雪の日のメモワール

“いつもの公園で待ってる”
クリスマスの朝に届いた、一言だけのコウちゃんからのメール。このまま、会えないまま旅発たなければならないのかなと思っていたから、本当に嬉しくて。いまから行きますと返事をすることも忘れ、わたしは自宅を飛び出した。

「すごい…、真っ白だぁ…」

外へ出てみると、アスファルトはもちろん、周囲に立ち並ぶ家々の屋根も白く染まっていた。肌を刺すような冷たい空気に触れた頬を両手で覆い、柔らかな新雪を踏みしめながら、彼の待つ公園へ向かう。---これが、日本の雪の感触。今夜、ドイツへ発つわたしが触れることのできる、最後の感触。

「……コウちゃん」

幼い頃の、コウちゃんと琉夏とわたしの三人で、日が暮れるまで走り回った公園も、いまは辺り一面雪に覆われている。そんな中、錆びついた青を剥き出しにした滑り台を背に、彼はひとり佇んでいた。

「…よぉ」

背後から近付くわたしの存在に気付きこちらを振り向いたコウちゃんが、穏やかに微笑む。見慣れているはずの彼の笑顔に接するのは何日ぶりになるだろう。

「メール…ありがとう。すごく嬉しかった」

---あの日、わたしが通っている音大の卒業を待たずに、ドイツへピアノ留学することを決めたとコウちゃんに打ち明けた日。すんなり理解してもらえるなんて初めから思っていなかったけれど、想像以上の猛反対を受け、説得するなんて到底無理だと悟った。最低でも二年間は離ればなれになってしまう現実。卒業したら結婚を…と考えてくれていたコウちゃんの思いを裏切るわたしの決断に彼は背を向けるだけでなく、それから今日までの数ヶ月間は一切の連絡をも絶ち、受け入れてくれることはなかった。そんな彼がいま、笑っている。

「まぁ…アレだ。ケンカ別れしたっきりってのは、どうにも後味悪ぃからよ」
「……そうだね」

目線を宙に泳がせ、照れ隠しからかぶっきらぼうに呟いた彼を前に、いまにも泣き出しそうな感情を抑え無理な笑顔を浮かべてみせる。今日は、今日だけは、絶対に泣かないって決めたから。

「今夜の…、だったよな」
「えっ…?」
「飛行機だ。堕ちねぇように、祈っといてやる」
「っ、もう。そんな縁起でもないこと言わないで」
「ククッ。冗談だ」

そう、白い息の中ほくそ笑むコウちゃんの大きくて無骨な手が、隣で彼に寄り添うようにして立っているわたしの手首を掴み、引き寄せ、力任せに開かせた手のひらにジャケットのポケットから不意に取り出した“ある物”を乗せた。

「っ、…なに?」
「正月でもマトモに神頼みなんかしたこともねぇ俺が、わざわざ買って来てやったんだ。これでご利益がなけりゃ、ルカと神社に殴り込みだな」

胸元で掲げた手中に納められたそれは、何のへんてつもない、赤い布に包まれた小さなお守りだった。

「コウちゃ…」
「ありったけの念、込めてやったからよ。俺だと思って…、肌身離さず持ってろ」

いいな?と、優しく囁きかける声音。未だコウちゃんのぬくもりがふんわりと残るそれを握りしめて俯くわたしの髪を、クシャクシャに撫でる手のひらがあまりにも温かくて…。また、涙が零れそうになる。---ありがとう、コウちゃん。わたしの夢を赦してくれて。せめてそれだけは伝えたくて、唇を噛みしめ顔を上げた、そのとき。

「っ---!?」
「おらっ!来いミナコッ!」
「っ、コウちゃん!?」

突然、額に受けた冷たい衝撃。そしていつの間にか、わたしからそれなりの距離をとった場所から叫ぶコウちゃんの野太い声が、狭い園内にこだまする。

「ガキの頃、よくルカと三人でやっただろ!雪合戦だ!」
「えっ…!?やだ!いまはさすがに無理だよ!」
「いーから投げてみろ!いくぞ!」
「きゃ…ッ!痛いってばもうっ!」

ところかまわずぶつけられる雪のボールに、着ていたコートもすっかり濡らされてしまい、やられっぱなしはさすがに悔しいからと、大切なお守りはジーンズのポケットにしまって、両手で雪をかき集めて作ったそれをコウちゃんに向けて全力投球する。当然、彼にヒットすることはなかったけれど。

「クッ、相変わらずコントロールがなってねぇなァ!」
「しっ、しょうがないでしょう!?もともと苦手なんだから!」

あの頃よりは身も心も随分と大人になったし、鈍かった運動神経も少しはマシになったかなと思っていたけれど。考えてみたら、コウちゃんだって同じように…それ以上に成長してるわけだし、いつまでたってもわたしが彼に追いつき追い越せる道理なんてないんだ。

(だからせめて胸を張って得意だっていえるものくらいは、あなたより秀でてるって確かな自信が欲しいの)

ピアノ留学は、子供のときからの夢だったけれど。きっとそれが、この道を選んだ本当の理由。

「っ…、コウちゃ…、もうダメ。一歩も動けないよ…」

ほんのちょっと頑張って体を動かしただけなのに、息切れがして足までもつれ始めたわたし。どうしようもなくて、ヨロヨロとその場にしゃがんでしまおうとした瞬間だった。

「おい!バカッ!避けろ!」
「えっ?」

コウちゃんの罵声が耳に届いたと同時に、彼の渾身の一球が真正面から思いきり顔面を打った。

「ったぁ〜いッ!」

両手で顔を覆い地面に傾れ落ちたわたしの元へ、慌てたコウちゃんが駆け寄って来る。

「悪ぃ!平気か?」
「……女の子相手に本気になるなんて…。コウちゃんも相変わらずだね」
「っ、…おう。まぁ、勘弁してくれ」

「赤くなっちまったな」腰を屈め座り込んだままでいるわたしの片頬に触れた指先には、いとしさが溢れてる。

「立てよ。服、余計濡れちまうぞ」
「っ、…うん」

そう言って、差し伸ばされた腕は、いとも簡単にわたしの体重を引き上げてみせた。

「……ありがとう」

再び、向かい合う二人。どうしてだかわからないけれど、なんとなく気恥ずかしくて何も言い出せないでいる二人。そんな釈然としない空気を、無機質な機械音が割いた。わたしの携帯の着信音だ。

「っ…」
「どうした?出ねぇのか?」
「……」

わざわざ出なくてもわかる。お母さんからだ。あと数時間もすれば空港へ向かわなければならないのに、いつまでも戻ってくる気配のないわたしに、とうとう痺れを切らしたんだろう。

「……ごめんね、コウちゃん。わたし、そろそろ帰らなきゃ…」

---本心は、まだ離れたくない。次に会えるのはいつになるかわからないのに、時間が許す限りコウちゃんのそばにいたい。

「……そうか」

見上げれば、溜め息混じりに肩を落とすコウちゃんの寂しげな眼差し。きっとまだわたしたち、本当に伝えたいことの半分も言い交わせてないよね。

「っ…、それじゃ…」

だけどこれ以上一緒にいたら、最初に決めた約束事も守れそうにないから。「行ってきます」自分なりの、精一杯の笑顔で告げようと、もう一度、数10センチ上にいるコウちゃんを見上げた。

「ミナコ」

わたしが声を上げる寸前に、なんの前触れもなく口ずさまれた名前。寒さのせい?真顔なコウちゃんの顔色が青白く見える。

「っ、…なぁに?」
「行くからにはよ。テメェの夢、ハンパで終わらせるようなダセェマネだけはすんじゃねぇぞ」
「っ…!」
「それでもう一回、俺に惚れ直させるオンナになって…帰ってこい」
「コウちゃ…っ」

---そのときまで、何年だって待っててやる。固い覚悟も大きく揺らぎ、全身が震えだしてしまうほどの殺し文句をくれたコウちゃんの腕の中、無意識のうちにわたしの体はまるでそれが当たり前のようにすっぽりと包まれていて。強く、きつく抱きしめられて微動だにできない。そして、あれほど堪え続けた涙も頬を伝い落ちてしまった。

「もう…っ。泣かないって決めたのに…ッ、コウちゃんのバカ」
「あぁ?なんだって?」
「……やっぱり…、行くのやめようかな…」
「はぁ?なにを今さら……大歓迎だ、バカ」

息ができないくらいに抱きしめてくれる腕の力に、たった独り、知らない国へ旅発つ不安や恐怖が溶けてなくなってゆく。わたしには、必ず帰って来れる絶対唯一の場所がある。スーツケースの他に持って行かなければならないものがあるとしたら、あとはその確信だけでいい。だからこのまま、素直に家に帰るのはやっぱりやめにして。出発の時が間近になるまで、思う存分、コウちゃんの匂いとぬくもりと、彼の重みを、再会の日まで忘れないよう体じゅうに刻み付けよう。身長190センチのサンタクロースも、きっと喜んでくれるはず。


出遅れ感満載な、コウバンのクリスマス。ですが、それとは何ら関連性のないお話に仕上がってしまいました。芸術パラ200越えバンビと琥一の恋をずっと書いてみたかったんです…。いちおうパリ留学な設楽先輩の存在を考慮?して、敢えて別の国にしてみました。もしかしたら、これの続きも書いてしまうかもしれません。久しぶりなのに期待ハズレもいいとこなコウバンSS、お目汚し失礼いたしました!




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