tns | ナノ
部活を引退してからの時間よりも、年明けまでの時間の方が短くなり始めた頃。いつものように余裕を持って登校した俺は、教室へと向かった。

扉を開け、溜息。

「あ、跡部だ。おはよう」

いつものように余裕を持って登校した俺よりも、早く着いていつものように俺を待つお前。

「お前も毎日毎日懲りねえな」
「なにが?」
「とぼけんな」
「それよりも早く扉閉めて、寒い」

早く早く、と急かすお前に、舌打ちを一つして強めの音を立てながら扉を閉めた。
そのまま無言で自分の席へと腰掛ける。


毎日、お前はここで俺を待っている。

夏休み前まで、こんなことは一度だってなかった。俺は朝練があったし、みょうじは朝が弱いのか単にだらしないのかは知らねえが、毎日のように遅刻をしてくるようなヤツだった。

ところが、夏休み明けの始業式の日。引退したにも関わらず、朝練のクセで俺は随分と早い時間に学校に着いた。そして一人教室で過ごしていると、驚いたことに次に教室に来たのはみょうじだった。
そしてそれからは毎日、1日も欠かすことなくみょうじは俺よりも早く教室に来ている。


「なになに?今日不機嫌なの?何か嫌なことあった?」
「ああ」
「私でよかったら聞くよー」
「毎日のように教室で待ち伏せされててな、頭を悩ませてる」


顔も見ずにそう告げれば、ひど!と言いながらもクスクスと楽しげな笑い声。
みょうじの方を見ると、まだ暖房の効かない教室が寒いのか、鼻と頬を赤くしながら俺を見て笑っている。


「いい加減にしろ。迷惑だっつってんのがわからねえのか」


そう言うと、キョトンとして目を見開くお前。それでもその表情は一瞬で、次の瞬間にはまた笑顔に変わる。

「別に何時に登校してここで何してようと私の勝手〜。跡部がもっと遅くくればいいじゃん」

そしてその口は、まさしく正論を紡いだのだった。



そんな会話をした翌日。
あいつの言う通り遅い時間に行くことも考えはしたが、あいつの思惑通りになるのは癪だった。

だから、いつも通りの時間に教室の扉を開く。

そこには、ただ寒々しい教室があるだけだった。

みょうじの姿はどこにもない。
まるで時間を止めてしまったような、静けさだけが漂う教室。

どうして、そう思いかけて、答えはすぐに見つかった。

「俺が、」

俺が、迷惑だと言ったからか。
その言葉は飲み込んだ。何を動揺している。平和で、静かな時間が手に入った。それだけじゃねえか。煩わしい女がいなくなっただけだ。

そう言い聞かせ、窓際の自分の席に座る。すると、静かだと感じたのは錯覚だったようで、外からは朝練をする生徒の声が聞こえてきていた。

この教室からは、テニスコートがみえる。久しく足を運ばなくなったそこへ視線を向ける。

「……アーン?」

すると、テニスコートよりも教室に近い位置に、みょうじが立っていた。
何をしているのかと驚いて窓を開けると、そんな俺に気づいたみょうじが俺に向かってブンブンと手を振っていた。

「跡部ー!おーはーよー!今からそっち行くねー!」

俺が口を挟む余地もなく、校舎へと駆け出す姿。

開けた窓からは、凍てつくように冷たい風が吹き込んでくる。それでもなぜか、さっきよりも暖かい気がするのはどうしてなんだろう。

しばらくすると、教室の扉は騒がしく開かれ、走って来たからか息を切らすお前がやってきた。

「お前、何してるんだ」
「ん?待ってるのやめろって言われたから」
「この時間に来てたら変わんねえだろ」

そうかもね、といつもの調子で笑うお前。
そこにあるのはいつもの笑顔なのに。いや、いつもの笑顔だからこそ、俺は堪らない気持ちになった。なぜ、どうして。答えなんて出せやしないくせにそんな疑問ばかりが頭に浮かぶ。お前の行動も言動も、俺には全く理解できない。

気が付けばいつも笑顔を携えているその顔に、手を伸ばす。そっと触れた頬は、滑らかな感触だったが、それ以上に驚くほど冷たかった。


「跡部?どうしたの?」


俺にだってわからない。だが、お前のその鼻と頬が、やっぱり赤いから。だから、触れてしまいたくなっだけだ。そう、ただ、それだけ。



「お前、何であの日から早く来るようになったんだよ」



冷たい頬の上で、親指を軽く滑らせながら問う。少し押せば柔らかく押し返してくる頬。薄いように見えて、やはり女の肌は柔らかいんだなと場違いなことを考えている。


「あの日は、たまたまだったよ」
「たまたま?」
「うん。遅刻多すぎたから、夏休み明けに、お説教あったんだ。それで、早く呼び出されてたの」
「それなら、今日までは何故だ」


そう言うと、少しだけ瞳を揺らすお前。俺はもしかしたら、初めてお前の瞳をまっすぐに見たかもしれない。見飽きてきたとすら感じていたのに、今こうして前にいるお前には初めて会ったような気分だった。


「跡部、が」
「俺が?」

「テニスコートを、見てたから」


そう、揺れた瞳で告げられる。理由としてはあまりにも不足の多い言葉だった。それでも、俺の心は核心を突かれたようにトクンと大きく打った。


「あの日、お説教が終わって、たまたま早く教室についたらね。跡部が、すごい辛そうにテニスコート見てたから」


だから、早く来なきゃって思ったの。

頬に触れていた俺の手に、重なる手。冷たい手だった。お前は一体、何時から外で俺が来るのを待っていたんだ。毎日、何時に教室についていたんだ。

「ウザがられてるのわかってたけど、今日もあんな辛そうな顔するのかなって思ったら、堪らなくて」

聞きたいことは山ほどあるのに、プライドが邪魔をしていつだって素直になれない俺の口は、別の言葉を紡ぐ。

「お前、俺のこと好きなのかよ」
「多分、ね」
「あんなに辛辣な態度をとってもか」

そしてお前は、また笑う。
さっきまでの揺れていた瞳はもうない。いつも通りの、お前の微笑みだった。

「知ってる?人って、絶対嫌いになれない人が2割はいるって話」

「アーン?」

「私にとって、跡部はその2割。跡部がどれだけ落ちぶれても、その綺麗な顔が剥がれ落ちても、どんなクズに成り下がっても、どれだけ冷たくされても。きっと私は、嫌いになれない」


あたたかいと、感じた。
暖房も効いていない、真冬の教室で、冷たい頬に触れているはずなのに。

ここは、妙にあたたかい。



全力でやったはずだ。
だから悔いなんてない。

でもずっと、あのテニスコートに忘れ物をしてきちまったような気がしていた。

本当はただ、負けただけなのに。


「俺は、お前のことなんて好きじゃねえぞ」


「知ってるよ。でも、嫌いでもないから跡部も早く来てくれるんでしょう?」


私、知ってるんだからね。


ああ、あたたかい。
これからは、更に冷え込んでいくだろう。毎日刺すような風が吹くだろう。一人では凍えてしまうような、冬がやってくるから。

だから、もう少し。
このあたたかさに触れていてもいいよな?

絶対口にはしてやらねえが、それでも、そう問えば笑顔で頷くお前が安易に想像できてしまって。
俺はただ、自嘲的に笑った。




(それはもう、愛することと寸分の違いもない)




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他人の6割は、あなたの行動で好きになるか嫌いになるか分かれる。
2割は、あなたが何をしてもあなたを嫌いになる。
残りの2割は、あなたがどんなヘマをしても味方でいてくれる。

そんな割合で人はできているという、有名な言葉。
逆に言えば、2割の人はどんな人でも嫌いになれないってことなんですよね。
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