tns | ナノ
自分で、自分の眉間にしわがよっていることを、自覚している。
それでも今日何度目かわからないその光景を目にして、もはや不機嫌さを隠そうという気にはなれなかった。
「丸井くん、よかったらこれも食べて」
「マジで?いいのかよ?」
「もちろん!丸井くんのために作ったからね!」
「サンキュー!じゃぁいただくぜぃ」
調理実習なんて滅びればいいのに。いっそ調理室を爆破してやろうか。
そもそも彼女以外の女からホイホイお菓子をもらうブン太もブン太だ。いくら食べ物が好きだからって無神経にも程がある。
もらったそばから袋を開けて美味い美味いとクッキーを貪るブン太を見て、私の苛立ちはさらに募る。
私は机の横にぶら下げていた紙袋を捨てるため、それを手にして教室を出る決意をした。
「あれ、なまえどこ行くんだよ」
「別に」
「?なあなあ、お前もこれ食わねえ?美味いぜ」
屈託のない笑みで、私にさっきの女の子からもらったクッキーを差し出すブン太。
私の気持ちにはどうやら1ミリだって気づいてはいないらしい。
「いらない」
「そっか。……なあ、お前は俺にくれねえのかよ。お前も調理実習あったんじゃねえの?」
「うるさい!他の子からそんなにもらってるんだから充分でしょ!あんたにあげる物なんて何もない!」
悪気もなく聞いてくるブン太にもう我慢できなくて、私は教室中に響き渡る大声でブン太に怒鳴り散らし、逃げるように教室を出た。
後ろからは「何あれ…」「最低」「可愛げない女」、そんな言葉が聞こえた気がしたけれど、そんな声に構ってはいられない。
走った末に入ったのは、新しく改装し、もう使われなくなってしまった旧音楽室だった。
埃っぽくジメジメとした部屋の不快さが、なんだか今の自分にはお似合いな気がした。
後手にドアを閉め、部屋の隅の床に座る。
本当に、なんて”可愛げない女”なんだろう。
膝を抱えて、横に置いた紙袋の中を見つめる。そこには、いつもお腹を空かせているブン太のためにとラッピングを施したクッキーだった。
きっと渡したら喜ぶだろうと教室に戻った私の目に映ったのは、大勢の女の子に囲まれて、笑いながらクッキーを食べるブン太だった。
ノリが良くて人懐っこいブン太の周りは、いつだってたくさんの人で溢れている。
そんなのは今に始まったことじゃないし、それがブン太の好きな所の一つでもあるけれど、そんなブン太を見るたびに、私は一つ、また一つと自信をなくしていくのだ。
私は、可愛くない。
素直じゃなくて、愛想もなくて、人を僻んだり妬んだりもしてしまう。
そんな自分が、惨めで嫌になる。
こんな自分、大嫌いだ。
本当に滅ぼしたいのは言いたいことの一つだって伝えられない自分だったんだ。
自分で作ったクッキーをひとつ口に運ぶと、美味しくできたと思っていたのに、なんだかとてもしょっぱい気がした。
私は、クッキーを美味しく焼くことすら出来やしない。
「なんで、なんで私はこんななんだろう」
堪え切れない涙が、落ちかけた瞬間だった。
ガラリと扉が開き、そこにはどこにいたってすぐにそうだとわかる、真っ赤な髪をしたブン太が、息を切らして立っていた。
「ったく、よりによって、3階まで行くかよ…っ」
少し怒ったようにドアを乱暴に閉めたブン太は、私の前までやってきてしゃがみこむ。
その表情は、やっぱりいつもよりもずっと険しかった。
「俺は、怒ってる」
「うん」
「悪かった」
「う、ん……?なんで?」
てっきり、怒鳴って教室を出たことを批判されるのだと思っていた。
「なまえの気持ちを考えてやれなかった俺に、怒ってんだよ」
他の子からお菓子もらってんのとか、いい気しねえよなと、ブン太はバツが悪そうに眉を下げる。
「違う、ブン太が悪気ないの、私わかってた。素直じゃない私が悪いの。あんな言い方しか、できない私が…」
自分が悪いことも、ブン太に気を遣わせたこともわかっているのに、それでも”ごめん”の一言を私は言えなくて、そんな自分が反吐が出るくらい嫌いだった。
「お前が素直じゃねえなんて、俺だってわかってる」
「ブン、た?」
「わかってて、そんなとこも好きだから、付き合ってんだろぃ?だから、気付けなかった俺が悪い。ごめん」
そう言って頭を下げてから、ブン太は私を抱き寄せた。ふわりと香るバターと甘い香り。これは私とブン太、どちらの香りだろう。頬を擽る癖っ毛な赤い髪が、愛おしくて愛おしくてたまらない。
「なまえは素直じゃなくて無愛想だけど、でもそこが可愛いから、好きだ」
「……可愛く、ないよ」
「可愛いって」
カサリと紙が擦れるような音がした後、耳元で何かを砕くような音が聞こえて。
そのあとは、わずかな振動と共に咀嚼音。
「ちょ、ちょっと、ブン太」
「ああ〜美味え」
「誰も、あげるなんて言ってない」
「良いじゃん、減るものじゃねえんだし」
「物理的に減ってますけど…」
クスクスと笑いながら、ブン太は私の頭を撫でる。
可愛げのない私のことを、可愛いって言ってくれるブン太。無愛想な私に、楽しそうに話しかけてくれるブン太。いつだって素直になれない私を、抱きしめてくれるブン太。
全部、全部ほんとうは大好きだ。
「ブン太」
少し体を離して、ブン太の頬に両手を添える。真っ直ぐブン太の目を見ると、赤みがかった瞳も私を写している。
大好きだよ。
そう、心の中で何度も何度も念じながら、おでこにキスをひとつ。
顔を離すと、ブン太は頬を赤らめて、目を細めて眉を下げ、まるで泣きそうな顔で笑っていた。
「サンキューな」
そう言ってまた私を抱きしめると、まるで小さい子どもにするように、私の背中をポンポンと優しく叩く。
「私こそ、ありがとう」
「何がだよ」
「追いかけて、来てくれて」
追いかけるに決まってんだろぃ?と、笑ってくれる。
ブン太の隣は、温かい。
まるで、干して取り込んだばかりのふかふかの布団のような、ホッとする温かさだ。
けれど、それが何よりも人の心を満たすものだと、私は知っている。
たから、もう一度。
大好きだよと、心の中で私は唱えるのだった。
サンライト伝説
(ゴメンね、素直じゃなくて。でも、温かくて優しいこの場所に、どうか居させてほしいだなんて。そんな言葉もきっと、伝えられないけれど)
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