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それが人だとわかるのに、時間がかかった。

ボヤけた視界、遠くに佇むそれは恐らく人だった。一歩、一歩と足を動かすのに、一向に距離は縮まらない。何かが纏わり付いているかのように、脚が重かった。
その影に、届かないと理解しながら手を伸ばす。案の定、虚しく空を掴む感覚。心と頭を支配するこの暗く淀んだ感情は何なのか。虚しさ、落胆、悲しみ。違う。どれでもない。

脚も動かず、手も届かない。諦めようかと思った時、ペラリ、ペラリと耳に馴染みのある音がした。その音とともに、俺の周りの空気が温もりを帯びる。

この音は、何の音だ。

その答えにたどり着いた時、俺を支配していた暗く淀んだ感情が霧散していった。そこで俺は、ようやく自分が夢を見ているのだと気付く。


瞼をこじ開けて、頭を上げる。

「あ、やっと起きたの?」

部活をする連中のざわめきが僅かに耳に届く、冷んやりとした教室。そして、いつものようにいつもの席で、いつも通りに本を読むお前。その顔には、いつものように笑顔が浮かんでいる。

何の代わり映えもない、退屈な日常だった。

「どれくらい寝てた」
「1時間くらいかな?あ、でも授業中から寝てたからもう少しかも」

お前は、もう帰る?と、読んでいた本に栞を挟み、腕時計を見ながらそう問いかけた。耳にかけていた髪の毛が、はらりと零れて顔に影を作った。
当たり前のように俺を待ち、当たり前のように俺の隣に立つお前に、最初こそ苛立ちはしたが最近は怒る方が面倒だと気付き、放置することにしている。

ああ、と短く告げると、お前は本を鞄にしまいながら帰る準備を始めた。
今日の晩飯の話を楽しげに始めるその姿に、既視感を覚える。

どこかでーーー、


「おい」


すぐにその既視感の理由を悟った俺は、振り向いたその胸ぐらを掴み、力任せに俺の方へと引き寄せた。無理な体勢と突然の行為に、お前は小さく悲鳴を上げる。それを飲み込ませるように強引に唇を重ねて、頬に手を這わせる。滑らかな肌は、暖房のついていない教室にいたからか、少し冷たい。そのまま指を滑らせて、先ほど零れた髪の毛を耳にかけ直して唇を解放してやる。

「亜久、津……」

「帰る」

驚くお前に構うことなく、俺は自分の鞄を手に教室を出る。来た時よりも少し重みを増したそれに、今日も勝手に荷物を詰めたであろうあいつにまた苛立ちが募るが、それもいつものことだ。

後ろから忙しない足音がパタパタと聞こえてくる。振り向かずとも、お前がどんな表情をしてそこを歩いているかも、想像ができた。

きっと明日も、同じような1日になるんだろう。何の代わり映えもない、退屈なだけの日常。

だがここは、お前に触れられる世界だ。たったそれだけの事実が、ほんの少し、俺に明日の楽しみを与えるのだった。


(触れられないと知った時に初めて、お前に触れたかったのだと気付いたから)


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Twitterで仲良しのフォロワーさんと繰り広げた妄想。亜久津はかっこいいの塊な気がしてます。
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