げる声に、不意に、赦してくれと言う言葉が込み上げる。
けれどそんな言葉を告げる資格など己にはないのだと思い知っているからこそ。
斎藤は、声なくただ総司の背に触れた掌に力を込める。
刹那、浮かぶ愚かな願いを振り払うように、きつく瞳を閉じた。
---------嗚呼。
この刻が永久に続くことが
ないのならば。
………いっそ、
夢と消えてしまえ。
------赦されるはずはないのに、触れる温もりはただただ優しくて。
その温もりさえも、今はただ心を軋ませるだけと分かっているのに、------
続く
土沖←斎