まだ、欲しいだけの恋
---素肌に受ける風が心地いい夏の夜。満月が浮かぶ黒い海を横目に、West Beachまでの道のりを、ミナコのぬくもりを背中におぶさり歩く。街灯の灯を受けてオレンジに光るアスファルトを、さっき寝転んだせいなのか、二人のカラダからパラパラと零れ落ちる砂が足跡をつけてく。
「……琉夏?あの…、わたしならもう大丈夫だから…下ろして?」
背後でもじもじと居心地悪そうにしていたミナコが、腕を絡めた剥き出しの肩越し、遠慮がちに囁いた。
「ヤダ。やっとつかまえたって言ったろ?家に着くまで、ぜったい下ろさない」
もとはといえば、ぜんぶ俺のせいなんだ。不誠実な女遊びを続けてきた挙句、俺の気付かないところですべてを知り得ていたミナコを傷つけ泣かせて、逃げられたから追いかけて、つかまえたのはいいけれど衝撃で転んだ砂の上、足首を挫かせてしまった。再会したあの日から今日まで、独りよがりな俺のエゴに巻き込んでしまった、背中に感じる重みはミナコへの責任そのものだ。
「でも…重いでしょ?わたし…」
「ハハッ。余裕。ヒーローだもん」
「……」
「West Beachに着いたら、足の手当して、バイクで送ってく」
ほんとに平気なのに…と、バツが悪そうに呟くミナコのふくよかなカタチが、圧を加えまた肌を掠める。それは、見た目より、俺が思っていたよりずっと大きく柔らかで…。精気を失くしたせいだとはいえ、セックスの途中放棄を余儀なくされたソコに、盛ったままの血液が集中してくるのがわかる。
(なに考えてんだ、俺。…平常心、平常心…)
「……ねぇ、琉夏?」
「ヘっ?…あ、ゴメン。なに?」
口ではもっともらしいことを言いながら、頭の中じゃ万年発情期のオス犬みたいな妄想を繰り広げている俺を、ミナコの声がリアルへと呼び戻した。
「ずっと気になってたんだけど…、上着、どうしてなにも着てないの?」
「ん?あぁ、えぇと…。どうせ走りっぱなしで汗かいちゃうから脱いでけって、コウが」
「ふぅん…。そうなんだ」
「うん、そうそう」
間違いなくダメ出しされるだろうとは思ってたけど、言い訳にしてはちょっと理不尽すぎたかもしれない。(しかも、コウのせいにしちゃったし)
「……ここ」
「え?」
「爪痕みたいな傷、ついてる」
「えッ!?」「きゃあ!」
ミナコから下された想定外の指摘に、彼女を抱えているから当然屈めていたカラダを咄嗟に起こしてしまった。
「も…ッ!琉夏っ!?」
「ごッ、ゴメン!」
間一髪の反射神経で(さすが俺)肩から傾れ落ちかけたミナコの体重を二の腕に支え、何事もなかったかのように体勢を元の型に戻す。
「ホント…、ゴメンな。ビックリし---」
「琉夏、やっぱり彼女…、いるんでしょう?」
「っ…!」
お互いの顔を見合わせられないぶん、声の音だけで相手の思考と感情を察知しなければならない不便な状況だけど。このときの、見えないハズのミナコの表情が、手に取るように伝わってくる。
「だったら、相手のひとに悪いよ、こんなこと…」
どうしても…、これ以上俺に抱えられているのはどうしても耐えられないと、上体を起こし、左右の肩甲骨を手のひらで強く押し返す仕草が訴えかける。だけど、それでも、俺は歩くことをやめない。
「あのさ。さっきも言ったと思うけど、カノジョなんかいないから、俺」
「でも…っ!」
「いないったらいないんだ。今度また同じこと言ったら、本気で怒るぜ?」
確かなオンナの痕跡を晒しながら、これまでにない強気な態度で反抗してみせた俺を拒絶し続けていた手が止まる。
「ただ、特定の“オンナ友達”がいたことは認めるよ。…ゴメン」
「……」
「……ミナコ?」
背骨に沿ったある一箇所を何度も行き来する指先に、初めてひたすら前を向いていた足を止める。と同時に、ミナコの体温に温められた肌に重なる、もうひとつのぬくもり。
「ッ…!」
「…わかった。もう言わない。……琉夏を信じてる」
たぶん、そこに傷痕があるんだ。そのシルシに唇を寄せキスをすることで、言葉どおりミナコは俺を赦してくれたんだろう。
(これで…いいのか?俺は、ミナコにウソをついたままで…)
「…あ、West Beach。見えてきたね」
それからしばらくは、地面とにらめっこしながら黙々と前に進んでいた俺。不意に呟いたミナコの声に顔を上げると、目線の先に黒い空間にぼんやり浮かぶ光の粒が見えた。
「……ホントだ」
「ありがとう、琉夏。ホントにもう平気だから、…ここで」
「っ、…うん。わかった」
そして、地上に降り立つふたつの影。汗ばむ背中が、ひんやり涼しくなった。---ここからは自分で歩いてく。そう言って、痛む足をかばいながら俺より一歩先を行くミナコの後ろ姿が、月をバックにこちらを振り返り鮮やかに微笑む。その笑顔にまた、想いが深まる。
(そうだ…、俺…)
「コウちゃん、まだ起きてるかな?」
「っ、さぁね。ちょうど晩飯食ってる頃かも」
---まだオマエに、好きだっていえてない。
「…あ。そういえば、わたしが作ってきたケーキ、食べれないくせに物欲しそうに見てた…」
“俺のいないあいだ”のコウの様子…出来事を含み笑いしながら楽しそうに語るミナコの、名前を呼び止めるよりも先に掴んだ手首。
「っ、…琉夏?」
「ミナコ…、俺……」
---オマエの気持ちはずっと、コウにあるものだと思い込んでた。だけど、そうじゃないって…West Beachを飛び出したオマエの涙が教えてくれた。だったら俺は、俺も、たとえば真実(ほんとうのこと)を知ったせいでキラワレてしまっても。ぜんぶ、打ち明けるよ。ウソを積み上げた成りの果ての想いなんか、オマエに捧げられない。
「怒らないで…、最後まで聞いて?」
「……うん?」
人通りも、車もバイクも行き交わない道の真ん中で、向かい合い、両手で握りしめたミナコのふたつの手首を見つめながら、ありのままを語りはじめる。いまの俺には、波の音さえ耳障りだった。
「……俺さ、ここへ戻ってくるまで、好きでもないオンナを抱こうとしてた」
「…え…っ?」
「でも、結局できなくて…。そこにいるハズがないのに、オマエの気配がジャマするんだ。ホントに欲しいのは、抱きたいのは…誰なの?って…」
「っ…」
手の中にある確かなぬくもりが、微かに震える。
「俺…、もうオマエじゃなきゃダメなんだ。キスもセックスも、ミナコとじゃなきゃ反応もしないし感じない」
「っ、琉夏…ッ」
---オマエのことが好きで、欲しくてたまらなくて。ここからもう一歩も動けない。
「好きだよミナコ。オマエの手で、俺を解放して?」
その言葉がなにを意味するのか、ミナコなりに解釈できたんだろう。俺を見上げる双眸がためらってる。だけど、声なく伸ばされた腕に抱きしめられたカラダ。答えはyesだって、受け止めていいんだよな?
(あとちょこっとだけ続きます…)