あ り が と う の 代 わ り に


ベッドの端に腰を下ろすと、頭にグルグル巻きにしていたタオルを取り払って肩にかけた。
寝るにはまだ早い時間だが、お風呂上がりで体はほかほかと温まっている。
このまま眠ってしまおうか・・・そんな誘惑と闘いつつ、花は枕元に置いてある携帯を見た。

(あ、メールだ)

ブルーのランプがチカリと光り、着信を知らせていた。
携帯に手を伸ばしてメールを確認すると、クラスメイトの黄瀬からだ。

『四空っち、明日空いてる?』

短い一文に、花は首を傾げた。
空いてるかと訊くからには何か用事でもあるのだろうが、さっぱり見当がつかない。

明日は日曜日だ。
特に何の予定もなく、家で本でも読もうかと思っていた。

『空いてるよ。何かあった?』

そう返信した数秒後、携帯が震えた。
思わず目を瞠って、着信画面を見つめる。
目線の先には『黄瀬涼太』の4文字が映っていて、花は電話に出ることも忘れ、しばらくフリーズしていた。

クラスメイトで席が隣同士とは言え、そう頻繁にメールをしあう仲ではない。
電話番号は交換していたけれど、電話したことは一度もない。されるのも今がはじめてだった。

震え続ける携帯がピタリと止まった。
それで花は我に返り、あわてて電話を掛け直した。
ワンコールの途中で回線がつながる。

『四空っち?今大丈夫っスか?』
「大丈夫。ごめんね、まさか電話が掛かってくるなんて思わなくて」
『あ、そういえば電話するの初めてっスね』
「うん、驚いたよ・・・どうかした?」

わざわざ電話を掛けてくるくらいだ、どんな重大な事件が発生したのかと緊張する花だったが、黄瀬の答えはあっけらかんとしたものだった。

『明日、同中だった友達とバスケするんス。それで四空っちに、応援に来てほしいなって』
「・・・え?」

花の頭に最初によぎったのは『なぜ?』だった。
わざわざ花を指名する理由が全く分からない。
だがその理由は、すぐに黄瀬が教えてくれた。

『笠松先輩も来るっスよ』
「・・・えっ!?」
『四空っち、さっきと反応が違う』

携帯の向こうで、黄瀬が吹き出す音が聞こえた。
確かに話の食いつき方が違ったと思うので、花は赤面してしまう。

「あ、ご、ごめんね・・・?」
『いいっスよ〜、四空っちは恋する女の子っスから』
「黄瀬くん、からかわないで・・・!」
『ごめんごめん』

全く反省していないどころか、口調の端には明らかに楽しんでいる節がある。
少なからずむっとして黙る花だったが、電話の向こうの黄瀬にそんな空気は伝わらなかったようだ。
明日のことについて、楽しそうに話を続けた。

中学の時、同じバスケ部だった面々が集まるということ。
今は全員が別の高校に通っていて、各々現在所属しているバスケ部の仲間を連れてくるということ。
その面子の中には、女子マネの子や監督さん(女の子だという)もいるということ。
海常からは、黄瀬の他に、笠松しか予定が合わなかったということ。

『センパイと二人だけっていうのも、さみしいし。四空っちなら応援にきてくれるかなって』
「・・・い、いきたいです」
『そう言ってくれると思った!場所と時間、メールするっスね!』

返事を聞いて電話を切ろうとする黄瀬を、花は焦って呼び止める。

「あっ、黄瀬くん・・・!」
『なんスか?』
「えっと・・・誘ってくれてありがとう」
『・・・へへっ。だってオレ、応援してるから』

何を、とは言わなかったけれど、瞬時に分かってしまう。花と、笠松のことだ。
思わず言葉を失う花に、黄瀬は被せるように言った。

『でも四空っち、明日の試合はオレのことも応援してね!』

もちろんだよ、と花が返事をする前に電話は切れてしまった。
耳から携帯を離して、半ば呆然と、今の会話を思い返す。

(明日、笠松先輩に会える・・・!)

嬉しさがじわじわとこみ上げてくる。
花は歓声を上げて、携帯を高く放り投げると、ベッドに勢いよく倒れ込んだ。


*


高いフェンスを見上げると、視界いっぱいに青空が広がっている。
晴れて良かったと花はにっこり笑って、フェンス越しにコートを見回した。

(黄瀬くん、どこだろう・・・?)

複数の団体が面を分けて使用しているようで、コートの中には集団がいくつか散らばっていた。
その中でもとりわけ目立つ集団があり、そこに黄瀬の黄色い髪を見つける。
仲間と楽しそうにじゃれ合っていて、つい大型犬を連想してしまう。

『わんっ!』

ちょうどそのタイミングで、犬の鳴き声が聞こえた。
空耳?と驚いて足元を見れば、本当に犬がいた。
ちょこんとお座りをして、尻尾を振り振り、花を見上げている。

「キミがお出迎えしてくれるの?」
「わんっ!」

かしこいコだなと、花はフェンスの扉をくぐった。
身を屈めて、お出迎えのわんこの耳を指先でくすぐる。
嫌がる様子もなく、キラキラと眼を輝かせている様子から、人に慣れてるんだなあと思った。
野良ではないだろう。
今日ここに来ている誰かの飼い犬かな、花は慣れた手つきでその犬を抱っこした。
ちょうど自分の家の愛犬と、同じくらいの大きさだ。

高く掲げて、目線を合わせる。
瞳が愛くるしくて、花も思わず笑顔になった。

「飼い主、どこかな?」
「ここにいます」
「ひゃっ・・・!?」

突然声がして、驚いた花は危うく犬を取り落しそうになった。
慌てて胸に抱きかかえて、声の主を探す。
驚くべきことに、『彼』は目の前にいた。

「えっと・・・あ、このコの飼い主さん?」
「はい」

こっくり頷く彼だったが、別にその返事を聞かなくても、彼がこの犬の飼い主というのはなんとなく分かった。

(そ、そっくり・・・)

くりっとした瞳が瓜二つだった。
目を離せないで凝視していた花だったが、彼の後ろから見知った人影が駆け寄ってくるのが見えて、肩の力を抜く。言わずもがな、黄瀬である。

「四空っち!来てくれたんスね!」
「黄瀬くん・・・!うん、少し遅くなったけど、試合はまだみたい?」
「まだチーム分けっス。
 あっ、黒子っち!オレら、同じチームっスよ!緑間っちに交換してもらったんス!」
「そうですか」
「淡白すぎっス・・・!」

黄瀬のテンションがいつもより高い気がする。
二人のやりとりをぽかんと見守っていると、『黒子っち』が丁寧に頭を下げた。

「はじめまして、黒子テツヤです。中学の頃、黄瀬君と同じバスケ部に所属していました。
 黄瀬君のお友達ですか?」
「あ、はい。四空花です。黄瀬くんのクラスメイトで、バスケ部とは関係ないんだけれど・・・」
「そんなの関係ないっスよ!オレは四空っちに応援してもらいたくて、それで呼んだんだから」

みんなにも紹介するッス!と花の背中を押す黄瀬の後ろで、黒子が花に聞こえないように黄瀬に訊ねる。

「四空さんて、黄瀬君の彼女なんですか?」
「違うっスよ〜四空っちが好きなのは、笠松センパイっス」
「・・・!黄瀬くんっ、何の話してるの・・・!?」

黒子が小声で聞いた甲斐もなかった。


*


ベンチに座って、ぼんやりと試合の様子を眺める。
今は黄色チーム対赤チーム。
緑チームで試合待ちの黄瀬は、隣に座る花をちらっと横目で見やった。

「・・・ほーんと、センパイのことしか見てないんスね」

ボソッと呟いても、試合の様子に、というか試合中の笠松に夢中の花には届いていない。
少しボリュームを上げてみた。

「四空っち」
「・・・えっ?」
「今、笠松センパイとどうなってるんスか?」

単刀直入すぎただろうか。
でもこれくらいはっきり聞かないと、花は教えてくれないだろう。
笠松にしても花にしても、自分のことを自分から話すタイプの人間ではないから。

「どうって」
「つき合ってるんスか?」
「ままっ、まさか・・・!」
「そっか、まだっスか。予想はしてたけど」

何せ女子を前にするとド緊張してしまう笠松だ。
花は花で、恋愛上手には見えないし。

(お似合いだと思うんスけどね・・・)

それゆえ未だつき合っていない二人に対して、もどかしい気持ちになる。

「いいんスか?今のままで」
「・・・えーと」
「好きってことを伝えればそれだけでいいとか、オレには考えられないっス」

黄瀬の言葉が花の胸に突き刺さった。
まさに今は、好きってことだけを伝えて、それで満足しているから。
片思いから少しだけ前に進めて、それがすごく嬉しくて、舞い上がってるんだ。

でも今のままでいいのか、と聞かれると、やっぱりもっと仲良くなりたい。
話ができるようになりたい。
そういう欲は、もちろんあった。

(だけどそれはさすがに、大それた望みだよね)

しゅんと肩を落とすと、黄瀬も気まずくなったのか、それ以上は突っ込んでこない。
微妙な空気が流れる中、第三の声が静かに割り込んだ。

「自分の恋愛論を押しつけるのは良くないです、黄瀬君」
「・・・っ!?黒子っち、いつから・・・!」
「さっきからキミの隣にいました」

黄瀬をさらっと流して通り越し、黒子は花と顔を合わせる。

「恋愛は人それぞれ違うものです。黄瀬君の言うことには耳を貸さなくていいと思いますよ」
「ヒドっ!黒子っち、ヒドい!」
「でも黄瀬君も、そういう四空さんがいいと思ってるんじゃないですか?」
「・・・そりゃあガツガツしてる四空っちなんて、考えられないっスけど」
「ほら。だったら急かすのはよくないです。それは黄瀬君の都合です」
「・・・黄瀬くんの都合?」

黒子の言葉の意味が掴めず、花が聞き返すと、黒子は「はい」と頷いた。

「黄瀬君は笠松先輩を尊敬してますし、四空さんのことも好きなようですから。
 二人にくっついて欲しいんですよね」
「黒子っち・・・!オレのことよく分かってるっスね・・・!」
「黄瀬君は分かりやすいので」

ボクでなくてもバレバレだと思います、とつれない返事に、黄瀬は肩を落とした。
そんな黄瀬は放置して、黒子はそっと花に微笑む。

「少しずつ歩み寄るのも、ボクは素敵だと思いますよ」
「あ、ありがとう。黒子くん」

出会って間もない男の子に、恋愛をさとされてしまい、頬を上気させる花。
恥ずかしくはあったけれど、それ以上に嬉しかった。

(黒子くんて、優しい)

黄瀬くんはいい友達を持ってるんだな、とほんわり心が和む。

「黄瀬くんも、ありがとう」
「・・・」
「・・・黄瀬くん?」

黄瀬が黙ったままなので、花は不思議に思い、黄瀬の顔を見上げた。
すると黄瀬には珍しく、眉間にしわを寄せ、不機嫌そうな表情。
花が驚いて、黄瀬の顔を見つめたまま動きを止めると、黄瀬ははっと我に返り、眉間のしわを解く。
代わりに苦笑を浮かべて、口を開いた。

「なんか・・・悔しいっス。オレより黒子っちの方が、四空っちのこと分かってるみたいで」
「・・・えっと」
「・・・黄瀬君」
「なんスか、黒子っち」
「今の発言、面倒くさいです」
「・・・っ!ヒドっ!」

猛烈に抗議する黄瀬を、黒子は素知らぬ顔でスルー。
そんな二人の様子が、飼い主とそれにじゃれる大型犬にしか見えなくて、花は吹き出してしまった。
さっきまでしおれていた心が、元気になる。

「二人とも、ありがとう。・・・そうだ、お礼に」

そう言って、脇に置いておいたクーラーボックスに手を伸ばす花。

「そういえば四空っち、それってなんスか?」
「差し入れを持ってきたの。冷たい方が美味しいと思って」

開いたボックスからふわっと白い冷気が立ち上った。

「何味がいいかな?」
「なにこれ、すごい、おいしそう・・・!」
「どんな種類があるんですか?」
「パイナップルと、桃と、サクランボにリンゴ」

中にはギッシリとプラスチックカップが敷き詰められている。
一つ一つ、丁寧にラップが掛けてあって・・・

「もしかして、四空っちの手作り?」
「うん」
「感動っス・・・!」
「黄瀬君、いいから早く選んでください」
「えっ、オレからっスか?じゃあパイナップル!」
「ボクは桃で」
「はい、どうぞ」

花がスプーンと一緒に二人に渡したのは、フルーツゼリー。
昨晩、黄瀬から連絡があった後、急いで作ったものだ。

「ケーキだと喉が乾くかと思って」
「おいしいー!っス!」
「おいしいです、とても。炭酸ですか?シュワっとしてますが、食べやすいです」

お世辞ではなく、本当に美味しい。

「四空っち、他のも食べたいっス!」
「・・・黄瀬君」
「大丈夫だよ。まだたくさんあるから、黒子くんもよかったらもっと食べて?」
「いいんですか?」
「うん」
「それではお言葉に甘えて、もう一つだけ」

食の細い黒子がおかわりを所望することが、この手作りゼリーの美味しさを示していると言えよう。
そうして黄瀬と黒子が舌鼓を打っていると、背後から声がした。

「うまそーなもん、食ってんじゃん。オレにもよこせ」
「イヤっス」
「駄目です」
「・・・お前ら、ずいぶん気ぃ合ってんな」
「心外です。それより青峰君、寄越せ、はないです。ください、です」
「青峰っちが『ください』とか言ったら、それはそれで怖いっスけどね」

ボヤく黄瀬の横で黒子が花に、青峰の無礼を補うかのように丁寧に頼む。

「四空さん、よければ青峰君にも一つ分けてあげてくれませんか」
「もちろん」
「青峰君、ちゃんとお礼を言ってください」
「チッ、テツは固ぇなぁ・・・」
「青峰っち!」
「わぁったよ、サンキュ」

花が手渡すよりも早く、自分でさっさとクーラーボックスの中を漁りはじめる青峰。
そして更に声がする。

「あ、青峰君ズルい!おいしそうなの食べてる・・・!」
「くださいって言えば、くれるみてぇだぞ」
「ほんとに?私も食べたい!」
「オレも食いてぇ」

一斉に人が寄ってきて、ゼリーがどんどん減っていく。
厚紙を挟んで、三段重ねにしてきたのに、もう一番底の段まできていて。

(あ、あれ・・・足りないかも・・・?)

焦る花だったが、まさかもう食べないでともいえない。
そこで状況を察した黒子が、助け舟に入った。

「青峰君、食べ過ぎです。火神君も。一人でいくつ食べる気ですか」
「あ?何種類もあんだろ」
「もう全種類食べたでしょう。今試合をしている人の分がなくなってしまいます。
 黄瀬君もです。四空さんが誰のためにこの差し入れを作ってきたのか、少し考えたらどうですか」
「くくく黒子くんっ・・・!それっ、わざわざ言わなくていいよっ・・・!」

気持ちはありがたいんだけど、ものすごーく恥ずかしい・・・!

しかし黒子の制止の甲斐なく、花の差し入れは残すところ残り4つになってしまった。
今試合をしているのは6人。
中途半端すぎる残量に、返っておかしさがこみ上げる。

「うーん。もうこの際だから、全部食べちゃおうか」
「・・・いいんですか?」
「うん」

へらっと笑う花。
黒子に鋭く突っ込まれて状況を把握した黄瀬は、その笑顔を見てひどく後悔した。
なんでもないことのように笑ってるけれど、そんなわけないのだ。

(これ、センパイのために作ってきたんスよね)

いつもの黄瀬なら、そんなことすぐ気がつけたはずなのだが、ゼリーのあまりの美味しさに気が回らなかった。

「四空っち・・・ごめん」
「ううん、気にしないで?」
「けど」
「あっ、試合終わる・・・!黄瀬くん、早く食べちゃって・・・!」

押しつけられたゼリーを黄瀬は仕方なく食べたけど、もう素直に美味しいとは思えなかった。


*


試合後の笠松を出迎えたのは、「すみませんっス・・・!」と、土下座でもしそうな勢いで頭を下げる後輩の姿だった。
タオルで汗を拭っていた笠松はぎょっとして、普段は自分よりも高い位置にある黄瀬の後頭部を見つめる。

「な、何があったんだ・・・?」

謝るからには何か悪いことをしでかしたのだろう。
いつもなら問答無用で蹴りを入れる笠松も、さすがに度肝を抜かれて、理由を訊ねる。

「四空さんが持ってきた差し入れを、ボクらが全部食べてしまったんです」
「・・・は?」
「ボクらというのは、青峰君と火神君と黄瀬君を筆頭に、高尾君、そしてボクと伊月先輩と女性陣です」

食べた量が多い人を、さりげなく主張する黒子だった。
・・・ちなみに先輩と女子を最後にしたのは、彼の優しさゆえである。

黒子が解説する最中も、黄瀬は頭を下げたままだ。
余程申し訳ないことをしたと思っているのだろう。

「ホント、すみませんっス・・・!
 あっ、そうだ!オレ、四空っちに今度練習の後、差し入れ持ってきてって頼んでみ・・・」
「バカ!余計なことすんな!」

ボカッと黄瀬の頭をはたく笠松。
黄瀬は頭を押さえながら、笠松をうかがい見るように顔を上げた。

「でもセンパイは、四空っちにそんなこと頼めないっスよね」

殊勝な様子の黄瀬を目の当たりにした瞬間、笠松の中でプツッとなにかが切れる。

ひとつ、差し入れを食べることができなかった
ひとつ、差し入れを食べてしまった犯人が黄瀬(他2名)である
ひとつ、後輩に心配されてしまった(本気な分、余計にタチが悪い)
ひとつ、心配っていうか、まさかバカにしてんじゃないだろうな・・・!?

いくつかの事象が、笠松の頭の中をぐるぐると回る。
そしてトドメとして、黄瀬の涙目の上目づかいで見つめられ、笠松のイラ立ちは頂点に達したのだった。

「黄瀬ぇ!明日の練習メニュー、オマエだけ3倍覚悟しとけ!」
「ええっなんでっスか!?オレ、心配しただけなのに・・・!」」
「余計なお世話だ!シバくぞ、ボケ!食った分、体動かせ!」

いつもの3割増しのパワーで蹴りを一発いれると、憤然とその場を後にする笠松である。

(差し入れ・・・!)

花のことはまだ直視すらできない笠松であったが、告白されれば浮かれるが男子ってものだ。
それに遠目に見ても、花がかわいいのは分かった。
そんな子に好意を示されれば、当然悪い気はしない。むしろ飛び上がるくらい嬉しい。
大きなクーラーボックスを持って来ていたのは知っていたから、ひそかに楽しみにしていたのだ。
それなのに。

「黄瀬の野郎・・・!!!」

犯人は黄瀬だけではないのだが、ついいつもシバいている後輩の名前を、呪詛のごとく呟いてしまう。
だがこんなに悔しい思いをしているなんて、周囲に知られたくない。
無理矢理にでも頭を冷やそう、と肩を怒らせながら、笠松はまっすぐに水飲み場へ向かった。


*


コートの端にある水飲み場で、花は手を洗っていた。
みんなが食べたカップを片付けていたら、手がベタベタになってしまったからだ。

(美味しそうに食べてもらえて、よかった)

特に青峰と火神と言う人の食べっぷりはすごかった。
ほとんど一口で丸のみしていて、味が分かるのかなと思ったくらいだ。
蛇口をしめて、タオルで手を拭く。

(逆に黒子くんと黄瀬くんには、気を使わせちゃったな)

黒子の言う通りで、差し入れしようと思ったのは、笠松に食べて欲しかったところが多分にあった。
もちろんそれだけではなかったから、全然問題ない・・・のだけれど。
本音はやっぱり。

「笠松先輩にも食べてほしかったな」

呟いた途端、背後で物音がした。
なんだろうと振り返ってみると・・・

「か、さまつ先輩・・・!」

またこのパターンだ。
確か告白した時もこんな感じだった。
今後ひとり言は控えよう、と花は固く心に誓う。
いや、そうじゃない、今はそうじゃなくて・・・!

「えっと・・・聞こえてましたか、今の・・・?」
「・・・ああ」

ひとり言を聞かれてしまっただけでも恥ずかしいのに、内容が内容だ。
頭の中が真っ白になる。

「えーと、あの、その・・・さ、差し入れ」

何を言ってるの、わたしは。
心の中でそう思うけれど、もっとちゃんとしゃべらないとと思うけれど、うまくいかない。

「今度、作っていってもいいですか・・・?」

自分で言った台詞に、花は穴があったら入りたいと思った。
突然、ぶしつけすぎる・・・!
パニックに陥る花だったが、笠松の返事に時間が止まった。

「・・・ああ」
「・・・えっ?」

思わず聞き返してしまう。

いま、かさまつせんぱい、なんていったの。

けれど笠松はそれ以上何も言わず、花が使っていた一つ隣の蛇口を捻って、頭から水をかぶってしまった。
水飛沫がはねて、花の頬に当たる。
それでも花は呆然としたままだ。

ああ、っていったの?
いま、かさまつせんぱい『ああ』っていった、よね。

鼓動が早くなる。
花はギャラリーで、試合の応援しかしてなくて、全然体を動かしていないというのに、全力でスポーツした後みたいに体が熱い。

「せ、先輩っ・・・!」

まだ水を浴びている笠松の体が痙攣した。
こっちを振り向いてはくれないけど、声は聞こえていると分かった。

「お、おいしいの作ってきますから・・・!」
「・・・ああ」

空耳じゃない・・・!
花は勢いよく頭を下げて礼をし、踵を返すと、意味もなく全速力で駆け出して、みんながいる場所へと戻った。


*


ベンチに座って、ぼさっとしている黄瀬の横で、黒子が溜息をつく。

「もう済んだことなので、落ちこむのはやめたらどうですか」
「・・・そんなわけにはいかないっス」

応援したかったのに、見事に自分でぶち壊してしまった。
はあ、とらしくもなく黄瀬はうなだれる。

「オレ・・・バカだなあ」
「今更ですか」
「黒子ーっち・・・ヒドいっスよ」

そういう声にも、元気がない。
黒子はもう一度溜息をついた。

「黄瀬君、大丈夫です」
「・・・黒子っちのその自信、どこから来るんスか?」
「見てれば分かります」

何を?と黒子を見やると、黒子はどこか遠くを見すえているようだった。
目線を追うと、その先には花がいて、ものすごい勢いでこちらに向かって走ってくる。
そして二人の前まで来ると急ブレーキを掛けて、そのまま力尽きたようにガクンと膝から地崩れ落ちた。
ゴツッと明らかに打ちどころの悪い音がしたが、うずくまったまま花はうめき声も上げず、微動だにせず。
心配になった黒子がベンチから腰を浮かせる。

「四空さん、大丈夫ですか?」
「うんっ・・・大丈夫・・・!」

地面の上でおはぎみたいに丸くなり、己の膝に顔を埋めて、花は返事をする。
息をつめていたのを解いて、大きく吐き出す。

「黄瀬くんっ・・・!」
「なんスか?」
「わたし、がんばるね・・・!」

花の台詞に目を丸くする黄瀬。
一体何があったのだろう。
答えを求めて、花が走ってきた方をもう一度見ると、笠松の姿が見えた。

「センパイとなんかあったんスか?」

顔を伏せたまま、花は器用に何度も頷く。
何があったのか聞こうとすると、黒子が黄瀬に向かって、口の前に人差し指を立てて見せた。
黙って、ということらしい。

花が落ち着くまで、なんとなく沈黙が流れた。
そしてやっと顔を上げる花。

「黄瀬くん、今日呼んでくれて、本当にありがとう・・・!」

黄瀬の質問は耳に入っていなかったようだ。
目一杯の幸せを顔に浮かべて、花は黄瀬にお礼を言う。
黄瀬はと言うと、向けられた笑顔にうろたえてしまった。

「え、いや・・・そんな大したことじゃ」
「黄瀬君、ここは『どういたしまして』でいいと思います」
「・・・けどオレ」

花が笠松のために作ってきた差し入れを、食べつくしてしまったのだ。
お礼を言われる筋合いなんて、無いと思った。
そんな黄瀬に、黒子がそっと耳打ちする。

「彼女は、黄瀬君に感謝してるんです」
「・・・」
「応援するというなら、ここはビシッと決めたらどうですか。
 黄瀬君の中にある罪悪感は、キミだけのもので、ここで謝っても、気が済んで楽になるのはキミだけです」

小声で辛辣なことを言われてしまった。
にこにこ笑っている花を、黄瀬は見返す。
差し入れを食べてしまったことなんて、もう微塵も気にしていないのが、その表情から見てとれた。
ならばここは黒子の言に従おう。

「四空っち」
「ん?」
「・・・また試合、応援に来てくださいっス」
「うん、ぜひ・・・!」

ますます嬉しそうに、表情を輝かせる花を見て、そっか、これでいいんだと思った。
オレが横からお節介やかなくたって、四空っちは大丈夫・・・センパイのことはちょっと心配っスけど。

「あのね、黄瀬くん」
「なんスか?」
「黄瀬くんのおかげだよ、わたしが笠松先輩とお話できるの。本当にありがとう」
「どういたしましてっス」

恋する女の子は強い。それに眩しい。
応援してるのはこっちなのに、どうしてオレが元気もらってるんスかね。

「四空っち、がんばれ」

くしゃっと顔をゆがめて、黄瀬は笑った。


ありがとうの代わりに
無限大のエールを



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