無粋な恋がしたいだけ
「ステキなお店があるの。琉夏も一緒に行ってみない?」
一週間ぶりのミナコからの着信にテンションMAXな俺は、声を弾ませその誘いをひとつ返事で受け入れた。声を聞くのも一週間ぶりなら、会うのは二週間ぶりくらいになるだろう。大学に入ってからのミナコは、新しく始めたサークル活動や同じ学部の友達との交流が増えたせいで俺と過ごす時間が格段に減ってしまい、お陰で暇を持て余す俺は受験勉強の傍ら日々バイト三昧。高校の頃がウソみたいにそこそこ金持ちに成り上がってしまっていた。約束の日、どこへ行くのかはわからないけどアイツが食べたいもの、好きなものをなんでも奢ってやろう。そして夜は俺の家で…なんて下心剥き出しもいいとこだけど、それがまるで初デートの時のように新鮮に思えてしまって、着て行く服まで新調してその日を待った。---そして、迎えた当日。
「はじめまして。ミナコちゃんと同じサークル仲間で4回生の海野あかりです」
ミナコより一足先に辿り着いた、待ち合わせ場所のはばたき駅前。待ちに待ったミナコとの逢瀬。なのに彼女の隣には見たことも会ったこともない女のひとの姿が。状況を上手く把握できず呆気に取られている俺に向かって、そのひとはペコリと頭を下げた。そしてその横にいるミナコの笑顔が佇む俺を見上げる。
「今日、これから行くお店はね?喫茶店なんだけど、あかり先輩の彼氏さんのお店なの」
「っ、…へぇ。そうなんだ」
「久しぶりのデートだっていうから、私は遠慮しとくって言ったんだけど彼女がどうしても一緒にって…。おジャマ虫が一人増えちゃってごめんなさい」
「……いえ。こっちこそスミマセン。ミナコがムリ言っちゃったみたいで…」
ミナコの彼氏として、いちおう俺からも“アカリサン”に一言お詫びを入れたけど、内心はどうしても納得がいかない。---俺と一緒にって言ったのに、なんで二人っきりじゃない?友達の男に会いに行きたいんなら、なにも俺を誘わなくたってよかったんじゃないか?普段なら俺がいる場所、ミナコの左側を彼女の友達に占領され、その後を追いかけるカタチで歩く俺を二人の目線が振り返る。---ウワサどおりだった。琉夏くんってホントにステキなひとだね。あかり先輩の…佐伯さんだってすごくカッコいいじゃないですか。そんな会話を楽しげに交わすミナコの後ろ姿。これから会うことになるんだろう佐伯ってヤツとオマエは(俺の知らないところで)とっくに顔見知りだったんだな。その事実は、苛立ちをさらに募らせた。
「わぁ〜すごくカワイイお店だね!」
バスに揺られること30分。“珊瑚礁”と書かれた小さな看板が掲げられているその店は、West Beachがあった場所からバイクで5分程度の海岸にひっそりと佇んでいた。
「どうぞ。二人とも入って?」
---行こう、琉夏。ふいに絡めとられた指先。それは、この日初めて俺の肌にミナコのぬくもりが触れた瞬間だった。カラ〜ン。開かれたドアの呼び鈴が辺りに鳴り響き、店内から漂ってきた苦味のある独特の香りが鼻先を掠める。
「いらっしゃいませお客様…って、あかり?」
奥から丸いトレー片手に俺たちの目前へ現れたのは、身長も体格も俺のそれによく似た男。当然、髪の色はまったく違ったけれど。
「こんにちは佐伯さん。すみません、突然押しかけちゃって…」
「あれ。なんだ、ミナコちゃんも一緒だったんだ」
(ミナコ…ちゃん?)
さりげなく彼女の名前を呼んでみせた馴れ馴れしいソイツの態度に眉間を引きつらせる。
「あ、瑛。こちらの彼がミナコちゃんの…で、琉夏くん」
「……はじめまして。佐伯です」
「……どうも」
隣でミナコがもっと何か喋ってって目線で訴えてくるけど、これ以上なにを話せばいい?ひとの女の名前を軽々しく呼ぶなとでも言ってやればいいのか?大体俺はなんでここにいるんだろう。こんなコーヒー一杯が1000円くらいしそうな店、たとえホットケーキがあったとしても俺には不釣合いだ。
「じゃあミナコちゃんと琉夏くんは先に席に着いてて?わたし、瑛のこと手伝ってくるから」
決して広いとはいえないけれど、重厚な木々で造られた温かみのある店内をぐるりと一周見回したミナコが選んだのは窓際のテーブル席。店の一番奥にあり、海の見える特等席だった。
「ね?言ったとおり、ステキなお店だったでしょ?」
「……そうだね」
先に席に着いたミナコの問いかけに答えを返す口調も、自然と無愛想になる。備え付けのイスに腰掛け足を組むまでの俺を、彼女の怪訝な眼差しが見つめていた。だって、しょうがないだろ?俺は一刻も早くここを出て、オマエと二人っきりになりたいんだ。言いたくても言い出せない本音を胸の内に閉じ込めて、ふと柱時計に目をやると15時を少し回ったところで針は止まっていた。一緒にいられる時間の半分をすでに使ってしまってるなんてな。泣けるくらいあっけなくて、無意識のうちに深い溜め息が零れた。
「…そうだ。ねぇ、琉夏は飲み物どうする?」
「ココアでいいよ」
「ホットケーキ食べるでしょ?メニューにはないんだけど、今日は特別にあかり先輩が焼いてくれるって」
よかったね。そう言って薄いメニューを閉じたミナコは、アカリサンの名前を呼びオーダーを伝えた。
「……」
「……」
その後は、どちらともが故意に話し出さないのかそうじゃないのか、無言の時が俺たちを余計に気まずくさせた。だけどそんな風に思っているのはどうやら俺だけ、みたいで。目の前にいるミナコは頬杖をつき、口元を緩ませカウンターの向こうにいるセンパイとその彼氏をじっと眺めている。
「なに見てんの?」
(そっちじゃなくてさ。俺を見てよ)
「えっ?あ、二人がね?改めて見ると、やっぱりお似合いのカップルだなぁと思って」
「初対面じゃなかったんだな。その…サエキサンとさ」
「うん。彼もわたしたちと同じ大学に通ってるから」
「……そっか」
相手には彼女がいて、ミナコには俺がいる。頭ではちゃんとわかってるのに苛立ちがおさまらない。この感情にはイヤというほど身に覚えがあった。俺とコウ、そしてミナコ。幼なじみの仲良し三人組は、どこに行くのも何をするのも、いつだって三人一緒だった。ミナコが俺の彼女になってからも、俺と変わらないくらい彼女の身近にあったコウの存在に、俺はいまとまったく同じ感情をぶつけていた。---それは、理不尽な嫉妬心。
「わたしと同じ学部にも、憧れてる子がいっぱいいるんだよ」
なにも知らないミナコは相変わらず笑顔で俺に語りかけてくるけれど、このときの俺はもう平常心ではいられなかったんだ。
「サエキサンに?」
「えっ?」
「オマエもその中のひとり、なんだろ?」
テーブルの上に置かれたグラスに差し伸ばしたミナコの手が、止まる。
「……琉夏?」
「別に、いいと思うよ?憧れのひとがいるっていうのも、キャンパスライフの醍醐味だもんな」
「る…」
「けどさ。俺はそんなヤツ、見たくも会いたくもねぇんだよ」
思わず感情的なセリフを吐き捨てた俺に、何か言葉を発しようと声をあげかけたミナコの背後から、「お待たせ」と現れたアカリサンが分厚い二段重ねの焼きたてホットケーキを二人の間に差し出したけれど。
「ゴメン。俺、なんか気分悪くなっちゃった。…ちょっと外すね」
ひたむきに俺を追いかけてくるミナコの視線から逃れるように席を立った。
(マジ、サイテーだ。俺…)
レストルームの洗面台。失くした冷静さを取り戻すつもりで、蛇口から流れ落ちる水に髪を濡らした。顔を上げ、壁に掛けられた鏡を見つめる。そこに映し出されたミナコを強く想う余りに自分勝手な独占欲に苛まれたふがいない自身の姿に、鏡の前で握りしめたふたつの拳に力を込めた。
---コンコン
ドアをノックする音が聞こえ、咄嗟に蛇口を閉める。俺が出て来るのを待っていた他の客がしびれを切らしたのかもしれない…と。でも、そうじゃなかった。
「琉夏?…大丈夫?」
「っ……」
(ミナコ…)
「タオル借りてきたから…、開けて?」
---どうする?鍵を開けミナコを受け入れることを、一瞬躊躇ったけれど。
「あっ…、これ、よかったら使って?」
「……」
「っ、琉夏?どうしたの?髪…」
濡れた髪の毛先からポタポタと滴り落ちる水滴。中へ入るなり、目を真ん丸くして俺を見上げるミナコ。本気で驚いているみたいだ。
「そんなに具合悪いの?!どうしよう…っ、待ってて!いまあかり先輩呼んで…!」
(---もう、いい)
もう、誰にも、邪魔されたくないんだ。俺は、ただ、オマエと……。---想いは、衝動にカタチを変えて、俺のカラダを動かした。
「る…か?」
この場から立ち去ろうとしたミナコの手首を引き寄せるのと同時に、開け放たれたままでいたドアを閉めると、ずっと欲しくてたまらなかった二人っきりの空間で彼女を抱きしめた。
「……ゴメンな?」
「?どうし…」
「でも、このあとも、これからも、ずっと一緒にいたい。…いい?」
「っ、……わたしだって…、琉夏とずっと一緒にいたいよ」
背中に回された細い腕の力強さに、人知れず俺は、永遠を誓った。
「そのためには、もっと大人にならなきゃな。俺」
「え?どういう意味?」
ミナコが超が付くほどの鈍感でいてくれている間は、それも取り越し苦労かもしれないけれど。