全 力 青 春


きっかけは1限の数学だった。
大量に出ていた宿題の答え合わせで、出席番号が今日の日付の子から、縦の座席順で当てられていく。
トップバッターは花の席から離れていたから、自分のところまでは回ってこないかなとこっそり安堵した。
別に宿題を忘れてきたのではなかったけれど、前に出て黒板に解答を書き、それをクラス全員の前で添削されるのは緊張する。

全部で何問あったかは分からないけれど、ちょうど花の隣の席が最後の解答者。

「四空っち、四空っち・・・!」
「なぁに?」
「ノート、貸してくれないっスか・・・!?」

両手を合わせてこちらを拝んでいるのは、黄瀬涼太。

「黄瀬くん、宿題忘れたの?」

花の問いに、黄瀬はうっと詰まってしまった。
もちろん忘れた。正確には、宿題が出ていたのは覚えていたのだが、端からやる気がなかった。
朝のうちに数学の得意な友達のノートを写すつもりだったのだが、朝練に熱が入ってその暇がなくなり、写せずじまいで今に至る。

真面目に宿題をやってきている人に対して、答えだけを教えて欲しいというのは、お気楽な黄瀬であっても気が引けるものだ。けれど黄瀬以外の生徒は続々と席を立ち、黒板に解答を板書きしはじめている。
問題集とは往々にして、ページの終わりが応用問題となっており、黄瀬が当たったのは一番最後の問題。
単純に考えて、今日の宿題の中で一番の難問だろう。残念だが、自力で解くのは、黄瀬には不可能だ。

恥を忍んで、黄瀬は花に拝み倒す。

「お願い・・・!代わりになんでも言うこと聞くから・・・!」

小学生かと言いたくなる交換条件だったが、黄瀬は必死だった。
一方の花は、頼まれた最初の一瞬はどうしようと悩んだのだけれど、目をぎゅっと閉じて祈るポーズの黄瀬が、『遊んで』とねだる我が家の愛犬にそっくりだったから、つい頬を綻ばせて、ノートをそっと黄瀬に渡した。

「はい、どうぞ」
「うわあ・・・!ありがとうっス・・・!」
「答えが間違ってても、恨まないでね?」
「恨まないっスよ!っていうか、四空っち、頭いいから絶対合ってる!」

花よりも断然の自信を持って、ノートを片手に黄瀬は席を立った。
その背中を見送って、花は心の中で呟く。

(どうか合ってますように・・・)

自分で板書きする時よりも、緊張する。
さっきの黄瀬ではないけれど、花は(黄瀬が書いた)自分の解答にマルがつくまで、机の下でずっと手を合わせて祈っていたのだった。

授業が終わると、黄瀬が花に話しかける。

「四空っち、ほんっとありがと!助かったっスよ〜」
「大したことじゃないから、気にしなくていいよ」
「大したことっスよ!オレじゃあ絶対解けなかったし・・・!四空っちには助けてもらってばかりっスね」
「・・・そんなことないよ」
「あるっス!この前も英語の辞書、貸してくれたじゃないっスか・・・っと、そうだ、お礼しなきゃ」

何がいいっスか?と無邪気な笑顔で聞かれて、花はどぎまぎしてしまった。
黄瀬がモデルをやってるのは知ってるし、モデルでなくたってこんな笑顔を見せられれば、心は落ち着かなくなるというもの。

「えっと・・・じゃあ一つ聞いてもいい?」
「なんスか?」

花は少しだけ緊張した面持ちで、小さな声で尋ねた。

「・・・今度の練習試合って、いつかな・・・?」
「練習試合?今日あるっスよ」

今日は土曜日。
午後から近隣の他校が来て、試合がある。

「もしかして、応援に来てくれるとか?」

首を傾けて訊ねる黄瀬。
黄瀬と言えば『かっこいい』というイメージが強いけれど、こういう時々の愛くるしいしぐさもいいな、と本人には言えないようなことが心を過って、少しだけ花の緊張がほぐれた。

「うん。行ってもいい?」
「大歓迎っス!・・・って、それじゃあお礼にならないじゃないっスか!?
 俺が、四空っちに何かしなきゃなのに!」
「えと、気持ちだけもらっておくね」
「そんなぁ・・・!謙虚すぎっスよ、四空っち・・・!」
「・・・そんなことないよ」

花が被りを振ると、黄瀬はきりっと表情を引き締めた。

「分かったっス!それじゃあ今日はオレ、四空っちのために頑張る」
「・・・え?」

先輩の迷台詞を拝借した黄瀬は自信満々に言い切った。

「四空っちに、勝利を捧げるっスよ!」


*


そして午前中の授業が終わり、花はお弁当もそこそこに体育館へと向かった。
黄瀬の人気は知っているから、早めに行かないと応援する場所がなくなってしまう。
体育館の入口からそっと中を覗きこむと、既にコート脇には女生徒たちの姿がちらほら見えた。
まだ騒ぎ声が聞こえないということは、部員たちはまだ来ていないんだろうか・・・

「来てくれたんスね、四空っち!」
「・・・ひゃっ・・・!」

背後から声を掛けられただけならまだしも、肩をポンっと叩かれたものだから、花は飛び上がってしまった。
慌てて後ろを振り返ると、ジャージ姿の黄瀬が立っている。

「そんなに驚かれると、傷つくっス」
「ご、ごめんね・・・!すこし緊張してて・・・」
「そんな緊張しなくて大丈夫。絶対勝つから」

爽やかに言ってのけた黄瀬だったが、その笑顔は背後から強烈な蹴りで、一瞬にして崩された。

「止まってねえで、さっさと中に入れ!後ろが詰まるだろうが!シバくぞ!」
「もうシバいてるっス!
 それに危ないっス!もう少しで四空っちを下敷きにするところだったじゃないスか・・!」

黄瀬は前のめりになって、主将の笠松に文句を言う。
いつもなら盛大に吹っ飛ばされる黄瀬だが、今回ばかりは渾身の力で耐えたのだった。
でなければ花が黄瀬に潰されてしまっていた。
180センチオーバーの黄瀬と、160センチ弱の花。ヘタをすれば骨折だってあり得る。

蹴りを食らわせた笠松は、立ちすくんでいる花の姿を認めて、硬直した。

「うっ・・・、ス、スマン・・・!」

女子が絡むとこの調子である。
今は黄瀬との会話だからかろうじて返せたが、なんともギクシャクした動きで笠松は花の横を通り過ぎた。
黄瀬も笠松の後を追う。
振り返り様、花に向かって叫んだ。

「四空っち、見ててね!」

黄瀬の声が体育館に響いて、ギャラリーが悲鳴を上げる。

(す、すごい・・・)

黄瀬が体育館に姿を見せただけで、この活気。
嵐のように去って行ってしまった黄瀬と笠松を、息をのんで見送る花だった。


*


試合終了。
対戦チームに圧勝した海常の体育館は熱気に包まれていた。
体育館の隅から観戦していた花は、大きく息を吐き出して、試合中ずっと力の入りっぱなしだった肩の緊張の緩めた。見ていただけなのにものすごく体力を消耗した気がするが、その疲れがとても心地いい。
素人目に見ても、海常のバスケ部の強さが分かる。
中でも一番活躍していたのは、もちろん黄瀬で、本当にすごい選手なんだなって改めて思った。
花はコートで試合終了の挨拶をする選手たちを見つめる。

(黄瀬くん、ありがとう)

心の中でそっとお礼を言って、花は体育館を出た。
大半のギャラリーは黄瀬待ちだったから、体育館の外は閑散としている。

「すずしーい・・・」

日差しはまだ夏っぽさが残るが、風はひやりと冷たくて、どことなく秋を感じさせる。
喉が渇いたので、自動販売機を探した。
体育館から一番近いのは・・・と歩いていたら、後ろから花の名を呼ぶ声。

「四空さーん!」

声を掛けてきたのは、クラスメイトの子達だった。

「ねぇねぇ、黄瀬くんすごかったね!」
「かっこよかったぁ・・・!」

熱冷めやらぬといった様子で、花の隣に並ぶ。
どうやら彼女たちもバスケの試合を見ていたようだ。

「四空さん、飲みもの買いにいくの?」
「うん、喉乾いちゃって・・・」
「あたしらも行くー。叫びすぎて、喉が限界・・・!」

三人で一緒に、自販機へ向かった。
向かう途中も話題は黄瀬のことばかりだ。
二人の話を聞きながら、黄瀬くんって人気者だなあとしみじみ感心する花。

「そう言えば四空さん、試合前、黄瀬くんに『見ててね!』って言われてたね」
「ね!いいなあ、私も言われてみたい〜・・・!」

そこから話の矛先は花に向けられた。

「ほんと四空さんって、黄瀬くんと仲いいよね〜。よく二人でお喋りしてるし」
「えっと、それは席が隣だからかと思うんだけど・・・」

当たりさわりなく花がそう答えると、二人は拳を握りしめて力説した。

「そんなことないよ・・・!黄瀬くんが特定の女子と話すことって、あんまり見ないもん」
「くやしいけど、お似合いだよね・・・!」

どうやら話が変な方向へ向かっている。
けれどこういう場面は今までに何度か遭遇していて、花は口ごもりつつも、二人に弁明した。

「ふ、二人とも・・・黄瀬くんとわたしはそういうのじゃないから・・・」
「ええっ!?まだつきあってないの!?」
「つきあうも何も・・・」
「私、応援するよ!」
「そうだよ、四空さんならいけるって!告白しちゃないよ〜!」

どんどん話を進めていってしまう二人。
そして、やはりこうなってしまった・・・と話の展開に困ってしまう花。

花は身の程というものを知っている。
校内でダントツの人気を誇る黄瀬と、自分がどうして釣り合うものか。
絶対にありえない、黄瀬に失礼だとさえ思っている。
そして二人には申し訳なくも、もう一つ困ってしまうのが、この二人に『妬み』がないということだった。
本当に、黄瀬と花をお似合いと思っているみたい。

(いい子たちだなー・・・)

自販機で飲みものを選びながら、二人の会話をぼんやりと背中で聞き流す。
黄瀬には内緒にしているけれど、実は時々上級生の女子からいやがらせを受けることもある。
だから嫌味でないという点に関して、二人の反応は、花にとって心緩むものであった。
・・・その善意がよりいっそう、本当のことを言いづらい状況を作っていたとしても。

チクリ、と胸が痛む。

(黄瀬くんとわたしは・・・そういう仲じゃないんだよ)

どんなに言っても、まわりの人は、良くも悪くもそれを受け入れてくれない。

花は肩を落として自販機のボタンを押した。
身を屈めてブリックパックを取り出すと、あとの二人に場所を空ける。
そして花をそっちのけで話を盛り上げ、飲みものを買う二人に・・・いや二人にではなく、自分に言い聞かせるように、花はポツリと呟いた。

「わたしが好きなのは・・・黄瀬くんじゃないよ・・・」

口に出したら、止まらなかった。
名前を紡ぐだけで、心が震える。


わたしが好きなのは、黄瀬くんの先輩の

かさまつせんぱい、だよ



その瞬間、歓声がわいた。
ただし花の告白とは全く無関係の歓声であった。

案の定、クラスメイトの二人は花の告白を聞いておらず、・・・というか、聞くどころではなかったのだ。

「きゃああ!黄瀬くん!黄瀬くんもジュース買いに来たの!?」
「試合、すごくかっこよかったよ〜!あっ、よかったらこれ飲む?」

二人の歓声に、花は弾かれたように背後を振り返った。
花の後ろにいたのは、言わずもがな、黄瀬涼太。
端正な顔に驚きを浮かべている。

「四空っち、今のホント?」
「ききききき、黄瀬くっ・・・!!!」

ボンっ音が出るくらいに頬を真っ赤にした花を見て、今度は黄瀬が歓声を上げた。

「マジっスか!?センパイ!今の聞こえてました!?四空っち、センパイのこと好・・・」
「わーっわーっ、わーっっっ!!!黄瀬くんっっっっ!!!ストップ・・・!」

持っていたブリックパックを放り出して、花は黄瀬の口を塞ごうとするが、いかんせん身長差がある。
ついでに慌てたこともあって、花の手の甲が黄瀬の顎にヒットした。

「いっ!?四空っち!叩かなくても!」
「叩いてない!でも心境的にはそんなものかも・・・!」

むしろ自分の頭を叩いて、気絶したいくらいの心持ちだ。

黄瀬は一人じゃなかった。
一緒にいたのは、バスケ部の主将で、黄瀬の先輩で・・・花がひそかに思いを寄せてる人。

「あああっあの・・・か、笠松先輩・・・今の・・・聞こえて・・・?」

笠松はフリーズして答えなかったが、その反応だけで十分だった。

(聞かれてしまった・・・!)

花の思考回路もショートする。
思いが知られてしまうなんて、想像もしてなかった。
黄瀬を通して彼の話を聞いたり、試合を見にいって遠くから応援したり、時々移動教室の時にすれ違ったり・・・それだけで胸が一杯で幸せだったから。

逃げたい!体が即座にそう反応した。
けれど花はその衝動を、心で必死に押し止める。

聞かれてしまった。
それは動かしがたい事実で、どんなに時間を巻き戻したくても、無理なこと。
だったら、と花は決意する。

「か、笠松先輩!」

花が呼びかけると、笠松はビクっと痙攣した。

「1年の四空 花です・・・!せ、先輩はわたしのことを知らないと思いますけど・・・」

そう、先輩はわたしのことなんて、きっと知らない。

一度だけ、笠松が黄瀬のところに英語の辞書を借りに来た時、黄瀬が辞書を持っていなかったから、花が代わりに貸したことがあったけど、でもその時も言葉を交わす余裕はなくて。
うつむかないようにするので精いっぱいだった。

喉も裂けよとばかりに、 花は思いの丈をぶつける。

「わたし、先輩のことがずっと好きでした!」

こんなに大きな声を出せるんだ、知らなかった・・・と自分自身に驚く。
喉がヒリヒリしたけれど、そんなことに構っていられなかった。

「あのっ・・・また試合見にいきます、先輩のこと、応援させてください・・・!」

じゃあ!と頭を下げて、今度こそ花はその場から逃げるように駆けだした。

残されたのは黄瀬と笠松と、女生徒が二人。
全員が突然のできごとにぽかんとしていたが、女生徒二人はいち早く我に返ると、きゃあきゃあ騒いでその場を去っていった。
そして脱兎のごとく走り去った花を見送るだけだった黄瀬も、花の姿が見えなくなるとたまらず吹き出す。

「ぷっ、ははっ・・・!四空っち、さすがっスね・・・!オレ、惚れそう・・・!」

目の端に浮いた涙をぬぐう黄瀬。

黄瀬は花に恋愛感情を持ってはいない。
花は同年代の、非常につきあいやすい友達。
ただもちろん、少なからずの好意は持っていた。

(たとえば、オレには目もくれず、笠松センパイを好きになっちゃうところとか、ね)

自分にはなびかないのに、どうしてバスケの試合を応援しに来てくれるのか、不思議に思っていたが、なるほど、こういうことだったのか。
一人納得する黄瀬の横で、当の笠松はまだ固まったままだった。

「・・・き、黄瀬」
「なんスか?」
「・・・今のって」
「夢じゃないっスよ。センパイ、現実っス」

笠松が女子を前にすると極度に緊張するのは知っている。

(でも今回ばかりは頑張ってほしいっスね・・・!)

黄瀬は地面に転がっていたブリックパックを拾い上げた。
花が落としていったものだ。

「ハイ、センパイ」
「お、おう」

緊張が取れず、黄瀬が差し出したパックをギクシャクと受け取る笠松。

「それ、四空っちが落としてったヤツっス」

ぼたり、とパックが笠松の手から零れた。
それを予期していた黄瀬は空中でパックをキャッチすると、もう一度笠松の手に握らせる。

「今からうちのクラスまで走っていけば、まだ四空っち、教室にいると思うっスよ」
「・・・オ、オレガイクノカ・・・?」
「当然っス」
「ヒ、ヒトリデカ・・・?」
「・・・別についてってもいいっスけど?」

口笛でも吹きそうな黄瀬の軽い口調に、笠松はイラっとし、ぎこちないながらも言い切った。

「ダ、大丈夫だ!一人でいける・・・!」
「わあっ、センパイ!パック握りつぶしちゃダメ・・・!」

先行き不安ではあったが、どうにか走り出した笠松を、黄瀬はにんまりと笑って見送った。


全力青春
このおもいを、きみへささげる



[ ハニカム TOP ]
[ MAIN ]




[ TOP ]


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -