晴れすぎた空 9


笑顔 で 背 を 送る のと



涙 で 背 を 押す のと



どちらが 難しい のか



どれだけ 考えても 、









季節は巡り、柊の木が小さな白い花を綻ばせ始めた頃。

にわかに、高台寺塔頭月真院は不穏な空気に包まれていた。



慶応三年、十月。

徳川幕府第十五代将軍、徳川慶喜は、征夷大将軍を辞し、政権を朝廷に返上する大政奉還を上表した。

約七百年続いた徳川幕府の終焉であり、武士として生きて来たものたち全てを揺るがすものであった。



集団は、どれだけ優秀な頭を有していても所詮は烏合の衆。

団結力のある集団こそ、大きな事件があれば安易に崩れ落ちる。



高台寺党は、これを好機と見た。



------新撰組を壊滅させるため、局長である近藤勇を暗殺する-----



俄かに、そのような計画が湧いて出ていた。



幕府はついに倒れた。

熱烈な尊王攘夷論者であった伊東らを中心とした高台寺党としては、計画を実行し成功させることが出来れば、倒幕派としての先駆けになることが出来る。

この好機を逃すべからず。



期日は、十一月二十二日。





-----------時は、来た。









「…ゆくのか」



静かな声が背に投げかけられて、足を止める。

背に感じる気配は、穏やかなもの。

斎藤は、ゆっくりと振り返った。

鍔に指を掛け、いつでも鯉口を切れる状態で。



「…藤堂」

「何だよ、その顔」



藤堂は、苦笑するように眉を僅かに下げて笑って見せる。

それから斎藤の左手を見て、小さく笑った。



「藤堂、」

「共に帰ろう、なんて言うなよ。…お前らしくもない」



柄に腕を掛けるような仕草で、藤堂はゆっくりと両腕を組んで見せた。

それはまるで、全く敵意はないと示すかのように。

鍔に掛けていた手を離し、斎藤は両腕を下げながら藤堂を見やる。

そんな斎藤の様を見て、藤堂はまた苦笑の表情を浮かべた。



「お前は、最後まで役目を果たせよ」



三歩分程開いた距離で、真正面から視線をぶつけた。

目の前に立つ藤堂の表情は、穏やかだ。



「斎藤、…お前は、何も見失うなよ、…何もだ」



清らかな瞳だった。

ただただ、何処までも澄んでいた。

真直ぐに見つめて来る瞳に、彼の人の闇色の瞳が重なった。



「さぁ、行けよ」



藤堂は僅かに声音を下げて、呟くように言った。

嗚呼、この、男は。

この先を予見しながら、こうして背を押すのか。

何故。

何故だ。



「俺は今、何も見なかった。誰にも会わなかった。だから、…大丈夫だ」



斎藤の心の内など我関せずと言う様子で、飄々と告げる藤堂の声は明るい。

声音はまるで、何処かに出かけようとする者をただ見送るような、そんな響きだった。



「藤堂」

「みんなに、伝えてくれないか」



呟くと、藤堂は一度足元に瞳を伏せて、それから。

朗らかに笑って、言った。



「                               」



ざぁ、と風が流れたが、その声は確かに斎藤の耳に、胸に届いた。

鈍く、重く、心が軋む。

嗚呼、これは彼なりの遺言なのだ。



「…必ず、伝える」

「頼んだぞ」



言うと、藤堂は背を向けた。

刹那襲う、別れの予感。

斎藤は、瞬きを忘れてその背を見つめた。

背を向けたまま、藤堂は動かない。

ただ静かに、其処に立っていた。



「斎藤」



耳に届いたのが不思議な程の小さな声であったが、確かにその声は届いた。

呼吸を顰めて、耳を澄ます。





「…生きろよ」



強い口調で言うと、藤堂は歩き出した。

少しずつ、遠ざかる背を見やって、斎藤は瞳を伏せる。

声に、応えは返さなかった。返す必要も、なかっただろう。



伏せた瞳を戻し、真直ぐに前を見やる。

踵を返して、歩き出す。

振り返ることなく、歩いた。

何も、何一つ、見失うことの無いように。

昏い炎を瞳に宿し、ただ。

ただ、歩いた。










続く









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