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『傘とタオル持って来い』


短い文面。件名は無し。
末尾には家から歩いて5分程の、公園の名前が記されていた。彼からメールが来ること自体が珍しいので、素っ気ない文面に関しては何も思わない。

窓の外を見なくても、激しい雨音だけで外がどんな状態かがわかる。

手頃なタオルと、自分と彼の分の傘だけを持って、急いで家を後にする。
案の定鈍色の空からは大粒の雨がしきりなく降り注ぎ、傘の意味があるのかが疑問なほどだった。湿気を含んだひんやりとした外気が不快だ。

待たせてはいけないと少し早歩きで公園へ向かい、屋根のある休憩所を見ると、メールの差出人の姿を見つけた。
しかしいつも纏っているはずの白い制服は、ズボンしか履いておらず、上半身は黒色のインナー姿だった。

「亜久津?」
「遅え」

これでも急いだのに、と、反論をしようとした時だった。

亜久津のそばに置かれている白い制服が微かにうごめき、そこから小さな鳴き声が聞こえた。

『ミャー』

「え、なに?猫?」

もぞもぞとそこから顔を出したのは、一匹の猫。子猫というわけじゃないけれど、酷く痩せているように見える。

「どうしたの、この子」
「知らねえ。雨宿りしてたら隣に来やがったんだよ」

貸せ、と私の手からタオルを奪い、彼は自分の腕や首を拭いた。雨に濡れてしまったからか、彼のセットされた髪は少し元気がない。なんだか寝起きみたいだなあと思ったけれど、口に出せば怒らせない自信はなかった。

「ほらよ」

そして拭き終わったタオルを、私に差し出す。

「拭くだけ拭いて後は私ね……はいはい」
「馬鹿かてめえは」

受け取ったタオルを畳み始めた私を見て、亜久津は苛立たしげにまた私からタオルを強奪し、広げて私の頭に被せる。そしてガシガシと乱暴に私の髪を拭き始めた。

「い、痛いんだけど」
「うるせえ。風邪引かれても迷惑なんだよ」

不機嫌そうにそう言いながらも、その力は少しだけ弱くなる。それでも相変わらず痛いと感じたけれど、そんな優しい痛みが私は心地よくて、彼から見えないように、ほんの少し笑う。

タオルを避けられ視界が開ける。亜久津を見ると、猫に被せていた自分の制服を手にしているところだった。

「帰るぞ」
「え、猫は?どうするの?」
「どうもしねえよ」
「ここにこのままで平気なの?」

そう言うと、亜久津は猫を一瞥する。寒いのか、少し体を震わせる猫は、何かを訴えるように真っ直ぐ亜久津を見ていた。

すると亜久津は、手に持っていたタオルを猫に放り投げた。ふわりと舞ったタオルは、その痩せた体を包むように落下する。

「これで十分だ」

私の手から自分の分の傘を奪い、広げてすたすたと歩き出す亜久津。
私は猫を気がかりに思いながら、その背中を追う。

「でもあの子、随分痩せちゃってるよ?」
「野生の生き物を救おうなんざ、人間のエゴに過ぎねえ。アイツらは自分の力だけで生きていける。野垂れ死ぬようならそれまでだ」

もう一度、猫を振り返る。
猫はまだ、真っ直ぐにこちらを見つめていた。

可哀想だとは思うけれど、亜久津の言う通りだとも思うのだ。
一度誰かの温かさに触れてしまった生き物は、きっとその後孤独を生き抜くことはできない。人間だって変わらない。一度人の温もりに触れてしまえば、一人では生きていけぬように出来ている。

だから、あの子の生き抜く強さを奪ってしまうことは、きっと優しさではないのだろう。

前を見れば、亜久津は少し先を歩いている。

雨脚はまだまだ激しい。拭いてもらった髪も、横殴りの雨にまた濡れてしまっている。
私は自分の傘を閉じて、小走りで亜久津の傘に潜り込んだ。そして、外気に晒され少し冷えてしまっている逞しい腕に、自分の腕を絡めた。

「おい、何やってる」
「亜久津、相合傘しよう」
「狭え。自分の傘持ってんだろうが」
「いいじゃんたまには。こんなに雨降ってたらもう傘意味ないし。ほら、帰ろ」

軽く舌打ちをしながらも、振り払われることはなかった。しなやかな筋肉を纏った腕。

孤独な背中が愛しいと思った。その心に触れてみたいと思った。棘だらけのその心を握り締めてみると、思ったほど痛くはない。一本の棘にしか触れなかったら、きっと痛いだけだった。でも、勇気を出してその全てに触れてみれば、痛みは分散されてなんてことはなかった。その棘はきっと、自分を守るための棘なんだと知ったから。

彼もまた、孤独を生き抜くために自分を守っていたんだろう。けれど、こんなに逞しく強い彼も、きっともう一人では生きていけない。私という存在は、彼を弱くしていくだろうから。


『ミャー』


公園の出口に差し掛かった時、遠くから私たちを呼ぶ鳴き声が聞こえた。

亜久津は、足を止める。

でも、振り返ることはせずに、また歩き始める。

そう、きっとこれでいい。
私の腕は、彼を抱き締めるだけの二本しかない。心は、彼を想うだけの一つしかない。
だから、あの猫を助けてあげることはできない。


彼が腕に抱えている白い制服には、所々に、小さな命の足跡がついていた。



(傷付いたって構わない。痛くてもいい。だからどうか、これからも抱き締めさせてね)
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