晴れすぎた空 15
君 に 誓う
何も 見失わぬ と
今 、 君 に 誓う
生きよう 、 この 命 の 限り 、
その夜半から、総司は再び体調を崩した。
翌朝、部屋に届けられた膳にも一つも口もつけず、ただ布団に身体を横たえていた。
熱に浮かされ額に汗を浮かべ、夢現の間を彷徨う様を、斎藤や永倉が度々時間をあけて様子を見に足を運ぶ。
そんな日が、丸一日続いた。
明けて、二十日。
目覚めた時には総司は部屋に一人、布団に横になっていた。
目線だけで部屋をぐるりと見渡して、近くに視線を戻した時。
枕元に、丁寧に折られた紫苑色の下げ緒を見た。
それだけで、十八日の出来事が鮮明に脳裏によぎる。
総司はそっと一度瞳を伏せて、それからゆっくりと身を起こした。
葛籠から着物と袴を取り出して、丁寧に身に着ける。
枕元に置かれた下げ緒を懐に入れ、暫く掛けたまま着ることのなかった羽織を羽織った。
布団を畳み、刀掛けから脇差を手に取って腰に差した、その時。
障子の外に気配を感じて振り返る。
その影は、障子の前に立ったまま暫く動かなかった。
「…土方さん?」
そっと声を掛けると、障子が開く。
其処には、険しい顔をした土方が立っていた。
土方は無言のまま部屋に入り、障子を閉める。
そして畳の上に胡坐をかいた。
「お出かけですか?」
正装した土方の格好に、総司は小さく問いながら向かいに正座した。
少しの間を置いて、あぁ、と土方が応えを返す。
「…体調は、どうだ」
「今日は、いつもより良いようです」
「…そうか」
視線を合わせない土方に、訝し気な表情を浮かべた総司が、土方の顔を見ようと小首を傾げたところで。
土方の腕が伸びて、総司を抱き込んだ。
「…総司」
久々に抱かれる腕の感触に、総司はそっと瞳を閉じた。
胸に顔を寄せてひとつ深呼吸をする。
「…恨んでいるか」
低く問われた声に顔を上げると、深く眉を寄せた土方の顔が瞳に飛び込んで来る。
嗚呼。
この人も。己を憎悪し、苦悩している。
総司は、思った。
本当は誰よりも優しい人の癖に、ただ、この新撰組を守るために鬼になり、鬼と呼ばれ、全てを一人で背負って来たこの男が、愛しくてならなかった。
「恨めたら、…いっそ、楽なのかもしれませんね」
総司の静かな声に、土方は二重の瞳をそっと伏せた。
己を抱く土方の腕に、そっと総司は手を触れた。
「でも、私は恨んではいない」
真直ぐ、強く返された言葉に、土方は瞳を上げて総司を見つめた。
それに気付いた腕の中の身体は、頬にそっと笑みを刻む。
「土方さんのことも、…誰も恨んでいない」
「総司」
「私は、貴方の傍に居ると言った」
桜舞う中、今は遠い江戸の地で。
誓い合ったのだ。
「貴方がどんな風になっても、私は貴方の傍に居る」
大きな、闇色の瞳は少しも揺るがずに土方を見つめ返す。
戸惑ったような土方の瞳も、腕も、全て受け止めて。
「だから、これからも私は土方さんの傍に居る」
ただ、静かに。
再び、揺るがない誓いを口にした。
「それは、何も変わらない」
言って、総司は土方の広い胸に頬を寄せた。
「これからも、…ずっと」
「…そうか」
恨んでいると、責めていると、言ってくれたらいっそこんなにも苦しくはなかったと土方は思う。
なのに、この腕の中の男は恨み辛みの一言さえも言わず全てを受け入れて、傍に居ると言うのだ。
ただただ、真直ぐに見つめながら。
まるで小さな子供のように、一途過ぎる信頼と愛情を注ぐのだ。
本当は、何故、と詰問したい思いもあるはずなのに。
それさえ飲み込んで。
ただ傍に居るのだと、言葉で、肌で、伝えて来る。
弱音を、吐かせられなくなってしまったのはこの己なのだと、土方は込み上げて来る愛情と共に悔恨を飲み込んだ。
「…光縁寺に、墓をたてた」
低く言うと、総司は初めて闇色の瞳を揺らした。
一瞬、その瞳を引き歪めて、それをすぐに隠す。
「…ならば、きっと寂しくはないですね」
溢れそうになる苦しみも悲しみも心の奥に閉じ込めて、総司は微笑う。
苦しい時に苦しいと、悲しい時に悲しいと、泣きたい時に泣きたいと。
素直に口にすることもせず、ただ。
微笑う姿が、健気で、悲しかった。
「…すまない」
「どうして謝るんです?変な土方さん」
何度も傷付けて来たのに。
それでも傍に居るこの身体を、大切にしたいと、失くしたくないと、心は願うのに。
裏腹、鬼の副長として京に立つ己は、何度も総司の心を、仲間の、友の命を犠牲にして来た。
そうして今も、此処に立ち、此処に居る。
思って、急激に込み上げて来た想いが藤堂への惜別なのだと知る。
愛しい温もりに触れて、やっと気付くのか。
藤堂と言う男を失くした、喪失感と寂寞感を。
「…俺は、お前を苦しめてばかりだ」
江戸に居た頃、同年だった藤堂と総司はよく共に並び歩き、笑い合っていた。
多少度の過ぎた悪戯もした。
走り逃げようとする二人の後ろ襟を掴み、拳骨を食らわせたこともあった。
ごめんなさい、と謝りながら、すぐに藤堂と総司は楽しそうに笑っていた。
その、友さえも奪って。
それでも。
新撰組(これ)だけは、守らねばならぬのだと。
人間として譲れぬものと、男として譲れぬものへの想いが交差する。
「私は、苦しくなんてない」
静かに投げ掛けられる声は、酷く柔らかく穏やかで。
「貴方がこうして傍に居てくれたら、…苦しいなどと思わない」
頬に、浮かぶ笑みが。
「私は、貴方と居られたらそれだけでいい」
唯一、土方の心を揺るがせ、苦しませ、そして癒すのだ。
「総司」
溢れ出して来る愛しさのまま、土方はその名を呼び、抱き締める腕に力を込めた。
続く