晴れすぎた空 2



自室に戻り、斎藤は離隊のための荷造りに没頭していた。

几帳面な程に火熨斗を当て折り目をつけた袴、寝着や手拭を手早く風呂敷に包み込む。

愛用である刀の手入れ品の品々の不足がないか、確認していたところで静かに障子が開いた。

振り返ると、傾きつつある陽を背に浴びて立つ細身の身体。

逆光になっていて、その表情は窺えない。

「…一さん」

ふふ、と柔らかい笑みと共に、声が降って来た。

「入っても、お邪魔ではないですか?」

「…俺だけの部屋ではない。邪魔になるはずがない」

低く告げると、総司は楽しそうに笑みを浮かべて後ろ手に障子を閉めた。

「荷物の準備ですか」

「…あぁ」

総司は部屋に入ると、斎藤から少し離れた所に座り、柱に背を預けた。

その様を一見してから、斎藤は荷造りを再開させる。

ことり、小さな音を立てて斎藤は刀の手入れ品を納めている漆塗りの箱を開いた。

道具を取り出し、懐紙を口に挟むと斎藤は音もなく鞘から愛刀を抜いた。

先日の手入れで、目抜きし手入れをしている。

斎藤は簡略的に拭い紙で刀身を拭い、打ち粉を振った。

拭い紙で刀身を拭い、慣れた手つきで油塗紙に丁子油を染み込ませると、剣客らしい武骨な手で斎藤は刀身に油を塗る。

懐紙を口に挟んだまま斎藤は、手入れの出来を確認するかのように眼前に愛刀を掲げた。

障子から漏れて差し込んだ陽の光が、刀身を輝かせる。

斎藤はその様を満足そうに見つめ、愛刀を鞘に納めた。

口に挟んでいた懐紙を取り、手早く手入れ品を片付け漆塗りの黒い箱を斎藤の手が締めたところで、総司は斎藤の背後から声を掛けた。

「一さんの、刀の手入れをする様を見るのが私は好きだった」

「…総司」

彼なりの心遣いなのだろう、手入れが終わるまでは一切声を掛けなかった総司を振り返り、斎藤は彼の人の名を静かに呼んだ。

「もう、それも見れなくなくなるんですね」

刀の手入れは、斎藤にとって日常的なものだった。

癖のようなものだ。

気づけば、刀を抜き小さな手入れをする。

そんな様を見ては、総司は「一さんはまめな人だ」といつも茶化すように笑ったのだった。

「…そうだな」

短く告げると、総司は小さく笑った。

「藤堂さんも行ってしまうし…寂しくなる」



何も知らぬ総司を、哀れとは思わぬ。

ただ。

総司が言うように、寂しいと少しでも思ってしまっている己を哀れだと斎藤は思った。

いっそのこと、土方が言ったように恨まれてしまえば楽になるのかも知れないけれど。

共に在ろうと交わした約束を破り、一時(ひととき)でも離れることになることで、総司はきっと己を恨んだりはしないのだ。

……けれど。

己が土方の密命のまま行動する果てにあるその先にあるものは。

己の密命は、確実に同士の死を招く。

己が帰隊した後に総司は、以前と同じく己に微笑いかけてくるだろうか。

総司が己を恨むことはないと、果たして言えるのだろうか。



そうして思うのだ。

忘れ去られるよりは、恨まれてでも永久に総司の胸の内に少しでも残りたいのだと、そんな愚かなことを。

いつから、ここまで他人に執着するようになったのだと思い返しても、思い返せぬ。

ただ、分かるのは、目の前に居る彼にだけなのだということだけだった。

嗚呼、何と愚かな。

「藤堂とは、話したのか」

「えぇ」

薄く、総司が微笑う。

その頬に、寂寞感が込み上げている。

「…謝られてしまいました」

闇色の瞳が揺れて、それからゆっくりと細められ笑みを刻む。

儚い、と。

思えるその様に、総司に向けて手を差し伸べかけて斎藤はきつく口唇を噛み締めた。

-----------そうだ、もう。

この手を、差し出すことは叶わないのだ。

差し出してはならぬのだ。

己はこれから、新撰組を裏切るのだから。

この手を差し出し、彼に触れることなど。

赦されぬのだ。





眉間に皺を寄せ、険しい表情を浮かべる斎藤を眼前にして、総司は先刻庭先で出会った藤堂とのやり取りを思い出していた。









「藤堂さんも、行ってしまうなんて」

風に、桜が舞うその中で。

言うと、目の前に立つ青年は苦しそうに顔を歪ませた。



「…ごめんな」



静かに、耳に届いた言葉は、悲しい言葉。

けれど引き止めるなと、その瞳は如実に決意を語っていた。



「…あの日から、毎日のようにずっと夢を見る」



藤堂は、静かに語り始めた。



「……藤堂さん」

「山南さんの夢だ」



言われて。

浮かぶのは、穏やかに微笑を浮かべる、遠くに行ってしまった彼の顔。

思い出す。

目の前で白装束に身を包み、静かに笑って腹を切った彼の最期を。

思い出せるのは穏やかな淡い微笑ばかりなのに。

白装束を染めたあの人の紅い血だけは、鮮明に脳裏に浮かぶのだ。



「夢に出て来る山南さんは、いつも笑ってるんだ」

蘇るのは、あの微笑。

嗚呼。

目の前に立つ青年も、同じだったのだ。

けれど。

彼の命を終わらせたのは、他でもない、この己の手。

…決定的に、それは違うのだ。

恨まれても仕方ないのに。

「…山南さんは、新撰組を恨んでない。…近藤さんのことも、土方さんのことも恨んではいない。……なのに俺は」

そう言って、口を噤んで、その先を言おうとしない藤堂の想いこそが、全てなのだ。きっと。

「…藤堂さん…」

「でも総司、俺はお前のことは恨んではいないよ」

淡く。穏やかに笑う藤堂の笑みに、あの人の笑みが重なった。

「本当は、俺が追うべきだった。…俺が、介錯すべきだった。…なのに」

きつく。

掌に爪が食い込む感触を覚えながらも、総司はきつく手を握り締めることを止められない。

「総司にばかり…辛い思いをさせてしまった」

震える声は、心までをも震わせる。

戦慄きそうになる口唇を、きつく噛み締めた。

「俺はずるい。俺は、何もしなかった。山南さんが苦しんでいるのを知っていたのに、俺は何も言わなかった。何も出来なかった。なのに、ただ、恨みばかりが込み上げる」

静かな告白の中、風が二人の間を凪いで。

桜が、風に舞った。



「きっと、俺が一番憎いのは俺自身なんだ」



藤堂の言葉に総司は知らず呼吸を詰める。

弾かれるように顔を上げて、藤堂を見つめた。

静かな視線が、見返して来る。



「……ごめんな、総司」



淡い微笑を、花弁が撫でた。

「身体を厭えよ。…離隊しても、俺たちはずっと友だ」

強い口調で告げる藤堂に、総司はそっと口の端を上げた。

それが、精一杯だった。



「お前も死んだら、…俺は悲しい」



意志の強い藤堂の瞳が揺れる。

この青年の心の優しさを、総司は知っている。

どれだけ苦悩し、決断したのか。

己には、計り知れないけれど。



「…私だって、それは同じだ…」

やっと絞り出した声は、可笑しいほど震えていて。

「私だって、藤堂さんが死んだら悲しい」

「総司」

「だから生きてください。絶対、死なないで」

声に。藤堂が微笑う。



「藤堂さん、生きてください」



離れても。

これからもずっと、友なのだ。

友で在り続けるのだ。

掛け替えのない友に。どうか、生きてと。



応(いら)えは、返っては来なかった。

ただ。

藤堂は、静かに笑ったのだ。







「ねぇ、一さん?」



思い出は。

いつだって美しく。そして、儚い。

思い出せる思い出が、幸せなことばかりなのは、己が弱いからなのだろうか。

辛く苦しいことなど、思い出したくはないのだと。



「生きて、くださいね」



ただひとつ。旅立つ貴方に。


「生きていて、くださいね」



願いを。

ただ、ひとつだけ。



「私も、生きるから」



嗚呼。

上手く、笑えているだろうか。









約束を、違えようとしている今、この時に。

新しい、約束を。



嗚呼。

愚かだと、言われても構わない。





儚い約束を、交わす。

守ると、誓うから。

だから。



総司。

お前もどうか、己の知らぬところで死んでくれるな、と。

生きていて、ほしいと。



せめて願っても、いいだろうか---------…?





「……約束しよう」





誰も見ていない屯所の庭先で、





桜が、風に舞った。











------ただ生きていてと、
血に濡れた手を
握り締めて祈る。
嗚呼、何て愚かな、------



続く





土沖←斎








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