tns | ナノ
扉を開ける。
傾いた夕陽に照らされたコンクリートと、無機質なフェンス。そしてひとつの背中。

広がる眼前の風景の中で、茜色とその背中だけが、人の手で作り上げることのできない温もりをもったものだった。

「白石」

振り向き、私を捉えたそいつは、整っていて非の打ち所がない顔をしているのに、私にはなんだか酷くみえる。
醜いのではなく、酷い。

「なまえか。どないしたんや?」
「それは私の台詞だよ。何その顔」
「え?」
「酷い顔。もうちょっとマシな顔できないの?」
「えらい辛辣やなあ」

雨が降ったわけでもないのに、吹き抜ける生暖かい風には多分な湿気が含まれていて、じとじととしていて不快だった。

「いつまで、そんな顔してるつもり?」
「……、俺な、」
「うん」
「俺、テニスに関しては努力を怠ったことはあらへん。出来ることは全部やった。人事は尽くした」
「うん」
「でも、」
「うん」

そこで、白石はフェンスに背中を預けて、空を仰いだ。
私も同じようにすると、仰ぐ空はどんどん闇に飲まれていくように明るさを潜める最中だった。


「でも、また、届かへんかった」


痛かった。
いつも通りのトーンで告げられた一言だったはずなのに、それが余計に白石が無理をしている証拠みたいに思えて、痛くて痛くて堪らなかった。


白石がどれだけ頑張ってきたかなんて、皆が知ってる。
自分のやりたいことも我慢して、好きにプレーすることも辞めて、ただチームのためにと部長としての務めを全うした。

なのに、白石はいつもあと一歩、頂点に届かない。

なんでだろう。
なんでこんなに頑張ってる白石が、一番になれないんだろう。
他の学校の人たちだって、血の滲むような努力をしてるって、わかってる。でも、その人たちと比べて白石の何が劣ってるって言うんだろう。何が足りないって言うんだろう。

白石が何十時間もかけてできるようになったことを、他の人たちは試合の中で思いついたようにできるようになってしまう。
そこには下積みされた努力があるからだとわかっているけれど、それでも、私だって悔しくて堪らない。

けど、その悔しさはきっと白石だけのものだ。
白石が一番悔しくてやるせないはずだから。


「じゃぁ、やめる?」


「え……」


驚いたように私を見る白石に、私は続けて言う。


「どれだけ頑張っても頂点に届かないなら、もうやめる?」


傷付いて、自分の無力さに打ちひしがれる白石に、優しい言葉をかけて慰めてあげるのは、誰でもできる。

だからこそ、それは私の役目じゃない。


「いっぱい我慢した、いっぱい努力した、でも勝てなかった。苦しい、悔しい、辛い。じゃぁ、やめる?」


何度も問いかける。
白石はその度に傷付いたような表情を深めていく。唇を強く噛み締めて、拳を握るその姿は、部長として振舞っているときは決して見せない姿だった。



「やめられるわけ、ないやろ」



やがて白石は、絞り出すようにそう言った。

白石がテニスをやめられるはずないなんて、わかっていた。

今ここでやめてしまったら、今までの努力が本当に全部無駄になる。
これからずっと我慢しても努力しても、白石が一番になれる日が訪れるかはわからない。

それでも、その日を信じるしかない。
一番になることでしか、白石の努力は報われない。白石の悔しさは、消えない。


「私は、白石が一番強いと思ってるよ。白石が一番強くて、かっこいいって確信してる」
「なまえ?」
「約束された勝利なんて、どこにもないけれど。それでも、白石が勝って笑うところが見たいから」


だから、そんな顔しないで。

白石の、握りしめたままの拳に、触れる。
両手で包んで、拳をそっと解く。

几帳面に巻かれた包帯のザラザラとした感触の向こうに、闘志を秘めた尊い温度がある。

白石は強いけれど、報われないこの人は時々こうやって酷く落ち込んでしまう。まるでそこが世界の端っこであるかのように、全てに背を向けてしまう。

それを私は許さない。
白石が報われないなんて、許さない。

他の人と比べて白石に足りないものなんて、きっと本当に些細なものであるはずなんだ。

例えばほんの少し、自分を信じることができなかったとか。
例えばほんの少し、運を味方にできなかったとか。

その”ほんの少し”に、これからも白石は苦しんでいくだろうけど、それでいいと私は思っている。


「なまえはほんま、酷い女やな」
「そうかな?」
「そんなこと言われたら、俺、また自信出てくるやん。俺やったらまだまだ出来るんちゃうかって、思えてくるわ」


触れたままの手が、私の手を優しく握る。

輝きを取り戻した白石の瞳は、また前を向く。
自信を浮かべた明るい表情、その顔が、大好きだ。


白石。
あなたの背中は、私が何度でも押してあげる。

だから、さあ


(歩みを止めてはいけない。加速する世界の速さに、ついていけなくなるから。だから私はその背中を押す。何度でも。あなたが歩む道はいつも険しく苦しい道であるけれど、あなたは前を向いて歩き続けることを望むだろうから)

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